獣人王と番の寵妃

沖田弥子

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恋の舞

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 宮殿に灯された幾多の燭台の炎が、闇を色濃く浮かび上がらせている。
 初夜の装束を纏う天は、微動だにせず紫檀の椅子に座していた。
 血のように紅い猩猩緋の着物に、唐花鳳凰が総刺繍された帯。髪には眩い黄金の歩揺をずらりと挿し、唇には紅を引いている。
 今宵、王は寵妃の夜伽を申しつけた。
 けれど天の心は鉛を含んだように重い。
 覚悟はとうに決めたはずなのに、未だ揺らいでいる己の心を叱咤する。
 このあと迎えの馬車が訪れれば、寵妃は獣人王の待つ王宮へ赴く。
 王の褥で、抱かれるために。
 この日を迎えるために、エドは連日夜伽の指南をしてくれて、ルカスと黎を始めとした宮男たちは用意を調えてくれたのだ。彼らの想いを無下にすることはできない。
 王の子種をこの身に受けて、子を授かることが、オメガである天の責務なのだ。
 でも、最後にひとつだけ。
 天は紗布を手にして、紫檀の椅子から立ち上がる。馬車の訪れを待っていた黎に声をかけた。

「気持ちを落ち着けたいから、舞台へ行ってくるね。すぐに戻るよ」
「わかった。ルカス様には俺から言っておくよ」

 宮殿の敷地内には舞台が設置されている。神殿のような造りの重厚な舞台は、歴代の寵妃を愉しませるための催しが行われてきたのだろう。
 けれど今、この舞台で踊るのは天ひとり。
 猩猩緋の着物の裾をからげ、エドからいただいた真紅の紗布を腰に巻く。
 掲げられた二対の松明が、幻想的に舞台を浮かび上がらせる。真紅の紗布を彩る宝石が、きらきらと輝いて炎に映し出された。
 これを纏い、踊る天を見たいとエドは川辺で願ってくれた。
 彼はここにはいないけれど、最後に約束を叶えたい。
 僕の想いを、表現したい。この紗布を最高の形で舞に表わしたい。
 天は沓を脱ぎ捨て、裸足で舞台を踏んだ。
 ひらり、ひらりと極上の朱が蝶のように舞う。
 孤児院でも披露した恋の舞。
 異国の姫は王と出会い、ふたりは恋に落ちる。
 しかし敵国同士ゆえに引き裂かれ、姫は祖国に連れ戻されてしまう。
 愛するひとに会いたいと切に願い、身を焦がす。
 狂おしく、激しく、天はもがくように腕を掲げ、身体を弓なりに仰け反らせる。
 今なら、姫の恋する気持ちを理解できた。
 エドに恋をして、会いたいのに会えない、結ばれたいのに結ばれない辛さと切なさを実感できたから。
 そして、恋する悦びも。
 国を抜け出した姫は愛する王のもとへ。
 ふたりは再会を果たし、永遠の愛を誓い合う。
 だが運命は残酷だった。
 翻弄される姫を演じる天は舞台上を旋回する。ふいに、その身体を力強い腕が抱き留めた。

「あっ……」

 なぜか白銀に輝く装束を纏ったエドが、王の仮面を装着して舞台に現れた。
 この演目は王が登場する構成もあるのだが、もちろんエドとは打ち合わせなど行っていない。今日舞台を訪れたのは天の独断によるものだ。
 エドはなにも言わず、優雅な所作で掌を差し出した。天の手を取り、踊るように華麗な足捌きで舞台上を巡る。
 エドは、この舞に付き合ってくれるのだ。
 天のすべてを込めた恋の舞に。
 妖しく踊り狂う天に、舞姫が乗り移る。
 愛する王とエドを重ね合わせ、舞姫となった天は恋情をぶつけた。
 幾度も王の胸に飛び込み、そして抱き込まれる寸前に、小鳥のように飛び去ってしまう。
 なぜなら、再会を果たした王はすでに妃を娶っていた。
 同盟国の妃と手を結び、我が国を滅ぼそうとしている王の裏切りを知った姫は、恋心と憎しみの狭間で悶え苦しむ。
 姫の手を取ろうとする王の手を振り払い、身を捩らせる。
 天がくるりと身を翻すたびに、紗布は炎の明かりに眩く煌めいた。
 真紅の紗布と朱の着物はまるで、抑えきれない情愛を滲ませているようであった。
 そして王の白銀は対極の冷静。
 姫を冷たく見守る王はついに背を向ける。
 王に見放され、愛を失った姫は、業火に身を投じた。
 舞台の中央で、天は最後の舞に情念を込める。
 激しく足を踏みならし、表情で、身体で夜闇を魅了する。
 湧き上がる炎と共に、昇華されていく怨念。あとには愛しさだけが残された。
 やがて炎に焼かれた姫は一匹の蝶になり、空へと舞い上がる。
 高く手を掲げた天は、蝋燭の灯火が消えるかのように、ふっと床に伏した。
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