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告白
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「俺、久遠さんのことが好きです。尊敬という枠を超えて、あなたをひとりの男の人として好きになりました」
久遠は息を呑んだ。すぐに表情には喜びが満ち溢れる。
歩夢は、冷静に言葉を継いだ。
「だから、もう、お会いできません」
戸惑いを露わにした久遠は、歩夢を捜すように掌を翳す。
けれどもう、その手を取ることは叶わない。
「それは、なぜだ……? どういう意味なんだ?」
「……言葉どおりです。久遠さんと俺は住む世界が違います。お知り合いになれて光栄でした。今後も、久遠さんのご活躍をお祈りしています」
「待ってくれ。もう少し話をさせてくれ。あゆむ!」
榊が扉を開けて、歩夢が退出するのを待っている。
久遠の叫びを振り切るように背を向けた歩夢は、足早に楽屋を去った。
これでいい。
所詮、有名なピアニストと街の花屋では釣り合わないのだから。
久遠もいずれ、歩夢のことなど忘れるだろう。
寒風が吹きすさぶ道を行く歩夢の耳には、いつまでも久遠が捧げてくれた曲と、彼の最後の叫び声が木霊していた。
明るい陽射しに溢れた佐藤花店は変わらない日常の中にある。
けれど世間では、とあるニュースが幾度も流されていた。ピアニスト・神嶋久遠が行方不明なのだという。欧州に留学したのだとも、アメリカで指導しているとも噂が流れ、果ては死亡説まで囁かれた。
所属事務所の社長である榊氏はテレビのインタビューで、これを見ていたら連絡してほしいと久遠に訴えていた。榊でさえも、久遠の行方を知らないようだ。
歩夢としては無論久遠の身を案じていたけれど、行き先を知らされているわけではないのでどうしようもなかった。
連絡なんてあるわけがない。歩夢のほうから、別れを告げたのだから。
「久遠さん……どこにいるのかな」
無事でいるのか。何らかの事情があって姿を現せないのだろうか。やはり、楽屋で歩夢が発した言葉が彼を深く傷つけたのか。
店内のBGMから、柔らかなピアノ曲が流れた。『あゆむ』だ。
久遠の新曲はすでに発売され、記録的なヒットを築き上げているという。
あれから二ヶ月が経過していたが、歩夢の耳には、最後に久遠が発した「あゆむ」という呼び声がリフレインしている。
初めて呼ばれた、歩夢の名前。新曲のタイトルに付けてくれた。
久遠の面影が瞼に浮かべば、愛しくて恋しくて、涙が零れそうになる。
ただ、無事でいてほしい。それだけを歩夢は願った。
ふと時計を見上げれば、閉店の時刻が迫っていた。店を閉めようと、歩夢は表へ出る。
横断歩道を渡る漆黒の人影が目に入り、どきりとする。
ああ、違う。白杖を持っていない。
久遠は目が見えないから、あの人のように颯爽と歩くことはできない。
嘆息しながらシャッターを閉める歩夢に、近づいてきたその人物は低い声をかけた。
「閉店かな? 薔薇が、欲しいんだが」
聞き慣れた、鼓膜を震わせる甘い声音。
ごくりと息を呑んだ歩夢は、おそるおそる振り向いた。
彼は、鳶色の瞳をまっすぐにむけている。歩夢と目を合わせると、柔らかく微笑んだ。
「こんばんは、あゆむ。はじめまして……と言うべきかな?」
「久遠さん……目が……どうして?」
久遠は目が見えていた。彼と視線を合わせられるという驚きと喜びが胸の裡で攪拌される。それ以上に、久遠が無事でいてくれたことに感謝した。
「アメリカで手術を受けてきた。難しい手術だったが、成功したよ。私が盲目でなくなれば、『盲目の魔術師』という称号は失うことになる。周囲に反対されることは明らかだったから、手術のことは誰にも告げなかった」
「そうだったんですね……。無事で良かったです。でも、久遠さんは目が見えなくてもピアノを弾けるのに、なぜ難しい手術をあえて受けたんですか?」
表情を引き締めた久遠は、真摯に向き合った。
「私には見たいものがある。それは、愛しい人の姿だ。愛する人の手を取り、ときに助け、どんな表情をしているのか見たい。その想いをねじ伏せることはできない。私の人生には、あゆむが必要だ」
歩夢は驚愕して立ち尽くした。
久遠の未来を変えるほどの影響を自分自身が与えたことに、ただただ驚いた。
「好きだ。私と、恋人としてお付き合いしてほしい」
盲目のピアニストとして築き上げてきた称号を投げ打った久遠の告白に、涙が溢れる。
住む世界が違うと歩夢は告げた。それなのに久遠は、歩夢と同じ世界を見ようとリスクを冒してくれたのだ。
久遠は息を呑んだ。すぐに表情には喜びが満ち溢れる。
歩夢は、冷静に言葉を継いだ。
「だから、もう、お会いできません」
戸惑いを露わにした久遠は、歩夢を捜すように掌を翳す。
けれどもう、その手を取ることは叶わない。
「それは、なぜだ……? どういう意味なんだ?」
「……言葉どおりです。久遠さんと俺は住む世界が違います。お知り合いになれて光栄でした。今後も、久遠さんのご活躍をお祈りしています」
「待ってくれ。もう少し話をさせてくれ。あゆむ!」
榊が扉を開けて、歩夢が退出するのを待っている。
久遠の叫びを振り切るように背を向けた歩夢は、足早に楽屋を去った。
これでいい。
所詮、有名なピアニストと街の花屋では釣り合わないのだから。
久遠もいずれ、歩夢のことなど忘れるだろう。
寒風が吹きすさぶ道を行く歩夢の耳には、いつまでも久遠が捧げてくれた曲と、彼の最後の叫び声が木霊していた。
明るい陽射しに溢れた佐藤花店は変わらない日常の中にある。
けれど世間では、とあるニュースが幾度も流されていた。ピアニスト・神嶋久遠が行方不明なのだという。欧州に留学したのだとも、アメリカで指導しているとも噂が流れ、果ては死亡説まで囁かれた。
所属事務所の社長である榊氏はテレビのインタビューで、これを見ていたら連絡してほしいと久遠に訴えていた。榊でさえも、久遠の行方を知らないようだ。
歩夢としては無論久遠の身を案じていたけれど、行き先を知らされているわけではないのでどうしようもなかった。
連絡なんてあるわけがない。歩夢のほうから、別れを告げたのだから。
「久遠さん……どこにいるのかな」
無事でいるのか。何らかの事情があって姿を現せないのだろうか。やはり、楽屋で歩夢が発した言葉が彼を深く傷つけたのか。
店内のBGMから、柔らかなピアノ曲が流れた。『あゆむ』だ。
久遠の新曲はすでに発売され、記録的なヒットを築き上げているという。
あれから二ヶ月が経過していたが、歩夢の耳には、最後に久遠が発した「あゆむ」という呼び声がリフレインしている。
初めて呼ばれた、歩夢の名前。新曲のタイトルに付けてくれた。
久遠の面影が瞼に浮かべば、愛しくて恋しくて、涙が零れそうになる。
ただ、無事でいてほしい。それだけを歩夢は願った。
ふと時計を見上げれば、閉店の時刻が迫っていた。店を閉めようと、歩夢は表へ出る。
横断歩道を渡る漆黒の人影が目に入り、どきりとする。
ああ、違う。白杖を持っていない。
久遠は目が見えないから、あの人のように颯爽と歩くことはできない。
嘆息しながらシャッターを閉める歩夢に、近づいてきたその人物は低い声をかけた。
「閉店かな? 薔薇が、欲しいんだが」
聞き慣れた、鼓膜を震わせる甘い声音。
ごくりと息を呑んだ歩夢は、おそるおそる振り向いた。
彼は、鳶色の瞳をまっすぐにむけている。歩夢と目を合わせると、柔らかく微笑んだ。
「こんばんは、あゆむ。はじめまして……と言うべきかな?」
「久遠さん……目が……どうして?」
久遠は目が見えていた。彼と視線を合わせられるという驚きと喜びが胸の裡で攪拌される。それ以上に、久遠が無事でいてくれたことに感謝した。
「アメリカで手術を受けてきた。難しい手術だったが、成功したよ。私が盲目でなくなれば、『盲目の魔術師』という称号は失うことになる。周囲に反対されることは明らかだったから、手術のことは誰にも告げなかった」
「そうだったんですね……。無事で良かったです。でも、久遠さんは目が見えなくてもピアノを弾けるのに、なぜ難しい手術をあえて受けたんですか?」
表情を引き締めた久遠は、真摯に向き合った。
「私には見たいものがある。それは、愛しい人の姿だ。愛する人の手を取り、ときに助け、どんな表情をしているのか見たい。その想いをねじ伏せることはできない。私の人生には、あゆむが必要だ」
歩夢は驚愕して立ち尽くした。
久遠の未来を変えるほどの影響を自分自身が与えたことに、ただただ驚いた。
「好きだ。私と、恋人としてお付き合いしてほしい」
盲目のピアニストとして築き上げてきた称号を投げ打った久遠の告白に、涙が溢れる。
住む世界が違うと歩夢は告げた。それなのに久遠は、歩夢と同じ世界を見ようとリスクを冒してくれたのだ。
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