紅蓮に燃ゆる、赤虎の剣

沖田弥子

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 居合抜いた六尺剣が呻りを上げた。閃光が残滓を描く隙間を縫い、血飛沫が舞う。

「これが、俺の紅蓮剣だ」

 勝負は一瞬で決した。
 がくりと膝を着いた堀部の肩口から胸にかけて、鳳凰の羽ばたきが刻まれている。

「貴様が師にしたこと、人の所業ではない。影虎一心流を名乗るなど……絶対に許さん」

 地に伏しながら吐き出された怨嗟に、雪之丞は立ち竦んだ。
 影虎の師とは、彼の実の父ではないのか。
 懐紙で刀を拭った影虎は、無表情で堀部を見下す。

「それで逆恨みか。俺が言うことじゃないが、おまえは倅にとって恥ずかしくない父親だと胸を張れるのか」

 ひらりと、風に攫われた懐紙が庭に落ちた。
 子が血の付いた懐紙を拾おうとして、妻女に咎められる。
 きつく子を抱きしめて毅然と場を見つめている母の傍には、同心の高柳が付き添っていた。
 号泣する堀部が哀れに思えて、雪之丞は視線を伏せた。納刀した影虎に肩を叩かれる。

「雪。親父の仇をとれ」

 紅蓮剣による傷は浅手で、致命傷には程遠い。待ち望んだ仇討を、今こそ果たせる時がやってきたのだ。
 だが。
 雪之丞は抜き身の剣を鞘に収める。
 ゆるく首を左右に振った。

「……できません。憎しみの連鎖を、断ち切らなければなりませんから」

 堀部を殺せば、母子の心が深く傷つく。
 その痛みを知っているからこそ、他の誰にも同じ思いをしてほしくなかった。

「そうか……。おまえは優しいな」
「どうぞ、惰弱と笑ってください」
「笑わねえけどよ」

 高柳が朱房の十手を掲げて場に踏み込む。
 岡っ引きの手によって堀部は抱えられていった。一先ず番屋へ運ばれて、目付に引き渡されることになるだろう。母子もあとに従っていく。
 影虎は手にした小太刀の刃を掴み、柄から抜き取った。ずるりと、中から捲れた白布が垂れる。

「こんなところに隠してあったとはな。書状というから紙だとばかり思ってたが、布だとは盲点だったぜ」

 母の形見の小太刀は、元々仕込み刀だったらしい。細く長い白布には、文字がびっしりと書き連ねてあった。懐かしい父の字だ。

「これは……」

 出羽藩壱千両、会津藩三千両など日付とともに書き連ねてある。峯田屋や堂島奉行という文字も頻繁に見受けられた。

「堂島は峯田屋を幕府御用達にして仲介役をやらせ、米所の藩を強請っていたんだ。江戸で米を高く買い上げさせるために見返りをよこせとな。その帳面を部下の波江に書き留められて、今回の事件に繋がったわけだ」

 目ざとく高柳が布を覗き見て、感嘆の声を上げた。

「やったな、旦那。これがあれば堂島の悪行を晒せる。長いこと張ってた甲斐があったってもんだ」

 雪之丞は眉宇を顰めた。何やら訊き捨てならないのだが。

「おふたりは一連の事件について御承知済みのようですが? それに高柳さんは同心だから、管轄が違いますよね。いったい、どういうことなんですか」

 腕組みをして、ふたりを交互に見遣る。
 影虎と高柳は気まずそうに視線を交わした。
 咳払いをした高柳は、諭すように人差し指を立ててみせる。

「この御方を誰だと思ってんだ。なんと、影目付の頭領・蒼井影虎さまだぞ」

 将軍の命を受けて、隠密裏に未解決事件を探索する影目付という役職が存在すると、噂で訊いたことがある。
 昼行灯の大酒飲みだと思っていた影虎は、影目付だったのだ。
 影虎は気まずそうに、赤い髪を掻いた。

「というわけだ。何しろ隠密だからな。明かせなくてすまなかった。俺がただの大酒飲みじゃねえってこと、わかってもらえたか?」
「よくわかりました。つまり、今回の一件を探るために私を利用したということですね」

 影虎は視線を逸らして顎を撫でる。どうやら図星のようだ。
 雪之丞は取り返した小太刀を懐に納めると、憮然として庭へ下りた。

「怒ったじゃねえか。おい、高柳。おまえのせいだぞ」
「知るか。旦那のせいに決まってる」

 悪事の書かれた証しの白布を高柳に放ると、影虎は路を行く雪之丞を大股で追いかける。
 手柄は高柳のものになったようだ。

「おい、雪。何を怒ってんだ」
「怒ってません」

 真の下手人を突き止めることができ、事件は解決した。それもすべて影虎のおかげだ。
 わかってはいるのだが。

「どうして言ってくれなかったんですか。影虎さんが父を殺した下手人ではないかと、私は散々悩んだんですよ?」
「そりゃおまえ、俺は影目付の頭領だから事件を追っているなんて言ったところで、信じるか?」
「信じません」
「だろ?」
「それは影虎さんの普段の行いのせいですよ。大酒飲みの言うことを誰が信用しますか」
「信じてくれよ。俺はおまえのために身を粉にして悪人の正体を突き止めたんだぜ」
「もう結構です」

 路の往来に影虎の豪快な笑い声が轟く。それは晴れた空を突き抜けていった。
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