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対決
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「書状の件です。父の遺した書状を私は預かっておりません。おそらく、始めから無かったのではないでしょうか」
堂島は父に罪を暴かれそうになったと吐いていたが、思い違いではないだろうか。もし仮に書状が存在するとしたら、父が雪之丞に託さないわけはないのだ。
勘定方で書状の件を堀部に尋ねられていたのだから、雪之丞の言い分に何ら瑕疵はないはずだった。
堀部は少々思案すると、何気なく口を開いた。
「雪之丞殿は、なぜ『書状』だと仰るのですかな?」
「……え?」
問われた意味がわからず眸を瞬かせる。
堀部の目は笑っていなかった。
「拙者は勘定方にて、『書物』と申し上げた。それがいつの間にか書状に変わっている。つまり、現物を見たということでは?」
「いえ、見てはいませんが……」
書状とは、そういえば定吉が口にしたのが始まりだ。それに、堂島や峯田屋も書状だと確かに言った。
雪之丞は、わけがわからなくなった。どのような形態であるか、はっきりさせる必要があるのだろうか。誰も見たことがないのに。
「皆がそう言うのですから、やはり書状と称して良いのではないでしょうか」
失言したと気づいたときには、堀部は六尺剣を手に取っていた。殺気を含んだ眼差しを向けられ、咄嗟に鍔元に手をかける。
「床下の鼠は、やはり貴様か」
すらりと抜かれた白刃は狂気を帯びる。戦慄が背筋を駆け抜けた。
抜刀した雪之丞は青眼に構えたが、切先が揺れている。腕は無様に震えていた。
口の端を吊り上げて笑んだ堀部は、腰を落として六尺剣を斜めに構えた。
「影虎さんと同じ構え……!」
同じ師から学んだのだから当然だ。
しかし堀部の構えからは、どこか邪気が滲んでいた。
「倅まで紅蓮剣の餌食になろうとはな。恨むなら、父を恨め」
父の遺骸に刻まれた、翼を広げきれなかった傷痕。
その正体は、未完成の紅蓮剣。
切先が、雪之丞の肩口を射程に捉える。
堀部は足裏を摺り、間合いを狭めた。
「まさか、父を殺めたのは……」
堀部はせせら笑い、腕を振り上げた。
咄嗟に横に飛び退くと、後ろの襖が袈裟に斬られて崩れ落ちる。
「波江を赤虎が殺したことにすれば、一挙両得というものよ!」
雪之丞は息を呑んだ。
堀部が、父を殺したのだ。
腹の底から凄まじい怒りが衝き上げる。柄を握り直し、八双に構えた。
「貴様が父を殺したんだな。覚悟しろ、堀部!」
気力を奮い立たせ、両脚を踏ん張る。
力の差は歴然としていたが、無下に斬り殺されるわけにはいかない。
影虎の戦い方を脳裏に呼び覚ます。
決して自ら飛び込まず、相手が間合いに踏み込むのを待つ戦法だ。斜めに構えて隙があると思わせ、瞬速の剣捌きで払う。
もっとも間合いが遠くなる八双の構えを崩し、雪之丞は腋を締めて懐に腕を引き寄せた。
無防備な獲物を狩ろうと、六尺剣が振り下ろされる。
きらりと、一閃が空を掠めた。
正面から斬撃を受け止めた雪之丞は、腕を振るい剛剣を撥ね返した。
「うっ……」
呻いた堀部は、左腕に突き刺さった小太刀を抜き取る。見る間に袖が蘇芳に染まった。雪之丞が放った小太刀が、紅蓮剣を封じたのだ。
「おのれ!」
投じられた切先が雪之丞の顔面に飛来する。
突き刺さる寸前に、目の前を赤い影が覆った。
はっとして見上げると、小太刀は大きな掌に収まっていた。
飛翔する刃を素手で掴むという荒業をやってのけた男は、紅蓮に輝く赤髪を揺らす。
「よう。昼間っから面白そうなことやってるじゃねえか」
影虎は首に巻いた黒頭巾を、はらりと剥がした。雪之丞を庇うように仁王立ちになる広い背が眼前を占める。
「堀部、訊いてやる。俺に波江健蔵殺しをなすりつけようとしたのは、どういうわけだ」
ばさりと、影虎は手にしていた赤いものを放り投げた。
無造作に堀部の足元に放られたのは、荒縄を細かく選り分けて赤く染めた鬘だった。
頭に被れば影虎に変装できそうだ。夜闇ならば地毛と見間違えてしまうだろう。
「三郎さんが見たのは、これを被った堀部だったんですね」
「この鬘が蔵に隠してあった。俺の髪色を見た小僧が、同じのがあると持ってきてくれたぞ」
逆上した堀部は気合を発しながら、影虎めがけて斬りかかる。
堂島は父に罪を暴かれそうになったと吐いていたが、思い違いではないだろうか。もし仮に書状が存在するとしたら、父が雪之丞に託さないわけはないのだ。
勘定方で書状の件を堀部に尋ねられていたのだから、雪之丞の言い分に何ら瑕疵はないはずだった。
堀部は少々思案すると、何気なく口を開いた。
「雪之丞殿は、なぜ『書状』だと仰るのですかな?」
「……え?」
問われた意味がわからず眸を瞬かせる。
堀部の目は笑っていなかった。
「拙者は勘定方にて、『書物』と申し上げた。それがいつの間にか書状に変わっている。つまり、現物を見たということでは?」
「いえ、見てはいませんが……」
書状とは、そういえば定吉が口にしたのが始まりだ。それに、堂島や峯田屋も書状だと確かに言った。
雪之丞は、わけがわからなくなった。どのような形態であるか、はっきりさせる必要があるのだろうか。誰も見たことがないのに。
「皆がそう言うのですから、やはり書状と称して良いのではないでしょうか」
失言したと気づいたときには、堀部は六尺剣を手に取っていた。殺気を含んだ眼差しを向けられ、咄嗟に鍔元に手をかける。
「床下の鼠は、やはり貴様か」
すらりと抜かれた白刃は狂気を帯びる。戦慄が背筋を駆け抜けた。
抜刀した雪之丞は青眼に構えたが、切先が揺れている。腕は無様に震えていた。
口の端を吊り上げて笑んだ堀部は、腰を落として六尺剣を斜めに構えた。
「影虎さんと同じ構え……!」
同じ師から学んだのだから当然だ。
しかし堀部の構えからは、どこか邪気が滲んでいた。
「倅まで紅蓮剣の餌食になろうとはな。恨むなら、父を恨め」
父の遺骸に刻まれた、翼を広げきれなかった傷痕。
その正体は、未完成の紅蓮剣。
切先が、雪之丞の肩口を射程に捉える。
堀部は足裏を摺り、間合いを狭めた。
「まさか、父を殺めたのは……」
堀部はせせら笑い、腕を振り上げた。
咄嗟に横に飛び退くと、後ろの襖が袈裟に斬られて崩れ落ちる。
「波江を赤虎が殺したことにすれば、一挙両得というものよ!」
雪之丞は息を呑んだ。
堀部が、父を殺したのだ。
腹の底から凄まじい怒りが衝き上げる。柄を握り直し、八双に構えた。
「貴様が父を殺したんだな。覚悟しろ、堀部!」
気力を奮い立たせ、両脚を踏ん張る。
力の差は歴然としていたが、無下に斬り殺されるわけにはいかない。
影虎の戦い方を脳裏に呼び覚ます。
決して自ら飛び込まず、相手が間合いに踏み込むのを待つ戦法だ。斜めに構えて隙があると思わせ、瞬速の剣捌きで払う。
もっとも間合いが遠くなる八双の構えを崩し、雪之丞は腋を締めて懐に腕を引き寄せた。
無防備な獲物を狩ろうと、六尺剣が振り下ろされる。
きらりと、一閃が空を掠めた。
正面から斬撃を受け止めた雪之丞は、腕を振るい剛剣を撥ね返した。
「うっ……」
呻いた堀部は、左腕に突き刺さった小太刀を抜き取る。見る間に袖が蘇芳に染まった。雪之丞が放った小太刀が、紅蓮剣を封じたのだ。
「おのれ!」
投じられた切先が雪之丞の顔面に飛来する。
突き刺さる寸前に、目の前を赤い影が覆った。
はっとして見上げると、小太刀は大きな掌に収まっていた。
飛翔する刃を素手で掴むという荒業をやってのけた男は、紅蓮に輝く赤髪を揺らす。
「よう。昼間っから面白そうなことやってるじゃねえか」
影虎は首に巻いた黒頭巾を、はらりと剥がした。雪之丞を庇うように仁王立ちになる広い背が眼前を占める。
「堀部、訊いてやる。俺に波江健蔵殺しをなすりつけようとしたのは、どういうわけだ」
ばさりと、影虎は手にしていた赤いものを放り投げた。
無造作に堀部の足元に放られたのは、荒縄を細かく選り分けて赤く染めた鬘だった。
頭に被れば影虎に変装できそうだ。夜闇ならば地毛と見間違えてしまうだろう。
「三郎さんが見たのは、これを被った堀部だったんですね」
「この鬘が蔵に隠してあった。俺の髪色を見た小僧が、同じのがあると持ってきてくれたぞ」
逆上した堀部は気合を発しながら、影虎めがけて斬りかかる。
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