紅蓮に燃ゆる、赤虎の剣

沖田弥子

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紅蓮剣

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 亀沢にある道場に繋がる母屋で朝餉をいただく。雪之丞は箸を置いて手を合わせた。齢六十になる師範の古河は妻女に先立たれ、台所は下女に任せている。蒼井家と同じだ。
 影虎の顔をつい思い出してしまい、憂鬱に沈む。

「蒼井殿と何かあったのか」

 湯呑みに浮いた茶柱を眺めていた古河は、気軽なふうに話しかけた。
幼少の頃より道場に通っているので、古河は雪之丞の身の上を承知している。
 逡巡した末に、雪之丞は正座した膝を向けて老いた師を見つめた。

「お師匠は……もし、親の仇と世話になった相手が同一だったらどうしますか?」

 鬢が真白な古河は、落ち着き払って茶を啜った。

「そういうこともあろうな」
「はあ……」

 呑気に答えられ、必死の形相だった己が滑稽に思える。師は朝陽を浴びている御影石の石灯籠に、静かな眼差しを注いだ。

「昔、ひとりの剣豪がおっての。儂と同じように道場を営んでいた。偏屈な男だったが大層な達人で、流派を倅に継がせようと躍起になっていた。斜めに構える変わった形で、その奥義は六尺ほどもある大剣を閃かせ、一瞬にして二度、袈裟斬りにする技だ」

 手刀で右肩と左肩を交互に斬る真似をしてみせる。雪之丞の脳裏に、満月を背にして燃える紅蓮の斬撃が浮かぶ。

「その名を紅蓮剣という。あまりの太刀筋の速さに剣が炎を帯びるとも、朱雀が羽を広げたような傷に見えるからだともいわれている」
「もしや、流派の名前は……影虎一心流というのでは?」

 古河は浅く頷き、双眸を細めた。遠い日の哀しみが眸の奥に浮かぶ。

「人の心というものは剣と同じでのう。相見える前に勝負は決しているのだ。おぬしの迷いは上辺だけのことで、実は既に決着はついておる」
「……お師匠の、仰るとおりです」

 師に深く礼をして、雪之丞は道場をあとにした。
 平穏な江戸の町は今日も賑わいをみせている。
 両国橋の欄干から、ふと雄大な大川を眺めた。
 私は、真実を明らかにしたい。その上で、父上の無念を晴らしたい。願いはそれだけだ。
 雪之丞は拳を握り締めると、両国橋を渡り神田小柳町へ向かった。



 障子の向こうに見える庭は丁寧に掃き清められ、剪定された躑躅が囲んでいる。庭木が手付かずの蒼井家とは大違いだ。

「お茶をどうぞ」
「お構いなく」

 お茶を差し出してくれた妻女に一礼する。
 雪之丞は堀部の屋敷を訪れていた。書状の件について明言する必要がある。
 父から預かった書状など存在しない。堀部を説得して、捕縛されることは避けなければならない。
 訊けば今日は非番だという。庭で子と戯れる声が止む。ややあって、堀部は汗を拭いながら襖を開けた。

「やあ、雪之丞殿。いやはや、剣術の真似事をしておってな。無鉄砲に叩きまくるから小童には困ったものだ」

 子と遊ぶ父の姿は眩しく目に映った。寺での出来事は幻のように思えてくる。
 堀部が竹刀を立てかけた床の間には、影虎の武器と同じ六尺剣が刀掛けに鎮座していた。

「それは……影虎一心流の剣ですか?」

 両刃の剣とは珍しい。
 そういえば堀部と影虎は同門だという。影虎には及ばないが、上背のある堀部なら六尺剣を扱えそうだ。
 堀部は黒塗りの鞘に見入っていたが、嘆息して向き直った。

「赤虎の奥義を見たかね?」
「はい。炎を纏ったように見えました。剛腕かつ神速でなければ振るえない技だと思います」

 斬撃が速すぎて目が追いつかなかったが、六尺剣でなくとも瞬時に二の太刀を返すことは容易ではない。
 堀部の顔に積年の苦渋が滲む。

「紅蓮剣は素晴らしい技だ。だが、奴に使いこなせる資格があるとは思わない。先代が伝授したのは倅可愛さゆえ。拙者も子がいるので、気持ちはわからんでもないが……」

 庭の隅から嬉々とした子の声が響いていたが、急に静かになる。
 流派を巡って、何かあったのだろうか。
 堀部は思い直したように、いつもの薄い笑みを面に貼り付けた。

「して、雪之丞殿はどのような用件で参られたのかな?」

 機会を逸してしまったので姿勢を正し、本題を切り出す。
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