紅蓮に燃ゆる、赤虎の剣

沖田弥子

文字の大きさ
上 下
15 / 19

紅蓮剣

しおりを挟む
 亀沢にある道場に繋がる母屋で朝餉をいただく。雪之丞は箸を置いて手を合わせた。齢六十になる師範の古河は妻女に先立たれ、台所は下女に任せている。蒼井家と同じだ。
 影虎の顔をつい思い出してしまい、憂鬱に沈む。

「蒼井殿と何かあったのか」

 湯呑みに浮いた茶柱を眺めていた古河は、気軽なふうに話しかけた。
幼少の頃より道場に通っているので、古河は雪之丞の身の上を承知している。
 逡巡した末に、雪之丞は正座した膝を向けて老いた師を見つめた。

「お師匠は……もし、親の仇と世話になった相手が同一だったらどうしますか?」

 鬢が真白な古河は、落ち着き払って茶を啜った。

「そういうこともあろうな」
「はあ……」

 呑気に答えられ、必死の形相だった己が滑稽に思える。師は朝陽を浴びている御影石の石灯籠に、静かな眼差しを注いだ。

「昔、ひとりの剣豪がおっての。儂と同じように道場を営んでいた。偏屈な男だったが大層な達人で、流派を倅に継がせようと躍起になっていた。斜めに構える変わった形で、その奥義は六尺ほどもある大剣を閃かせ、一瞬にして二度、袈裟斬りにする技だ」

 手刀で右肩と左肩を交互に斬る真似をしてみせる。雪之丞の脳裏に、満月を背にして燃える紅蓮の斬撃が浮かぶ。

「その名を紅蓮剣という。あまりの太刀筋の速さに剣が炎を帯びるとも、朱雀が羽を広げたような傷に見えるからだともいわれている」
「もしや、流派の名前は……影虎一心流というのでは?」

 古河は浅く頷き、双眸を細めた。遠い日の哀しみが眸の奥に浮かぶ。

「人の心というものは剣と同じでのう。相見える前に勝負は決しているのだ。おぬしの迷いは上辺だけのことで、実は既に決着はついておる」
「……お師匠の、仰るとおりです」

 師に深く礼をして、雪之丞は道場をあとにした。
 平穏な江戸の町は今日も賑わいをみせている。
 両国橋の欄干から、ふと雄大な大川を眺めた。
 私は、真実を明らかにしたい。その上で、父上の無念を晴らしたい。願いはそれだけだ。
 雪之丞は拳を握り締めると、両国橋を渡り神田小柳町へ向かった。



 障子の向こうに見える庭は丁寧に掃き清められ、剪定された躑躅が囲んでいる。庭木が手付かずの蒼井家とは大違いだ。

「お茶をどうぞ」
「お構いなく」

 お茶を差し出してくれた妻女に一礼する。
 雪之丞は堀部の屋敷を訪れていた。書状の件について明言する必要がある。
 父から預かった書状など存在しない。堀部を説得して、捕縛されることは避けなければならない。
 訊けば今日は非番だという。庭で子と戯れる声が止む。ややあって、堀部は汗を拭いながら襖を開けた。

「やあ、雪之丞殿。いやはや、剣術の真似事をしておってな。無鉄砲に叩きまくるから小童には困ったものだ」

 子と遊ぶ父の姿は眩しく目に映った。寺での出来事は幻のように思えてくる。
 堀部が竹刀を立てかけた床の間には、影虎の武器と同じ六尺剣が刀掛けに鎮座していた。

「それは……影虎一心流の剣ですか?」

 両刃の剣とは珍しい。
 そういえば堀部と影虎は同門だという。影虎には及ばないが、上背のある堀部なら六尺剣を扱えそうだ。
 堀部は黒塗りの鞘に見入っていたが、嘆息して向き直った。

「赤虎の奥義を見たかね?」
「はい。炎を纏ったように見えました。剛腕かつ神速でなければ振るえない技だと思います」

 斬撃が速すぎて目が追いつかなかったが、六尺剣でなくとも瞬時に二の太刀を返すことは容易ではない。
 堀部の顔に積年の苦渋が滲む。

「紅蓮剣は素晴らしい技だ。だが、奴に使いこなせる資格があるとは思わない。先代が伝授したのは倅可愛さゆえ。拙者も子がいるので、気持ちはわからんでもないが……」

 庭の隅から嬉々とした子の声が響いていたが、急に静かになる。
 流派を巡って、何かあったのだろうか。
 堀部は思い直したように、いつもの薄い笑みを面に貼り付けた。

「して、雪之丞殿はどのような用件で参られたのかな?」

 機会を逸してしまったので姿勢を正し、本題を切り出す。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

仇討浪人と座頭梅一

克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。 旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

【18禁】「巨根と牝馬と人妻」 ~ 古典とエロのコラボ ~

糺ノ杜 胡瓜堂
歴史・時代
 古典×エロ小説という無謀な試み。  「耳嚢」や「甲子夜話」、「兎園小説」等、江戸時代の随筆をご紹介している連載中のエッセイ「雲母虫漫筆」  実は江戸時代に書かれた随筆を読んでいると、面白いとは思いながら一般向けの方ではちょっと書けないような18禁ネタもけっこう存在します。  そんな面白い江戸時代の「エロ奇談」を小説風に翻案してみました。    下級旗本(町人という説も)から驚異の出世を遂げ、勘定奉行、南町奉行にまで昇り詰めた根岸鎮衛(1737~1815)が30年余にわたって書き記した随筆「耳嚢」  世の中の怪談・奇談から噂話等々、色んな話が掲載されている「耳嚢」にも、けっこう下ネタがあったりします。  その中で特に目を引くのが「巨根」モノ・・・根岸鎮衛さんの趣味なのか。  巨根の男性が妻となってくれる人を探して遊女屋を訪れ、自分を受け入れてくれる女性と巡り合い、晴れて夫婦となる・・・というストーリーは、ほぼ同内容のものが数話見られます。  鎮衛さんも30年も書き続けて、前に書いたネタを忘れてしまったのかもしれませんが・・・。  また、本作の原話「大陰の人因の事」などは、けっこう長い話で、「名奉行」の根岸鎮衛さんがノリノリで書いていたと思うと、ちょっと微笑ましい気がします。  起承転結もしっかりしていて読み応えがあり、まさに「奇談」という言葉がふさわしいお話だと思いました。  二部構成、計六千字程度の気軽に読める短編です。  

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

雪の果て

紫乃森統子
歴史・時代
 月尾藩郡奉行・竹内丈左衛門の娘「りく」は、十八を数えた正月、代官を勤める白井麟十郎との縁談を父から強く勧められていた。  家格の不相応と、その務めのために城下を離れねばならぬこと、麟十郎が武芸を不得手とすることから縁談に難色を示していた。  ある時、りくは父に付き添って郡代・植村主計の邸を訪れ、そこで領内に間引きや姥捨てが横行していることを知るが──

処理中です...