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偵察
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堀部は、父の遺品に書物がないかと確認した。おそらく壊された筆箱は、書が隠されていないか堀部が確かめたのに違いない。父の死後に紛失した書を、皆は探している。
影虎が門前を離れたので、仕方なく付いていく。静かに柳が佇む広小路に出ると、懐手にして遠慮なく足音を立て始めた。
「ちょっと大人しくしてろ。あの寺に近づくんじゃねえぞ」
いつになく強い調子で言い含められ、首を捻る。折角ここまできたのに、止められる意味がわからない。
「納得できません。理由を教えてください」
「しつこいな。厄介ごとに首突っ込むな」
一喝されて反抗心が芽生える。賭場や長屋に連れまわした挙句に手を引けとは随分なことだ。
「わかりました」
口先だけで返事をして、ぷいと顔を逸らす。
影虎は核心に触れられるのを恐れているのだ。思えば、父の死を解明するのに下手人の手を借りるというのは滑稽ではないか。
絶対に、諦めない。
たとえこの事件の結末が悲惨なものであったとしても、真実を知りたい。
父の死を、単なる物盗りの仕業として闇に葬りたくない。
雪之丞は夜闇の路を、決意を込めて踏みしめた。
翌日、影虎の姿は朝から屋敷になかった。日がな一日ごろ寝して酒を呑んでいるかと思えば、数日いなくなることもある。どこへ行くのかと尋ねると適当に受け流されるので、訊かないことにしている。
「おきよさん。影虎さんがどこに行ったか知りませんか?」
とはいえ、やはり気になるので、青物を運んでいたおきよに訊いてみる。重そうな白菜を厨に運ぶのに手を貸した。
「さあねえ。殿方は、お忙しいものなのでしょう」
おきよも影虎の行方は知らないようだ。
いないのなら都合が良いのだ。影虎の姿を探そうとしている己に腹を立て、雪之丞は屋敷を出た。
昨晩訪れた箱崎町の寺へ向かう。旗本の下屋敷が建ち並ぶ界隈を通り過ぎる途中、路の往来でがしりと肩を掴まれる。
影虎ではないと振り向かずともわかる。掌の大きさが全く違う。
「何か御用ですか、高柳さん」
歩を緩めずに告げると、前方に回り込んだ高柳は眉を下げた。
黄八丈の小袖に黒羽織姿はいかにも八丁堀だが、頼りなさそうな優男なので着物に着られている感がある。
「相変わらず冷てえな。ひとりでどこ行くんだ? 赤虎の旦那は一緒じゃないのか」
どうやら影虎は高柳を訪ねたわけではないようだ。まさか昨夜の寺へ行ったのだろうか。
「影虎さんなんて知りませんよ。私がどこへ行こうが、どうだっていいでしょう」
「そういうわけにはいかねえ。同心として、事件に関わった人間の行き先くらい押さえておかねえとな」
定廻り同心は管轄の地域を巡回するのが主な仕事なので、日本橋一帯は高柳の縄張りである。
ふと雪之丞は気になっていたことを訊いてみた。
「例えばですけど……寺で事件のようなことが起こりそうなとき、高柳さんは調べられますか?」
遠回しな言い方だったが、高柳は即座に首を振る。
「そりゃ駄目だ。寺は町方の受け持ちじゃないんだ。寺を取り調べるなら、寺社奉行を通さないといけねえ」
江戸は町奉行・寺社奉行・勘定奉行と、三奉行が行政権を所持している。
例として寺に悪人が逃げ込んだ場合、同心が踏み込むにはやはり寺社奉行の許可が必要で、時間を要することになる。それを利用して寺と悪人が裏で結びついていることも考えられた。
やはり、あの寺に悪人はいるのかもしれない。
岡っ引きが近づいて、高柳に何やら耳打ちした。別件ができたと言い置いて、高柳は瞬く間に町筋を走り去っていく。
自分の手で、真実を明らかにしなければならない。仇討のことはそれからでも遅くはない。
顔を上げた雪之丞は路を進んだ。
昨晩訪れた寺に辿り着く。門には、海龍寺と書かれた古い看板が掲げられていた。人の出入りはなく、ひっそりしている。境内を覗くと、寺男が箒で掃き清めている姿が見えた。
「こんにちは」
声をかけると、作務衣姿の寺男はちらりと雪之丞の腰元に視線を配った。
刀を吟味している。
雪之丞は脇差しを佩いていた。ただの寺男ではないようだ。
一歩引いて間合いを取る。見れば寺男は鍛え抜かれた肩をしている。武術に心得がありそうだ。
「昨夜、武士と商人がこの寺にいらっしゃったのを御存知ですか」
寺男は答えず、自らの喉を指し示した。口が利けないらしい。
腕を引かれて裏木戸へ連れていかれる。出て行けということかと思ったが、寺男は木戸脇の十尺ほどある土塀を指差した。腰紐のようなものが棟瓦に括りつけられている。
「これは……?」
眸を瞬かせる雪之丞に、紐を手繰り寄せてよじ登る真似をしてみせた。木戸が開いているのに土塀を越えろと言いたいのだろうか。
寺男は能面のような無表情を浮かべたまま、薄い口唇を開く。
「狐狸が集うのは夜だ。そのとき木戸は閉まっている。この紐を使え」
「貴方は……喋れるんですか!」
「喋れないとは言ってない。貴様の思い込みだろう」
からかわれたのか真理なのか、判然としない答えに眉を顰める。得体の知れない男だ。
「どうして私に紐のことを教えてくれるんです?」
まるで忍んでこいと云わんばかりだ。寺の者であるはずなのに、なぜ手助けをしてくれるのだろうか。
眸が全く揺るがない男は、再び喉元に手を遣る。す、と横に切るような仕草を見せた。
「次は満月の夜だ。待っている」
踵を返し、境内へと戻っていく。
今のは、話はこれで終りという合図だろうか。それとも。
首を切られるような錯覚に襲われて、ぶるりと身震いが走る。雪之丞は木戸を潜り、寺をあとにした。
風に揺れる彼岸花が、血の香りをのせる。
影虎が門前を離れたので、仕方なく付いていく。静かに柳が佇む広小路に出ると、懐手にして遠慮なく足音を立て始めた。
「ちょっと大人しくしてろ。あの寺に近づくんじゃねえぞ」
いつになく強い調子で言い含められ、首を捻る。折角ここまできたのに、止められる意味がわからない。
「納得できません。理由を教えてください」
「しつこいな。厄介ごとに首突っ込むな」
一喝されて反抗心が芽生える。賭場や長屋に連れまわした挙句に手を引けとは随分なことだ。
「わかりました」
口先だけで返事をして、ぷいと顔を逸らす。
影虎は核心に触れられるのを恐れているのだ。思えば、父の死を解明するのに下手人の手を借りるというのは滑稽ではないか。
絶対に、諦めない。
たとえこの事件の結末が悲惨なものであったとしても、真実を知りたい。
父の死を、単なる物盗りの仕業として闇に葬りたくない。
雪之丞は夜闇の路を、決意を込めて踏みしめた。
翌日、影虎の姿は朝から屋敷になかった。日がな一日ごろ寝して酒を呑んでいるかと思えば、数日いなくなることもある。どこへ行くのかと尋ねると適当に受け流されるので、訊かないことにしている。
「おきよさん。影虎さんがどこに行ったか知りませんか?」
とはいえ、やはり気になるので、青物を運んでいたおきよに訊いてみる。重そうな白菜を厨に運ぶのに手を貸した。
「さあねえ。殿方は、お忙しいものなのでしょう」
おきよも影虎の行方は知らないようだ。
いないのなら都合が良いのだ。影虎の姿を探そうとしている己に腹を立て、雪之丞は屋敷を出た。
昨晩訪れた箱崎町の寺へ向かう。旗本の下屋敷が建ち並ぶ界隈を通り過ぎる途中、路の往来でがしりと肩を掴まれる。
影虎ではないと振り向かずともわかる。掌の大きさが全く違う。
「何か御用ですか、高柳さん」
歩を緩めずに告げると、前方に回り込んだ高柳は眉を下げた。
黄八丈の小袖に黒羽織姿はいかにも八丁堀だが、頼りなさそうな優男なので着物に着られている感がある。
「相変わらず冷てえな。ひとりでどこ行くんだ? 赤虎の旦那は一緒じゃないのか」
どうやら影虎は高柳を訪ねたわけではないようだ。まさか昨夜の寺へ行ったのだろうか。
「影虎さんなんて知りませんよ。私がどこへ行こうが、どうだっていいでしょう」
「そういうわけにはいかねえ。同心として、事件に関わった人間の行き先くらい押さえておかねえとな」
定廻り同心は管轄の地域を巡回するのが主な仕事なので、日本橋一帯は高柳の縄張りである。
ふと雪之丞は気になっていたことを訊いてみた。
「例えばですけど……寺で事件のようなことが起こりそうなとき、高柳さんは調べられますか?」
遠回しな言い方だったが、高柳は即座に首を振る。
「そりゃ駄目だ。寺は町方の受け持ちじゃないんだ。寺を取り調べるなら、寺社奉行を通さないといけねえ」
江戸は町奉行・寺社奉行・勘定奉行と、三奉行が行政権を所持している。
例として寺に悪人が逃げ込んだ場合、同心が踏み込むにはやはり寺社奉行の許可が必要で、時間を要することになる。それを利用して寺と悪人が裏で結びついていることも考えられた。
やはり、あの寺に悪人はいるのかもしれない。
岡っ引きが近づいて、高柳に何やら耳打ちした。別件ができたと言い置いて、高柳は瞬く間に町筋を走り去っていく。
自分の手で、真実を明らかにしなければならない。仇討のことはそれからでも遅くはない。
顔を上げた雪之丞は路を進んだ。
昨晩訪れた寺に辿り着く。門には、海龍寺と書かれた古い看板が掲げられていた。人の出入りはなく、ひっそりしている。境内を覗くと、寺男が箒で掃き清めている姿が見えた。
「こんにちは」
声をかけると、作務衣姿の寺男はちらりと雪之丞の腰元に視線を配った。
刀を吟味している。
雪之丞は脇差しを佩いていた。ただの寺男ではないようだ。
一歩引いて間合いを取る。見れば寺男は鍛え抜かれた肩をしている。武術に心得がありそうだ。
「昨夜、武士と商人がこの寺にいらっしゃったのを御存知ですか」
寺男は答えず、自らの喉を指し示した。口が利けないらしい。
腕を引かれて裏木戸へ連れていかれる。出て行けということかと思ったが、寺男は木戸脇の十尺ほどある土塀を指差した。腰紐のようなものが棟瓦に括りつけられている。
「これは……?」
眸を瞬かせる雪之丞に、紐を手繰り寄せてよじ登る真似をしてみせた。木戸が開いているのに土塀を越えろと言いたいのだろうか。
寺男は能面のような無表情を浮かべたまま、薄い口唇を開く。
「狐狸が集うのは夜だ。そのとき木戸は閉まっている。この紐を使え」
「貴方は……喋れるんですか!」
「喋れないとは言ってない。貴様の思い込みだろう」
からかわれたのか真理なのか、判然としない答えに眉を顰める。得体の知れない男だ。
「どうして私に紐のことを教えてくれるんです?」
まるで忍んでこいと云わんばかりだ。寺の者であるはずなのに、なぜ手助けをしてくれるのだろうか。
眸が全く揺るがない男は、再び喉元に手を遣る。す、と横に切るような仕草を見せた。
「次は満月の夜だ。待っている」
踵を返し、境内へと戻っていく。
今のは、話はこれで終りという合図だろうか。それとも。
首を切られるような錯覚に襲われて、ぶるりと身震いが走る。雪之丞は木戸を潜り、寺をあとにした。
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