紅蓮に燃ゆる、赤虎の剣

沖田弥子

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廻船問屋

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「旦那。その辺で御勘弁を」

 紙子羽織を纏った初老の男が進み出て、影虎に頭を下げた。

「胴元の松井と申します。この賭場に何用でしょうかな。旦那は同心には見えませんが」

 影虎は胴元の後ろに隠れていた定吉を顎で指す。

「そこの壺振りに用があるんだ。ちょっと顔貸してくれねえか」

 松井は、ちらと眉を上げた。

「ようがす。壺振りは手が命ですから、そこのところは御承知ください」

 賭場を荒らしたのは私怨だろうと判断したようである。
 腕以外はへし折っても構わないと暗に告げる胴元は、涙目になっている定吉を促した。
 哀れな壺振りの首根を掴んだ影虎は土蔵の裏手へ連れて行き、些か乱暴に突き飛ばす。定吉は杉の幹に肩をぶつけ、骨が折れたと喚いている。

「忘れ物の賽を届けてやったんだ。感謝してほしいもんだな。昨日は空き家の庭を掘り返して、何を探していた?」
「俺は何も盗っちゃいねえよ!」
「何を盗るつもりだった。壺振りやってるくらいなら、埋蔵金探すほど暇じゃないだろ」

 定吉は視線を逸らし、唇を引き結ぶ。話すつもりはないようだ。
 容赦のない生拳が幹に叩きつけられた。
 地を駆ける鳴動が響く。雪之丞と定吉は、びくりと肩を揺らす。
 ざわと枝葉が揺れると、乾いた轟音とともに大杉が傾いだ。馬鹿力に震え上がった定吉は拝むように手を合わせる。

「わかった、白状する。書状を探してたんだ」
「書状? なんの」
「内容は知らねえ。俺は字が読めないからな。あの廃屋で書状を見つけるだけで、一両くれるってんだ。いい手間だろ?」

 影虎と目線を交わした雪之丞は首を捻る。そのような価値のある書状には覚えがない。「胴元の指図か?」

「おやっさんは関係ねえ。口入れ屋から受けた仕事だ。書状が見つかったら、小網町の廻船問屋が繋いでる猪牙舟に入れておく手筈になってる」
「ほう。店の名は?」
「峯田屋だ。俺が知ってるのはこれくらいだ。もう勘弁してくれ。二度とやらねえから」

 影虎は定吉を解放した。次の行き先は決まったようだ。

「廻船問屋が宝の地図探しか。おもしろくなってきたな」

 六尺剣を背負い直し、緋色の袂を翻す。ふと振り返った影虎は、怪我はなかったかと今さらながら雪之丞に訊ねた。



 鼠色の冬空の下を、川風が吹き荒ぶ。
 真白い土蔵が立ち並ぶ河岸を背にして、五大力舟が日本橋川をゆるりと航行している。
 影虎と雪之丞は小網町へやってきた。この界隈は大店の廻船問屋や米問屋で占められた商人の町で、大勢の店者や人足が行き交っている。
 日本橋川から大川へ続く掘割沿いを歩き、土蔵をいくつも抱えた大店の前を通り過ぎる。暖簾に染め抜かれた屋号には、峯と書かれている。土間や奥の帳場では、奉公人が忙しなく働いている姿が見えた。
 桟橋へ向かうと、米俵を乗せた大八車を引く大勢の人足と擦れ違う。廻船で陸揚げされた米を倉庫へ運んでいるのだ。
 影虎は舫ってある猪牙舟を、一艘ごとに何気なく眺めていく。舟は空で不審な点はない。
 紙切れをそこらに挟んでおくことは可能だろうが、定吉は書状とやらを見つけていないのだ。

「どうして廻船問屋が書状なんて欲しがるんでしょうね」
「そいつを訊いてみるか」

 くるりと踵を返し、影虎は峯田屋へ向かっていく。
 この風体で大店の廻船問屋に乗り込んでは同心を呼ばれかねない。全力で止めなければと、黒帯を鷲掴みにする。
 ……が、影虎は雪之丞をずるずると引き摺ったまま、斜向かいの茶屋の暖簾を潜った。

「おう、親父。団子百本くれ」

 轟く大声に、主も店の客も一様に目を丸くしている。

「はい? 百本でございますか、お侍さま」
「おうよ。どんどん持ってこい」

 満面の笑みを浮かべた店主は奥の台所へ下がった。小女に団子の用意を言いつける声が訊こえる。
 まずは腹ごしらえだろうか。床机に腰掛けた影虎は、飛ぶように戻ってきた店主に手渡された茶を啜る。
 百本も注文が入れば本日の売上は喜ばしいものになるのだろう。店主は上機嫌で、天気が良いことを枕詞にして影虎に挨拶している。本日は曇り空なのだが。
 影虎はふと、外に目をむけた。

「向かいの廻船問屋は儲かってるみたいだな」
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