紅蓮に燃ゆる、赤虎の剣

沖田弥子

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遺言

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 一心不乱に竹刀を振り続ける雪之丞の汗が、茜色を帯びた夕焼け空に散る。
 縁先に座して茶を啜っていた父は、いつになく息子の姿を見つめ続けていた。

「雪之丞。しばらく、品川の叔父貴のところへ奉公に行きなさい」

 腕を下ろし、ふと父を見遣る。叔父には幼い頃に会ったきりで、両家の交流は薄かった。

「承知しました。でも、なぜですか?」
「うむ……。とにかく行ってきなさい。先方に話は通してある」

 勘定方らしい優しい口調だったが、有無を言わさぬ力強さが篭っている。
 父はとかく融通の利かない人であった。後妻の縁談を断って家に女手を入れず、台所も父がこなしてきた。理由はわからないが、父なりのこだわりなのだろうと思う。

「わかりました」

 手ぬぐいで汗を拭っていると、父はまだ何か言いたげにこちらを見ていたので、縁先に腰を落ち着ける。

「雪之丞。おまえには母がいる。そして、おまえの幸せを願っている。それを忘れぬよう」
「……母上は、私を産んで亡くなったのですよね?」

 いつになく切迫した父の様子に首を傾げる。父はすぐに笑顔を浮かべて腰を上げた。

「たとえ死しても、いつも傍にいるのだ。そういう意味だよ」

 父の痩せた背中が薄暗い部屋に紛れると、鴇色の灯りが浮かび上がる。まだ陽は沈んでいない。近頃、行燈を灯すのが早いようだ。
 それが、父との最後の会話になった。



 今にして思えば、父は殺されることを予見していたのだ。雪之丞の身を守るために、叔父のところへ匿ってくれた。

「どうして……父上……」

 悩み事があるなら打ち明けてほしかった。いったい、父の身辺で何があったのだろう。それになぜ、父は賊が入ることを知りながら逃げなかったのか。
 蒼井家に戻ってきた雪之丞は父との思い出に浸っていた。
 庭には、あの日によく似た夕暮れの茜が射している。沈む夕陽の残光を受けた筋雲が、一面の紅色に染まっている。

「おもしろそうなもの、持ってるな」

 ひょいと、後ろから伸びてきた腕に、手の中の賽を取り上げられた。影虎の精悍な面立ちが夕陽に映え、赤髪は燃えるように眩い。

「あっ……返してください」

 影虎は軽く賽の面を見ると、すぐに返した。

「何が出るか、振ってみな」

 言われたとおり、畳にぱらりと振ってみる。二と四。もう一度振れと顎で促され、少し高いところから落としてみた。また二と四。

「あれ? 同じ目しか出ませんね」
「これを、こうするとな……」

 影虎は取り出した小太刀を抜くと、剣先でそれぞれの賽を弄った。

「もういっぺん振ってみろ」

 今度は三と六しか出なくなった。何度振っても同じ目しか出ない。

「どうやったんです?」

 何の変哲もない賽に見えるが、どうやら仕掛けが施されているらしい。

「これはな、賭場でイカサマに使う賽だ。目の部分を余分に削って面の重量を変えると、乱数の偏りを減らせる。鉛よりも不確実だがな」

 賭博は御法度なので、雪之丞は無論出入りしたことなどない。やたらと詳しい影虎を眉宇を寄せて見遣ると、ずいと顔を覗き込まれる。

「どこでこれを手に入れた? 胴元に声掛けられたんじゃねえだろうな」
「まさか。屋敷の庭で拾ったんですよ」
「どういうことだ。洗いざらい話せ」

 雪之丞は数刻前に遭ったことを話した。影虎に相談するのは本末転倒な気もするが、庭土を掘り返す謎を解明したいのは確かだ。
 訊き終えた影虎は、いつになく真摯な表情を浮かべた。

「ふむ……。入墨があるなら奉行所に面が割れてるな」

 入墨は主に窃盗などの刑罰で処される。影虎は床の間の六尺剣を掴むと、沓脱石に置かれた雪駄を突っかけた。

「おきよ! 夕餉はいらねえぞ」

 がなり声を上げながら庭を跨ぎ、枝折戸を引く。

「影虎さん、どこへ?」
「ちょっとな。すぐに戻る」

 曲げた指先を、くいと口元に運ぶ仕草を見せる。広い背中は小路のむこうに消えていった。
 何が、ちょっとだ。都合を付けて呑みに行くだけだろうに。
 不貞腐れた雪之丞は腹立たしさを振り払うように、木刀を掴んで素振りを繰り返した。
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