紅蓮に燃ゆる、赤虎の剣

沖田弥子

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 激しい怒りに突き動かされた雪之丞は慟哭しながら、凶行の間で滅茶苦茶に剣を振るい続けた……。
 数日後、慎ましやかに葬儀が執り行われる傍らで、参列した人々は非業の死を遂げた父の噂話に終始した。
 賊は何者なのか、強盗か、波江は恨みを買ったのではないか。好奇と同情の視線を、雪之丞は固く拳を握り締めて耐えた。

「お気の毒でござったな」

 勘定奉行の堂島が退席したので低頭する。それを合図に、配下の者たちは一斉に席を立つ。
 勘定方だった父の同僚たちがいなくなると、近隣の者とわずかばかりの親戚だけが残った。それらも葬儀が終わると、雪之丞に形ばかりの礼をして寺を出ていく。縁起が悪いので関わりたくないという呈だった。

「冷てえな。死んだら仕舞いか」

 三郎は逃げるように去る叔父の背に文句を投げかけながら、項垂れる雪之丞を労わるように肩を叩いた。

「三郎さん。色々と手伝ってくださって、ありがとうございました」
「いいってことよ。健蔵さんはお武家さまなのに、町人の儂に良くしてくださった。なんで、あんな男に殺されなきゃなんねえのか……」
「あんな男、とは?」

 訊き咎めた雪之丞が三郎の顔を覗き込む。しばし視線を彷徨わせた老爺は、肚を決めたように膝を正した。

「雪坊……実はな、儂、見たんだよ」
「見たって……何をです?」
「健蔵さんを殺した下手人さ」

 香典を袱紗に纏める手が止まった。片付けを始める寺男の眼が気になり、三郎とともに境内へ出る。盛りを迎えた紅葉が、赤々と陽に溶けていた。

「夜半に悲鳴が訊こえたんで、戸の隙間から覗いたんだ。そしたら、でっかい剣を持った大男が門から飛び出してきたんだよ。あの夜は満月だったろ? 月明かりに照らされたその男は……」

 風に流れた紅葉よりも濃く、血のように鮮烈な赤が目の端を掠める。
 はっと顔を上げた雪之丞は、息を呑む。
 燃えるように赤い髪。六尺を超える巨躯を緋色の小袖に包み、背丈と寸分違わぬ剣を背負っている男からは、野獣のような獰猛さが滲み出ていた。眦の切れ上がった眸や太い眉は精悍ともいえるが、その面差しは不敵な笑みに塗られている。
 三郎は驚愕に目を見開いて、境内に現れた男を指差した。

「あの赤髪だ! 間違いねえ。健蔵さんを殺したのは、あいつだよ!」

 ゆっくりと、男はこちらに向かってきた。雪駄で踏みしめた石段が、みしりと悲鳴を上げる。
 着流しで両刃の剣を佩いているさまは、武士と称するには異質な風体だ。雪之丞たちの前に立ちはだかり、猛禽類を思わせる双眸で睥睨する。

「おまえが、波江雪之丞か」

 発せられた低い声音が、ずしりと腰に響く。男の胸板はとてつもなく厚く、腰が据わっている。鍛え抜かれた肉体は伊達に六尺剣を背負っているわけではなさそうだった。

「そうですが、あなたは?」

 雪之丞は男を睨みつけ、鍔元に手を掛けた。三郎は震えながら雪之丞の袖に縋っている。
 今の話を訊いたからには捨ておけない。この場で斬り合うことも辞さない構えで鯉口を切った。
 男は悠然と笑み、緋色の袷に手を差し込む。

「俺は蒼井影虎。おまえの糊口を凌がせてやろうかと思って会いにきた。俺のところで、中間をやらないか?」

 予想もしなかった申し出に瞠目する。
 雪之丞は武家に仕えて雑用をこなす中間の経験はあるが、今までは渡り中間に徹していた。奉公先を変えてばかりいる倅をみかねた父に、勘定方の世襲を勧められたこともあったが、算盤を弾いているのは性に合わないので断った。既に成人しているので、安定した職を持つべきなのは承知している。だが雪之丞は、どの主に仕えても違和感が拭えなかった。
 それをこの男に、全て見透かされたような気がした。蒼井影虎は、雪之丞の狼狽を楽しむように口元に笑みをのせている。
 こいつが、殺した。
 正直者の三郎が嘘を吐くとは思えない。番屋で目にした父の遺骸が脳裏を過ぎり、沸騰したように血が巡る。

「で、どうするんだ。やるんだろ?」

 殺気を漲らせる雪之丞に気づかないわけはないのに、男は呑気に問いかける。懐手を解かないので抜刀するわけにもいかず、仕方なく鞘から手を放す。

「わかりました。お願いします」

 仇がむこうから現れてくれたのだ。丁度良いと思えばいい。
 機を見て、仇討を果たしてやる。
 雪之丞は口唇を引き結び、頭を下げた。
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