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第二章
あごの依頼 1
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溜息を吐いた僕は、とりあえず店内の掃除でもしようかと思い直す。
陰の物置から箒とちりとりを取り出して、店の床を掃き始めた。
清光はといえば、また筆を持って文をしたためていた。
後ろでゲロゲロと喉を震わせている兜丸は気にしないことにしよう。
「……また文を出すの?」
「いいや。こうして字を綴り、心を鎮めているのだ」
のんびりスローライフな島暮らしで荒ぶるようなことなんかないんだから、心を鎮めなくてもいいと思う。平家の若様が考えることはよくわからないな。
「さっきの文には、なんて書いてあったの? 達筆すぎて全然読めないんだけど」
「珈琲豆、一袋。食パン、一斤。醤油、一升。ギバサ……」
「えっ? それって、さっき言ったことそのままだよね?」
「そうだが」
不思議そうな顔をした清光は、長い睫毛を瞬かせた。
あの文には、注文の品を羅列していたらしい。常に注文を取っている悠真が読めないのに、改善する意思が両者ともまるでないことに驚かされた。
わざわざ書いた注文書を届けて、それを読めないがために来店させ、注文を口頭で伝えたものをメモさせるという、何重にもわたる無駄な手間をかけることになんの意味があるのか。
「あのさ……無駄じゃない? メールすれば、いちいち行ったり来たりしなくて済むよね?」
「メールとはなんだ?」
そこから始まるのか……
清光にメールを含めたインターネットについての説明を行えば、理解してもらうまでに数年ほどかかりそうだ。この世間知らずの若様は電話も受け入れられなさそうである。店内を見渡してみると、パソコンどころか電話などの機器はもちろんない。レジスターもない。必要ないもんな。
「メールは置いておくとして……今度から注文するときは、僕がメモしたものを悠真に届けるよ。清光の字は達筆すぎるから、悠真も読めないって言ってたよ」
「それはいけない」
「なんでだよ⁉」
効率を上げることを提案して、拒否されるとは思わなかった。
思わず箒を取り落とした僕に、清光は優雅な所作でゆったりと首を左右に振る。
「文の代筆はいけない。主君の記した字でなければ、人の心には響かないだろう。無論、悠真の心にもな」
「……はあ」
たかが注文書なのに、これである。
なんと天晴れなスローライフだろうか。
清光の感覚では注文書は、主が臣下へ送る戦場への招待状くらいに思っているのではあるまいか。
僕は呆れながら、床に落とした箒を拾い上げた。
雅な若様は再び心を鎮めようとしているのか、さらさらと筆を躍らせている。
そこへ、カラン……とドアベルが鳴った。
悠真が戻ってきたのだろうか。
振り向いた僕の目に、開いた扉の隙間から覗いた飛島の海が映る。
誰もいない……
「こんにちは、清光様」
可愛らしい声が扉の下方から発せられた。
目線を下げた僕は、再び箒を取り落とす。
「久しいな、あご」
清光が挨拶した小さなその物体は、ぴょんと華麗なジャンプで跳ねると、カウンターに着地した。
『あご』とは、飛島の方言でトビウオのことである。飛島に限らず、日本海沿岸部一帯ではアゴと呼ばれているらしい。
飛島の名産品のひとつである『あご』は、クッキーやアイスクリームなどに加工され、土産物として酒田で販売されている。
僕は箒を拾うことも忘れて、カウンターに堂々と尻尾で立っているものを凝視した。
魚だ……。しかもトビウオだ。
八百歩譲って猫ならわかるが、トビウオが言葉を喋り、尻尾で立ち上がっているさまは中々にシュールな光景である。
唖然としている僕のほうを向いたトビウオは、ぴちぴちと大きな胸びれを動かした。
「やや。初めましてですね。わたしは、あやかしのあごです」
「……僕は、蓮です……カフェの新人スタッフです」
ぺこりとお辞儀をするあごに、僕は律儀に頭を下げた。
二十年ほど生きてきたけれど、僕の人生においてトビウオと挨拶を交わす機会が訪れるとは夢にも思わなかった。世の中は何が起きるかわからないな。
清光は神妙な顔をして、カウンターに立つあごに訊ねた。
「そなたが来たということは、海で何か起こったのだな?」
陰の物置から箒とちりとりを取り出して、店の床を掃き始めた。
清光はといえば、また筆を持って文をしたためていた。
後ろでゲロゲロと喉を震わせている兜丸は気にしないことにしよう。
「……また文を出すの?」
「いいや。こうして字を綴り、心を鎮めているのだ」
のんびりスローライフな島暮らしで荒ぶるようなことなんかないんだから、心を鎮めなくてもいいと思う。平家の若様が考えることはよくわからないな。
「さっきの文には、なんて書いてあったの? 達筆すぎて全然読めないんだけど」
「珈琲豆、一袋。食パン、一斤。醤油、一升。ギバサ……」
「えっ? それって、さっき言ったことそのままだよね?」
「そうだが」
不思議そうな顔をした清光は、長い睫毛を瞬かせた。
あの文には、注文の品を羅列していたらしい。常に注文を取っている悠真が読めないのに、改善する意思が両者ともまるでないことに驚かされた。
わざわざ書いた注文書を届けて、それを読めないがために来店させ、注文を口頭で伝えたものをメモさせるという、何重にもわたる無駄な手間をかけることになんの意味があるのか。
「あのさ……無駄じゃない? メールすれば、いちいち行ったり来たりしなくて済むよね?」
「メールとはなんだ?」
そこから始まるのか……
清光にメールを含めたインターネットについての説明を行えば、理解してもらうまでに数年ほどかかりそうだ。この世間知らずの若様は電話も受け入れられなさそうである。店内を見渡してみると、パソコンどころか電話などの機器はもちろんない。レジスターもない。必要ないもんな。
「メールは置いておくとして……今度から注文するときは、僕がメモしたものを悠真に届けるよ。清光の字は達筆すぎるから、悠真も読めないって言ってたよ」
「それはいけない」
「なんでだよ⁉」
効率を上げることを提案して、拒否されるとは思わなかった。
思わず箒を取り落とした僕に、清光は優雅な所作でゆったりと首を左右に振る。
「文の代筆はいけない。主君の記した字でなければ、人の心には響かないだろう。無論、悠真の心にもな」
「……はあ」
たかが注文書なのに、これである。
なんと天晴れなスローライフだろうか。
清光の感覚では注文書は、主が臣下へ送る戦場への招待状くらいに思っているのではあるまいか。
僕は呆れながら、床に落とした箒を拾い上げた。
雅な若様は再び心を鎮めようとしているのか、さらさらと筆を躍らせている。
そこへ、カラン……とドアベルが鳴った。
悠真が戻ってきたのだろうか。
振り向いた僕の目に、開いた扉の隙間から覗いた飛島の海が映る。
誰もいない……
「こんにちは、清光様」
可愛らしい声が扉の下方から発せられた。
目線を下げた僕は、再び箒を取り落とす。
「久しいな、あご」
清光が挨拶した小さなその物体は、ぴょんと華麗なジャンプで跳ねると、カウンターに着地した。
『あご』とは、飛島の方言でトビウオのことである。飛島に限らず、日本海沿岸部一帯ではアゴと呼ばれているらしい。
飛島の名産品のひとつである『あご』は、クッキーやアイスクリームなどに加工され、土産物として酒田で販売されている。
僕は箒を拾うことも忘れて、カウンターに堂々と尻尾で立っているものを凝視した。
魚だ……。しかもトビウオだ。
八百歩譲って猫ならわかるが、トビウオが言葉を喋り、尻尾で立ち上がっているさまは中々にシュールな光景である。
唖然としている僕のほうを向いたトビウオは、ぴちぴちと大きな胸びれを動かした。
「やや。初めましてですね。わたしは、あやかしのあごです」
「……僕は、蓮です……カフェの新人スタッフです」
ぺこりとお辞儀をするあごに、僕は律儀に頭を下げた。
二十年ほど生きてきたけれど、僕の人生においてトビウオと挨拶を交わす機会が訪れるとは夢にも思わなかった。世の中は何が起きるかわからないな。
清光は神妙な顔をして、カウンターに立つあごに訊ねた。
「そなたが来たということは、海で何か起こったのだな?」
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