33 / 35
第五章
ラクシュミの解放 1
しおりを挟む
他の召使いや衛兵たちに止める様子はない。すべてヴィクラムの計画通りだったのだ。
優美な笑みを浮かべたヴィクラムは、ルウリを振り返る。どうぞというように、ラクシュミに掌を差し出して指示した。
「さあ、ルウリ殿。カマルを封印してください」
爽やかな笑顔をむけられて臆する。ルウリは一歩、後ずさった。
「あの……ヴィクラムさま。私が言いたかったのは、誰も封印したくないということなんです。ラクシュミは邪魔者を消す道具ではありません。たとえバラモンでも罪人でも、閉じ込めることなんてできません」
ヴィクラムから、すうと笑みが消えた。酷薄な眸で、パナが入った鉄の籠、それから縛られた星玉師たちを舐める。
「では、選ばせてあげましょう。バラモンを封印するか、この鳥精霊にするか。どちらも出来ないというのなら、星玉師全員の首を刎ねます。どうしますか?」
「そんな……」
究極の選択に青ざめる。背筋が震え、蒼白になったルウリは喉が引き絞られたように言葉が出てこない。
選べるわけない。仮に選んだとしても、ヴィクラムがこの一件に関わった者の口を封じることは目に見えていた。
つい今まで従えていた部下の裏切りに、カマルは憤怒の形相を浮かべて吼えた。
「貴様、初めからこうするつもりだったのだな。余の代わりに統治者になるつもりか」
ヴィクラムは薄い笑いで答える。そこに慇懃な側近の顔は、もうなかった。
「そうです。バラモンは世を儚んでラクシュミに入ったと民に知らせましょう。後は第一の側近である私が責任を持ってイディアを治めます。これぞ素晴らしい奇蹟ではありませんか。きっと未来永劫、語り継がれますよ」
「愚か者め。貴様がラクシュミに入ればよい!」
呪いの言葉に、ヴィクラムは眉を顰めた。すっと、ルウリから距離を取り、人質にするようにパナの籠を持つ。
「さあ、何をしているのです。早く封印するのです、衛兵、この娘を鞭打ちなさい」
鞭を携えた衛兵が、ルウリに向かって鞭を振るう。
ひゅうと唸りを上げて、鋭い痛みが肩を掠めた。
「……っ、……わかりました」
カマルが衛兵に引きずられてラクシュミの前に投げ出される。ルウリを見上げる視線が、ぶつかった。それは死に怯え、助けを請う少年の涙目だった。
耐えきれず、ルウリは顔を背ける。
ラクシュミを囲んでいた柵が外される。
中庭で拘束された星玉師たちの間を、不穏なさざめきが伝染した。
諦めを孕んだ哀しみの嬌声。悲劇という名の奇蹟が、今はじまる。
ルウリはラクシュミの前に立つ。金の壺から、さらりと砂金を掌に握った。
奇蹟の星玉、ラクシュミ。これが、人々の運命をねじ曲げる。哀しみを生む。
さらり、さらり。
砂金をふりかける。星玉は、沈黙している。もっと、もっと……。
ラクシュミに、ぴたりと身を寄せる。冷たい鉱石は、ルウリの掌に吸いつくように馴染んだ。
……ラクシュミ……あなたは、人を呑みたいの? わたしは誰も失いたくない。もし、あなたが呑みたいのなら、わたしを呑んでほしい……。
きっと、ルウリがいなくなっても、世の中には封印できる星玉師が他にもいるかもしれない。
けれど、もう星玉に人を呑ませたくない。母を呑ませてしまったルウリのように、哀しみだけ残されてしまうから。
どうしてもというなら、自分が呑まれたほうがいい。
死ぬわけじゃない。限りなく、死に近い眠りがあるだけ。
だから、こわくない。
緑色の奥深くに問いかける。
ラクシュミの、鼓動が聞こえる。脳に囁くような、低い声が染みる。
……人の娘、星玉師よ。我を解放せよ。我は永い時をかけて、この……を孕んできた。時は満ちた。奇蹟を起こすのだ……。
解放、解放するのね? あなたは、もうたくさんのものを呑んでいるのね。待って、今、解き放って、
「まだですか?」
焦れたヴィクラムが様子を窺おうとラクシュミに近づいた。その刹那、床に転がっていたカマルはヴィクラムに体当たりを食らわす。
居合わせた者はラクシュミに注視していたので、皆が反応したときには、体勢を崩したヴィクラムとカマルは揉み合いになっていた。
「おのれ、死に損ないの、名ばかりのバラモンめ……!」
「余を殺せ! 死体を封印してみろ」
衛兵が引き剥がそうと駆け寄ると、両者の体から黒いもやが立ち上った。
見覚えのある暗黒の煙。
「うわああ、邪気だ、おふたりが、邪に取り憑かれたぞ……!」
目をぎらつかせ、相手を呪い殺そうと恨みを込める姿は、まるで邪神のよう。
優美な笑みを浮かべたヴィクラムは、ルウリを振り返る。どうぞというように、ラクシュミに掌を差し出して指示した。
「さあ、ルウリ殿。カマルを封印してください」
爽やかな笑顔をむけられて臆する。ルウリは一歩、後ずさった。
「あの……ヴィクラムさま。私が言いたかったのは、誰も封印したくないということなんです。ラクシュミは邪魔者を消す道具ではありません。たとえバラモンでも罪人でも、閉じ込めることなんてできません」
ヴィクラムから、すうと笑みが消えた。酷薄な眸で、パナが入った鉄の籠、それから縛られた星玉師たちを舐める。
「では、選ばせてあげましょう。バラモンを封印するか、この鳥精霊にするか。どちらも出来ないというのなら、星玉師全員の首を刎ねます。どうしますか?」
「そんな……」
究極の選択に青ざめる。背筋が震え、蒼白になったルウリは喉が引き絞られたように言葉が出てこない。
選べるわけない。仮に選んだとしても、ヴィクラムがこの一件に関わった者の口を封じることは目に見えていた。
つい今まで従えていた部下の裏切りに、カマルは憤怒の形相を浮かべて吼えた。
「貴様、初めからこうするつもりだったのだな。余の代わりに統治者になるつもりか」
ヴィクラムは薄い笑いで答える。そこに慇懃な側近の顔は、もうなかった。
「そうです。バラモンは世を儚んでラクシュミに入ったと民に知らせましょう。後は第一の側近である私が責任を持ってイディアを治めます。これぞ素晴らしい奇蹟ではありませんか。きっと未来永劫、語り継がれますよ」
「愚か者め。貴様がラクシュミに入ればよい!」
呪いの言葉に、ヴィクラムは眉を顰めた。すっと、ルウリから距離を取り、人質にするようにパナの籠を持つ。
「さあ、何をしているのです。早く封印するのです、衛兵、この娘を鞭打ちなさい」
鞭を携えた衛兵が、ルウリに向かって鞭を振るう。
ひゅうと唸りを上げて、鋭い痛みが肩を掠めた。
「……っ、……わかりました」
カマルが衛兵に引きずられてラクシュミの前に投げ出される。ルウリを見上げる視線が、ぶつかった。それは死に怯え、助けを請う少年の涙目だった。
耐えきれず、ルウリは顔を背ける。
ラクシュミを囲んでいた柵が外される。
中庭で拘束された星玉師たちの間を、不穏なさざめきが伝染した。
諦めを孕んだ哀しみの嬌声。悲劇という名の奇蹟が、今はじまる。
ルウリはラクシュミの前に立つ。金の壺から、さらりと砂金を掌に握った。
奇蹟の星玉、ラクシュミ。これが、人々の運命をねじ曲げる。哀しみを生む。
さらり、さらり。
砂金をふりかける。星玉は、沈黙している。もっと、もっと……。
ラクシュミに、ぴたりと身を寄せる。冷たい鉱石は、ルウリの掌に吸いつくように馴染んだ。
……ラクシュミ……あなたは、人を呑みたいの? わたしは誰も失いたくない。もし、あなたが呑みたいのなら、わたしを呑んでほしい……。
きっと、ルウリがいなくなっても、世の中には封印できる星玉師が他にもいるかもしれない。
けれど、もう星玉に人を呑ませたくない。母を呑ませてしまったルウリのように、哀しみだけ残されてしまうから。
どうしてもというなら、自分が呑まれたほうがいい。
死ぬわけじゃない。限りなく、死に近い眠りがあるだけ。
だから、こわくない。
緑色の奥深くに問いかける。
ラクシュミの、鼓動が聞こえる。脳に囁くような、低い声が染みる。
……人の娘、星玉師よ。我を解放せよ。我は永い時をかけて、この……を孕んできた。時は満ちた。奇蹟を起こすのだ……。
解放、解放するのね? あなたは、もうたくさんのものを呑んでいるのね。待って、今、解き放って、
「まだですか?」
焦れたヴィクラムが様子を窺おうとラクシュミに近づいた。その刹那、床に転がっていたカマルはヴィクラムに体当たりを食らわす。
居合わせた者はラクシュミに注視していたので、皆が反応したときには、体勢を崩したヴィクラムとカマルは揉み合いになっていた。
「おのれ、死に損ないの、名ばかりのバラモンめ……!」
「余を殺せ! 死体を封印してみろ」
衛兵が引き剥がそうと駆け寄ると、両者の体から黒いもやが立ち上った。
見覚えのある暗黒の煙。
「うわああ、邪気だ、おふたりが、邪に取り憑かれたぞ……!」
目をぎらつかせ、相手を呪い殺そうと恨みを込める姿は、まるで邪神のよう。
0
お気に入りに追加
74
あなたにおすすめの小説

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

三度目の嘘つき
豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」
「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」
なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

彼女が望むなら
mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。
リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる