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第四章 古城の幽霊城主と乙女怪盗
眼帯のメイド
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猛烈に行きたくなくなってきた。
寒くもないのに、ノエルは体を震わせる。
「幽霊城と、地元の人には呼ばれているんですね。本当に出るんですか?」
「単なる迷信だ。城主のラ・ファイエット侯爵は幽霊で、城を訪れた者に呪いをかけるとな。俺が子どもの頃から大人に言われてきた。探検に出かけた子どもが迷子になるのを防ぐためだろう」
「アランはラ・ファイエット侯爵に会ったことあるんです?」
「いいや。一族が栄華を誇ったのは昔の話でな。没落した貴族なんだ。庶民で侯爵の人となりを知る人はいないだろう。だから幽霊なんて噂が出る」
シャンポリオン国は地方分権が進んでいるので、ラ・ファイエット侯爵はロランヌ地方のいわば王様の一族という位置づけになっている。ただ王様だから英知に溢れる人物とは限らないわけで、決して爵位や身分では判断できない。伯爵でも、引きこもりで夜に乙女怪盗やってる人がいるくらいなので。ああ、頭が痛い。
リュゼル村を後にすると、次第に荒涼とした景色に移り変わる。黒い森が広がり、曇天の空に包まれていっそう寒々しい。やがて荒れた山肌に囲まれた路を、馬車は登り始めた。片側は切り立った崖で、目が眩みそうである。馬車がようやく一台通れる程度の道幅しかない急勾配の路の向こうに、天にそびえるかのような尖った塔が見えた。
あれが、ラ・ファイエット城だ。
辺りには民家もなく、人っ子ひとり通らない。人里離れた場所に建つ古城へ向けて、ひたすら急な坂道を登っていく。
「うわあ……」
頂上の古城へ到着すると、眼下には雲が広がっていた。けれど絶景ではなく、むしろ他の世界と隔絶されたような孤独感が迫る。思わず零れた感嘆の声はもちろん感動からではなく、怖れを滲ませていた。
ラ・ファイエット城はとても大きな古城だ。重厚で物々しい空気を醸し出している。本当に幽霊が出てもおかしくない。いや、出るね。これ、絶対でる。
御者台から下りたフランソワは恭しくノエルに膝を折った。
「長旅、お疲れさまでございました。さあ、坊ちゃま。ラ・ファイエット城へ参りましょう」
「うん。あのさ、フランソワが先に行っていいよ」
完全に腰が引けているノエルは、ちらちらと馬車に視線を送る。もう帰りたくて仕方ない。
「何を仰います! ご主人様を差し置いて執事のわたくしめが先に立つなど許されないことでございます」
こんなときだけ、ご主人様呼ばわりかよ。
しょうがないなーと思うけれど、足がね、震えて動かない。
生まれたての子鹿みたいになっているノエルの襟首を掴んだアランは大股で城の玄関へ向かい、扉をノックした。
静かな空間に、やたらと硬質なノックの音が響く。
しばらく待っていたが一向に開かないので、アランは自ら扉に手を掛けた。
ギイィ……と軋んだ鈍い音が鳴り、隙間から薄暗い室内が垣間見える。
誰もいないのだろうか。
「いらっしゃいませ……にゃん」
可愛らしい声が上がった。
目線を下にむけると、そこにはメイド服を纏い、猫耳のカチューシャを着けて右目を怪我したのか眼帯を掛けた少女が来客を見上げていた。
「警察本部と特別国王憲兵隊の者だ。ラ・ファイエット侯爵に面会したい」
「待ってたにゃん……。どうぞです」
その語尾はどうなのかと問いたいけれど、口に出したら負けなんだろう。服装もメイドというには装飾が多くて、まるでどこかの国の喫茶店に出てくるメイドさんのようである。ラ・ファイエット城のメイドはこういった特殊な格好を義務づけられているんだろうか。
城の中は至る所に蜘蛛の巣が張り巡らされ、歩くたびに埃が舞う。大階段の窓越しに射し込んだ陽光が、きらきらと塵を光らせている。掃除を行った気配がない。
手すりは傷んでいて、掴んだら崩れ落ちそうだ。ひっそりとしていて、他に人はいないらしい。
猫耳メイドに導かれて、アランに猫の子のように掴まれたノエル、後ろに従うフランソワは最上階のもっとも奥へ辿り着いた。重厚な扉の前で猫耳メイドは「てめえが開けろにゃん」と云わんばかりにアランを見上げている。
アランは臆することなくノックをした。すると、中から地を這うような声が響いた。
「どうぞ……」
嗄れた男性の声だ。ラ・ファイエット侯爵だろうか。
蝶番が悲鳴のような音を立てる。
扉を開くと、広い室内の最奥に古びたジュストコールを纏っている人物が腰掛けていた。
ノエルは目を見張った。
その男は、顔全体に包帯を巻いていたのだ。
「驚かせてすまない……。以前、事故で火傷を負ってね。醜い顔になってからは、すっかり世間から遠ざかってしまった。私は人にじろじろと見られるのを好まない。どうかそちらの席にお掛けになってほしい……」
長大なテーブルを囲むように沢山置かれた椅子の、一番端の席を示される。侯爵からもっとも遠い席だが、声はかろうじて届く。不幸な事故に遭ったのは気の毒なことだ。この姿が幽霊と噂される所以なのだろう。ノエルは失礼がないよう俯き加減で座り、侯爵を直視することを避けた。
寒くもないのに、ノエルは体を震わせる。
「幽霊城と、地元の人には呼ばれているんですね。本当に出るんですか?」
「単なる迷信だ。城主のラ・ファイエット侯爵は幽霊で、城を訪れた者に呪いをかけるとな。俺が子どもの頃から大人に言われてきた。探検に出かけた子どもが迷子になるのを防ぐためだろう」
「アランはラ・ファイエット侯爵に会ったことあるんです?」
「いいや。一族が栄華を誇ったのは昔の話でな。没落した貴族なんだ。庶民で侯爵の人となりを知る人はいないだろう。だから幽霊なんて噂が出る」
シャンポリオン国は地方分権が進んでいるので、ラ・ファイエット侯爵はロランヌ地方のいわば王様の一族という位置づけになっている。ただ王様だから英知に溢れる人物とは限らないわけで、決して爵位や身分では判断できない。伯爵でも、引きこもりで夜に乙女怪盗やってる人がいるくらいなので。ああ、頭が痛い。
リュゼル村を後にすると、次第に荒涼とした景色に移り変わる。黒い森が広がり、曇天の空に包まれていっそう寒々しい。やがて荒れた山肌に囲まれた路を、馬車は登り始めた。片側は切り立った崖で、目が眩みそうである。馬車がようやく一台通れる程度の道幅しかない急勾配の路の向こうに、天にそびえるかのような尖った塔が見えた。
あれが、ラ・ファイエット城だ。
辺りには民家もなく、人っ子ひとり通らない。人里離れた場所に建つ古城へ向けて、ひたすら急な坂道を登っていく。
「うわあ……」
頂上の古城へ到着すると、眼下には雲が広がっていた。けれど絶景ではなく、むしろ他の世界と隔絶されたような孤独感が迫る。思わず零れた感嘆の声はもちろん感動からではなく、怖れを滲ませていた。
ラ・ファイエット城はとても大きな古城だ。重厚で物々しい空気を醸し出している。本当に幽霊が出てもおかしくない。いや、出るね。これ、絶対でる。
御者台から下りたフランソワは恭しくノエルに膝を折った。
「長旅、お疲れさまでございました。さあ、坊ちゃま。ラ・ファイエット城へ参りましょう」
「うん。あのさ、フランソワが先に行っていいよ」
完全に腰が引けているノエルは、ちらちらと馬車に視線を送る。もう帰りたくて仕方ない。
「何を仰います! ご主人様を差し置いて執事のわたくしめが先に立つなど許されないことでございます」
こんなときだけ、ご主人様呼ばわりかよ。
しょうがないなーと思うけれど、足がね、震えて動かない。
生まれたての子鹿みたいになっているノエルの襟首を掴んだアランは大股で城の玄関へ向かい、扉をノックした。
静かな空間に、やたらと硬質なノックの音が響く。
しばらく待っていたが一向に開かないので、アランは自ら扉に手を掛けた。
ギイィ……と軋んだ鈍い音が鳴り、隙間から薄暗い室内が垣間見える。
誰もいないのだろうか。
「いらっしゃいませ……にゃん」
可愛らしい声が上がった。
目線を下にむけると、そこにはメイド服を纏い、猫耳のカチューシャを着けて右目を怪我したのか眼帯を掛けた少女が来客を見上げていた。
「警察本部と特別国王憲兵隊の者だ。ラ・ファイエット侯爵に面会したい」
「待ってたにゃん……。どうぞです」
その語尾はどうなのかと問いたいけれど、口に出したら負けなんだろう。服装もメイドというには装飾が多くて、まるでどこかの国の喫茶店に出てくるメイドさんのようである。ラ・ファイエット城のメイドはこういった特殊な格好を義務づけられているんだろうか。
城の中は至る所に蜘蛛の巣が張り巡らされ、歩くたびに埃が舞う。大階段の窓越しに射し込んだ陽光が、きらきらと塵を光らせている。掃除を行った気配がない。
手すりは傷んでいて、掴んだら崩れ落ちそうだ。ひっそりとしていて、他に人はいないらしい。
猫耳メイドに導かれて、アランに猫の子のように掴まれたノエル、後ろに従うフランソワは最上階のもっとも奥へ辿り着いた。重厚な扉の前で猫耳メイドは「てめえが開けろにゃん」と云わんばかりにアランを見上げている。
アランは臆することなくノックをした。すると、中から地を這うような声が響いた。
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