乙女怪盗ジョゼフィーヌ

沖田弥子

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第三章 パーティーでシャンパンを

消えた乙女怪盗

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「もう一度言う。ドレスを捲れ。おまえのドレスの中に、乙女怪盗が隠れていないか見てやる」

 本気らしい。
 断れば無理やり捲ってやると云わんばかりの気迫が漲っている。
 仕方ないので、ノエルはドレスを摘まんで足元を見せた。フリルのシフォンがふわりと捲れ上がる。ハイヒールの靴先を見て、アランは顎をしゃくった。

「もっと上げろ」
「ええ……?」

 パーティー会場の真ん中で、燕尾服を着た紳士の前でドレスを捲り上げる貴婦人という、何とも滑稽かつ多大な誤解を招きそうな状況なのだが、生憎と助けてくれそうな人は見当たらない。立ち回る警官たちは乙女怪盗の捜索と、帰宅を要請する来客の説得に忙しそうだ。
 眼前には猛禽類のような鋭い双眸。
 私も帰りたいよ。
 泣く泣く膝辺りまでドレスを引き上げる。
 ドレスの下はドロワーズを穿いているので膝上は見えないが、自分で捲って殿方に見せるという行為がとてつもない恥辱を誘う。
 というかノエルは男だとアランは思っているわけなので、余計に遠慮がないのだろう。でも今は貴婦人の格好をしているので、身も心も女なんですけど。
 アランは膝を突いて中を覗こうとした。驚いて裾を下ろしたら、ひらひらのフリルが顔面に掛かってしまった。そのまま抱え込むような姿勢になってしまい、ドレスの中にアランの顔が突っ込んでしまう。

「おい、上げてろ」
「わあああ、ムリです!」
「何が無理だ。この膨らみは何だ? こんなところに下着があるのか?」
「わあああ、それは!」

 内側のポケットに隠している乙女怪盗の衣装に手を伸ばされてしまう。もはや絶体絶命かと覚悟を決めたノエルは、思いきりハイヒールを蹴り上げた。
 ぐっ、と短い唸り声がして、額を押さえたアランがフリルをくぐり抜けて顔を出す。

「もういい。全部脱げ」
「はあ~? ンフッ」

 目を剥くと同時に、聞き慣れた鼻息が聞こえた。いつの間にか真横にいたバルスバストルは垂れた目をいっぱいに見開いて、ノエルとアランの痴態を凝視している。

「あ……バルス刑事。いえ、あの、これはですね……」

 言い訳したい。お願い、させて。
 ノエルが必死に言葉を探していると、バルスバストルは恐れおののいたように身を引いた。

「おふたりには、そういった趣味があったんですね……。お邪魔をして大変失礼いたしましたフンガッ」

 誤解ですうううううう。
 何事もなかったかのように涼しげに立ち上がったアランは燕尾服の襟を正した。

「いいか、バルス」
「はいっ、ンフ」
「報告はまず最重要事項を初めに話せ。どうでもいい情報は後回しにしろ」

 そっち?
 貴婦人のドレスの中に侵入した件については、どうでもいい事項に分類されたらしい。地味に傷つく。
 正しい敬礼をしたバルスバストルは真面目に表情を引き締めた。

「はっ! 最重要事項をお伝えします。乙女怪盗は煙のように消えてしまいましたでありますフッフウ」
「そうだろうな」

 ちらりとノエルを横目で見たアランは、次の指示を出した。

「俺は女性用のトイレットで衣装と指輪を捜してくる。おまえたちはここにいろ。証拠を隠滅されては困るからな」

 ふたりを残して、アランは先ほどノエルが使用したトイレットへ駆けていった。
 体に身につけていなければ、トイレットに隠している。正しい判断だ。
 呆気にとられたバルスバストルは盛大に肩を竦める。

「アラン警部はとても変態なんですね。僕は正直驚きましたフゥ~」
「きっと、お疲れなんですよ。乙女怪盗はどこにいっちゃったんでしょうね」

 ホールが俄に騒がしくなった。どうやら帰ろうとする来客たちと指示があるまで待って欲しいという警官の間で諍いが起こっているようだ。
 人波に攫われて、ノエルは会場から玄関へと押し流されていった。バルスバストルは柱に掴まって踏み止まり、こちらに手を伸ばしている。

「ああ~、伯爵~フッフ~」
「バルス刑事、お疲れさまでした~」

 手を振って紳士淑女たちの波に紛れながら馬車の待機列へ辿り着く。コレット家の馬車の前で、慇懃に礼をしたフランソワが扉を開けた。フロックコートの襟から、ウェイターの詰襟がわずかに覗いている。

「お帰りなさいませ、お嬢様。パーティーはいかがでございましたか?」

 ノエルは微笑みを返しながら馬車に乗り込んだ。

「最高だったよ。シャンパンは格別な味わいだった。何しろ……エメラルド入りだからね」

 羅紗張りの座席に腰掛け、結い上げた髪に手を入れる。中から出てきたエメラルドは深い緑の煌めきを静かに湛えていた。
 ウェイターに変装したフランソワは、花火の最中に男爵夫人の指輪をキュービックジルコニアの偽物とすり替えた。本物をシャンパングラスに落とし、堂々とアランの隣に立つノエルにグラスごと渡したというわけである。暗がりで、しかも花火を見ていたので、アランには気づかれなかった。ノエルは花火を鑑賞しながら悠々と指輪を取り出し、後は皆が騒いでいるうちにトイレットで乙女怪盗に変装した。
 すべて計画通り。

「予定外といえば、硝子の破片が髪に残ってたことかな。明日からアランの目がコワイよ」

 御者台に乗り込んだフランソワは手綱を取る。馬車は蹄の音を鳴らしながら緩やかに進み、男爵家の門を出た。連なる馬車の灯りが闇夜に浮かんで幻想的な光景を見せている。右往左往している警官に「ご苦労さまです」とフランソワは声を掛けた。

「わたくしの本日の予想外は、おふたりが会場で不埒な行為に及んでいるのを目にしたことでしょうか。純真無垢な坊ちゃまが公衆の面前で殿方と淫らなことをいたすとはなんということでしょうか。わたくしは卒倒せんばかりでございました」
「うわっ……見てたんだ……」
「ええ、それはもう。どうなってしまうのか、胸がどきどきいたしました。楽しいひとときでございましたね」

 楽しんでないで助けろっつうの……。
 もう少しで裸にさせられるところだったのである。
 とはいえ、トイレットに衣装と指輪を隠したと推測して今も懸命に捜しているであろうアランを思えば、今夜のドレス捲り事件は許してあげてもいいかなと思っている。
 ノエルは、エメラルドの表面を指先でなぞる。
 これも違う気がする。次第に思い出が曖昧に揺らいでしまう。
 記憶の中の『天空の星』の手触り。あの質感に再び巡り会えるのは、一体いつになるのだろう。
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