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第一章 引きこもり伯爵の受難
街を巡回 1
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特別国王憲兵隊に任命されたノエルの初仕事は、アラン警部と街を巡回するという任務だった。
シャンポリオン国の首都パリーヌは温暖な気候の内地で、豊かな土壌を持つ平和な街だ。
季節は春。煉瓦造りの街並みを小さな花壇が彩り、パンジーやマリーゴールドなどの花々が咲き誇っていた。
石畳が続く目抜き通りはシルクハットを被った上品な紳士やエプロンを身につけた町娘が歩き、時折辻馬車が行き交っている。路の両側には、ショコラや最新のドレスをウィンドウに飾っている洒落た店舗が建ち並び、目を楽しませてくれる。見上げれば、青い空にぽっかりと浮かぶ白い雲。
ああ、春っていいな。
大きく伸びをして陽気な春の空気を胸いっぱいに吸い込む。
後ろに付き従っているフランソワとバルスバストルは楽しそうに会話を繰り広げていた。
「御覧下さい、バルス刑事。この界隈は花屋が沢山ありますね。乙女怪盗ジョゼフィーヌの正体は、実は花屋と小説に書いてございました。昼は花を売る麗しい乙女、夜は宝石を盗む華麗な怪盗。謎の乙女は人々の心まで盗んでしまう。お洒落ですね、美しいパリーヌの街に映えます」
「僕もその小説読みましたよ、フランソワさん。僕のジョゼフィーヌが花屋かぁ、って嬉しくて花屋さんに行ったら行列できてました。ジョゼフィーヌっていう名前の薔薇がパリーヌでは連日品切れだそうです~ンフフ」
夢を膨らませるお伴たちに些かげんなりとして溜息を吐き出す。薔薇じゃなく、もやしですいませんね。
バルスバストルはともかくとして、何故かフランソワまで散歩……ではなく巡回に付いてきてしまった。アラン警部は後ろで会話に花を咲かせるふたりを咎めるでもなく、隣を歩くノエルに低音で囁く。
「気にするな。邪魔になったら撒くぞ」
「はい、アラン警部」
「アランでいい。堂々と役職を告げるな」
「はい。乙女怪盗に訊かれたら困りますよね」
「そのとおりだ。俺は花屋という説には懐疑的だがな」
案外、伯爵だったりして。あなたのすぐ隣にいるかもしれませんね。
「というか、私は引きこもりですし、捜査なんてしたことないのですが。お力になれるかわかりませんよ」
引きこもり伯爵という称号を名乗っているが、内向的な趣味なので外出が少ないだけである。それに世間と隔絶していたほうが正体を隠せるので何かと都合が良いからだ。
ここは引きこもりを利用して早々にお役御免させていただきたい。その後カフェでショコラフラペチーノでも飲もうっと。
というノエルの企みは数秒で粉砕された。
「力になれるかなれないかは俺が決める。引きこもりというわりには街を歩いて生き生きとしているじゃないか、コレット伯爵」
「……ノエルとお呼びください」
「では、ノエル。伯爵のわりには小柄だな。それに若い。いくつだ」
「一六歳です。父が早くに他界したので爵位を継ぎました」
ノエルは伯爵家の長男として、正当にコレット伯爵となった。
実は、女の子だけど。
シャンポリオン国では女子は爵位を継ぐことができない。生れたときから正真正銘の女の子だったノエルは、父の計らいにより男子として育てられたのだった。母はノエルを産んで亡くなったので、コレット家の子どもはノエルしかいないから。その事実を知っているのは亡くなった父の他にはフランソワだけとなる。
つまりノエルは普段の姿を偽っている。乙女怪盗に変身するときだけ女の子に戻れるのだ。
乙女怪盗ジョゼフィーヌ、と女子であることを強調した名前も、可憐さを前面に押し出した衣装も、怪盗は女だと人々の記憶に刻みつけるためでもある。人は一度植え付けられた先入観を崩すのは難しい。まさか乙女怪盗の正体が男装している伯爵だとは、誰も思いつかないだろう。実際に警察は話題になった小説に躍らされて、花屋の娘を張り込みするなど斜め上の方向で捜査を進めているのだ。
ノエルが実は女子、という真実が露呈しない限り、乙女怪盗の正体は永久に暴かれない。
一六歳という年齢ゆえ、男にしては少々華奢で背が低いと見られてしまうのが目下の悩みだが、生来の銀髪と銀灰色の眸が中性的な雰囲気を醸し出しているので上手くカモフラージュできていた。
頭ひとつ以上高い位置にあるアランの精悍な面立ちを見上げ、余裕の笑みを口元に浮かべる。
制帽に装着された鷲の徽章を陽光に煌めかせて、アランは目線だけを投げてよこした。
「いくつと訊いたのは年じゃない」
「身長は……見てのとおり倒れそうな牢獄のもやしです」
フランソワのたとえを持ち出して自虐してみたが、アランは笑うどころかわずかに眉を寄せただけだった。
「靴のサイズだ」
「そっち?」
この流れで訊かれるのは年齢か身長だけだと思うんですけど。
心の中で突っ込むノエルにお構いなしに、アランはぐいと白のタイツに覆われたノエルの細い足首を持ち上げた。
「ちょ……⁉」
バランスを崩して石畳に倒れそうになる。……というポーズをしてみせる。
シャンポリオン国の首都パリーヌは温暖な気候の内地で、豊かな土壌を持つ平和な街だ。
季節は春。煉瓦造りの街並みを小さな花壇が彩り、パンジーやマリーゴールドなどの花々が咲き誇っていた。
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ああ、春っていいな。
大きく伸びをして陽気な春の空気を胸いっぱいに吸い込む。
後ろに付き従っているフランソワとバルスバストルは楽しそうに会話を繰り広げていた。
「御覧下さい、バルス刑事。この界隈は花屋が沢山ありますね。乙女怪盗ジョゼフィーヌの正体は、実は花屋と小説に書いてございました。昼は花を売る麗しい乙女、夜は宝石を盗む華麗な怪盗。謎の乙女は人々の心まで盗んでしまう。お洒落ですね、美しいパリーヌの街に映えます」
「僕もその小説読みましたよ、フランソワさん。僕のジョゼフィーヌが花屋かぁ、って嬉しくて花屋さんに行ったら行列できてました。ジョゼフィーヌっていう名前の薔薇がパリーヌでは連日品切れだそうです~ンフフ」
夢を膨らませるお伴たちに些かげんなりとして溜息を吐き出す。薔薇じゃなく、もやしですいませんね。
バルスバストルはともかくとして、何故かフランソワまで散歩……ではなく巡回に付いてきてしまった。アラン警部は後ろで会話に花を咲かせるふたりを咎めるでもなく、隣を歩くノエルに低音で囁く。
「気にするな。邪魔になったら撒くぞ」
「はい、アラン警部」
「アランでいい。堂々と役職を告げるな」
「はい。乙女怪盗に訊かれたら困りますよね」
「そのとおりだ。俺は花屋という説には懐疑的だがな」
案外、伯爵だったりして。あなたのすぐ隣にいるかもしれませんね。
「というか、私は引きこもりですし、捜査なんてしたことないのですが。お力になれるかわかりませんよ」
引きこもり伯爵という称号を名乗っているが、内向的な趣味なので外出が少ないだけである。それに世間と隔絶していたほうが正体を隠せるので何かと都合が良いからだ。
ここは引きこもりを利用して早々にお役御免させていただきたい。その後カフェでショコラフラペチーノでも飲もうっと。
というノエルの企みは数秒で粉砕された。
「力になれるかなれないかは俺が決める。引きこもりというわりには街を歩いて生き生きとしているじゃないか、コレット伯爵」
「……ノエルとお呼びください」
「では、ノエル。伯爵のわりには小柄だな。それに若い。いくつだ」
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ノエルは伯爵家の長男として、正当にコレット伯爵となった。
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シャンポリオン国では女子は爵位を継ぐことができない。生れたときから正真正銘の女の子だったノエルは、父の計らいにより男子として育てられたのだった。母はノエルを産んで亡くなったので、コレット家の子どもはノエルしかいないから。その事実を知っているのは亡くなった父の他にはフランソワだけとなる。
つまりノエルは普段の姿を偽っている。乙女怪盗に変身するときだけ女の子に戻れるのだ。
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ノエルが実は女子、という真実が露呈しない限り、乙女怪盗の正体は永久に暴かれない。
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