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騎士団トナカイレース 1
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勿忘草色の空に薄い雲がベールのように広がる。凍てつく大地は淡い陽光に彩られて、ひとときの穏やかさを見せていた。
郊外にある騎士団の駐屯地は普段は静かだが、今日だけは賑わいをみせていた。隣接している放牧場には数百頭のトナカイが待機している。それらのトナカイが引くソリを用意する騎士団員に、見物に来た街や村の人々で広場は一杯になっていた。
年に一度の、騎士団ソリレースが開催される。
このレースに優勝した騎士団員は、皇帝より『氷の勇者』の称号を賜るのだ。それはとても名誉なことで、末代の子孫に伝えられるほどらしい。副賞として羊肉一年分も頂ける。優勝を狙う団員の気合の入れようは相当なものだ。
「ユーリイさま、準備できましたよ。次はトナカイを選びましょうか」
木製のソリと手綱を用意した煌は、ソリの周りを飛び跳ねていたユーリイに声をかける。騎士団の特別名誉隊長であるユーリイも、初めてレースに参加することになった。ふたり一組で搭乗するので、当然のごとく同じソリに乗るのは煌である。訓練でトナカイの習性やソリの操縦の仕方は習っている。安全に走らせれば大丈夫だろう。
「行こう、キラ! ボクはどのトナカイにするか決めてるんだ」
お揃いの虹の帽子を被り、手を繫いで放牧場へ赴く。柵の中では既に数多くの騎士団員がトナカイを吟味していた。ユーリイは一目散に、とあるトナカイの元へ駆け寄る。
「ビョルン! ボクのソリを引くえいよをあたえるぞ」
一際体が大きく雄々しい角を持つビョルンは脚力が強く、数いるトナカイの中でも最たる速さを誇る。けれど乗り手の命令を訊かない気難しい面があるので、初心者には向かない。
ビョルンは前脚で雪を掻くと、ユーリイに背を向けた。傍にいたイサークがビョルンの首輪を掴む。
「ユーリイさま。キラの技術でビョルンを操縦することは難しいです。こいつは乗り手を見て態度を変えます。技能が浅いとみれば容赦なくソリを横転させますよ」
「そんなこと言って大尉はビョルンを使うつもりだろう。ボクが先に指名したんだぞ!」
「私は大尉としてユーリイさまの安全を確保しなければなりません。こちらのヨニに引かせてください。このトナカイは温和で誰の指示でも訊きます」
イサークは穏やかな目をしたヨニの背を押した。トナカイの中では小柄なヨニは甘えるような仕草でユーリイに顔を近づける。
「ヨニは足が遅い! ビョルンじゃないと嫌だ。イサークはキラが下手な乗り手だと、そう言いたいのだな」
「いえ、下手だとかそういうことではなくてですね……」
困り果てているイサークと頬を紅潮させるユーリイの間に、優雅な足取りでコートを翻したルカが割り込んだ。
「乗り手の意見も訊いたほうがいいんじゃない。きみはどちらを引きたいの、キラ?」
「えっ……」
突然話を振られて瞠目する。皆の視線が煌に集中した。
自分の技量は分かっているのでビョルンは無理だろう。できればイサークの勧めどおり、ヨニを指名したほうが良い。
ユーリイは縋るような眼差しで煌の袖を引いた。
「ボクは優勝したい。氷の勇者になるんだ。ビョルンにするだろう、キラ」
ヨニを選べば優勝は逃すことになる。ユーリイを落胆させてしまう。
「きみの好きなほうを選べばいいよ。ねえ、キラ」
ルカは下目遣いの流し目を送っている。分かってるよね、という合図だ。
両者に挟まれて困った煌は、喉元から答えを絞り出した。
「では……両方にします」
ソリは二頭のトナカイで引く。指示は主に右側のトナカイに出すので、右のトナカイが重要な役目を果たす。ビョルンを右にして、左側をヨニにすれば良い。
煌の選択に、すぐさまルカは形の良い眉を跳ね上げた。
「両方⁉ 優柔不断も大概にしてよね」
「まあ待て。この二頭で組むのは逆に分が悪いぞ、キラ。ビョルンのスピードに、ヨニはついていけないだろう」
冷静に諫めるイサークの意見は的を射ている。性格も実力も異なる二頭を操るには、相応の技術が必要だ。初心者の煌には逆に難しい。
どうしたらいいだろうと悩んでいると、見物していた人々からざわめきが起こる。海が割れるように、左右に人垣が引いた。
「ツァーリに拝謁いたします!」
騎士団員は一斉に敬礼する。煌も慌てて背筋を正した。
威厳に満ちたオーラを纏うアレクは侍従長のミハイルを伴い、こちらへ真っ直ぐに向かってくる。漆黒のフロックコートに黒のロングブーツ姿は、まるで悪魔の長のように壮麗だ。
彼の優しさもほんの少しの弱さも知っているけれど、皆の前に皇帝として現れるときのアレクは、やはり人を平伏す敬畏がある。
口元に笑みを刻んだアレクは楽しげな声を上げる。
「面白い組み合わせだ。ビョルンとヨニは、私が操縦しよう」
「レースに参加されるのですか、ツァーリ。しかし……」
「ヴァルナフスキー大尉。私と勝負だ。皇帝と将校、どちらが勝つかな」
郊外にある騎士団の駐屯地は普段は静かだが、今日だけは賑わいをみせていた。隣接している放牧場には数百頭のトナカイが待機している。それらのトナカイが引くソリを用意する騎士団員に、見物に来た街や村の人々で広場は一杯になっていた。
年に一度の、騎士団ソリレースが開催される。
このレースに優勝した騎士団員は、皇帝より『氷の勇者』の称号を賜るのだ。それはとても名誉なことで、末代の子孫に伝えられるほどらしい。副賞として羊肉一年分も頂ける。優勝を狙う団員の気合の入れようは相当なものだ。
「ユーリイさま、準備できましたよ。次はトナカイを選びましょうか」
木製のソリと手綱を用意した煌は、ソリの周りを飛び跳ねていたユーリイに声をかける。騎士団の特別名誉隊長であるユーリイも、初めてレースに参加することになった。ふたり一組で搭乗するので、当然のごとく同じソリに乗るのは煌である。訓練でトナカイの習性やソリの操縦の仕方は習っている。安全に走らせれば大丈夫だろう。
「行こう、キラ! ボクはどのトナカイにするか決めてるんだ」
お揃いの虹の帽子を被り、手を繫いで放牧場へ赴く。柵の中では既に数多くの騎士団員がトナカイを吟味していた。ユーリイは一目散に、とあるトナカイの元へ駆け寄る。
「ビョルン! ボクのソリを引くえいよをあたえるぞ」
一際体が大きく雄々しい角を持つビョルンは脚力が強く、数いるトナカイの中でも最たる速さを誇る。けれど乗り手の命令を訊かない気難しい面があるので、初心者には向かない。
ビョルンは前脚で雪を掻くと、ユーリイに背を向けた。傍にいたイサークがビョルンの首輪を掴む。
「ユーリイさま。キラの技術でビョルンを操縦することは難しいです。こいつは乗り手を見て態度を変えます。技能が浅いとみれば容赦なくソリを横転させますよ」
「そんなこと言って大尉はビョルンを使うつもりだろう。ボクが先に指名したんだぞ!」
「私は大尉としてユーリイさまの安全を確保しなければなりません。こちらのヨニに引かせてください。このトナカイは温和で誰の指示でも訊きます」
イサークは穏やかな目をしたヨニの背を押した。トナカイの中では小柄なヨニは甘えるような仕草でユーリイに顔を近づける。
「ヨニは足が遅い! ビョルンじゃないと嫌だ。イサークはキラが下手な乗り手だと、そう言いたいのだな」
「いえ、下手だとかそういうことではなくてですね……」
困り果てているイサークと頬を紅潮させるユーリイの間に、優雅な足取りでコートを翻したルカが割り込んだ。
「乗り手の意見も訊いたほうがいいんじゃない。きみはどちらを引きたいの、キラ?」
「えっ……」
突然話を振られて瞠目する。皆の視線が煌に集中した。
自分の技量は分かっているのでビョルンは無理だろう。できればイサークの勧めどおり、ヨニを指名したほうが良い。
ユーリイは縋るような眼差しで煌の袖を引いた。
「ボクは優勝したい。氷の勇者になるんだ。ビョルンにするだろう、キラ」
ヨニを選べば優勝は逃すことになる。ユーリイを落胆させてしまう。
「きみの好きなほうを選べばいいよ。ねえ、キラ」
ルカは下目遣いの流し目を送っている。分かってるよね、という合図だ。
両者に挟まれて困った煌は、喉元から答えを絞り出した。
「では……両方にします」
ソリは二頭のトナカイで引く。指示は主に右側のトナカイに出すので、右のトナカイが重要な役目を果たす。ビョルンを右にして、左側をヨニにすれば良い。
煌の選択に、すぐさまルカは形の良い眉を跳ね上げた。
「両方⁉ 優柔不断も大概にしてよね」
「まあ待て。この二頭で組むのは逆に分が悪いぞ、キラ。ビョルンのスピードに、ヨニはついていけないだろう」
冷静に諫めるイサークの意見は的を射ている。性格も実力も異なる二頭を操るには、相応の技術が必要だ。初心者の煌には逆に難しい。
どうしたらいいだろうと悩んでいると、見物していた人々からざわめきが起こる。海が割れるように、左右に人垣が引いた。
「ツァーリに拝謁いたします!」
騎士団員は一斉に敬礼する。煌も慌てて背筋を正した。
威厳に満ちたオーラを纏うアレクは侍従長のミハイルを伴い、こちらへ真っ直ぐに向かってくる。漆黒のフロックコートに黒のロングブーツ姿は、まるで悪魔の長のように壮麗だ。
彼の優しさもほんの少しの弱さも知っているけれど、皆の前に皇帝として現れるときのアレクは、やはり人を平伏す敬畏がある。
口元に笑みを刻んだアレクは楽しげな声を上げる。
「面白い組み合わせだ。ビョルンとヨニは、私が操縦しよう」
「レースに参加されるのですか、ツァーリ。しかし……」
「ヴァルナフスキー大尉。私と勝負だ。皇帝と将校、どちらが勝つかな」
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