煌めく氷のロマンシア

沖田弥子

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皇子ユーリイ 3

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「父上!」

 煌の手を振り切り、ユーリイは父であるアレクの元へ駆けていく。甘えるようにコートの裾を引いた。

「父上、あの者を罰してください。ボクの剣をはじきとばしたのです!」

 指差された煌は唖然とした。
 勝負に勝てば騎士として認めるとか言ってなかったか?
 けれどユーリイの剣を弾いたのは事実だ。
 ユーリイの言い分を平静に受け止めたアレクは、視線を煌にむけた。ゆっくりと搦め捕るような鋭い眼差しに、心臓を鷲掴みにされたように体が動かなくなる。紗綾姫に対する優しい眸とは全く違う、帝王の目だ。

「なぜ、罰を与えなければならない。堂々と戦った結果だろう。私は官邸の窓辺で事の成り行きをすべて見ていた」

 静かだが威圧的な声音は他者を萎縮させるのに充分すぎるほどだ。場の空気は凍りついたように張り詰めている。ユーリイは不満そうに頬を膨らませて、なおも言い募った。

「だって、ボクは皇子です。次期皇帝です。もうすこしで傷がついてしまうところでした」

 アレクは息子に笑みをむけることも同意することもしなかった。
 広い歩幅で煌の傍に歩み寄ってくる。急に呼吸が苦しくなる。
 子どものユーリイは誤魔化せても、アレクは気づいてしまうかもしれない。
 煌はごくりと息を呑むと、目線を伏せた。握っていた剣の柄をアレクの掌が奪い去る。

「この剣でどうやって斬る。刃が付いていない」
「えっ?」

 天にむけて掲げた刀身は、刃がなかった。あえて研磨せず斬れないように作られた剣だ。練習や護身用に使われる。ユーリイが怪我をしないよう細心の注意を払ったつもりだが、これなら本気で打ったりしなければ傷ひとつ負わせることはできない。指摘されるまで全く気づかなかった。
 剣を手渡したルカは、素知らぬふりで目を逸らしている。始めからユーリイが怪我をしないよう配慮が成されていたのだ。

「ユーリイ。おまえは皇子として身を守られながら戦い、己の臣下を傷つけた。彼の傷を見なさい」

 血の滲んだ左手を、すいと取られる。あ、と思ったが抗う暇もなかった。
触れられたくはなかったのだけれど。
 見せつけられた煌の手の甲に走る裂傷に初めてユーリイは気づいたらしく、眸を見開いてから泣きそうに顔を歪めた。
 イサークが慇懃な態度で進言する。

「恐れながらツァーリに申し上げます。ユーリイさまはキラ・ハルアに決闘を申し込み、勝てば騎士として認めるとお約束なさいました」

 父に冷酷さを宿した双眸で見据えられ、小さな体は怯えるように縮こまる。

「ヴァルナフスキー大尉の言ったことは事実か。答えるんだ、ユーリイ」
「う……えっと……はい。言いました……」
「それなのにおまえは罰しろと言う。それは特別名誉隊長として正しい処し方か」
「……正しくないです」
「次に告げる言葉は何だ。自分で考え、実行するのだ」

 大きな青い眸に涙をいっぱい溜めたユーリイは、懸命に一歩ずつ足を進めて煌の眼前へやってきた。けれど唇を引き結んで、肩を震わせている。涙は決壊寸前だ。
 こんなに小さな子に非を認めさせることは可哀想になる。だが次期皇帝として律しなければならないというアレクの気持ちも理解できた。
 煌は屈んで、喋ることができないでいるユーリイの目線に合わせた。

「ユーリイさま、僕を騎士として認めてくださいますか?」
「……みとめる」
「では、罰するという命令は撤回しましょうね」
「……する」

 とうとう涙は溢れてしまった。透明な雫が薔薇色の頬を伝う。団員に泣き顔は見られたくないのか、ユーリイは頭を押しつけるようにして煌の胸に飛び込んできた。抱きしめて背を撫でてあげると、小さな手がぎゅっと胸元を握りしめる。

「よくできましたね。将来は父上のような、立派なツァーリさまになれますね」
「うう……ボクは足が折れた。抱っこだ」

 折れたのは心のほうかな。
 上手にできたご褒美に抱き上げると、小さな溜息がアレクの唇から零れる。

「まあ、良かろう。来たまえ、キラ・ハルア。手当をしよう」

 アレクに名を呼ばれて、どきりと心臓が跳ねる。
 大勢に名を知られてしまったので、もはや訂正は不可能だ。紗綾の兄の名が春暁宮煌だということは、アレクは書面などで目にしていることだろう。
 けれど不審に思われることはなかったようで、アレクは平然と踵を返した。後ろに付き従いながら、こっそり安堵の息を吐く。
 今すぐこの場から去りたいところだが、ユーリイを抱いているので逃げ出すわけにもいかない。煌は腕の中にすっぽりと収まった皇子を抱きかかえて、堂々と正面からエルミターナ宮殿へ入ることになった。流線を描く大階段を上り、緋の絨毯が敷き詰められた広い廊下を奥深くへと進む。
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