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第三章 地獄の道具師
隼斗の夢
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「アカザ!」
すうっと音もなく、袖を翻したアカザが現れた。
眩い銀髪に、真紅の双眸が色濃く人外を匂わせる。ゆるく首元に巻いたストールに小豆がちょろりと駆け上がった。
アカザの姿を目にしたおじいさんは、信じられないものを見たように驚き、ぶるぶると体を震わせた。
「おお……アカザ……五十年前と全く同じ姿だ。やはり、人外の者だったのだな」
「久しいな、俊三」
「アカザが去ってから、わしはあの望遠鏡を使ったことがなかった。そうすると、地獄の道具師やら閻魔大王の側近やらというのは、さすらいの職人が騙ったのではと思うようになった。しかし、アカザが貸してくれた望遠鏡はいつまでも変わらず手元にあった。五十年とは生涯返さなくてもよいという意味かとも思ったが、そのときが迫るにつれて、何が起こるのかと思い悩んでいたよ」
おじいさんは切々とこれまでの心情をアカザに語り、涙を浮かべた。
半世紀ぶりに再会する友人には、これまでの想いが溢れるものなのだと、私の心に染みる。
「悩ませてすまなかったな、俊三。おれが五十年と指定したのには、理由があったのだ」
「理由……? それは、どんなわけだ」
「俊三が、望遠鏡を使わずともおれと話せるようになるとき。それが五十年後だったのだ。おまえとは、何も隔てることなく話してみたいと思ったのだよ」
おじいさんの頰から涙が伝う。彼は幾度も頷いた。
「ああ、ああ……そうだ。道具が偉いんじゃない。道具が活きるか死ぬかは、使う人次第だからなぁ。アカザはそのことをわしに教えようとしたのか……」
おじいさんはアカザと話すとき以外、望遠鏡を使用していなかったようだが、もはや地獄の望遠鏡は、おじいさんには不要となった。そうして返却期限の五十年を迎えたということなのだ。
おじいさんが、小豆やアカザが見えていることの意味を、私は改めて思い出した。
人間にあやかしが見えるとき。その条件のひとつに、死期が迫っていることが挙げられる。
隼斗君はおじいさんの様子を見て、訝しげに首を捻った。
「じいちゃん、どうしたの? アカザっていう人が、ここにいるの?」
「ああ、そうだ。素晴らしい職人だ。アカザの望遠鏡を使えば、見えるぞ。かつてわしがそうしたようにな」
その言葉に迷っていた隼斗君だったが、ランドセルを下ろすと、リコーダーを入れるケースの中から黒塗りの望遠鏡を取り出した。緊張しつつ望遠鏡を覗いた彼は、アカザを見て「あっ」と驚きの声を上げる。
「い、いる! この人が、じいちゃんの話してた閻魔大王の側近なの⁉」
「おれは地獄の道具師アカザだ。その望遠鏡の製作者だ」
呆然とした隼斗君は望遠鏡を覗いたまま、こくこくと頷いた。
「隼斗よ、そなたの夢は何だ?」
「……えっ?」
突然の質問に、隼斗君は目を瞬かせる。
アカザは隼斗君から望遠鏡を奪うことをせず、返せとも言わなかった。彼は戸惑っている隼斗君に、さらに語りかけた。
「そなたはまだ若い。これから何にでもなれるのだ。だが、そなたの行いを鑑みると、将来は盗人といったところかな」
「そ、そんなものになりたいわけない! 僕は……お城を作る職人になりたい」
「ふむ。大工か」
「でも……それを言うと友達に馬鹿にされるんだ。城なんか作れるわけないって。だから僕は職人はすごいんだぞってわかってもらうために、じいちゃんの望遠鏡をこっそり持ち出して友達に見せたんだ」
「だが隼斗は、又貸しはしなかったのだな。偉いぞ」
唇を噛みしめた隼斗君は、気まずそうに目を逸らす。けれど望遠鏡を下ろすことはしなかった。
「だって……みんなは望遠鏡から見えるあやかしがすごいって騒ぐだけで、望遠鏡そのものは褒めないんだ。それって、お城に登って景色がすごいって騒いでるようなものでしょ? なんか、つまらなくなっちゃって、もう見せてあげないって言ったら、文句言われて……」
隼斗君が今日の下校時に元気がなかったのは、友達と望遠鏡のことで喧嘩になったかららしい。彼としては、道具の素晴らしさを友達にわかってほしかったのだ。そのうえで、自分の将来の夢を認めてほしかった。
アカザは二本の指を立てた。まるでピースしているように見える。
「隼斗は、ふたつの思い違いをしている」
「どういうこと?」
「道具とは本来、何かの役に立つために存在している。それを使用した者が喜ぶことこそ、職人の本懐なのだ。職人は素晴らしい道具を自慢するために物作りを行うのではない。俊三も言っただろう。道具が偉いのではないと。これがひとつめだ」
「わ、わかった……。ふたつめは?」
「隼斗も気づいているだろうが、友人に見せたのは他人が作った道具だ。そなたはそれを使用している客である。友人が感銘を受けるのは、道具を通した楽しみのみであるのは当然のこと。己の情熱を理解してほしいのなら、まず自分の作品を作り上げて友人に披露するのだ」
俯いた隼斗君は沈黙している。
やがて彼は、小さな声で呟いた。
「今……お城のミニチュアを作ってるんだ。もうすぐ完成するんだ。でも、みんなに馬鹿にされたら嫌だから、誰にも見せてない」
すうっと音もなく、袖を翻したアカザが現れた。
眩い銀髪に、真紅の双眸が色濃く人外を匂わせる。ゆるく首元に巻いたストールに小豆がちょろりと駆け上がった。
アカザの姿を目にしたおじいさんは、信じられないものを見たように驚き、ぶるぶると体を震わせた。
「おお……アカザ……五十年前と全く同じ姿だ。やはり、人外の者だったのだな」
「久しいな、俊三」
「アカザが去ってから、わしはあの望遠鏡を使ったことがなかった。そうすると、地獄の道具師やら閻魔大王の側近やらというのは、さすらいの職人が騙ったのではと思うようになった。しかし、アカザが貸してくれた望遠鏡はいつまでも変わらず手元にあった。五十年とは生涯返さなくてもよいという意味かとも思ったが、そのときが迫るにつれて、何が起こるのかと思い悩んでいたよ」
おじいさんは切々とこれまでの心情をアカザに語り、涙を浮かべた。
半世紀ぶりに再会する友人には、これまでの想いが溢れるものなのだと、私の心に染みる。
「悩ませてすまなかったな、俊三。おれが五十年と指定したのには、理由があったのだ」
「理由……? それは、どんなわけだ」
「俊三が、望遠鏡を使わずともおれと話せるようになるとき。それが五十年後だったのだ。おまえとは、何も隔てることなく話してみたいと思ったのだよ」
おじいさんの頰から涙が伝う。彼は幾度も頷いた。
「ああ、ああ……そうだ。道具が偉いんじゃない。道具が活きるか死ぬかは、使う人次第だからなぁ。アカザはそのことをわしに教えようとしたのか……」
おじいさんはアカザと話すとき以外、望遠鏡を使用していなかったようだが、もはや地獄の望遠鏡は、おじいさんには不要となった。そうして返却期限の五十年を迎えたということなのだ。
おじいさんが、小豆やアカザが見えていることの意味を、私は改めて思い出した。
人間にあやかしが見えるとき。その条件のひとつに、死期が迫っていることが挙げられる。
隼斗君はおじいさんの様子を見て、訝しげに首を捻った。
「じいちゃん、どうしたの? アカザっていう人が、ここにいるの?」
「ああ、そうだ。素晴らしい職人だ。アカザの望遠鏡を使えば、見えるぞ。かつてわしがそうしたようにな」
その言葉に迷っていた隼斗君だったが、ランドセルを下ろすと、リコーダーを入れるケースの中から黒塗りの望遠鏡を取り出した。緊張しつつ望遠鏡を覗いた彼は、アカザを見て「あっ」と驚きの声を上げる。
「い、いる! この人が、じいちゃんの話してた閻魔大王の側近なの⁉」
「おれは地獄の道具師アカザだ。その望遠鏡の製作者だ」
呆然とした隼斗君は望遠鏡を覗いたまま、こくこくと頷いた。
「隼斗よ、そなたの夢は何だ?」
「……えっ?」
突然の質問に、隼斗君は目を瞬かせる。
アカザは隼斗君から望遠鏡を奪うことをせず、返せとも言わなかった。彼は戸惑っている隼斗君に、さらに語りかけた。
「そなたはまだ若い。これから何にでもなれるのだ。だが、そなたの行いを鑑みると、将来は盗人といったところかな」
「そ、そんなものになりたいわけない! 僕は……お城を作る職人になりたい」
「ふむ。大工か」
「でも……それを言うと友達に馬鹿にされるんだ。城なんか作れるわけないって。だから僕は職人はすごいんだぞってわかってもらうために、じいちゃんの望遠鏡をこっそり持ち出して友達に見せたんだ」
「だが隼斗は、又貸しはしなかったのだな。偉いぞ」
唇を噛みしめた隼斗君は、気まずそうに目を逸らす。けれど望遠鏡を下ろすことはしなかった。
「だって……みんなは望遠鏡から見えるあやかしがすごいって騒ぐだけで、望遠鏡そのものは褒めないんだ。それって、お城に登って景色がすごいって騒いでるようなものでしょ? なんか、つまらなくなっちゃって、もう見せてあげないって言ったら、文句言われて……」
隼斗君が今日の下校時に元気がなかったのは、友達と望遠鏡のことで喧嘩になったかららしい。彼としては、道具の素晴らしさを友達にわかってほしかったのだ。そのうえで、自分の将来の夢を認めてほしかった。
アカザは二本の指を立てた。まるでピースしているように見える。
「隼斗は、ふたつの思い違いをしている」
「どういうこと?」
「道具とは本来、何かの役に立つために存在している。それを使用した者が喜ぶことこそ、職人の本懐なのだ。職人は素晴らしい道具を自慢するために物作りを行うのではない。俊三も言っただろう。道具が偉いのではないと。これがひとつめだ」
「わ、わかった……。ふたつめは?」
「隼斗も気づいているだろうが、友人に見せたのは他人が作った道具だ。そなたはそれを使用している客である。友人が感銘を受けるのは、道具を通した楽しみのみであるのは当然のこと。己の情熱を理解してほしいのなら、まず自分の作品を作り上げて友人に披露するのだ」
俯いた隼斗君は沈黙している。
やがて彼は、小さな声で呟いた。
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