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第三章 地獄の道具師
ひょうたん、壊れる
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ほかの男の子たちは何が起こったのかわからず、首を捻っている。
あの子は圭史郎さんを見て、悲鳴を上げたような気がする。いったい、どういうことなのだろう。
「どうしたんでしょう……?」
『化物』という言葉が引っかかる。彼は圭史郎さんに、何を見たというのだろう。
圭史郎さんは険しい顔つきをしていた。男の子が走り去っていった方角を見つめている。
「あの道具は……」
それきり口を閉ざした圭史郎さんは、宿に帰るまで無言を貫いた。
銀山温泉街のバス停から坂を下りると、銀山川に架かる白銀橋が見えてくる。壮麗な黒鳶色の宿たちを眺めつつ橋を渡れば、すぐに花湯屋に到着する。
花湯屋の前ではコロさんが尻尾を振って、私たちを出迎えてくれた。
「お帰りなさい、若女将さん、圭史郎さん! 今日も学校、おつかれさま」
「ただいま帰りました。コロさんも看板犬のお仕事、おつかれさまです」
コロさんと挨拶を交わしていると、仏頂面の圭史郎さんは黙して花湯屋へ入っていった。いつもはコロさんに『どうせ暇をもてあましただろ』などと話しかけるのだが、機嫌が悪いようだ。
そんな圭史郎さんの態度に、コロさんは目を瞬かせる。
「圭史郎さんはお腹でも痛いのかな?」
「体調が悪いわけではありませんよ。心配いりません」
圭史郎さんの様子が変わったのは明らかに、小学生の男の子たちに遭遇してからだ。
万華鏡のようなものを覗いていた隼斗君は、圭史郎さんに『化物』と言ったけれど、それを気にしているのだろうか。
圭史郎さんに対して言ったわけではなく、もしかしたら万華鏡に映った画像を指しているのかもしれない。
けれど……隼斗君が化物だと言ったとき、万華鏡は下げていた。
彼は冗談を言ったようには見えず、あの態度には心からの恐怖が滲んでいた。
圭史郎さんの正体について心当たりがあるので放っておけない。万華鏡か、もしくは隼斗君に特殊な能力があると考えられるけれど……
思案しつつ、制服から小袖に着替えた私は談話室へ赴く。
いつもどおり圭史郎さんが昼寝に勤しんでいることを期待して、そっと戸を引く。
だが、ソファはもぬけの殻だった。代わりに子鬼の茜と蒼龍がソファの肘掛けに座り、足をぶらぶらとさせている。
「おかえり、優香。圭史郎はいないよ」
「おかえり、優香。圭史郎はさっき、ここに来たけどね。ずっと怒ってたぞ」
「そうですか……」
私の声に落胆の色が混じる。
ここにいないということは、夕飯の仕込みのため厨房へ行ったのだろうか。
けれど機嫌の悪い圭史郎さんにどうしたのかと訊ねても、答えてはくれないだろう。表情を曇らせる私を見て、子鬼たちは交互にジャンプした。
「気にすることないね。圭史郎の不機嫌はいつものことだね」
「放っておけばいいね。機嫌なんてすぐに変わるものだぞ」
ふたりに宥められ、私は微苦笑を浮かべて頷いた。
「そうですよね。あとで夕飯作りのお手伝いをしてみます。……と、その前に、おふたりから今日のお代を頂戴してよろしいですか?」
私たちが高校に行っている間、子鬼たちは秘密の銀鉱へ足を運んでいる。宿代の銀粒を毎日採取するためだ。それを帰宅すると頂戴して、ひょうたんに入れるのが日課となっている。
茜と蒼龍は、彼らの掌ほどの大きさの銀粒をそれぞれ差し出した。
「はい。今日の分ね」
「はい。ひょうたんに入れるんだね」
「ありがとうございます」
両手で銀粒を受け取り、神棚がある隣室に足を向ける。
そこには大きなひょうたんが鎮座している。このひょうたんの口に銀粒を入れると、流麗な音色とともに吸い込まれ、銀は秘密の銀鉱に戻る仕組みになっているのだ。
こうしていつまでも銀はなくならず、永劫にあやかしのお客様は花湯屋を訪れてくれる。
この仕組みを考案したのは初代当主のおゆうさんで、彼女が懇意にしているあやかしからひょうたんを贈られたらしい。
私は初代当主が作り上げた花湯屋への想いを、銀粒が吸い込まれていく音色で毎日実感している。
「今日もお代をいただきました」
ところが、ひょうたんの口から銀粒を離した瞬間、ギギッと妙な音が響いた。いつもの涼やかな音色は全く鳴らない。
「あれ? 擦れたような音がしませんでした?」
空耳ではないはずと思い、傍にいる茜と蒼龍を振り返る。ふたりは同時にひょうたんを指差した。
「ひょうたん、ヒビが入ってるね」
「ひょうたん、壊れたね」
「えっ⁉」
驚いて、つるりとしたひょうたんを手で探ってみる。すると、後ろ側に薄らと亀裂が入っていた。
私の胴ほどもあるひょうたんはとても頑丈そうだけれど、古い品物なので劣化していてもおかしくはない。
あの子は圭史郎さんを見て、悲鳴を上げたような気がする。いったい、どういうことなのだろう。
「どうしたんでしょう……?」
『化物』という言葉が引っかかる。彼は圭史郎さんに、何を見たというのだろう。
圭史郎さんは険しい顔つきをしていた。男の子が走り去っていった方角を見つめている。
「あの道具は……」
それきり口を閉ざした圭史郎さんは、宿に帰るまで無言を貫いた。
銀山温泉街のバス停から坂を下りると、銀山川に架かる白銀橋が見えてくる。壮麗な黒鳶色の宿たちを眺めつつ橋を渡れば、すぐに花湯屋に到着する。
花湯屋の前ではコロさんが尻尾を振って、私たちを出迎えてくれた。
「お帰りなさい、若女将さん、圭史郎さん! 今日も学校、おつかれさま」
「ただいま帰りました。コロさんも看板犬のお仕事、おつかれさまです」
コロさんと挨拶を交わしていると、仏頂面の圭史郎さんは黙して花湯屋へ入っていった。いつもはコロさんに『どうせ暇をもてあましただろ』などと話しかけるのだが、機嫌が悪いようだ。
そんな圭史郎さんの態度に、コロさんは目を瞬かせる。
「圭史郎さんはお腹でも痛いのかな?」
「体調が悪いわけではありませんよ。心配いりません」
圭史郎さんの様子が変わったのは明らかに、小学生の男の子たちに遭遇してからだ。
万華鏡のようなものを覗いていた隼斗君は、圭史郎さんに『化物』と言ったけれど、それを気にしているのだろうか。
圭史郎さんに対して言ったわけではなく、もしかしたら万華鏡に映った画像を指しているのかもしれない。
けれど……隼斗君が化物だと言ったとき、万華鏡は下げていた。
彼は冗談を言ったようには見えず、あの態度には心からの恐怖が滲んでいた。
圭史郎さんの正体について心当たりがあるので放っておけない。万華鏡か、もしくは隼斗君に特殊な能力があると考えられるけれど……
思案しつつ、制服から小袖に着替えた私は談話室へ赴く。
いつもどおり圭史郎さんが昼寝に勤しんでいることを期待して、そっと戸を引く。
だが、ソファはもぬけの殻だった。代わりに子鬼の茜と蒼龍がソファの肘掛けに座り、足をぶらぶらとさせている。
「おかえり、優香。圭史郎はいないよ」
「おかえり、優香。圭史郎はさっき、ここに来たけどね。ずっと怒ってたぞ」
「そうですか……」
私の声に落胆の色が混じる。
ここにいないということは、夕飯の仕込みのため厨房へ行ったのだろうか。
けれど機嫌の悪い圭史郎さんにどうしたのかと訊ねても、答えてはくれないだろう。表情を曇らせる私を見て、子鬼たちは交互にジャンプした。
「気にすることないね。圭史郎の不機嫌はいつものことだね」
「放っておけばいいね。機嫌なんてすぐに変わるものだぞ」
ふたりに宥められ、私は微苦笑を浮かべて頷いた。
「そうですよね。あとで夕飯作りのお手伝いをしてみます。……と、その前に、おふたりから今日のお代を頂戴してよろしいですか?」
私たちが高校に行っている間、子鬼たちは秘密の銀鉱へ足を運んでいる。宿代の銀粒を毎日採取するためだ。それを帰宅すると頂戴して、ひょうたんに入れるのが日課となっている。
茜と蒼龍は、彼らの掌ほどの大きさの銀粒をそれぞれ差し出した。
「はい。今日の分ね」
「はい。ひょうたんに入れるんだね」
「ありがとうございます」
両手で銀粒を受け取り、神棚がある隣室に足を向ける。
そこには大きなひょうたんが鎮座している。このひょうたんの口に銀粒を入れると、流麗な音色とともに吸い込まれ、銀は秘密の銀鉱に戻る仕組みになっているのだ。
こうしていつまでも銀はなくならず、永劫にあやかしのお客様は花湯屋を訪れてくれる。
この仕組みを考案したのは初代当主のおゆうさんで、彼女が懇意にしているあやかしからひょうたんを贈られたらしい。
私は初代当主が作り上げた花湯屋への想いを、銀粒が吸い込まれていく音色で毎日実感している。
「今日もお代をいただきました」
ところが、ひょうたんの口から銀粒を離した瞬間、ギギッと妙な音が響いた。いつもの涼やかな音色は全く鳴らない。
「あれ? 擦れたような音がしませんでした?」
空耳ではないはずと思い、傍にいる茜と蒼龍を振り返る。ふたりは同時にひょうたんを指差した。
「ひょうたん、ヒビが入ってるね」
「ひょうたん、壊れたね」
「えっ⁉」
驚いて、つるりとしたひょうたんを手で探ってみる。すると、後ろ側に薄らと亀裂が入っていた。
私の胴ほどもあるひょうたんはとても頑丈そうだけれど、古い品物なので劣化していてもおかしくはない。
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