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第二章 ムゾウ
文通の謎
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「でしょ、でしょ⁉ 優しさや美しさは作品や文面から滲み出るものなんですよ! ぼくは手紙でさりげなく凜子さんに質問するんですけど、年齢は二五歳で独身、恋人にこっぴどくフラれた過去を気にして、新しい恋に踏み出せないそうなんです。その分、仕事に打ち込んでいるそうなんですよ。ぼくのこともいろいろと気にかけてくれて、とても気配り上手な人なんです」
凜子さんについて熱く語るムゾウは浮かれて、ふわふわと泥の体を跳ねさせる。まさしく恋する者の幸せな姿だ。
一方、隣に座っているククルは興味がないのか、それともムゾウの惚気を普段から散々聞かされているのか、全くの無反応だ。カラスにいじめられながらも懸命に手紙を届け、先程はムゾウを守るような仕草を見せたククルだが、今はぼんやりしている。
圭史郎さんはといえば、胡座を掻いていた片膝を立て、気怠そうに壁に凭れていた。手紙で呼び出されるほどの相談とは何事かと思えば文通相手の惚気話だったので、うんざりしてきたのだろう。
確かに危険なことなど何もないと思えるが……私の脳裏に密かな疑念が湧く。
凜子さんは、何者だろう。
手紙の内容はあくまでも凜子さんの自己申告であり、実際に確かめたわけではないのだ。私自身も、もらった手紙の主がムゾウのような泥のあやかしだとは想像もできなかった。それは手紙から受ける印象がとても美しかったからである。
凜子さんも、手紙の印象そのままの人物とは限らない。
ムゾウが『綾小路輝彦』という華やかなペンネームを使用しているように、彼女も偽名かもしれない。もしかしたら手紙に書いてあることもすべてデタラメという可能性もある。
私はおそるおそるムゾウに問いかけた。
「あのう……ムゾウは『綾小路輝彦』と名のっているんですよね? もしかして、あやかしのムゾウだと凜子さんには話してないんですか?」
ぴたりと動きを止めたムゾウは、うろうろと一つ目をさまよわせた。
「ええ、まあ、凜子さんへの手紙には、ぼくはイケメン御曹司の綾小路輝彦と自己紹介しています。許嫁に婚約破棄されたので心身を壊して山形の別荘で療養中だけれど、地主なので生活には困らないといったことを書いています」
後ろで圭史郎さんが遠慮なく噴き出した。あまりにも盛った設定に、私は苦笑いを浮かべる。私たちの反応に、ムゾウはむきになって声を荒らげた。
「だって、ぼくの正体を明かせるわけないじゃありませんか! ぼくなんかあやかしの最底辺なんですから……ぼくが本当は醜い泥のムゾウだって知ったら、凜子さんに嫌われてしまいます」
「クルッポー……」
ククルが気遣うように小さく鳴いた。
どうやら凜子さんのほうは、あやかしのことを何も知らず、文通相手がお金持ちの御曹司だと思い込まされているようだ。手紙のみのやり取りなら、それも可能かもしれない。
圭史郎さんが頭を掻きながら怠そうに身を起こした。
「ところで、ムゾウ。相談というのは、具体的に何かあるのか? 凜子にまつわる惚気や悩みが尽きないなら、続きはその半妖の鳥に話せよ」
「ちょっと、帰らないでくださいよ! ちゃんと相談はあるんですから。実はですね、凜子さんから最後にもらった手紙なんですけど……こんなことが書いてあったんです」
重箱を探ったムゾウは、一通の手紙を取り出した。広げて、私に向けて見せる。圭史郎さんとともに覗き込んだ手紙には、美しい字でこう書いてあった。
『親愛なる綾小路輝彦さま
お手紙ありがとうございます。輝彦さんのお気持ちは、とても嬉しいです。でも私は悩んでいます。実は、輝彦さんに大切なことをお話ししなければならないからです。もっと早くお伝えするべきだったのですが、迷っているうちに季節は移ろい、紅葉が色づいてしまいました。そういえばこの間、紅葉狩りに行ったとき……』
このあとは紅葉狩りのことや、入院しているおばあさんのお見舞いに行ったことなどが綴られていた。最後に、『凜子』とだけ署名が記されている。
ムゾウは不安そうに訊ねた。
「ぼくに話さなければならない『大切なこと』って、何でしょうか? これが気になって、ぼくは夜も眠れません。ぼくが、『それは何ですか?』と聞いたら、凜子さんは話してしまいます。聞きたいような、聞きたくないような……ああ、どうしよう。若女将さまは、凜子さんの大切なことって何かわかりますか?」
私は首を捻った。これだけを読んだのではわからない。ただ、手紙の冒頭に気になる点を見つけた。
「はじめに、『輝彦さんのお気持ちは、とても嬉しいです』と、前回の返答のような文章がありますけど……ムゾウは凜子さんに何か伝えたんですか?」
「えっ、ええ……話の流れでして……凜子さんが過去の恋愛について気にしていたんです。ろくでもない男に罵られたショックを引きずっているんです。最近も仕事関係の男性がしつこく話しかけてくるとかで困っているんですよ。だから、凜子さんがいかに魅力ある女性か説得する傍らで『ぼくは凜子さんが大好きです』と書いてしまいました……」
「ということは、告白に対しての手紙がこれということなんですね」
「うぇっ⁉ こここ告白だなんて、ぼくはそんなつもりは……いえ、ぼくの気持ちに嘘偽りはありませんけども。ぼくは凜子さんのことが……でも、ぼくなんて最下級のムゾウですし……凜子さんとお付き合いできるなんてそんなことあるわけないとわかってますけども、でも……」
ムゾウはひどく懊悩している。好意を伝えたのなら、返事はイエスかノーかと思われるが、『大切なことを話さなければならない』という文言が挟まれたので、何があるのだろうと思い悩むことになったのだ。それは、ふたりの関係を揺るがす内容であることは想像に易い。
凜子さんについて熱く語るムゾウは浮かれて、ふわふわと泥の体を跳ねさせる。まさしく恋する者の幸せな姿だ。
一方、隣に座っているククルは興味がないのか、それともムゾウの惚気を普段から散々聞かされているのか、全くの無反応だ。カラスにいじめられながらも懸命に手紙を届け、先程はムゾウを守るような仕草を見せたククルだが、今はぼんやりしている。
圭史郎さんはといえば、胡座を掻いていた片膝を立て、気怠そうに壁に凭れていた。手紙で呼び出されるほどの相談とは何事かと思えば文通相手の惚気話だったので、うんざりしてきたのだろう。
確かに危険なことなど何もないと思えるが……私の脳裏に密かな疑念が湧く。
凜子さんは、何者だろう。
手紙の内容はあくまでも凜子さんの自己申告であり、実際に確かめたわけではないのだ。私自身も、もらった手紙の主がムゾウのような泥のあやかしだとは想像もできなかった。それは手紙から受ける印象がとても美しかったからである。
凜子さんも、手紙の印象そのままの人物とは限らない。
ムゾウが『綾小路輝彦』という華やかなペンネームを使用しているように、彼女も偽名かもしれない。もしかしたら手紙に書いてあることもすべてデタラメという可能性もある。
私はおそるおそるムゾウに問いかけた。
「あのう……ムゾウは『綾小路輝彦』と名のっているんですよね? もしかして、あやかしのムゾウだと凜子さんには話してないんですか?」
ぴたりと動きを止めたムゾウは、うろうろと一つ目をさまよわせた。
「ええ、まあ、凜子さんへの手紙には、ぼくはイケメン御曹司の綾小路輝彦と自己紹介しています。許嫁に婚約破棄されたので心身を壊して山形の別荘で療養中だけれど、地主なので生活には困らないといったことを書いています」
後ろで圭史郎さんが遠慮なく噴き出した。あまりにも盛った設定に、私は苦笑いを浮かべる。私たちの反応に、ムゾウはむきになって声を荒らげた。
「だって、ぼくの正体を明かせるわけないじゃありませんか! ぼくなんかあやかしの最底辺なんですから……ぼくが本当は醜い泥のムゾウだって知ったら、凜子さんに嫌われてしまいます」
「クルッポー……」
ククルが気遣うように小さく鳴いた。
どうやら凜子さんのほうは、あやかしのことを何も知らず、文通相手がお金持ちの御曹司だと思い込まされているようだ。手紙のみのやり取りなら、それも可能かもしれない。
圭史郎さんが頭を掻きながら怠そうに身を起こした。
「ところで、ムゾウ。相談というのは、具体的に何かあるのか? 凜子にまつわる惚気や悩みが尽きないなら、続きはその半妖の鳥に話せよ」
「ちょっと、帰らないでくださいよ! ちゃんと相談はあるんですから。実はですね、凜子さんから最後にもらった手紙なんですけど……こんなことが書いてあったんです」
重箱を探ったムゾウは、一通の手紙を取り出した。広げて、私に向けて見せる。圭史郎さんとともに覗き込んだ手紙には、美しい字でこう書いてあった。
『親愛なる綾小路輝彦さま
お手紙ありがとうございます。輝彦さんのお気持ちは、とても嬉しいです。でも私は悩んでいます。実は、輝彦さんに大切なことをお話ししなければならないからです。もっと早くお伝えするべきだったのですが、迷っているうちに季節は移ろい、紅葉が色づいてしまいました。そういえばこの間、紅葉狩りに行ったとき……』
このあとは紅葉狩りのことや、入院しているおばあさんのお見舞いに行ったことなどが綴られていた。最後に、『凜子』とだけ署名が記されている。
ムゾウは不安そうに訊ねた。
「ぼくに話さなければならない『大切なこと』って、何でしょうか? これが気になって、ぼくは夜も眠れません。ぼくが、『それは何ですか?』と聞いたら、凜子さんは話してしまいます。聞きたいような、聞きたくないような……ああ、どうしよう。若女将さまは、凜子さんの大切なことって何かわかりますか?」
私は首を捻った。これだけを読んだのではわからない。ただ、手紙の冒頭に気になる点を見つけた。
「はじめに、『輝彦さんのお気持ちは、とても嬉しいです』と、前回の返答のような文章がありますけど……ムゾウは凜子さんに何か伝えたんですか?」
「えっ、ええ……話の流れでして……凜子さんが過去の恋愛について気にしていたんです。ろくでもない男に罵られたショックを引きずっているんです。最近も仕事関係の男性がしつこく話しかけてくるとかで困っているんですよ。だから、凜子さんがいかに魅力ある女性か説得する傍らで『ぼくは凜子さんが大好きです』と書いてしまいました……」
「ということは、告白に対しての手紙がこれということなんですね」
「うぇっ⁉ こここ告白だなんて、ぼくはそんなつもりは……いえ、ぼくの気持ちに嘘偽りはありませんけども。ぼくは凜子さんのことが……でも、ぼくなんて最下級のムゾウですし……凜子さんとお付き合いできるなんてそんなことあるわけないとわかってますけども、でも……」
ムゾウはひどく懊悩している。好意を伝えたのなら、返事はイエスかノーかと思われるが、『大切なことを話さなければならない』という文言が挟まれたので、何があるのだろうと思い悩むことになったのだ。それは、ふたりの関係を揺るがす内容であることは想像に易い。
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