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第二章 ムゾウ
謎の依頼人 2
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慌てて磨き抜かれた飴色の廊下を走りかけたそのとき、しずしずと和装の女将が現れた。
「まあまあ、なんですか。若女将ともあろう人が、着物の裾を乱すようなことがあってはいけませんよ」
上品な薄紫色の着物を纏い、鶴子おばさんは端麗に微笑んだ。彼女は私の遠縁の叔母さまで、花湯屋の現当主である。ただ、鶴子おばさんにあやかしは見えないので、裏の花湯屋は私が担当しているのだ。
鶴子おばさんの手の中には、ちょこんと手紙を咥えた鳩が収まっている。
私はみずほさんと目を合わせると、素直に謝罪する。
「すみませんでした。その子が逃げたので捕まえようとしたんです」
「この鳩は私の腕の中に飛び込んできましたよ。お客様からのお手紙かしらねえ。見てみましょうか」
鶴子おばさんの提案により、私たちは事務室に入った。
鳩はテーブルに降り立つと、咥えていた手紙を鶴子おばさんに渡した。
「ありがとう。あなたは賢い子ね」
「クルッポー」
どうやら鳩は疲弊していただけで、怪我などはないようだ。
封筒から取り出した手紙を開いて一読した鶴子おばさんは、すぐにそれを私に差し出した。
「これは、お客様から優香ちゃんへの依頼ね」
「私への依頼……ですか?」
受け取った手紙にはこう書いてある。
『親愛なる花湯屋の若女将さま
あやかし使いの末裔であるあなたさまは、数々の事件を解決されたとわたくしの耳にも入っております。そこで折り入って、若女将さまにご相談したいことがございます。どうかわたくしの屋敷にいらしてください。屋敷までは手紙を持参した八咫烏の末裔、ククルが案内いたします。綾小路輝彦より』
とても美しい文字で、丁寧に綴られた文章だ。手紙の差出人は、綾小路輝彦という名の男性らしい。この子の名はククルで、綾小路氏が飼っている八咫烏の末裔のようだ。どおりで足が三本あるわけだけれど、八咫烏というより太った鳩である。
手紙を覗き込んでいたみずほさんは目を輝かせた。
「お屋敷ですって。八咫烏の末裔を操るなんて、あやかしの御曹司かしら」
綾小路氏は何者だろう。花湯屋の若女将があやかし使いの末裔であると知っているからには、あやかしにかかわる人なのだろうか。それに相談したいことがあるのなら、なぜ綾小路氏が直接、花湯屋に来ないのだろう。
「クルッポー……」
ククルは私と鶴子おばさんを交互に見やると、小さな三本足でテーブルを歩き、私の傍にやってきた。どうやらククルは、鶴子おばさんが手紙を届けるべき若女将だと思い違いをしていたようだ。
「こいつは厄介そうだな」
突然かけられた低い声音に振り向くと、いつの間にか背後に来ていた圭史郎さんが手紙を覗き込んでいた。
それが合図のように、鶴子おばさんはすっと席を立つ。
「圭史郎さんが来てくれたことですし、この案件はお任せして、私たちは藍の暖簾に戻りましょうか。さあ、みずほさん、行きましょう」
「えー……はい。優香ちゃん、あとでどうなったか教えてよね」
みずほさんは綾小路氏のことが気になっているようだが、鶴子おばさんに促されたので事務室を出て行った。
パイプ椅子に腰かけた圭史郎さんは、丸々としたククルの足元を軽く指先で突く。ククルはそれだけで体勢を崩し、テーブルにころんと転がってしまった。
「八咫烏の末裔とは仰々しいな。こいつは鳩と八咫烏の混血というだけだ。半妖だから、みずほさんたちにも見えている」
「そういうことなんですね。混血のあやかしに手紙を届けさせる綾小路氏は、何者なんでしょう? 手紙からはお屋敷に住む若様のような風情を感じますけど」
じたばたして転んだまま起き上がれないククルを抱きかかえる。「クルッポー」と安堵したように鳴いたククルは半妖だけれど、言葉は喋れないようだ。
「俺にもわからない。行って確かめてみるしかないな。こいつの体調を考慮して、明日にするか」
圭史郎さんも知らない謎の人物。
あやかしを操る綾小路氏が私に相談したいこととは、何だろう。
期待と不安が綯い交ぜになり、その日の夜はよく眠れなかった。
翌日、ククルはすっかり元気になった。朝食をすべて平らげ、足取りもしっかりとしている。昨日の顛末を聞いた子鬼たちは、積極的にククルに話しかけていた。
「ククルは八咫烏の仲間なんだね。羽の模様が珍しいね」
「オレ知ってる。半妖だと人間にも見えるんだぞ。そうだろ、ククル」
「ポ」
ククルは子鬼たちに何を話しかけられても見向きもせず、素っ気ない返事だ。昨日、あやかしのカラスにいじめられたので警戒しているのかもしれない。
私が近づくと、それまで平淡だったククルは突如目を輝かせた。
「クルッポ!」
「まあまあ、なんですか。若女将ともあろう人が、着物の裾を乱すようなことがあってはいけませんよ」
上品な薄紫色の着物を纏い、鶴子おばさんは端麗に微笑んだ。彼女は私の遠縁の叔母さまで、花湯屋の現当主である。ただ、鶴子おばさんにあやかしは見えないので、裏の花湯屋は私が担当しているのだ。
鶴子おばさんの手の中には、ちょこんと手紙を咥えた鳩が収まっている。
私はみずほさんと目を合わせると、素直に謝罪する。
「すみませんでした。その子が逃げたので捕まえようとしたんです」
「この鳩は私の腕の中に飛び込んできましたよ。お客様からのお手紙かしらねえ。見てみましょうか」
鶴子おばさんの提案により、私たちは事務室に入った。
鳩はテーブルに降り立つと、咥えていた手紙を鶴子おばさんに渡した。
「ありがとう。あなたは賢い子ね」
「クルッポー」
どうやら鳩は疲弊していただけで、怪我などはないようだ。
封筒から取り出した手紙を開いて一読した鶴子おばさんは、すぐにそれを私に差し出した。
「これは、お客様から優香ちゃんへの依頼ね」
「私への依頼……ですか?」
受け取った手紙にはこう書いてある。
『親愛なる花湯屋の若女将さま
あやかし使いの末裔であるあなたさまは、数々の事件を解決されたとわたくしの耳にも入っております。そこで折り入って、若女将さまにご相談したいことがございます。どうかわたくしの屋敷にいらしてください。屋敷までは手紙を持参した八咫烏の末裔、ククルが案内いたします。綾小路輝彦より』
とても美しい文字で、丁寧に綴られた文章だ。手紙の差出人は、綾小路輝彦という名の男性らしい。この子の名はククルで、綾小路氏が飼っている八咫烏の末裔のようだ。どおりで足が三本あるわけだけれど、八咫烏というより太った鳩である。
手紙を覗き込んでいたみずほさんは目を輝かせた。
「お屋敷ですって。八咫烏の末裔を操るなんて、あやかしの御曹司かしら」
綾小路氏は何者だろう。花湯屋の若女将があやかし使いの末裔であると知っているからには、あやかしにかかわる人なのだろうか。それに相談したいことがあるのなら、なぜ綾小路氏が直接、花湯屋に来ないのだろう。
「クルッポー……」
ククルは私と鶴子おばさんを交互に見やると、小さな三本足でテーブルを歩き、私の傍にやってきた。どうやらククルは、鶴子おばさんが手紙を届けるべき若女将だと思い違いをしていたようだ。
「こいつは厄介そうだな」
突然かけられた低い声音に振り向くと、いつの間にか背後に来ていた圭史郎さんが手紙を覗き込んでいた。
それが合図のように、鶴子おばさんはすっと席を立つ。
「圭史郎さんが来てくれたことですし、この案件はお任せして、私たちは藍の暖簾に戻りましょうか。さあ、みずほさん、行きましょう」
「えー……はい。優香ちゃん、あとでどうなったか教えてよね」
みずほさんは綾小路氏のことが気になっているようだが、鶴子おばさんに促されたので事務室を出て行った。
パイプ椅子に腰かけた圭史郎さんは、丸々としたククルの足元を軽く指先で突く。ククルはそれだけで体勢を崩し、テーブルにころんと転がってしまった。
「八咫烏の末裔とは仰々しいな。こいつは鳩と八咫烏の混血というだけだ。半妖だから、みずほさんたちにも見えている」
「そういうことなんですね。混血のあやかしに手紙を届けさせる綾小路氏は、何者なんでしょう? 手紙からはお屋敷に住む若様のような風情を感じますけど」
じたばたして転んだまま起き上がれないククルを抱きかかえる。「クルッポー」と安堵したように鳴いたククルは半妖だけれど、言葉は喋れないようだ。
「俺にもわからない。行って確かめてみるしかないな。こいつの体調を考慮して、明日にするか」
圭史郎さんも知らない謎の人物。
あやかしを操る綾小路氏が私に相談したいこととは、何だろう。
期待と不安が綯い交ぜになり、その日の夜はよく眠れなかった。
翌日、ククルはすっかり元気になった。朝食をすべて平らげ、足取りもしっかりとしている。昨日の顛末を聞いた子鬼たちは、積極的にククルに話しかけていた。
「ククルは八咫烏の仲間なんだね。羽の模様が珍しいね」
「オレ知ってる。半妖だと人間にも見えるんだぞ。そうだろ、ククル」
「ポ」
ククルは子鬼たちに何を話しかけられても見向きもせず、素っ気ない返事だ。昨日、あやかしのカラスにいじめられたので警戒しているのかもしれない。
私が近づくと、それまで平淡だったククルは突如目を輝かせた。
「クルッポ!」
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