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第一章 カマクラコモリ
ひっぱり 1
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「ヨミじいさん、教えてやれよ。あやかしの長老だろ」
立ち上がった圭史郎さんは談話室を出て行った。彼が返答を避けたことで、私の胸に不安が広がる。
「カマクラコモリの生贄は、いずれ殺されてしまうんですか、ヨミじいさん」
ヨミじいさんは気まずそうに大きな目を瞬かせた。
「ううむ……実はのう、わしも知らぬのじゃ。生贄と称されてはおるが、カマクラコモリの中にいれば暖かい住処と食事が提供される。あそこで永遠に生きられるとも言い伝えられておる。自らカマクラコモリの生贄になりたいと願う者もいるくらいじゃ。だが、安住の地と思うのはまやかしじゃろうて。いずれ閉塞感に耐えられなくなることは必定じゃ。話し相手もおらず、同じ壁の色を見続けるというのは孤独に苛まれ、精神を病むものじゃよ」
「だから生贄になったあやかしは、通りかかった誰かを騙して身代わりにするんですね。そんなことがよいこととは思えないです」
「うむ。まこと罪深い。そして、それを引き起こさせるカマクラコモリこそが、もっとも孤独で哀しき者ということじゃのう」
「カマクラコモリは寂しいんでしょうか……。だから誰かに、かまくらの中にいてほしいんですよね?」
「さあのう……。奴は口が利けぬからな。情なぞあるのか疑問じゃ。説得が通じる相手ならばどうにかなるかもしれぬが……さて、どうしたものかのう」
羽を交差して腕組みのような形をしたヨミじいさんは、ぐるりと首を捻る。
光希君は明日の晩もきっと、キツネの母親に呼び寄せられて、かまくらに行ってしまうだろう。そのときにカマクラコモリを説得できないだろうか。
考え込んでいると、圭史郎さんが廊下の向こうから呼ぶ声が耳に届いた。
「夜食ができたぞ。ふたりとも、食堂に来い」
『ひっぱり』と言っていたけれど、うどんだろうか。
私とヨミじいさんは示し合わせたように腰を上げて談話室を出る。
「圭史郎がうまいものを作ってくれたようじゃのう。とりあえず腹ごしらえといくか」
「そうですね」
気づけば、お腹はぺこぺこだ。
そっと忍び足で廊下を渡り、煌々と明かりのついた深夜のあやかし食堂へ入る。
テーブルには湯気を立てている素揚げのうどんが三人分、皿に盛られていた。純白に輝くうどんを目にした腹の虫が、くうと鳴る。
「わあ、うどんですね。おいしそう……あれ?」
うどんは丼ぶりではなく、ごく浅い皿に盛られているので、つゆがない。
つけ麺にして食べる仕様と思われるが、つゆを入れるべき器もとても浅いものだった。
「うどんをつける、つゆはどこにあるんでしょうか……?」
見回してみると、テーブルにはつゆの代わりに不思議な食材が置かれていた。納豆に鯖の缶詰、だし醤油、ネギのみじん切り、かつお節だ。ご飯ではないのに、どうして納豆があるのだろう。
圭史郎さんとヨミじいさんは納豆や鯖を手にすると、それぞれの器に黙々と投入している。
「山形では、ひっぱりうどんを納豆につけて食べるんだ。うどんの代わりにそうめんでもいい。飲食店では見かけないから、手軽にできる家庭料理だな。鯖缶を入れると油が入って旨味が出る」
「わしはネギをたっぷり入れるのが好きじゃ。鯖缶がないときはツナ缶でもよいのじゃぞ。夜食や昼食など、ささっと乾麺で済ませたいときには、ひっぱりは最適じゃな」
私もふたりの真似をして、器に納豆とネギを箸で入れる。ここまではごはんにかける納豆を用意するのと同じ要領だ。そこに缶詰の鯖の切り身を加え、汁をちょろりと注ぐ。さらに、だし醤油で味をつけるわけだけれど……
「だし醤油はどのくらい入れるんでしょうか? そばつゆくらいですか?」
つゆと考えるとたっぷり必要なのかもしれないけれど、だし醤油は昆布やかつお節などの出汁が加えられた醤油なので、それなりに味が濃いはずである。つゆを薄めるわけではないようで、テーブルにお湯や水はない。
だし醤油のペットボトルを大きく傾けようとした私の手を、ヨミじいさんは慌てて羽で制止した。
「そばとは違うんじゃ。だし醤油をひたひたに入れたら濃すぎて食べられんぞ!」
「具体的には大さじ二杯くらいでいいと思うぞ。ひっぱりはつゆに浸けるというより、納豆と絡めて食べるものだ」
圭史郎さんのアドバイスどおり、大さじ二杯分のだし醤油を器に注ぎ入れる。最後にふわふわのかつお節をまぶして、できあがり。
隣のヨミじいさんの器にも、大袋から取り出したかつお節をかけてあげる。
「感謝するぞ、若女将よ」
「どういたしまして。これで完成ですね」
向かいの席に座る圭史郎さんは、すでに納豆を絡めたうどんを啜っていた。
「うどんが冷めるぞ。さっさと納豆を掻き混ぜて食べろ」
ごはんにかけるときと同じように、投入したすべての具材ごと納豆を混ぜ合わせるものらしい。箸で具材を掻き混ぜると、だし醤油と鯖の汁があるためか、納豆の粘りはあまり出ない。
「納豆と鯖が具になって、うどんと一緒に栄養が取れるわけですね。いただきます」
箸で摘まんだうどんを、作成した鯖納豆に絡める。
つるりと啜ってみると、納豆の素朴な甘味と鯖の旨味がもちもちとしたうどんと絡み合い、最高の融合を果たしていた。そこにネギのシャキシャキした食感が加わり、食べ応えにも飽きがこない。それらを、だし醤油が絶妙な味わいでまとめ上げている。
立ち上がった圭史郎さんは談話室を出て行った。彼が返答を避けたことで、私の胸に不安が広がる。
「カマクラコモリの生贄は、いずれ殺されてしまうんですか、ヨミじいさん」
ヨミじいさんは気まずそうに大きな目を瞬かせた。
「ううむ……実はのう、わしも知らぬのじゃ。生贄と称されてはおるが、カマクラコモリの中にいれば暖かい住処と食事が提供される。あそこで永遠に生きられるとも言い伝えられておる。自らカマクラコモリの生贄になりたいと願う者もいるくらいじゃ。だが、安住の地と思うのはまやかしじゃろうて。いずれ閉塞感に耐えられなくなることは必定じゃ。話し相手もおらず、同じ壁の色を見続けるというのは孤独に苛まれ、精神を病むものじゃよ」
「だから生贄になったあやかしは、通りかかった誰かを騙して身代わりにするんですね。そんなことがよいこととは思えないです」
「うむ。まこと罪深い。そして、それを引き起こさせるカマクラコモリこそが、もっとも孤独で哀しき者ということじゃのう」
「カマクラコモリは寂しいんでしょうか……。だから誰かに、かまくらの中にいてほしいんですよね?」
「さあのう……。奴は口が利けぬからな。情なぞあるのか疑問じゃ。説得が通じる相手ならばどうにかなるかもしれぬが……さて、どうしたものかのう」
羽を交差して腕組みのような形をしたヨミじいさんは、ぐるりと首を捻る。
光希君は明日の晩もきっと、キツネの母親に呼び寄せられて、かまくらに行ってしまうだろう。そのときにカマクラコモリを説得できないだろうか。
考え込んでいると、圭史郎さんが廊下の向こうから呼ぶ声が耳に届いた。
「夜食ができたぞ。ふたりとも、食堂に来い」
『ひっぱり』と言っていたけれど、うどんだろうか。
私とヨミじいさんは示し合わせたように腰を上げて談話室を出る。
「圭史郎がうまいものを作ってくれたようじゃのう。とりあえず腹ごしらえといくか」
「そうですね」
気づけば、お腹はぺこぺこだ。
そっと忍び足で廊下を渡り、煌々と明かりのついた深夜のあやかし食堂へ入る。
テーブルには湯気を立てている素揚げのうどんが三人分、皿に盛られていた。純白に輝くうどんを目にした腹の虫が、くうと鳴る。
「わあ、うどんですね。おいしそう……あれ?」
うどんは丼ぶりではなく、ごく浅い皿に盛られているので、つゆがない。
つけ麺にして食べる仕様と思われるが、つゆを入れるべき器もとても浅いものだった。
「うどんをつける、つゆはどこにあるんでしょうか……?」
見回してみると、テーブルにはつゆの代わりに不思議な食材が置かれていた。納豆に鯖の缶詰、だし醤油、ネギのみじん切り、かつお節だ。ご飯ではないのに、どうして納豆があるのだろう。
圭史郎さんとヨミじいさんは納豆や鯖を手にすると、それぞれの器に黙々と投入している。
「山形では、ひっぱりうどんを納豆につけて食べるんだ。うどんの代わりにそうめんでもいい。飲食店では見かけないから、手軽にできる家庭料理だな。鯖缶を入れると油が入って旨味が出る」
「わしはネギをたっぷり入れるのが好きじゃ。鯖缶がないときはツナ缶でもよいのじゃぞ。夜食や昼食など、ささっと乾麺で済ませたいときには、ひっぱりは最適じゃな」
私もふたりの真似をして、器に納豆とネギを箸で入れる。ここまではごはんにかける納豆を用意するのと同じ要領だ。そこに缶詰の鯖の切り身を加え、汁をちょろりと注ぐ。さらに、だし醤油で味をつけるわけだけれど……
「だし醤油はどのくらい入れるんでしょうか? そばつゆくらいですか?」
つゆと考えるとたっぷり必要なのかもしれないけれど、だし醤油は昆布やかつお節などの出汁が加えられた醤油なので、それなりに味が濃いはずである。つゆを薄めるわけではないようで、テーブルにお湯や水はない。
だし醤油のペットボトルを大きく傾けようとした私の手を、ヨミじいさんは慌てて羽で制止した。
「そばとは違うんじゃ。だし醤油をひたひたに入れたら濃すぎて食べられんぞ!」
「具体的には大さじ二杯くらいでいいと思うぞ。ひっぱりはつゆに浸けるというより、納豆と絡めて食べるものだ」
圭史郎さんのアドバイスどおり、大さじ二杯分のだし醤油を器に注ぎ入れる。最後にふわふわのかつお節をまぶして、できあがり。
隣のヨミじいさんの器にも、大袋から取り出したかつお節をかけてあげる。
「感謝するぞ、若女将よ」
「どういたしまして。これで完成ですね」
向かいの席に座る圭史郎さんは、すでに納豆を絡めたうどんを啜っていた。
「うどんが冷めるぞ。さっさと納豆を掻き混ぜて食べろ」
ごはんにかけるときと同じように、投入したすべての具材ごと納豆を混ぜ合わせるものらしい。箸で具材を掻き混ぜると、だし醤油と鯖の汁があるためか、納豆の粘りはあまり出ない。
「納豆と鯖が具になって、うどんと一緒に栄養が取れるわけですね。いただきます」
箸で摘まんだうどんを、作成した鯖納豆に絡める。
つるりと啜ってみると、納豆の素朴な甘味と鯖の旨味がもちもちとしたうどんと絡み合い、最高の融合を果たしていた。そこにネギのシャキシャキした食感が加わり、食べ応えにも飽きがこない。それらを、だし醤油が絶妙な味わいでまとめ上げている。
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