みちのく銀山温泉

沖田弥子

文字の大きさ
上 下
40 / 88
第一章 カマクラコモリ

不思議なかまくら 3

しおりを挟む
「ですが、わたしには息子がいるのです。車に撥ねられたとき、傍にいたはずですが、気づいたらどこにもいませんでした。わたしはいなくなった息子を必死で捜しました。そうしてこのかまくらに辿り着き、呼びかけましたら、息子のイチはわたしの声に応えてくれたのです」

 キツネの母親は目を細めて、愛しげに光希君を見やる。
 私は表情を硬くして、おそるおそる問いかけた。

「もしかして、お母さんの息子のイチは……この子なんですか?」
「ええ、そうです。人間の子どものように見えますけれど、匂いでわかりますから、この子はイチに間違いありません。きっと悪い人間に捕まって、このような姿にされてしまったのでしょう。イチは夜の間だけここへ来て、朝になるとどこかへ行ってしまいます。このまま二度と帰ってこなかったら……そして、完全に人間に変わってしまったらと思うと……胸が潰れそうです。わたしは毎朝、イチに会えるのはこれが最後かもしれないと震えながら見送っております」

 切々と訴えるキツネの母親は涙を拭った。
 私は思わず圭史郎さんと目を合わせる。彼は何も言わず、押し黙っていた。
 キツネの母親の心情は、高橋さんと全く同じだ。
 双方とも我が子を想うゆえに行方を案じ、心を痛めている。そして見知らぬ悪者に子どもを拐かされるのではないかと恐れている。
 ひとつの体にふたりの子どもがいるので、昼は人間、夜はキツネのあやかしとなり、光希君とイチはそれぞれの親元に通わなければならないのだ。
 ヨミじいさんは、ふと首を捻った。

「ここで見送っておるのか。おぬしの足ならば、子を追いかけることは容易ではないかな?」
「それは……追いかけたくても、できないのです。なぜなら……」

 昏い目をしたキツネの母親は私たちを窺い、すうっと腰を上げた。
 その瞬間、圭史郎さんに強く肩を押される。
 合図だ。
 わけがわからないが、私は圭史郎さんの指示通りに素早く光希君を抱える。それを見て息を呑んだキツネの母親が手を伸ばした。

「あっ……待って、イチ!」

 だが七輪越しなので手は届かない。
 圭史郎さんにぐいぐい背を押されるので、光希君を抱きかかえた私は転がるようにかまくらの外へ出た。背後にいる圭史郎さんも出口を塞ぐように両腕を拡げつつ、穴をくぐる。
 私たちの挙動を見て、はっとしたヨミじいさんは羽をばたつかせて飛び上がった。
 七輪の上を飛び越え、キツネの母親が回り込むより早く、圭史郎さんの頭の脇から体を捩り込ませて屋外へ出る。
 なぜ、こんなに慌てて出る必要があるのか。
 かまくらの中は暖かくて居心地がよかったのに、外は氷点下の極寒である。
 光希君のお尻をしっかりと抱え直した私は、寒さに身を震わせた。
 ひとり、かまくらに取り残されたキツネの母親は洞穴のような入り口に佇んでいた。
 彼女は切ない目で光希君を見つめ、声を張り上げる。

「お願いです、イチを連れて行かないでください!」

 なぜかキツネの母親は、かまくらから出ようとしない。
 彼女にとっては息子のイチが連れ去られようとしているのに、どうしてこちらに駆け寄ってこないのだろう。
 圭史郎さんは私の前に腕を出して、近づかないよう制した。彼はキツネの母親からは手が届かない距離で、神妙に諭す。

「イチはもとの姿に戻れるよう、俺たちが何とかしよう。だが今は人間の子どもと融合しているから、連れて帰らなくてはならない。昼間は人間と暮らしているが、イチの身に危害は及ばない。安心してくれ」
「……そうですか。イチの身が無事ならいいのですが……。どうか、お願いします。わたしども親子は平穏に暮らしたいだけなのです。わたしに、イチを、返して……」

 言い終わらないうちに、かまくらの入り口が蠢いた。まるで生き物のようにうねり、入り口は雪で塞がれていく。まるで、キツネの母親を呑み込むかのように。

「えっ⁉」

 瞬いた私は、たまたま入り口に雪が落ちたのかと思ったが、そうではなかった。
 白い塊と化したかまくらは、すう……と遠ざかり、小さくなっていく。そして明かりも、ふっと掻き消えた。
 暖かな炭火も、美味しそうな食べ物も、優しい母親も、まるですべてが夢だったように跡形もない。
 つい今まで私たちが入っていたはずのかまくらは、消滅してしまった。あとには漆黒の暗闇と不気味な静寂だけが残された。

「……かまくらは、どうしてなくなってしまったんですか? もしかして私たち、キツネに化かされただとか、そういうことですか?」

 混乱した私は圭史郎さんとヨミじいさんに問いかけた。彼らは黙然として、かまくらが消えていった暗闇を見つめている。

「とにかく、花湯屋に戻るぞ。今日は終いだ」
「そうじゃな。ここに長い時間いたら、凍えてしまうわい」

 立っているだけで、ぞくりとした冷気に全身が覆われる。光希君の体も、早く布団に入れてあげないといけない。
 私たちは来た道を引き返し、軽トラックを停車した地点へ向かった。
 いつの間にか大粒の雪が降り出し、ジャケットが瞬く間に白く染まる。雪が目に当たり、冷たくて痛い。真っ暗闇なので、前を行く圭史郎さんの背中がかろうじてわかる程度だ。来たときはほんの少しの距離だと思ったのに、降雪があると恐ろしく遠く感じる。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

実はこれ実話なんですよ

tomoharu
恋愛
え?こんな話絶対ありえない!作り話でしょと思うような話からあるある話まで幅広い範囲で物語を考えました!ぜひ読んでみてください!1年後には大ヒット間違いなし!! 作品情報【マーライオン】【愛学両道】【やりすぎ智伝説&夢物語】【トモレオ突破椿】など ・【やりすぎ智久伝説&夢物語】とは、その話はさすがに言いすぎでしょと言われているほぼ実話ストーリーです。 小さい頃から今まで主人公である【智久】はどのような体験をしたのかがわかります。ぜひよんでくださいね! ・【トモレオ突破椿】は、公務員試験合格なおかつ様々な問題を解決させる話です。 頭の悪かった人でも公務員になれることを証明させる話でもあるので、ぜひ読んでみてください! 特別記念として実話を元に作った【呪われし◯◯シリーズ】も公開します!

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

おっ☆パラ

うらたきよひこ
キャラ文芸
こんなハーレム展開あり? これがおっさんパラダイスか!? 新米サラリーマンの佐藤一真がなぜかおじさんたちにモテまくる。大学教授やガテン系現場監督、エリートコンサル、老舗料理長、はたまた流浪のバーテンダーまで、個性派ぞろい。どこがそんなに“おじさん心”をくすぐるのか? その天賦の“モテ力”をご覧あれ!

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。