39 / 88
第一章 カマクラコモリ
不思議なかまくら 2
しおりを挟む
声の主は次々に七輪で食べ物を焼いては、光希君に食べさせている。勧められるまま、彼は貪り続けた。
どうやら家に戻ってきた光希君がお腹いっぱいになっていたのは、このかまくらで食事を提供されていたことが原因らしい。
このような山奥にかまくらがあり、そこで食事をしているだなんて想像もつかない。光希君に語りかけている声の主は女性のようだけれど、女性がひとりで夜中のかまくらにいるなんて不審だ。いったい、何者だろう。
そのとき、ヨミじいさんのとまっていた枝から、どさりと雪が落下した。
かまくらの中から、悲鳴に似た声が響く。
「だ、誰⁉ 誰かいるの⁉」
視線をさまよわせたヨミじいさんは誤魔化すように「ホーホー」と鳴いたが、警戒した女性は光希君を守るかのように、ぎゅっと抱きしめた。そうすると、女性の姿が露わになる。
「キツネ……⁉」
褐色の毛に、きつい目つきの細い面差し。ぴんと立った三角の耳と、ふさふさの大きな尻尾。それらは光希君に生えたものとそっくりだ。
彼女は完全にキツネの姿で、衣服は身に纏っていない。ただし二本足で立ち、前足を腕のように使えるので、コロさんと同じく動物タイプのあやかしだ。
舌打ちした圭史郎さんは腰を上げ、樹陰から出た。
私も彼女を驚かせないよう、そろそろと歩いてかまくらに近づく。
突然現れた闖入者たちに、キツネの女性はひどく狼狽し、ぶるぶると震えていた。光希君を傷つけられると思ったのか、覆い被さるようにしている。私は彼女を怯えさせないよう、穏やかに話しかけた。
「私たちは怪しい者ではありません。私は花湯屋というあやかしお宿で若女将をしています」
「あやかしお宿……? でも、あなたは人間でしょう」
彼女は人間に対して警戒心を持っているようだ。
ばさりと、かまくらの前に降り立ったヨミじいさんが呼びかける。
「わしはヨミじいさんじゃ。ここらのあやかしたちの長老じゃ。こやつらは、わしのしもべじゃから安心してよいぞ」
ヨミじいさんのしもべにされてしまった私は微妙な笑顔で頷く。圭史郎さんが鼻を鳴らしたので、肘で小突いておいた。
ヨミじいさんの言葉と彼のフクロウの姿に若干の安心を得たのか、あやかしのキツネは光希君を抱きしめていた腕の力を緩めた。
「長老さまなのですか。わたしはどなたとも交流を持ちませんので、世間のことにまるで疎いのです。もし世の中のことに明るければ、こんなことにはならなかったという後悔もよぎりますが……」
「ほうほう。何やら事情がありそうだのう。わしらでよければ話を伺ってもよいかの?」
「ええ、お話しいたしましょう。どうぞ、お入りになってください。しもべの方々も、かまくらの中へどうぞ。外は寒いでしょう」
「うむ。それでは失礼するぞい」
あやかしのキツネは快く私たちを迎え入れてくれた。
かまくらへ入るヨミじいさんに続き、私も入り口をくぐろうと身を屈める。
そのとき、ぐいと腕を後ろに引かれた。
思わず振り返ると、圭史郎さんは双眸を炯々と光らせ、怖い顔で私を凝視している。
疑問を口にする前に、身を寄せてきた圭史郎さんは私の耳元に囁いた。
「俺が合図したら、光希を抱えてすぐにかまくらから出ろ。いいな」
「え……?」
まだ入ってもいないのに、どうしてそんなことを言うのだろう。優しそうなキツネは危険なあやかしには見えない。
私の腕を解放した圭史郎さんは何事もなかったかのように平然として、さっさとかまくらに入っていった。
首を傾げながらも、私も続いて入り口をくぐる。
「わあ……。かまくらの中って、こんなに暖かいんですね」
ふわりとしたぬくもりに包まれて、安堵の息を零す。
かまくらは寒さを防ぐ効果があると噂では聞いていたけれど、こんなにも暖かいなんて思わなかった。中央に置かれた七輪の炭火が、赤々と燃えている。
ちらりと光希君を窺うと、彼はぼんやりとして座っていた。私たちが訪れたことにも、何の反応も示さない。虚ろな双眸に灯火が映り込んでいる。
かまくらの入り口を挟んで私と光希君が並び、私の隣には圭史郎さんが跪座している。まるで武士のような座り方だが、圭史郎さんがそのような恰好をしているのは初めて見た。七輪を挟んで圭史郎さんの対極にはヨミじいさんが体を収めた。決して広くはないかまくらの中に五名もいれば窮屈になる。キツネのあやかしは、もっとも入り口から遠い奥のほうに腰を落ち着けている。そこが彼女がいつも座っている場所なのだろう。かまくらの出入口を通して景色がよく見えるはずだ。
炭火の灯火を眺めつつ、ヨミじいさんがそれとなく語りかける。
「暖を取ると落ち着くのう。……ところで、おぬしはひとりで山奥で暮らしておるのか?」
「ええ。わたしがまだふつうのキツネだった頃は仲間もおりましたが、車に撥ねられ息絶えてから、このようなあやかしになりました。それから……少々事情がありまして、ひとりでおります」
彼女は事情があることについて言い淀んだ。誰にでも言いにくい過去はある。車に撥ねられたという哀しい死があったのなら、なおさらだろう。私は黙って彼女の話に耳を傾けた。
どうやら家に戻ってきた光希君がお腹いっぱいになっていたのは、このかまくらで食事を提供されていたことが原因らしい。
このような山奥にかまくらがあり、そこで食事をしているだなんて想像もつかない。光希君に語りかけている声の主は女性のようだけれど、女性がひとりで夜中のかまくらにいるなんて不審だ。いったい、何者だろう。
そのとき、ヨミじいさんのとまっていた枝から、どさりと雪が落下した。
かまくらの中から、悲鳴に似た声が響く。
「だ、誰⁉ 誰かいるの⁉」
視線をさまよわせたヨミじいさんは誤魔化すように「ホーホー」と鳴いたが、警戒した女性は光希君を守るかのように、ぎゅっと抱きしめた。そうすると、女性の姿が露わになる。
「キツネ……⁉」
褐色の毛に、きつい目つきの細い面差し。ぴんと立った三角の耳と、ふさふさの大きな尻尾。それらは光希君に生えたものとそっくりだ。
彼女は完全にキツネの姿で、衣服は身に纏っていない。ただし二本足で立ち、前足を腕のように使えるので、コロさんと同じく動物タイプのあやかしだ。
舌打ちした圭史郎さんは腰を上げ、樹陰から出た。
私も彼女を驚かせないよう、そろそろと歩いてかまくらに近づく。
突然現れた闖入者たちに、キツネの女性はひどく狼狽し、ぶるぶると震えていた。光希君を傷つけられると思ったのか、覆い被さるようにしている。私は彼女を怯えさせないよう、穏やかに話しかけた。
「私たちは怪しい者ではありません。私は花湯屋というあやかしお宿で若女将をしています」
「あやかしお宿……? でも、あなたは人間でしょう」
彼女は人間に対して警戒心を持っているようだ。
ばさりと、かまくらの前に降り立ったヨミじいさんが呼びかける。
「わしはヨミじいさんじゃ。ここらのあやかしたちの長老じゃ。こやつらは、わしのしもべじゃから安心してよいぞ」
ヨミじいさんのしもべにされてしまった私は微妙な笑顔で頷く。圭史郎さんが鼻を鳴らしたので、肘で小突いておいた。
ヨミじいさんの言葉と彼のフクロウの姿に若干の安心を得たのか、あやかしのキツネは光希君を抱きしめていた腕の力を緩めた。
「長老さまなのですか。わたしはどなたとも交流を持ちませんので、世間のことにまるで疎いのです。もし世の中のことに明るければ、こんなことにはならなかったという後悔もよぎりますが……」
「ほうほう。何やら事情がありそうだのう。わしらでよければ話を伺ってもよいかの?」
「ええ、お話しいたしましょう。どうぞ、お入りになってください。しもべの方々も、かまくらの中へどうぞ。外は寒いでしょう」
「うむ。それでは失礼するぞい」
あやかしのキツネは快く私たちを迎え入れてくれた。
かまくらへ入るヨミじいさんに続き、私も入り口をくぐろうと身を屈める。
そのとき、ぐいと腕を後ろに引かれた。
思わず振り返ると、圭史郎さんは双眸を炯々と光らせ、怖い顔で私を凝視している。
疑問を口にする前に、身を寄せてきた圭史郎さんは私の耳元に囁いた。
「俺が合図したら、光希を抱えてすぐにかまくらから出ろ。いいな」
「え……?」
まだ入ってもいないのに、どうしてそんなことを言うのだろう。優しそうなキツネは危険なあやかしには見えない。
私の腕を解放した圭史郎さんは何事もなかったかのように平然として、さっさとかまくらに入っていった。
首を傾げながらも、私も続いて入り口をくぐる。
「わあ……。かまくらの中って、こんなに暖かいんですね」
ふわりとしたぬくもりに包まれて、安堵の息を零す。
かまくらは寒さを防ぐ効果があると噂では聞いていたけれど、こんなにも暖かいなんて思わなかった。中央に置かれた七輪の炭火が、赤々と燃えている。
ちらりと光希君を窺うと、彼はぼんやりとして座っていた。私たちが訪れたことにも、何の反応も示さない。虚ろな双眸に灯火が映り込んでいる。
かまくらの入り口を挟んで私と光希君が並び、私の隣には圭史郎さんが跪座している。まるで武士のような座り方だが、圭史郎さんがそのような恰好をしているのは初めて見た。七輪を挟んで圭史郎さんの対極にはヨミじいさんが体を収めた。決して広くはないかまくらの中に五名もいれば窮屈になる。キツネのあやかしは、もっとも入り口から遠い奥のほうに腰を落ち着けている。そこが彼女がいつも座っている場所なのだろう。かまくらの出入口を通して景色がよく見えるはずだ。
炭火の灯火を眺めつつ、ヨミじいさんがそれとなく語りかける。
「暖を取ると落ち着くのう。……ところで、おぬしはひとりで山奥で暮らしておるのか?」
「ええ。わたしがまだふつうのキツネだった頃は仲間もおりましたが、車に撥ねられ息絶えてから、このようなあやかしになりました。それから……少々事情がありまして、ひとりでおります」
彼女は事情があることについて言い淀んだ。誰にでも言いにくい過去はある。車に撥ねられたという哀しい死があったのなら、なおさらだろう。私は黙って彼女の話に耳を傾けた。
0
お気に入りに追加
522
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


魔法使いの名付け親
玉響なつめ
キャラ文芸
母子家庭で育った女子高生の柏木可紗は、ある日突然、母を亡くした。
そんな彼女の元に現れたのは、母親から聞いていた彼女の名付け親。
『大丈夫よ、可紗。貴女の名前はね、ロシアの魔法使いにつけてもらったんだから!』
母親に頼まれていたと語る不思議な女性、ジルニトラとその執事により身寄りもない可紗は彼らと暮らすことになる。
そして、母親の死をゆっくりと受け入れ始め、彼らとの新しい『家族』のカタチを模索していると――?
魔法使いと、普通の女子高生が織りなす穏やかな物語。
今まで気づかなかった世界に気がついた時、彼女は自分の中で閉じ込めていた夢を再び取り戻す。
※小説家になろう にも同時掲載しています

一人じゃないぼく達
あおい夜
キャラ文芸
ぼくの父親は黒い羽根が生えている烏天狗だ。
ぼくの父親は寂しがりやでとっても優しくてとっても美人な可愛い人?妖怪?神様?だ。
大きな山とその周辺がぼくの父親の縄張りで神様として崇められている。
父親の近くには誰も居ない。
参拝に来る人は居るが、他のモノは誰も居ない。
父親には家族の様に親しい者達も居たがある事があって、みんなを拒絶している。
ある事があって寂しがりやな父親は一人になった。
ぼくは人だったけどある事のせいで人では無くなってしまった。
ある事のせいでぼくの肉体年齢は十歳で止まってしまった。
ぼくを見る人達の目は気味の悪い化け物を見ている様にぼくを見る。
ぼくは人に拒絶されて一人ボッチだった。
ぼくがいつも通り一人で居るとその日、少し遠くの方まで散歩していた父親がぼくを見つけた。
その日、寂しがりやな父親が一人ボッチのぼくを拐っていってくれた。
ぼくはもう一人じゃない。
寂しがりやな父親にもぼくが居る。
ぼくは一人ボッチのぼくを家族にしてくれて温もりをくれた父親に恩返しする為、父親の家族みたいな者達と父親の仲を戻してあげようと思うんだ。
アヤカシ達の力や解釈はオリジナルですのでご了承下さい。

こども病院の日常
moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。
18歳以下の子供が通う病院、
診療科はたくさんあります。
内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc…
ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。
恋愛要素などは一切ありません。
密着病院24時!的な感じです。
人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。
※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。
歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。