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五条子爵の陰謀 3

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 「ちょっと、待て。ふたりともやめてくれ」
 安珠の制止など耳に入らないかのように、ふたりは掴み合い、拳をぶつけ合う。
 やがて劣勢に陥った公成は血走った眼で、花瓶の裏から拳銃を取り出した。

「制裁を加えてやろう」

 銃口は真っ直ぐに鴇へむけられる。
 息を呑む安珠に背を向けた鴇は逃げることもせず、堂々と両手を広げた。

「俺は安珠を、命を賭けて愛しています。そのことに何ら恥じ入ることはありません。俺を今ここで殺し、その後安珠の心を手に入れられるほど安珠への愛に公成さまが自信があると仰るのなら、どうぞ引き金を引いてください。だけど俺は死んでも、安珠を愛し続けますから、そのおつもりで」

 鴇の深い想いが、胸の裡に染み込んでいく。歯噛みした公成は構えた銃身を震わせた。
 彼は今にも引き金を引こうとしている。
 そんなことさせない。鴇が死んでしまうなんて、耐えられない。
 安珠は咄嗟に進み出て、鴇の前に立ち塞がった。両手を広げて銃口にその身を晒す。

「僕は、鴇が好きなんだ。愛してるんだ! だから鴇が死んだら、僕も生きていられない」
「安珠……!? 危ない、退いてください」

 鴇に肩を掴まれたが、足を踏ん張り、背を鴇の体に押しつけて耐える。決して鴇を死なせることはしない。凜として銃口に対峙する安珠に、公成は愕然とした。

「安珠……君は……そいつを庇うのか」

 銃身がぶるぶると震える。その瞬間、安珠の視界が覆われた。
 体を返した鴇が、安珠を庇うようにして抱きしめ、銃口に背を向けたのだ。

「鴇……! やめろ、やめてくれ!」

 必死に引き剥がそうとするが、きつく抱きしめられて敵わない。安珠を守るために自らを危険に晒す鴇の姿に、胸が引き裂かれるほど痛みを訴える。
 互いを庇い合うふたりの姿を目にした公成は、辛そうに顔を歪めながら床に頽れた。

「私のほうが間男だったとは……なんと……恋とはいつでも新鮮な喜びとそして苦悩を与えてくれる……」

 鴇の肩越しに悄然とした公成の様子を窺う。床に伏せた彼にはもう、戦う意思はないようだった。安珠を抱きしめながら、鴇は静かに告げた。

「安珠は連れて帰ります。それでは、失礼します」

 抱きかかえられるようにして五条子爵邸を辞する。車寄せに待機していた椿小路家の車に乗せられた。車内でちらりと鴇を窺えば、彼は憮然として前を見据えている。

「……僕がここにいると、よく分かったな」
「大滝男爵家で窺いました。今日は大事な話があるので仕事が終わり次第、早急に帰ってきてくださいとお願いしましたよね?」

 大事な話とやらを聞きたくないので公成に付いていってしまい、鴇に迷惑をかけてしまったのだ。逃げないで、きちんと鴇に向き合わなければならなかった。俯いて小さく、「ごめん」と謝ると、ようやく肩の力を抜いたらしい鴇は嘆息する。

「心配したんですよ。まったくあなたという人は、少し目を離せば色気を振りまいて他の男をおびき寄せているんですから油断なりません」

 そう言いながら安珠の肩を抱き寄せる。
 色気を振りまくとか、おびき寄せるだとか、そんなつもりはないのだが。
 けれど心配させてしまったことが申し訳なくて、大人しく腕の中に収まる。安珠の浅慮がふたりの男の心を傷つけてしまったのだ。

「ごめん……」

 もう一度謝れば、鴇は無言で腕に抱いた安珠の髪や肩を慈しむように撫でた。
 穏やかな愛撫に身を委ねていると、やがて車は屋敷に辿り着く。
 当主の部屋に導かれてソファに座らせられると、眼前に跪いた鴇は口火を切った。

「話というのは、とても大事なことで、安珠にきちんと言わなければならないと常々思っていたんです」

 ついに鴇の口から語られてしまう。どこの華族の令嬢だろうか。鴇が結婚したら、安珠は屋敷を出て行かなければならないだろう。その前に笑顔で祝福を送るなんてことはできそうにない。様々な思いが胸の裡から湧いてしまい、喉元が痞えたように震える声を絞りだす。

「わかってる。結婚のことだろう?」
「結婚? 安珠は……結婚のことを考えているんですか?」

 真顔で訊ねる鴇に、瞬きを返した。何やら話が食い違っているようだが。

「僕のじゃなくて、鴇の結婚だぞ。縁談がいくつも持ち込まれていただろう。あの中の誰かと結婚するという話じゃないのか」

 鴇は心底落胆したように、肩を落として嘆息した。
 首を捻っていると、ソファに座る安珠に食いつくように膝にしがみついてきた。

「俺が、安珠以外の誰かと結婚できると本気で思っていますか。俺のひとつしかない命は、もう安珠に捧げています。縁談はすべて断りました」
「そうだったのか……」
 
 自分の思い違いだったと知り、安堵の息が零れる。鴇は安珠の瞬きひとつも見逃さず、改めて語り出した。

「大事な話というのは、安珠に対する謝罪です。俺はあなたを傷つけた。それは俺が安珠を手に入れたいがためという身勝手な理由でした。それなのにまだ安珠に謝っていなかったのです。申し訳ありませんでした。あなたから奪いたいわけではなかった。愛したいんです。だから俺は、安珠の望みを受け入れます。死ねというなら、死にます。当主を降りろというなら、そうします。俺の主は永遠に安珠ですから、お好きなように命じてください」
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