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鴇の正体 3

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 写真の懐中時計は閉じられている状態なので、記号の有無は判別できない。少年は廣人と同じくらいの年齢だが、些か小柄で繊細な顔の造作をしていた。写真で見た、父の子どもの頃によく似ている。顔の造りがまるで違うので、現在の鴇とは別人だと分かる。  
 安珠の足元から戦慄が這い上がる。
 廣人と鴇は、全くの別人だった。
 では椿小路公爵となった、あの男は何者なのだ。

「……鴇くんには、カヨという名の母親がいませんでしたか? むかし椿小路公爵家で女中を勤めていた女性です」
「ええ、おりました。教会に鴇くんを連れて熱心に通ってくれましたが、亡くなってしまったのです。身よりもないということなので、私が鴇くんを預かりました」
「彼は……今、どこにいるのです?」

 震えながら問いかけると、鳴海神父は哀しげに首を振った。

「流行病で死んでしまいました。この写真を撮ったのと同じ年でした。廣人くんが失踪したのも確か、その年の暮れです」

 鴇は、既に亡くなっている。母親も他界した。では金無垢の懐中時計はどうなったのだ。

「神父さまは、鴇くんが持っていたこの懐中時計についてご存じありませんか。彼が亡くなった後、遺品はどうされたのですか?」

 ルーペで写真を覗き込んだ鳴海神父は、首を傾げた。ふと思い出したようで、微かに微笑む。

「廣人くんが預かったのです。彼は思いやりのある子で、鴇くんの父親に返してあげるのだと語っていました。廣人くんには両親がおりません。彼は赤子のときに産着に包まれて孤児院の門前に置かれていました。産着に『廣人』と名前が刺繍されていたのですが、おそらく裕福な家庭に生まれたものの事情があってこちらに預けられたのだと推察されます。鴇くんもそうですが、華族の父親に見放されてしまうといった子が幾人もおります。似通った境遇なので、廣人くんは鴇くんの死を悼みました」

 安珠の知らなかった男の過去が、哀しい真実として容赦なく晒される。
 ぜんぶ知りたいと望んだのは、自分だった。
 けれど世の中には知らなくても良いことが存在するのだ。己の性がオメガだと知り、挫折を味わったように。安珠は己の愚かさを痛感して、震える拳を握りしめた。
 鳴海神父の切々とした語りを、目を伏せながら聞き入る。

「……それゆえ、椿小路さんと一緒におられた鴇さんが気になり、お声をかけました。ですが人には事情というものがありますから、すべてをつまびらかにしてはいけないのです。彼が人違いと仰るなら、それでよろしいのです。私は廣人くんがどこかで幸せに暮らしていると信じております」
「ええ……。神父さまの仰るとおりです……」

 なぜ、暴こうとしたのだろうか。すべてを受け入れられる器もないのに。
 愛した人の正体が、哀しい過去を背負う残酷で狡猾な男だったなんて。
 安珠は自分の望む結末を勝手に期待していた。だが真実はいつでも冷酷なのだ。
 鳴海神父に礼を述べ、安珠は教会を辞した。
 帰途に着く車は路地裏のあった通りに差し掛かる。
 どうして、出会ってしまったんだ。
 子犬を抱いたヒロトを見かけたときから、昨夜の情事の最中に見た鴇の面差しまでずっと、彼との思い出を脳内に巡らせていた。



 一心不乱に鍵盤を叩き続けていると、ピアノの音色に紛れて男の足音が近づいてきた。当主の部屋の扉が開かれる。

「安珠、ただいま帰りました。遅くなってすみません。でも仕事は上手くいきそうですよ。……怒ってる?」

 顔を上げない安珠に笑みをむけた鴇は、いつもと変わらぬ仕草で安珠の額に口づけようとした。
 その接吻を素早く席を立つことで避ける。鍵盤に置かれた指が不協和音を奏でた。

「安珠?」

 強張った顔を怪訝に見ている鴇に、安珠は投げかけた。

「僕の懐中時計はどこにあるんだ。おまえが持っているんだろう、廣人」

 鴇の顔色がすっと変わる。
 だが動揺が現れたのはわずかのことで、すぐに平静な表情に戻った鴇はネクタイを緩めた。

「鳴海神父ですね。孤児院に行ってきたんですか。劇場からわりと近かったでしょう」

 平然と呟く鴇に、こちらが驚かされる。
 さぞ狼狽えて言い訳でもするかと思ったのに、堂々としている姿はまるでこの日が訪れることを予測していたかのようだ。

「……おまえの正体は、廣人なんだな」
「そうです。幼い頃に安珠と会って子犬を預けた、あの少年が俺です」
「どうして鴇の名を騙った。本物の鴇はもう、亡くなったそうじゃないか」

 もしかしたら誤解ではないかと考えた。実は何かの手違いで、廣人と鴇の名前を交換したのだとか、そういった事情を話してくれるのではないかと、安珠は今この瞬間まで期待した。
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