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初夜 1
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「ベヒシュタインか。鴇、ピアノ弾けたのか?」
「いいえ。ドレミの位置くらいしか知りません」
「じゃあ、どうして買ったんだ?」
鍵盤蓋を開き、和音を刻んだ。柔らかい音色が室内に響き渡る。
「……誕生日の贈り物です」
背後から回された腕に、甘く拘束される。鍵盤を滑る安珠の指が止まった。
誕生日はもう、とうに終わったのに。
そういえば鴇からは何も贈られていなかったが、そのような立場でもないので気にしていなかった。彼はあのときからずっと、安珠に贈り物をしたいと願っていたのだろうか。
耳元を撫でる呼気が、距離の近さを伝える。背に密着した男の体が、熱い。
「今夜は、あなたを抱きます」
「……え」
きつく抱きしめられて、心が震えた。
不埒な手が胸を這い、上着の釦をひとつずつ外していく。安珠は咄嗟に男の手を掴んだ。
「待て。僕たちは兄弟なんだぞ。そんなこと道徳的に許されない」
いくら母親が違い、別の家庭で育ったとはいえ、同じ父を持つ兄と弟なのだ。口淫は自慰の延長と捉えていたが、体をつなげるという行為は明らかに一線を超えている。
「俺が許します。椿小路公爵家の家訓は、俺が作りますから」
不遜な男は臆さず、堂々と安珠の首筋に吸いついた。
「んっ……」
肌を吸われる未知の感触に、自分でも驚くほど、ずくりと体が疼く。
上着を脱がされた拍子に立ち上がろうとしたが、男の腕がきつく絡みついて敵わない。
「ど、どうして、そんなところを吸うんだ……!」
「どこを吸われたい? 安珠の体のすべてを俺は吸いたくてたまらない。観念して俺に身を委ねてください」
「だめだ、そんな……」
逞しい腕から逃れようともがく。手をついた鍵盤が不協和音を奏でた。
ふいに体を返されて、膝裏が抱え上げられる。
「あっ」
華奢な体は易々と横抱きにされた。大股でベッドに向かった鴇は事も無げに、柔らかな寝具に安珠を転がす。
衝撃で靴が脱げた。慌てて身を起こしたが、上から逞しい体に押さえつけられる。シーツを掴んだ手は、大きな掌に握り込まれた。抵抗を許さない力強さに怖れが走る。
「安珠は、抱いてほしかったんでしょう。だから晃久さまに色目を使った。俺を煽ったのは安珠です」
「何言ってるんだ……。色目なんか使ってない」
彼が何を言っているのか理解しがたい。そんなつもりは全くなかったのに。
息を荒げた男の手が、乱されたシャツを剥ぎ取っていく。露わにされた胸の突起に熱い唇が触れて、ぞくりと背筋が震えた。
それが快感だったことに怖れた安珠は、衝動的に鴇の肩を強く掴む。
「やっ……、やめろ!」
顔を上げた鴇と視線を合わせる。昏い焔を宿した漆黒の双眸には、揺るぎない決意が込められていた。体の奥深くまで射し込むような鋭い眼差しを受けて、安珠は察する。
断ることはできない。安珠には始めから選択権などないのだ。
公爵は鴇なのだから。鴇の言いなりになって、体を差し出さなければならない。金のため、母のために。
「安珠は華の和音と謳われたくらいですから、このくらい何でもないでしょう」
「そうだ……けど……」
乱暴されるのだろうか。鴇は雄の凄みを見せながら、自らの上着とシャツを脱ぎ捨てた。その最中にも、一瞬たりとも安珠から目を離さない。
無様に体を震わせながら、強靱な体躯を呆然と眼に映していた安珠は尻で後ずさる。
「あ……」
ベッドの端に辿り着いてしまい、積み重ねられた冷たい枕に体が埋もれる。体勢を崩した安珠を、鴇は逞しい腕に抱き留めた。
「震えてる……。俺が怖い?」
喉元が引き絞られたように声が出ない。公成に襲われかけたときも、同じように怖れから体が震えた。何をされるのか分からない恐怖が迫り上がり、琥珀の眸を濡らした安珠は曖昧に頷いた。
「乱暴なことはしないよ。優しくする。……キスしていい?」
「だ、だめ……んぅ」
問われたから駄目と答えたのに、すぐさま唇が重ね合わされる。
鴇の薄い唇に猛々しく口づけられ、その熱さに安珠は目を瞠る。
これが……キス?
ぼやけて鴇の顔がよく見えない。熱い唇は心まで蕩かすようにじわりと馴染んでいく。
初めて接吻を経験した安珠は硬直したまま、口づけを享受した。やがて上唇を食まれ、丁寧に合わせを舌でなぞられる。
固く唇を引き結んでいる安珠を、鴇は少し顔を離して様子見した。
「……目を、閉じないんだね」
「いいえ。ドレミの位置くらいしか知りません」
「じゃあ、どうして買ったんだ?」
鍵盤蓋を開き、和音を刻んだ。柔らかい音色が室内に響き渡る。
「……誕生日の贈り物です」
背後から回された腕に、甘く拘束される。鍵盤を滑る安珠の指が止まった。
誕生日はもう、とうに終わったのに。
そういえば鴇からは何も贈られていなかったが、そのような立場でもないので気にしていなかった。彼はあのときからずっと、安珠に贈り物をしたいと願っていたのだろうか。
耳元を撫でる呼気が、距離の近さを伝える。背に密着した男の体が、熱い。
「今夜は、あなたを抱きます」
「……え」
きつく抱きしめられて、心が震えた。
不埒な手が胸を這い、上着の釦をひとつずつ外していく。安珠は咄嗟に男の手を掴んだ。
「待て。僕たちは兄弟なんだぞ。そんなこと道徳的に許されない」
いくら母親が違い、別の家庭で育ったとはいえ、同じ父を持つ兄と弟なのだ。口淫は自慰の延長と捉えていたが、体をつなげるという行為は明らかに一線を超えている。
「俺が許します。椿小路公爵家の家訓は、俺が作りますから」
不遜な男は臆さず、堂々と安珠の首筋に吸いついた。
「んっ……」
肌を吸われる未知の感触に、自分でも驚くほど、ずくりと体が疼く。
上着を脱がされた拍子に立ち上がろうとしたが、男の腕がきつく絡みついて敵わない。
「ど、どうして、そんなところを吸うんだ……!」
「どこを吸われたい? 安珠の体のすべてを俺は吸いたくてたまらない。観念して俺に身を委ねてください」
「だめだ、そんな……」
逞しい腕から逃れようともがく。手をついた鍵盤が不協和音を奏でた。
ふいに体を返されて、膝裏が抱え上げられる。
「あっ」
華奢な体は易々と横抱きにされた。大股でベッドに向かった鴇は事も無げに、柔らかな寝具に安珠を転がす。
衝撃で靴が脱げた。慌てて身を起こしたが、上から逞しい体に押さえつけられる。シーツを掴んだ手は、大きな掌に握り込まれた。抵抗を許さない力強さに怖れが走る。
「安珠は、抱いてほしかったんでしょう。だから晃久さまに色目を使った。俺を煽ったのは安珠です」
「何言ってるんだ……。色目なんか使ってない」
彼が何を言っているのか理解しがたい。そんなつもりは全くなかったのに。
息を荒げた男の手が、乱されたシャツを剥ぎ取っていく。露わにされた胸の突起に熱い唇が触れて、ぞくりと背筋が震えた。
それが快感だったことに怖れた安珠は、衝動的に鴇の肩を強く掴む。
「やっ……、やめろ!」
顔を上げた鴇と視線を合わせる。昏い焔を宿した漆黒の双眸には、揺るぎない決意が込められていた。体の奥深くまで射し込むような鋭い眼差しを受けて、安珠は察する。
断ることはできない。安珠には始めから選択権などないのだ。
公爵は鴇なのだから。鴇の言いなりになって、体を差し出さなければならない。金のため、母のために。
「安珠は華の和音と謳われたくらいですから、このくらい何でもないでしょう」
「そうだ……けど……」
乱暴されるのだろうか。鴇は雄の凄みを見せながら、自らの上着とシャツを脱ぎ捨てた。その最中にも、一瞬たりとも安珠から目を離さない。
無様に体を震わせながら、強靱な体躯を呆然と眼に映していた安珠は尻で後ずさる。
「あ……」
ベッドの端に辿り着いてしまい、積み重ねられた冷たい枕に体が埋もれる。体勢を崩した安珠を、鴇は逞しい腕に抱き留めた。
「震えてる……。俺が怖い?」
喉元が引き絞られたように声が出ない。公成に襲われかけたときも、同じように怖れから体が震えた。何をされるのか分からない恐怖が迫り上がり、琥珀の眸を濡らした安珠は曖昧に頷いた。
「乱暴なことはしないよ。優しくする。……キスしていい?」
「だ、だめ……んぅ」
問われたから駄目と答えたのに、すぐさま唇が重ね合わされる。
鴇の薄い唇に猛々しく口づけられ、その熱さに安珠は目を瞠る。
これが……キス?
ぼやけて鴇の顔がよく見えない。熱い唇は心まで蕩かすようにじわりと馴染んでいく。
初めて接吻を経験した安珠は硬直したまま、口づけを享受した。やがて上唇を食まれ、丁寧に合わせを舌でなぞられる。
固く唇を引き結んでいる安珠を、鴇は少し顔を離して様子見した。
「……目を、閉じないんだね」
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