上 下
86 / 112

誤解 2

しおりを挟む
「いいや。投資に噛ませるんだ。潰れそうな旅館を買い上げて改装後に転売するという事業をやっていてな。持ち込まれる案件が増えると捌く額も大きくなるから、纏まった資金を出せる投資家が必要なんだ」
「へえ……」

 晃久の事業に投資という形で参加するらしい。商売のことなど何も分からないので、晃久の話は別世界の領域だ。

「出資者の条件は信用の置ける者という点のみだ。投資させてくれと依頼してくる華族は多いが、そういった輩に限って持ち逃げするからな。鴇は俺に貸しがあるから、その心配をしなくて済む。儲からせてやるから安心しろ」
「貸しって……何の。鴇は晃久に金を借りてたのか?」

 聞き流しかけた台詞にふと引っかかる。
 そういえば、鴇の以前の雇い主は晃久だ。そのことについても話を伺いたかった。
 キユが静かに紅茶の入ったカップを円形の卓に置いていく。彼女が室内に去ってから、晃久は紅茶をひとくち含んで話し出した。

「そういうことじゃない。あいつの失態を、俺が許したということだ」
「何かあったのか」

 安珠に話してよいものか、晃久は逡巡している。視線をぶつけてくる安珠に、諦めたらしい嘆息が零れた。

「澪に手を出そうとしたんだ。未遂だが」

 澪というのは、大須賀伯爵家の庭師の名である。大須賀邸に赴いたときに見かけたことがあるが、楚々とした印象の美しい青年だった。特定の恋人を作らない晃久だが、彼の口から度々澪の名が出るので特別な人なのだろう。

「意外だな。鴇にそんな度胸があるとは思わなかった。僕が手を出しても臆していたのに」

 あっさりと返す安珠に、晃久はなぜか片眉を跳ね上げる。
 手を出す、という言葉を、無垢な安珠は暴力を振るうという意味に捉えた。
 鴇は暴力沙汰など一切起こしたことはないが、下男同士の揉め事は珍しいことではない。
 金の装飾が施されたカップの縁を紅い唇に触れさせ、安珠は涼しい面差しで薫り高い紅茶を嗜む。晃久は感嘆しながら助言してきた。

「さすが華の和音だな。鴇を上手く操縦しろ。椿小路公爵家の命運を握るのは、やはり安珠だ」
「そんなふうに励まされても嬉しくないよ。操縦って、何をすればいいんだ。僕はピアノを弾くしか能がないらしいからね」
「謙遜するな。夜の操縦は上手くいってるんだろう?」

 晃久と目を合わせる。閨事のことを指しているようだ。
 華の和音の手管で鴇を転がせと言いたいらしい。確かに鴇とは色事に関する契約を結んだ。
 けれど安珠の施した口淫はとても稚拙なもので、鴇を満足させられたのか怪しい。途中からは鴇の指示どおりに手淫を交えて愛撫し、機を失って顔に射精させてしまった。その上、終われば慌てて逃げ出すなんて熟練とは言えないだろう。初めてだと悟られなかったのは奇蹟的だ。
 溜息を吐いた安珠は物憂げに睫毛を伏せた。

「上手くいってないと思う。呑めなかったんだ」
「何を」
「精を。ふつうは呑めるんだろう?」

 晃久は一瞬硬直したが、ひとつ咳払いをした。

「ふつうと言っても、多数派の意見を考慮することは無意味だ。ふたりで相談して決めろ」
「晃久は呑ませてるのか?」

 急に黙り込んだ男は、居心地悪そうに視線を彷徨わせた。
 他人の意見も参考にさせてほしいのだが。
 ピアノも同じで、上手な人からテクニックを伝授されてこそ上達につながるのだ。何事も考察や練習は欠かせない。次に鴇を口淫するときに失敗しないよう、晃久で練習させてもらえないだろうか。思いついた安珠は早速口にした。

「晃久の男根を、しゃぶらせてくれないか?」

 突如地響きのような大きな音が鳴り、背後を振り返る。伏せていたヒロも、びくりとして身を起こした。
 テラスに続く硝子戸が格子ごと外れていた。
 鴇は格子の把手を掴んだままの格好で呆然としている。
 いつからそこにいたのだろう。
 晃久は鞄を掴むと、素早く椅子から立ち上がった。

「喋りすぎたようだ。今日はこの辺で退散しよう」
「……晃久さま。俺は己の行いを返礼されて、晃久さまのお気持ちが痛いほど分かりました」

 なぜか憤りを滲ませている鴇を、晃久は鋭い眦でちらりと見遣る。

「勘違いするな。俺はまだ何もしていない。安珠とよく話し合っておけ」

 足早に去って行く晃久の背を眺めながら、首を捻る。鴇は黙然として外れた硝子戸を直していた。

「もっと丁寧に扱ってくれ。力任せに開けるから外れるんだ」
「……そうですね」
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

【本編完結】運命の番〜バニラとりんごの恋〜

みかん桜(蜜柑桜)
BL
バース検査でオメガだった岩清水日向。オメガでありながら身長が高いことを気にしている日向は、ベータとして振る舞うことに。 早々に恋愛も結婚も諦ていたのに、高校で運命の番である光琉に出会ってしまった。戸惑いながらも光琉の深い愛で包みこまれ、自分自身を受け入れた日向が幸せになるまでの話。 ***オメガバースの説明無し。独自設定のみ説明***オメガが迫害されない世界です。ただただオメガが溺愛される話が読みたくて書き始めました。

運命の息吹

梅川 ノン
BL
ルシアは、国王とオメガの番の間に生まれるが、オメガのため王子とは認められず、密やかに育つ。 美しく育ったルシアは、父王亡きあと国王になった兄王の番になる。 兄王に溺愛されたルシアは、兄王の庇護のもと穏やかに暮らしていたが、運命のアルファと出会う。 ルシアの運命のアルファとは……。 西洋の中世を想定とした、オメガバースですが、かなりの独自視点、想定が入ります。あくまでも私独自の創作オメガバースと思ってください。楽しんでいただければ幸いです。

処理中です...