上 下
59 / 112

謀略の男爵 5

しおりを挟む
 浩一郎はワインセラーにずらりと収められているボトルの中から一本を選び出した。

「特別に改装したんだ。趣味に没頭していると他のことが煩わしくなってしまってね。誰にも邪魔されないように、地下に籠もって過ごすことも多いから」

 そういえば邸宅には使用人の姿が見えない。雇ってはいるのだろうが、浩一郎は仕事や趣味の邪魔をしないようにと言い含めているのかもしれない。

「そこに座りなさい。乾杯しよう」
「いえ、僕は、お酒は飲めないので……」

 ほとんど飲んだことがないので断ったが、こちらに背を向けている浩一郎はワインを開けているようだ。コルクの小気味良い音が鳴り、ふたつのワイングラスにとくりと液体が注がれる。

「デザートワインだから、とても飲みやすいよ。チョコレートも用意しよう。どうぞ」

 振り返った浩一郎から差し出されたワイングラスは琥珀色に輝いていた。匂いを嗅いでみたが、アルコールの香りは強くない。
 背凭れの高い木椅子に、浩一郎と向かい合わせに腰掛ける。澪の前にはチョコレートの入った透明の器も置かれた。

「では少しだけ、いただきます」
「澪君の美しさに、乾杯」

 共にワイングラスを掲げる。
 恥ずかしい台詞を臆面もなく口にする浩一郎に困惑しながら、澪はグラスの縁を唇に寄せた。
 ふと、妊娠しているかもしれないことが脳裏を過ぎる。
 お腹に子がいたら、アルコールは控えなければいけないのではないか。
 澪はグラスに口を付けて、唇に液体を触れさせるだけに留めた。

「ごちそうさまでした。とても美味しいです」

 グラスを下ろすと、双眸を眇めてこちらを凝視している浩一郎と目が合う。
 飲んでいないことを咎められるかと思ったが、浩一郎はにこりと笑みを浮かべてチョコレートの入った器を差し出した。

「チョコレートと一緒に含むと美味しいんだよ。甘いものは好きかい?」
「はい。いただきます」

 銀色の紙にひとつずつ包まれたチョコレートを摘まむ。洋酒が含まれていない種類のようで、美味しくいただいた。
 ふいに、晃久は心配しているだろうかと気になった。
 彼に何も言わないまま出てきてしまったのだ。そうすることが互いのためなのだと信じたが、婚約披露のときとは事情が異なることに思い当たる。
 澪は、そっと下腹を撫でた。
 お腹の子はどうしよう。
 この子は晃久の子であり、澪の子だ。晃久の渇望したであろう大須賀家の血を引いている。
 晃久が産んでほしいと望んだのも、血筋が欲しいからということなのだと思う。
 他家の令嬢と結婚しても、この子は養子にもらうと言い出すだろうか。
 傍にいてほしかった。
 子どもに傍にいてほしい。自分の手で育てたい。
 晃久が他の人と結婚して、澪の隣にいてくれないならなおさら、晃久の子どもだけでも抱きしめて共に過ごしたい。
 そう思うのは澪の傲慢なのだろうか。

「澪君、どうしたんだい?」

 俯いて物思いに耽っていた澪は声をかけられて、はっとお腹から手を離す。

「いえ、何でもありません」

 まだ妊娠しているかも分からないのだ。浩一郎に相談することではないだろう。
 何気ない調子で、浩一郎は微笑みながら問いかけた。

「もしかして、妊娠してるのかい?」
「……えっ!? どうしてそのことをご存じなんですか」

 澪は驚いて身を引いた。
 そういえば浩一郎は自身がアルファであると語っていた。三種の性について認知している。

「まあ、今の澪君の仕草を見ればわかるよ。とても美しくて惹かれるからオメガかと思ったけれど、やはりそうなんだね。しかし晃久に先に手を出されていたとはね。出遅れてしまったな」

 かまをかけられたようだ。澪の言動が分かりやすいのだろう。
 惹かれるだとか出遅れただとか、浩一郎は澪に好意を持っているようなことを口にするが、どう捉えれば良いのか困ってしまう。

「まだはっきりと妊娠したとわかったわけじゃないんです。可能性があるという、お医者さまの話です」
「なるほど」

 頷いた浩一郎の姿がぼやける。澪は目を擦ろうとして手を持ち上げたが、急な目眩を覚えてテーブルに手を付いた。

「う……」

 なぜか視界がぐらつく。一体どうしたというのだろう。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

天の求婚

紅林
BL
太平天帝国では5年ほど前から第一天子と第二天子によって帝位継承争いが勃発していた。 主人公、新田大貴子爵は第二天子派として広く活動していた亡き父の跡を継いで一年前に子爵家を継いだ。しかし、フィラデルフィア合衆国との講和条約を取り付けた第一天子の功績が認められ次期帝位継承者は第一天子となり、派閥争いに負けた第二天子派は継承順位を下げられ、それに付き従った者の中には爵位剥奪のうえ、帝都江流波から追放された華族もいた そして大貴もその例に漏れず、邸宅にて謹慎を申し付けられ現在は華族用の豪華な護送車で大天族の居城へと向かっていた 即位したての政権が安定していない君主と没落寸前の血筋だけは立派な純血華族の複雑な結婚事情を描いた物語

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭

グラジオラスを捧ぐ

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
憧れの騎士、アレックスと恋人のような関係になれたリヒターは浮かれていた。まさか彼に本命の相手がいるとも知らずに……。

なんか金髪超絶美形の御曹司を抱くことになったんだが

なずとず
BL
タイトル通りの軽いノリの話です 酔った勢いで知らないハーフと将来を約束してしまった勇気君視点のお話になります 攻 井之上 勇気 まだまだ若手のサラリーマン 元ヤンの過去を隠しているが、酒が入ると本性が出てしまうらしい でも翌朝には完全に記憶がない 受 牧野・ハロルド・エリス 天才・イケメン・天然ボケなカタコトハーフの御曹司 金髪ロング、勇気より背が高い 勇気にベタ惚れの仔犬ちゃん ユウキにオヨメサンにしてもらいたい 同作者作品の「一夜の関係」の登場人物も絡んできます

処理中です...