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謀略の男爵 3
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浩一郎は、ぐいと澪の腕を引くと耳元に囁いた。
「澪君も気づいているんだろう? 私が晃久の、実の父親だということに」
「……え?」
瞠目して、極上の笑みを浮かべている浩一郎の顔を見返す。
晃久と、よく似た顔を。
「何を仰るんです。若さまの父上は亡くなった旦那様です」
「そういうことになってるね。だが晃久は伸介と全く似ていないだろう。顔も性格も全然違う。それに比べて、私と晃久は親子のように似ていると思わないか。晃久は私の若い頃に生き写しだよ。古い知り合いは晃久を見て、浩一郎が若返ったと驚くほどだ」
確かに覇気と自信に満ちた晃久は、物静かで穏やかな面影だった伸介とは似ていない。
けれど親子でも似ていない人もいる。他人の空似ということもある。
「どうして叔父さまはそんなことを仰るんですか。若さまを困らせたいのですか?」
先ほど晃久に土地を要求していたことが気になった。浩一郎は遠縁であるにもかかわらず、大須賀家の財産に自分も関わって然るべきと思っていると察せられた。
確信に満ちた浩一郎は口端を引き上げる。
「困らせているのは大須賀家のほうさ。何しろ、子のできない藤子の面倒を見てくれと頼んできたのは幸之介なんだからね」
思いもしない話に、澪は茫然とした。体から力が抜けて、すとんと椅子に座ってしまう。
「え? だって、奥様はご結婚されて……旦那様は……」
「澪君が生まれる前の話だ。伸介と藤子の夫婦仲は始めから冷め切っていた。跡継ぎがいないのに伸介は愛人の元に通っている。このままでは、もし愛人に男の子が生まれれば、子のいない藤子はいずれ立場を無くしてしまう。そこで藤子は幸之介に訴えたのさ。愛人を殺してくださいとね」
澪は息を呑む。殺すだなんて穏やかではない。浩一郎の作り話だと思いたかった。
ブランデーグラスを回しながら、浩一郎は冷めた目で遠くを見る。
「愛人を殺しても何の解決にもならないよ。だが嫉妬に目が眩んだ藤子が自分でやりかねないと危惧した幸之介は、最良かつ効率的な方法を選んだ。私というアルファに子を授けさせれば良いとね。もちろん伸介は承諾している。そして晃久という大須賀家の跡取りは無事に生まれた」
今まで不可思議に思っていた晃久や藤子の言動に納得がいった。
澪が伸介の子であり幸之介の唯一の孫であるという言葉は、つまり晃久が大須賀家の血を引いていないという事実に基づいていたのだ。
晃久は知っていた。
自分が伸介の子ではないということに。
澪とは兄弟ではないということに。
だから、それについては問題ないと断言していた。
「若さまは……ご存じなんですか? 叔父さまが、本当の父親だということを」
喉奥で笑った浩一郎は、澪の眸の奥を覗き込んだ。
「あいつは聡いからね。子どもの頃の晃久は私によく懐いていた。だが伸介には見向きもしなかったな。誰に言われなくても、大人の態度を見れば肌で感じるんじゃないかな」
子どもの頃の晃久が出生についての影を抱えているとは全く気づかなかった。彼はいつでも朗らかに笑っていて、澪と楽しく遊んでくれた。
それが、晃久の仮面だったのだろうか。
本当の父親ではないと知りながら、優秀な伯爵家の御曹司という仮面を被り続けてきた少年の晃久は、どれほど心の傷を押し込めていたのだろうか。
衝撃的な事実に身を震わせていると、浩一郎は宥めるように肩を抱いてきた。
「だから私が大須賀家に関わりたいと思うのは当然のことなんだよ。できれば澪君はオークションのときに引き取ってあげたかった」
「……え。どうしてですか?」
「君は大須賀家の最後の、正統な血筋なんだ。それを晃久が放っておくはずがない。懐柔して自分のものにして、言うことを聞かせる。当主に就任するまで。つまり今日までだ」
どういうことなのだろう。
今日までとは、なぜなのだろう。
疑問に思う澪の肩を浩一郎はいっそう引き寄せる。耳に呼気がかけられた。
「大須賀家を継ぐには、君という正統な血が障害になるからね。アルファという立場を利用して飼い慣らし、相続権を放棄させる。就任が済めば用なしだ。今度は晃久に追い出されるかもしれない」
想像もしなかった話に瞠目する。
晃久が、澪を邪魔に思っているなんて。すべて大須賀伯爵家の当主となるためだったなんて。信じられなかった。晃久と過ごした数々の思い出が脳裏に蘇る。
「そんなことありえません。若さまは僕のためを思って色々と配慮してくださったんですから」
雨の日に口づけをして、花嫁にすると誓ってくれた。オークションでは大金を払って澪を引き取り、別荘でトキから犯されそうになったところを助けてくれた。妊娠したかもしれないと長沢に告げられたときも、産んでくれと強く言ってくれた。
「澪君が晃久を信頼しているのはよく分かる。だからこそ、最後に潔く身を引くべきじゃないかな。晃久のために」
「若さまのため……?」
「澪君も気づいているんだろう? 私が晃久の、実の父親だということに」
「……え?」
瞠目して、極上の笑みを浮かべている浩一郎の顔を見返す。
晃久と、よく似た顔を。
「何を仰るんです。若さまの父上は亡くなった旦那様です」
「そういうことになってるね。だが晃久は伸介と全く似ていないだろう。顔も性格も全然違う。それに比べて、私と晃久は親子のように似ていると思わないか。晃久は私の若い頃に生き写しだよ。古い知り合いは晃久を見て、浩一郎が若返ったと驚くほどだ」
確かに覇気と自信に満ちた晃久は、物静かで穏やかな面影だった伸介とは似ていない。
けれど親子でも似ていない人もいる。他人の空似ということもある。
「どうして叔父さまはそんなことを仰るんですか。若さまを困らせたいのですか?」
先ほど晃久に土地を要求していたことが気になった。浩一郎は遠縁であるにもかかわらず、大須賀家の財産に自分も関わって然るべきと思っていると察せられた。
確信に満ちた浩一郎は口端を引き上げる。
「困らせているのは大須賀家のほうさ。何しろ、子のできない藤子の面倒を見てくれと頼んできたのは幸之介なんだからね」
思いもしない話に、澪は茫然とした。体から力が抜けて、すとんと椅子に座ってしまう。
「え? だって、奥様はご結婚されて……旦那様は……」
「澪君が生まれる前の話だ。伸介と藤子の夫婦仲は始めから冷め切っていた。跡継ぎがいないのに伸介は愛人の元に通っている。このままでは、もし愛人に男の子が生まれれば、子のいない藤子はいずれ立場を無くしてしまう。そこで藤子は幸之介に訴えたのさ。愛人を殺してくださいとね」
澪は息を呑む。殺すだなんて穏やかではない。浩一郎の作り話だと思いたかった。
ブランデーグラスを回しながら、浩一郎は冷めた目で遠くを見る。
「愛人を殺しても何の解決にもならないよ。だが嫉妬に目が眩んだ藤子が自分でやりかねないと危惧した幸之介は、最良かつ効率的な方法を選んだ。私というアルファに子を授けさせれば良いとね。もちろん伸介は承諾している。そして晃久という大須賀家の跡取りは無事に生まれた」
今まで不可思議に思っていた晃久や藤子の言動に納得がいった。
澪が伸介の子であり幸之介の唯一の孫であるという言葉は、つまり晃久が大須賀家の血を引いていないという事実に基づいていたのだ。
晃久は知っていた。
自分が伸介の子ではないということに。
澪とは兄弟ではないということに。
だから、それについては問題ないと断言していた。
「若さまは……ご存じなんですか? 叔父さまが、本当の父親だということを」
喉奥で笑った浩一郎は、澪の眸の奥を覗き込んだ。
「あいつは聡いからね。子どもの頃の晃久は私によく懐いていた。だが伸介には見向きもしなかったな。誰に言われなくても、大人の態度を見れば肌で感じるんじゃないかな」
子どもの頃の晃久が出生についての影を抱えているとは全く気づかなかった。彼はいつでも朗らかに笑っていて、澪と楽しく遊んでくれた。
それが、晃久の仮面だったのだろうか。
本当の父親ではないと知りながら、優秀な伯爵家の御曹司という仮面を被り続けてきた少年の晃久は、どれほど心の傷を押し込めていたのだろうか。
衝撃的な事実に身を震わせていると、浩一郎は宥めるように肩を抱いてきた。
「だから私が大須賀家に関わりたいと思うのは当然のことなんだよ。できれば澪君はオークションのときに引き取ってあげたかった」
「……え。どうしてですか?」
「君は大須賀家の最後の、正統な血筋なんだ。それを晃久が放っておくはずがない。懐柔して自分のものにして、言うことを聞かせる。当主に就任するまで。つまり今日までだ」
どういうことなのだろう。
今日までとは、なぜなのだろう。
疑問に思う澪の肩を浩一郎はいっそう引き寄せる。耳に呼気がかけられた。
「大須賀家を継ぐには、君という正統な血が障害になるからね。アルファという立場を利用して飼い慣らし、相続権を放棄させる。就任が済めば用なしだ。今度は晃久に追い出されるかもしれない」
想像もしなかった話に瞠目する。
晃久が、澪を邪魔に思っているなんて。すべて大須賀伯爵家の当主となるためだったなんて。信じられなかった。晃久と過ごした数々の思い出が脳裏に蘇る。
「そんなことありえません。若さまは僕のためを思って色々と配慮してくださったんですから」
雨の日に口づけをして、花嫁にすると誓ってくれた。オークションでは大金を払って澪を引き取り、別荘でトキから犯されそうになったところを助けてくれた。妊娠したかもしれないと長沢に告げられたときも、産んでくれと強く言ってくれた。
「澪君が晃久を信頼しているのはよく分かる。だからこそ、最後に潔く身を引くべきじゃないかな。晃久のために」
「若さまのため……?」
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