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伯爵家の真実 1

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 澪の心のよすがは、晃久から贈られた一輪の薔薇だった。
 真紅の薔薇の花弁を眺めていれば心が安らぐ。晃久との幸福な未来を思い描くことができる。
 そっと下腹に手を宛ててみた。
 本当に子はいるのだろうか。今のところは全く自覚がない。

「澪! 澪、どこだ!」

 晃久が呼ぶ声に、慌てて生垣から顔を出す。

「若さま、ここです。どうしました?」
「澪。また庭いじりか。もう仕事はしなくていいと言ったろう。休んでいろ」

 晃久の指示で、澪は庭師の仕事を休ませると使用人たちに言い含めてあった。けれど庭の手入れは好きでしていることなので、無理のない範囲で行っている。

「大丈夫ですよ。疲れていませんから」

 晃久は澪の腰を攫い、庭園から連れ出した。お腹に子がいることを気遣ってか、診療所に行ってからの晃久は過保護すぎるほどだ。

「ここはもういい。家に戻って着替えるんだ」
「着替えですか……?」
「榊侯爵が来ている。今は母と話し中だが、皆を交えての話し合いの場を設けた。そこで、お爺さまと澪を会わせよう」
「はい……分かりました」

 結婚式についての話し合いだろうか。先ほどの藤子の弾んだ声を聞けば、晃久と恵子との結婚は間近なのだと思われた。
 晃久は澪を花嫁にすると誓ってくれたが、それはふたりだけの話であって、大須賀家を取り巻く現実としては華族の家同士の結婚は避けて通れない。
 家に戻った澪は、以前晃久から贈られた若草色のスーツに袖を通す。
 卓袱台に飾られた薔薇を見れば、数日経っているのに、薔薇は変わらず美しく咲き誇っていた。
 薔薇はいずれ枯れてしまう。茶色に変色した花弁が萎れるさまを見るのは哀しいが、それが薔薇の運命なのだ。
 運命を受け入れるしかないのだ。
 晃久や藤子や、恵子を恨むような気持ちを抱いてはいけない。身近な人が幸せになることを願い、祝福しなければ。

「大丈夫……大旦那様をお見舞いするだけ。あとは皆様にご挨拶するだけ。それだけだから」

 緊張に身を震わせていると、隣室で待っていた晃久に声をかけられる。

「澪、着替えたか?」
「あ、はい」

 以前は澪の家に入ったことはなかった晃久だが、戻ってきた夜に泊まってからは度々出入りするようになった。それは晃久が気にしなくなったというよりは、澪が主人と使用人としての垣根を越えてはいけないと頑なに拒んでいた気持ちが薄れたからだった。

「ネクタイをしろ。カフスも付けてやる」

 晃久の手により、丁寧にネクタイを締めてもらう。袖口のカフスも付けてもらった。宝石で造られたカフスは、きらりと煌めきを放つ。
 最後に晃久は大きな手を伸ばし、手櫛で澪の髪を整えた。少し長めの髪は無造作に纏められる。

「よし。いいだろう。話し合いでは俺がすべて説明する。おまえは何も心配しなくていい」

 前髪を掻き上げた額に、ちゅ、と口づけをひとつ落とされる。澪は頬を朱に染めながら、額に指先で触れた。

「分かりました。若さまにお任せします」

 晃久と共に屋敷へ向かう。壮麗な表玄関から入るのは気後れがしたが、若さまと一緒なら大丈夫と己の胸に言い聞かせて歩を進める。
 客用の応接室や談話室など幾つかの部屋を通り過ぎる。廊下の奥には幸之介の寝室と書斎があり、その手前に幸之介の特別なお客様を迎えるための応接室があった。

「失礼します」

 晃久が入室すると、藤子と榊侯爵は既に応接室で待っていた。部屋には革張りの豪奢なソファーセットが置かれており、ふたりはそこに座っている。

「お義父さまはお体の具合が優れないのだそうだけれど、あなたのお話を聞きたいと用意してくださっているところよ。……晃久、その使用人をまさか同席させるつもりじゃないでしょうね」

 藤子は早速、澪に目をつけた。険しい顔つきになった藤子に怯えた澪は恐縮する。
 晃久は身を引こうとする澪の肩に手を回した。

「そのとおりです。澪は亡くなった父の子ですから、大須賀家の人間です。彼にも同席してもらいます」
「冗談じゃないわ。愛人の子なんですから、大須賀家の一員ではありません。それがいればあなたの地位を脅かすことになるのよ。私が何度排除しようと手を尽くしたことか。それもすべてあなたが当主となり、立派に大須賀家を継ぐためなのに、どうして分からないの」

 晃久は冷めた目で藤子を見た。澪を促し、ソファに並んで腰掛ける。

「澪に当主の座を奪おうという気はありませんよ。大須賀家の当主となるのは、俺です。澪はお爺さまの孫に当たるわけですから、血のつながった祖父の病気を見舞うことに何か問題がありますか」
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