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耽溺の別荘 9

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 頬が朱に染まるが、すぐに理屈を呑み込んで、すうと冷めていった。
 この一ヶ月余りの濃厚な行為は、晃久が三万円の金を払った分、満足するためのものだったのだ。どうしてそんな当たり前のことに気づかなかったのだろう。
 澪は金で買われたのだから、それがたとえ晃久であっても、商品として彼の欲望を満たさなければならない。一日千円として約一ヶ月間。それは適正な金額なのか澪には全く判断がつかないが、晃久としてはそういった基準になっていたらしい。

 愛していたからじゃない。
 絶望的な思いに心が深く沈んでいく。
 若さまが、僕を、愛するわけない……。
 あくまでも所有物。それ以上でも以下でもない。
 始めから分かりきっていたことなのに、一体自分は何を期待していたのだろう。
 澪の気持ちなど知らない晃久は肉を食らいながら淡々と語る。

「おまえは真面目に働いて返す方法しか思いつかないんだな。三万くらい簡単に作れるぞ。考えてみろ。澪は大須賀伸介の実子なんだ。自分こそ後継者であると主張して財産分与の権利を申し立てれば、三万どころか一生遊んで暮らせる金が手に入る」
「何を仰るんですか。そんなことできません。若さまがいらっしゃるんですから、次期当主は若さまです」

 澪が後継者ですなんて堂々と言えるわけがない。晃久は幼い頃から勉学を重ねて、帝王学や経営学を学んできたのだ。晃久こそ絶対的な王なのだ。澪には庭いじりをするのが性に合っている。会社経営や伯爵家の当主なんてできるわけがない。
 まして伸介の子であることを盾にしてお金を要求するなんて罰が当たる。
 これまで母と共に屋敷内に住まわせてもらえたのも、幸之介が許可してくれたおかげなのだ。追い出そうと思えば、澪たち母子はいつでも路頭に迷っていた。
 次期当主は晃久だと誰もが認めていることで、澪も何度も口にしたのに、晃久はさも珍しいことを耳にしたように眸を瞠る。

「おまえは本当に仮面をつけていないんだな」
「仮面? 何です、それ」
「人は誰でも仮面をつけているものだ。貞淑な伯爵夫人、面倒見の良い叔父、慇懃な支配人、忠実な下男。だがその仮面の下は皆同じ顔をしている」

 瞬いていると、晃久は口端を引き上げた。今までに見た彼のどんな顔よりも、それは皮肉に彩られていた。

「亡者さ。金、欲、金が入るための己の立場の確保。俺だってそうだがな。伯爵家の次期当主という仮面を被っている。俺を含めた仮面の亡者どもには、反吐が出る」

 鼻で嗤う晃久はグラスの水を飲み干す。晃久が周囲の人間にそういった考えを抱いていることは初めて耳にした。
 彼は、孤独なのだ。
 伯爵家の次期当主という肩書きを心のどこかで重荷に感じている。周りの期待が大きすぎるためかもしれない。いつも自信に満ち溢れている晃久が重圧に押し潰されるなんて有り得ないと誰もが思うから。
 ふいに晃久は真摯な眼差しをして、澪を真っ直ぐに見た。

「だから俺は澪に惹かれる。仮面をつけていない、裏も表もない、純粋な愚か者のおまえに」

 澪は力強い眸で見据える晃久の視線を受け止める。
 晃久は、澪を必要としてくれる。
 愚か者でもいい。彼が求めてくれるのなら、その想いに応えたい。

「僕も、若さまに惹かれています。若さまに初めて会ったときから、あなたは僕の王ですから」

 晃久が愛しげに双眸を眇める。
 澪の胸が、彼への愛しい想いにきゅうと引き絞られた。
 所有物でもいい。晃久の傍に、ずっといられたら。
 物言わぬ薔薇になって、晃久に愛でられていたら。
 そうして孤独な彼の心を癒すことができれば幸せなのに。
 食事を終えると、トキは静かに珈琲を運んできた。澪には砂糖とクリームも付けて、アイスクリームが盛られた器も添える。食器を下げるトキに晃久は言いつけた。

「トキ。澪のスーツを用意しておけ」
「かしこまりました」

 澪はアイスクリームを掬うスプーンを手にしながら、はっとして顔を上げた。
 衣服は別荘を訪れたときに纏っていたガウンと、部屋に用意されていた浴衣しかなかった。ほとんど裸で過ごしているので服が要らなかったのである。
 スーツを用意してくれるということは、まさか。

「若さま。もしかして、外へ出るんですか?」

 どこへ、とは怖くて聞けない。
 けれど晃久もいつまでも仕事を部下に任せてばかりいるわけにはいかないだろうし、澪の処遇も決めなくてはならない。
 晃久は珈琲カップに口をつけながら、澪に目をむけた。

「別荘で働きたいのは大須賀家に帰れないからだろう。お爺さまや母が許可しないと思っている。だが、澪の気持ちはどうなんだ」
「僕の気持ち……?」
「もし誰の許可もいらず、自分の気持ちに正直になれるとしたら、澪はどこで暮らしたいんだ?」
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