23 / 112
劇場 2
しおりを挟む
支配人は主人には返答せず、澪の頤に手をかけて眸を覗き込む。
「名前と年齢は?」
「澪です。年は二十です」
もうひとりの男性が、手にした帳面に書き留めた。硬質なペンの音が殺風景な室内に響く。
「性格は従順。正直だが、やや臆病。セックスの経験はあるか?」
「え……あ、あの……」
突然のあからさまな質問に、咄嗟に答えられない。晃久との濃厚な一夜が脳裏を過ぎり、頬が染まる。
何も答えないうちに、支配人は語り続けた。
「暴行されてないな。いいね。まだ初々しい。これは高値が付きそうだ」
なぜ見ただけで澪の性格や経験まで分かるのだろう。高値とは、どういうことだろう。劇場で澪を買ってくれるのではないのだろうか。
支配人は澪の頤から手を離すと、主人にわずかに顔をむけた。
「そちらの取り分は一割だ。手数料はこちらが持つ」
「ありがとうございます。ぜひとも、よろしくお願いいたします」
礼を述べた主人に、帳面が差し出される。契約書らしきものに主人はサインをした。澪は、ぽつりと質問をする。
「あの……あなたが僕の新しいご主人なのですか?」
主人は余計なことを聞くなというように睨んだが、支配人は平静に返した。
「いいや。君の新しいご主人は、これからオークションで決まるんだ」
「オークション……?」
「貴重な美術品を入札して売買する競売のことだ。うちは絵画や骨董、そして愛人を商品として扱っている。ここに来るまでに立派な邸宅が並んでいただろう。あそこの別荘で過ごす華族や豪商がお客様だ。お金持ちの紳士が多いから、落札されれば良い暮らしができるよ」
「愛人……。僕は、愛人として売られるんですね……」
お客は取らなくても良いのだと思ったが、愛人として売られるなら同じことだ。澪を競売で落札した新しい主人と枕を共にしなければならない。
高値というが、一体いくらくらいなのだろう。澪には想像もつかないが、いっそ安値で買ってもらい、掃除係として使ってもらえないだろうか。
でも、それは澪が決めることではなかった。周りの男たちの言うことを聞かなければならない。
絶望する澪は支配人に促されて、施設の奥に足を踏み入れた。そこで主人とは別れる。
「こちらでお待ちください。御用があればアシスタントの私が伺います」
とある部屋の扉を開けたアシスタントと名乗る細面の男性に、中へ入るよう示唆される。
部屋に一歩踏み入れた澪は、思わず足を止めた。
豪奢な部屋は真紅のビロードの壁に覆われて、同じ素材のソファがぐるりと張り巡らされていた。足下も毛足の長い緋色の絨毯が敷かれている。照明は煌めくシャンデリアが吊されており、とても眩しい。非日常の淫靡な空間に、澪と同年代と思われる男子が四人、ソファに座っていた。似たようなガウンを着用している彼らに怯えた目つきをむけられて、これから自分が商品として売られるという現実を自覚する。
澪は俯きながらソファの端に腰を下ろした。
誰もひとことも発しない。これからの自分の運命に、皆が戦慄いていた。
ややあって扉が開き、びくりと肩を跳ねさせる。
先ほどのアシスタントの男性が銀盆を携えて入室してきた。盆には鮮やかなオレンジ色の液体が入ったグラスが五つ乗せられている。それを男子の前にある小さなテーブルに、ひとつずつ置いていった。
「これなに? 変な薬、入ってないよね?」
澪の隣に座っている男子が涙声で聞いた。
薬、という単語に澪はぎくりとする。
「ただのオレンジジュースです。出番が来たらお呼びしますので、それまでリラックスしてお待ちください」
アシスタントの男性は淡々と告げる。この待遇は商品である澪たちを安心させるためのものらしい。隣の男子は信用できないのか、訝しげにグラスを見ていた。
突然、硝子が割れる音が部屋に響き渡る。びくりと体が跳ねた。零れたオレンジジュースの染みが、みるみる緋の絨毯に広がっていく。
グラスを投げつけた男子は激昂して立ち上がった。
「イヤだ! 俺は帰る、家に帰るんだ!」
感情を爆発させて喚き散らす男子など珍しくもないように、アシスタントの男性は黙々と壊れたグラスを片付ける。
ふいに、大須賀家を出る日に、藤子から紅茶のカップを投げつけられたことを思い出した。
こんな風に感情を露わにできることが羨ましくもあった。
きっと自分の考えは正当なもので、揺るがない地に立っているという自信があればこそ主張できるのだろう。幼い頃から日陰の身である母を見て育ち、今は帰る家もない澪には到底できない所行だ。
唇を噛んで俯く澪の脇で喚いた男子は走り出し、扉から部屋の外へ出ようとした。
ところが、扉の外には屈強な男たちが待ち構えていた。逃げようとした男子はすぐに捕まってしまう。
「はなせ! はなせぇ!」
「名前と年齢は?」
「澪です。年は二十です」
もうひとりの男性が、手にした帳面に書き留めた。硬質なペンの音が殺風景な室内に響く。
「性格は従順。正直だが、やや臆病。セックスの経験はあるか?」
「え……あ、あの……」
突然のあからさまな質問に、咄嗟に答えられない。晃久との濃厚な一夜が脳裏を過ぎり、頬が染まる。
何も答えないうちに、支配人は語り続けた。
「暴行されてないな。いいね。まだ初々しい。これは高値が付きそうだ」
なぜ見ただけで澪の性格や経験まで分かるのだろう。高値とは、どういうことだろう。劇場で澪を買ってくれるのではないのだろうか。
支配人は澪の頤から手を離すと、主人にわずかに顔をむけた。
「そちらの取り分は一割だ。手数料はこちらが持つ」
「ありがとうございます。ぜひとも、よろしくお願いいたします」
礼を述べた主人に、帳面が差し出される。契約書らしきものに主人はサインをした。澪は、ぽつりと質問をする。
「あの……あなたが僕の新しいご主人なのですか?」
主人は余計なことを聞くなというように睨んだが、支配人は平静に返した。
「いいや。君の新しいご主人は、これからオークションで決まるんだ」
「オークション……?」
「貴重な美術品を入札して売買する競売のことだ。うちは絵画や骨董、そして愛人を商品として扱っている。ここに来るまでに立派な邸宅が並んでいただろう。あそこの別荘で過ごす華族や豪商がお客様だ。お金持ちの紳士が多いから、落札されれば良い暮らしができるよ」
「愛人……。僕は、愛人として売られるんですね……」
お客は取らなくても良いのだと思ったが、愛人として売られるなら同じことだ。澪を競売で落札した新しい主人と枕を共にしなければならない。
高値というが、一体いくらくらいなのだろう。澪には想像もつかないが、いっそ安値で買ってもらい、掃除係として使ってもらえないだろうか。
でも、それは澪が決めることではなかった。周りの男たちの言うことを聞かなければならない。
絶望する澪は支配人に促されて、施設の奥に足を踏み入れた。そこで主人とは別れる。
「こちらでお待ちください。御用があればアシスタントの私が伺います」
とある部屋の扉を開けたアシスタントと名乗る細面の男性に、中へ入るよう示唆される。
部屋に一歩踏み入れた澪は、思わず足を止めた。
豪奢な部屋は真紅のビロードの壁に覆われて、同じ素材のソファがぐるりと張り巡らされていた。足下も毛足の長い緋色の絨毯が敷かれている。照明は煌めくシャンデリアが吊されており、とても眩しい。非日常の淫靡な空間に、澪と同年代と思われる男子が四人、ソファに座っていた。似たようなガウンを着用している彼らに怯えた目つきをむけられて、これから自分が商品として売られるという現実を自覚する。
澪は俯きながらソファの端に腰を下ろした。
誰もひとことも発しない。これからの自分の運命に、皆が戦慄いていた。
ややあって扉が開き、びくりと肩を跳ねさせる。
先ほどのアシスタントの男性が銀盆を携えて入室してきた。盆には鮮やかなオレンジ色の液体が入ったグラスが五つ乗せられている。それを男子の前にある小さなテーブルに、ひとつずつ置いていった。
「これなに? 変な薬、入ってないよね?」
澪の隣に座っている男子が涙声で聞いた。
薬、という単語に澪はぎくりとする。
「ただのオレンジジュースです。出番が来たらお呼びしますので、それまでリラックスしてお待ちください」
アシスタントの男性は淡々と告げる。この待遇は商品である澪たちを安心させるためのものらしい。隣の男子は信用できないのか、訝しげにグラスを見ていた。
突然、硝子が割れる音が部屋に響き渡る。びくりと体が跳ねた。零れたオレンジジュースの染みが、みるみる緋の絨毯に広がっていく。
グラスを投げつけた男子は激昂して立ち上がった。
「イヤだ! 俺は帰る、家に帰るんだ!」
感情を爆発させて喚き散らす男子など珍しくもないように、アシスタントの男性は黙々と壊れたグラスを片付ける。
ふいに、大須賀家を出る日に、藤子から紅茶のカップを投げつけられたことを思い出した。
こんな風に感情を露わにできることが羨ましくもあった。
きっと自分の考えは正当なもので、揺るがない地に立っているという自信があればこそ主張できるのだろう。幼い頃から日陰の身である母を見て育ち、今は帰る家もない澪には到底できない所行だ。
唇を噛んで俯く澪の脇で喚いた男子は走り出し、扉から部屋の外へ出ようとした。
ところが、扉の外には屈強な男たちが待ち構えていた。逃げようとした男子はすぐに捕まってしまう。
「はなせ! はなせぇ!」
0
お気に入りに追加
1,131
あなたにおすすめの小説
天の求婚
紅林
BL
太平天帝国では5年ほど前から第一天子と第二天子によって帝位継承争いが勃発していた。
主人公、新田大貴子爵は第二天子派として広く活動していた亡き父の跡を継いで一年前に子爵家を継いだ。しかし、フィラデルフィア合衆国との講和条約を取り付けた第一天子の功績が認められ次期帝位継承者は第一天子となり、派閥争いに負けた第二天子派は継承順位を下げられ、それに付き従った者の中には爵位剥奪のうえ、帝都江流波から追放された華族もいた
そして大貴もその例に漏れず、邸宅にて謹慎を申し付けられ現在は華族用の豪華な護送車で大天族の居城へと向かっていた
即位したての政権が安定していない君主と没落寸前の血筋だけは立派な純血華族の複雑な結婚事情を描いた物語
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~
松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。
ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。
恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。
伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。
婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。
彼の理想に
いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。
人は違ってもそれだけは変わらなかった。
だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。
優しくする努力をした。
本当はそんな人間なんかじゃないのに。
俺はあの人の恋人になりたい。
だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。
心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる