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オメガの運命 3

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 望まない関係という言葉に、心の奥底が冷えた。
 昨夜は発情した澪のフェロモンに、アルファである晃久が自分の意思とは無関係に誘われてしまったということなのだ。良い匂いがするというのは、オメガの発するフェロモンが原因だった。
 晃久が望んだわけではなかった。
 その事実が鮮明になり、澪は唇を震わせる。
 差し出された薬の包みを、震える指先でようやく掴んだ。

「あの……先生。僕は男なんですが、本当に妊娠……するのでしょうか。とても信じられないんですけど……」

 昨夜、晃久に抱かれて何度もこの身に精を受けた。まさかという懸念が膨れ上がる。
 長沢は澪と晃久を眼に収めて、無情に告げた。

「私は男性のオメガの妊娠例を見たことはないので何とも言えない。体調不良を感じたら、いつでも診察しよう」

 鞄を手に取り、長沢は退出した。口には出されなかったが、澪と晃久が関係を持ったことは医師の長沢には見透かされているだろう。見送りに出た晃久がいなくなると、部屋にひとり残された澪は薬を手にしてぼんやりと考え込む。
 突然三種の性だとか、未知のことを告げられても理解できない。ただ、母が薬を服用していたのは事実だ。それに母からも甘い良い香りがしていたことを覚えている。
 母は女性だから澪を出産しても何も不思議はなかったわけだが、もし澪が子どもなど産めば、それこそ人間ではないという烙印を押されてしまうかもしれない。
 晃久の傍に、いられなくなるかもしれない。
 涙を浮かべる澪の前に、そっと水の入ったコップが置かれた。

「薬を飲むか?」

 部屋に戻ってきた晃久の眼差しや口調は常と変わらない。澪がオメガと知って軽蔑されるかもしれないと一抹の不安を抱いていたが、元から三種の性についての知識があったためか、晃久は平静に受け止めてくれたようだ。澪は慌てて目元を袖で拭う。

「はい。長沢先生の言いつけですから、ちゃんと薬を飲みます」

 差し出された水で錠剤を二粒、服用した。包みには朝晩二錠ずつ、と記載してある。どうやら三ヶ月分用意されているようだ。発情期は定期的に訪れると長沢は言っていた。ひとまず薬を服用すれば症状は落ち着くのだろう。
 薬が喉を通れば、体の疼きは収まったような気がする。こんなに早く効かないと思うけれど、長沢の話が驚愕する内容だったので体の反応を凌駕していた。
 情欲が落ち着けば、昨夜のことから長沢の説に至るまでの一連の出来事がぐるぐると胸の裡を渦巻く。
 
 妊娠するかもしれない。
 晃久は、どう思っているのだろうか。澪と体を重ねたことは、過ちだったと反省しているのだろうか。男が妊娠するなんて気味が悪いと言われたらどうしよう。怖くて、彼の顔を見れない。
 俯いて震える澪に、晃久は何気ない調子で声をかけた。

「妊娠するかもしれないな」
「……え? でも、まさかそんなわけ……」

 眸を瞬かせていると、晃久は平然と言い放つ。

「セックスして中出ししたんだ。俺の子を妊娠するかもしれないだろう」
「なっ……なか……、若さま、そんなことあるわけないです」

 卑猥な単語を堂々と口にする晃久に恥ずかしくなり、澪のほうが赤面する。
 晃久は至って真面目な顔をして、考え込むように顎に手を遣った。

「おまえの奥に、子宮口のような感触があったので不思議に思ったんだ。それに濡れていただろう。澪は特別な体を持っている。今までは眉唾物だったが、三種の性の説に納得できた」

 冷静に分析する晃久を茫然として見遣る。確かに彼の指摘するとおりだ。
 けれど、晃久の心に感情は介在しないのだろうか。澪のこともオメガについても、何も感じないのだろうか。

「若さまは……僕がオメガでも何とも思わないんですか? 僕は、まともな人間じゃないのに、そんな僕と体をつないで……汚いとか、思わないんですか?」

 虚を突かれたように瞠目した晃久は、すぐに真摯な眼差しをして澪に向き直る。

「澪。自分を貶めるのはやめろ。おまえは汚くなどない。それにオメガが異常という考え方はよせ。稀少であることは価値のあることだ」
「はい……」

 晃久は感情よりも、価値を優先させている。澪を気遣ってのことというよりは、客観的な見方で判断した上での台詞だ。聡明な晃久らしい言い分だった。そこには不快などの感情的な余地は入らないのだろう。
 だからこそ、彼が分からない。
 妊娠するかもしれないという晃久の言葉は、単なる可能性を指摘しただけで、彼の希望ではないのだ。
 居たたまれなくなり、澪は残った薬の包みを手にして立ち上がった。足下がふらついたが、気丈に踏みしめる。

「僕、そろそろ家に戻ります。少しひとりになって考えます。母さんのこととか……」

 何か言いたげに口を開いた晃久だが、一旦口を噤んだ。彼も立ち上がり、澪の腰に手を回す。

「そうか。送ろう」
「いえ、平気です。ひとりで帰れますから」
「駄目だ。送る。俺の言うことを聞け」

 半纏を着直され、晃久の腕に包まれるようにして廊下へ出る。
 結局は晃久に逆らうことなどできはしない。
 それも、アルファとオメガという三種の性の優位性に基づくものなのだろうか。
 気持ちなんて、関係ないのかな……。
 澪はそっと切ない溜息を吐いた。
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