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1巻

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 そのため、こうして反発心が湧き起こるときがある。

「そんなこと、お義兄にいちゃんが勝手に決めないで! 戻るなって言われても、荷物はどうするの?」
「すべて俺が手配するから、悠愛はここにいろ。俺を勝手とののしるが、悠愛が至らないからこんな状況におちいるんだぞ。トラブルが起こらなければこんなことはしなかった。ろくでもない事態になったら家族が迷惑する。それは困るだろう?」

 倒産騒ぎやストーカーの問題は私が引き起こしたわけではないけれど、家族に迷惑をかけるのは本意ではない。できれば両親には何も知らせたくなかった。
 龍我に説得され、私は渋々頷いた。
 しばらくは彼の言うとおり、このマンションで暮らすしかなさそうだ。

「……わかった。お義兄にいちゃんと、ここで暮らす……」

 小さな声で了承すると、笑みを浮かべた龍我はようやく壁についていた手を下ろした。

「それじゃあ、悠愛の部屋に案内するよ」

 思いがけないことを告げられて、私は目をしばたたかせる。

「……えっ? 私の部屋があるの?」
「そう。悠愛のために用意しておいたんだ」

 龍我は私の背に手を添えてうながした。空いている客間があるという意味かもしれないと思い直した私は素直に従う。
 リビングから廊下へ出ると、いくつかの扉が並んでいた。

「この奥の扉は俺の寝室。隣が悠愛の部屋だから」

 開け放たれた部屋を一目見た私は、奇妙な既視感に襲われて、くらりとする。
 窓にかけられたピンク色のカーテン。向かって右手に置かれたベッド。左側には白木造りの机と椅子が鎮座している。机の隣には肩くらいの高さの白い本棚が設置されていた。

「この部屋……実家の私の部屋と全く同じ配置じゃない?」
「そうだな。このほうが悠愛が安心できるかなと思って、同じにしてみたんだ」

 私と龍我が独立したので、都内の実家には両親が住んでいる。実家とは言うが、正確には義父と前妻の息子である龍我が住んでいた一軒家だ。そこに再婚した母と私が移り住んだのだった。
 狭いアパートから豪邸のような一軒家に引っ越し、しかも自分の部屋まで用意されていたときには、素晴らしい待遇に驚いたものだ。
 もう十年前のことになるけれど、あのとき感激したことは今でも鮮明に覚えている。
 今、このマンションにある家具は当然、実家の部屋に置かれたものと同一ではない。当時の私は小学生だったので、ベッドも勉強机も子供用だった。この部屋の家具は大人が使用するサイズのものだ。
 龍我が、私が安心するようにと気遣ってくれたことは嬉しい。
 だけど私の脳裏にはなぜか、蜘蛛くもからられる蝶の姿が浮かんだ。
 私はいつまでも、龍我の束縛から卒業できないのだ。そのことを、この部屋が象徴していた。
 龍我は現在二十七歳だ。結婚していてもおかしくない年齢の義兄が、義妹のために子ども部屋と同じ部屋を用意するのは、異常ではないだろうか。それとも、これも家族としての優しさの範疇はんちゅうに入るのだろうか。
 大人になり財力を手にした義兄はこれだけにとどまらない気がして、空恐ろしくなる。
 困惑する私の心中など知らず、龍我は腕時計を見やる。

「俺は会社に戻る。朝からショックを受けただろうし、悠愛は部屋で休んでいろ。あとで美味うまい飯を買ってきてやるから、マンションから出ずに大人しくしてろよ。何かあったら、ここに連絡するんだ」

 ジャケットの胸元から黒革の名刺入れを取り出した龍我は、一枚の名刺を引き抜いた。
 その裏面に、ペンでさらりと電話番号を書き込む。
 受け取った名刺には、龍我の携帯らしき電話番号が滑らかな書体でしるされていた。裏返すと、『株式会社ユーアイ・ファーストコーポレーション 代表取締役 池上龍我』とある。
 龍我の名刺をもらったのは初めてだ。
 何かあれば両親に聞けばよいので、連絡先をたずねたこともなかった。

「……ありがと。仕事中は迷惑になるから極力かけないけど、一応持っておくわ」

 そういえば、ひとり暮らしを始めるとき、龍我は私に連絡先を教えろとしつこくたずねてきたことがあった。
 あのときは、もう子どもじゃないのにと突っぱねたのだけど、今思えば、龍我は私が社会人として頼りないことを見越していたのかもしれない。
 落胆した私の肩に、大きなてのひらがそっとのせられる。

「遠慮しないで、いつでも連絡してきていいんだ。悠愛は、俺の大切な義妹いもうとなんだから」

 私に向けられた龍我の双眸そうぼうが、愛しいものを見守るかのように細められる。
 その愛情に反抗するなんて、いけないことかもしれない。
 名刺を手にした私は、曖昧あいまいに頷いた。


   ◆


 物心ついた頃には、私は母とふたりきりで暮らしていた。
 狭いアパートは黴臭かびくさく、隣の部屋から響く物音がうるさい。仕事が忙しい母はいつも派手な化粧をして出かけては、私に新しい彼氏の話をした。

「今度、悠愛にも会わせてあげるわね。悠愛も新しいお父さんがほしいでしょ?」

 幾度いくどとなく吐かれた定型文に、私はいつもどおり頷く。
 お母さんの男癖が悪いから離婚したのだろうな……と、小学生のときにはすでに察していた。
 けれど、毎回母の恋愛は長続きせず、新しいお父さんとして誰かを紹介されることは一度もなかった。
 これからもないのだろうと思い込んでいた矢先、思いがけないところからきっかけが舞い込む。
 偶然ペットショップで知り合った男の子の父親が、母を見初みそめたのだ。
 豪華なレストランに招待されて食事をしたとき、母はその場で交際を申し込まれた。
 紳士的で優しく、物腰が柔らかいその男性は会社の役員をしており、前妻には病気で先立たれたのだという。
 わずか一か月後、母は結婚した。
 互いに再婚なので式は行わず、親戚とも疎遠だから家族だけでお祝いするという形だった。
 新しい家族となった義父と義兄が住む家に同居するため、私たちはアパートから引っ越した。
 辿たどり着いたのは、広い邸宅。
 ランドセルを背負い、学用品のみをたずさえた私は唖然とした。
 新しいお義父とうさんが、まさかこんなにお金持ちだったなんて。
 母は誇らしげに豪奢ごうしゃな邸宅を見上げた。

「あたしたちはシンデレラよ! もう二度とあんなみじめな生活はしなくて済むわ。これも、お母さんの美貌のおかげね。嬉しいでしょ、悠愛」
「う……ん……」

 浮かれる母に微苦笑を返す。母も義父がこのような豪邸に住んでいることを初めて知ったのではないだろうか。何しろ知り合って一か月しか経っていないのである。
 ともあれ、もう再婚したわけだから、母は幸せになってくれるはずだ。
 新しい住まいとなる家の玄関を開けると、義父が笑顔で出迎えてくれた。

「いらっしゃい、冴子さえこ。悠愛ちゃん。荷物はどうしたんだい? トラックを手配すると言ったのに、君という人は断ってしまうんだからね。私にも引っ越しを手伝わせてほしかったよ」
「本当にいいのよ、柊司しゅうじさん。手荷物以外は宅配便で送ったの。ほら、母子家庭だから物がないのよ」

 古い家具はすべて捨ててきた。服や靴も、貧乏人だとわかってしまうような安っぽい品物はすべて。高価な物などないので、残ったのは手荷物とわずかな着替えくらいである。
 あの古い木造アパートに義父を招いたことは無論ない。引っ越しの手伝いを断ったのも、今までの生活を見られたくないからだろう。
 それを察した私は黙っていた。
 足を踏み入れた豪奢ごうしゃな玄関はとても広く、ここだけで住んでいたアパートの部屋くらいはある。
 驚いて見回していると、龍我が階段を下りてきた。
 まぶしいほどの純白のシャツをまとい、微笑みを浮かべている彼は颯爽さっそうとしていて、まるで王子様のようだ。

「悠愛の部屋に案内するよ。ランドセルを置いてこようか」
「え……私の部屋……?」

 龍我とは何度か両親を交えて顔を合わせているので、もう気心は知れていた。
 義父と同じく、親切で優しい龍我に好感を持たないわけがない。彼が義兄になってくれたことはとても嬉しかった。
 私は龍我に連れられて階段を上り、二階へおもむいた。

「こっちが俺の部屋。そしてここが、新しい悠愛の部屋だよ」

 龍我の手により、扉が開かれた。
 眼前に飛び込んできた光景に、私は感嘆の声を上げる。

「わあ……!」

 ピンク色のカーテンに、真新しいアイボリーの絨毯じゅうたん。右側にはベッドがあり、その反対側に勉強机と椅子、その隣には本棚まで設置されている。家具はすべて白で統一され、どれもが新品だ。
 一間のアパートでは自分の部屋なんてなかったから、隅に小さな衣装ケースを置いて、そこに着替えのすべてを詰め込み、ケースの上にランドセルと勉強道具を重ねて置いていた。
 それなのに、まさかこんなに豪華な部屋を用意してもらえるなんて思ってもみなかった。まるで本物のお嬢様になったみたいだ。どきどきしながら背負っていたランドセルを下ろし、傷ひとつない勉強机に置く。

「すごい……ここ、私の部屋なの……?」
「そうだよ。家具もカーテンも、全部俺が選んだものなんだ。やっぱり女の子らしく、可愛いデザインがいいかなと思ってね。気に入ってくれた?」
「もちろんだよ。ありがとう……お、お義兄にいちゃん……」

 おずおずと、『お義兄にいちゃん』と口にする。
 今日から私たちは家族になるのだ。そして私と龍我は、義兄妹になる。
 三歳年上の龍我は中学三年生だから喧嘩けんかにはならないと思うけれど、義兄妹として仲良くやっていきたい。
 私の台詞せりふに、龍我は感激したように目を見開いていた。

「お義兄にいちゃん、か……いいね。俺たちは今日から義兄妹きょうだいだものな。これからは、俺が悠愛を守るからな。ずっと、俺が傍にいるよ……」

 そう言ってとろけるような笑みを浮かべた龍我は、私の頭を優しく撫でた。


 引っ越してきたその日の夜、ささやかなパーティーが開かれた。
 チキンやピザなどのご馳走が並べられ、ホールケーキまで用意されている。
 こんなに豪華な食卓は生まれて初めてだ。まるでお伽話とぎばなしの世界に迷い込んだみたい。
 今までクリスマスや誕生日のお祝いなんてしたことのなかった私は、ご馳走の並べられたテーブルがきらめいて見えた。

「すごい……ごちそうだよ、お母さん!」
「こら、悠愛。はしゃがないの」

 喜ぶ私を目にした義父は鷹揚おうように笑った。

「今日は引っ越し祝いだからね。簡単なものを注文したんだが、そんなに喜んでもらえるなんて嬉しいよ」
「ありがとう、柊司さん。明日からはあたしが作るわね。料理は得意なのよ」
「できる範囲でいいんだよ。冴子と結婚したのは、家政婦にするためじゃないのだから」
「まあ、そんな」

 家政婦ではないと言われた母は嬉しそうだ。
 母が料理をする姿なんて見たことがないので大丈夫だろうかと心配になったけれど、明日からの母は時間がある。お金持ちの奥様になったのだから、もうお店に出勤しなくてもよいのだ。
 私の隣に腰を下ろしていた龍我は、意味ありげな笑みを浮かべている。
 両親の微笑ましいやり取りが終わったのを見計らい、彼は私のほうを向く。

「引っ越しを記念して、悠愛にプレゼントがあるんだ」
「プレゼント? 私に?」

 プレゼントなんていうものを一度も受け取ったことのない私は驚いてしまう。
 席を立った龍我は、ダイニングを出て行った。品物は別室に置いているらしい。
 ややあって戻ってきた彼は、白い布のかけられた大きな箱を抱えていた。

「えっ……何だろう?」

 龍我がテーブルに箱を置いたとき、ばさりと中の物が動く音がした。
 みんなが注目する中、龍我は白い布を取り去る。

「さあ、これが悠愛へのプレゼントだよ」

 私は息を呑んだ。
 さらりと払われた布から現れたのは、鳥籠とりかごに入った青い鳥だった。
 龍我と初めて会ったときにペットショップで見た、『マメルリハ』という名のブルーインコだ。

「この子……あのときの……?」
「そうだよ。俺が買ってあげると約束しただろう? 悠愛に喜んでもらいたかったから、俺の小遣いで買ったんだ」

 プレゼントが生き物だと知った母が眉根を寄せた。母は動物が嫌いなのだ。

「ちょっと待ってちょうだい。悠愛にはペットの世話なんてできないわ。学校があるんだから忙しいし、飼っちゃダメって前から禁止してたのよ」
「俺が一緒に面倒を見るよ。悠愛が世話を投げ出しても、責任は俺が持つ。それならいいだろ? 冴子さん」

 母の反対を予期していたかのように、龍我は畳みかけた。
『お義母かあさん』とは言わず、なぜか名前を強調する。龍我としては、すぐには母親だと認められないという主張なのかもしれない。
 母は子どものように唇を尖らせた。

「でも……面倒見るなんて、きっと初めだけだわ。どうせ飽きるに決まってるわよ」
「決めつけるのはよくないんじゃない? 冴子さんが父さんと結婚することも、悠愛が生まれたときには決まってなかったわけだし。未来ってさ、どうなるかわからないよね」

 痛いところを突かれた母はうつむいて黙り込んだ。
 私が生まれた頃はきっと、実の父と母は仲がよかったのだ。そのときは別の人と再婚するなんて考えもしなかったに違いない。
 義父は怒った顔をして龍我をたしなめる。

「過去のことを持ち出すのはやめなさい、龍我。冴子は女手ひとつで悠愛ちゃんを育てたんだぞ。それはとても苦労を強いられることなんだ」
「わかってる。俺が言いたいのは、小鳥の世話はちゃんとできるということだよ。悠愛を立派に育てた冴子さんなら、理解してくれるんじゃないかな」

 全く悪びれない龍我は大人の意見を逆手さかてに取る。
 いずれ私が小鳥の世話を投げ出すとみんなは考えているようだけれど、そんなことをしたら小鳥は死んでしまうかもしれない。とてもほしかった小鳥なのだから、絶対に死なせたりしない。龍我が一緒に面倒を見ると言ってくれたことが心強く、ずっと大切に飼い続けようという決意が私の胸のうちに湧いた。
 私は、おずおずと自分の考えを口にする。

「きちんと小鳥のお世話をするから、飼ってもいいでしょう? お願い、お母さん。お義父とうさん」
「そうね……ちゃんとできるならいいけど……柊司さんはどうかしら?」

 母はちらりと私を見たあと、義父の顔色をうかがった。

「インコくらいは許してあげてもいいじゃないか。義兄妹きょうだいが仲良くするきっかけになってくれるだろう」

 義父は年上らしい寛容さをもって、母に答えた。髪に白いものが混じる義父の年齢は、母よりもかなり年上であると聞いている。
 ピロロ……と、かごの中の小鳥が流麗な音色を奏でる。
 目を細めた龍我は、真鍮しんちゅう鳥籠とりかごの取っ手を悠々とつかんだ。

「それじゃあ、このインコは新しい家族の象徴として、俺と悠愛が協力して飼うから」

『新しい家族の象徴』とされた青い鳥は、その瞬間から家族の一員となった。
 私は、青い鳥を連れて行った龍我のあとを追い、二階にある龍我の自室に入った。
 モノトーンでまとめられた部屋で、ベッドの傍にサイドテーブルが設置されている。その上に、龍我は鳥籠とりかごを置いた。

「俺の部屋に鳥籠とりかごを置いておけば、冴子さんも勝手に入ってこられないよ。学校に行っているときは部屋に鍵をかけるからね」

 私たちがいない間に、母が小鳥を捨てる可能性が消えたことに安堵した。改めて鳥籠とりかごの中の青い鳥を、じっくりと眺める。
 ふわりとした毛並みが青々と輝いていて美しい。小鳥は初めての場所に驚いたように、ぱちぱちとまばたきを繰り返している。やがて小さくさえずり、可愛らしくいてくれた。

「ありがとう、お義兄にいちゃん……。最高のプレゼントだよ」

 どうせ飼えないと諦めていた小鳥を、まさか人生で初めてのプレゼントにしてもらえるなんて思わなかった。
 感激に胸を震わせる私の隣に並んだ龍我は、ともにかごの中の鳥をのぞき込む。

「悠愛のほしいものは、何でも俺がプレゼントしてあげると決めたからね」
「何でもだなんて……この子だけで充分だよ」
「欲がないんだな。服とかアクセサリーとか、ほしいものたくさんあるだろ?」

 そう言われて、私は毛玉のついた自分の服を見下ろした。
 これがもっともまともなワンピースだったので着てきたのだけれど、胸元のリボンはほつれ、白い生地は薄汚れてしまっている。
 お姫様のような衣装を着てみたいというあこがれは抱いている。
 けれど、あれもこれもと欲深く望んではいけない。望みを叶えた代償を支払わなければならなくなるから。
 そのことを私は弱者の本能として知っていた。

「ほしいものなんてないよ。だって、お義父とうさんとお義兄にいちゃんがいてくれて、この家に住むことができるんだから」

 そう口にした私は、もうすべて願いを叶えてしまったことに気づかされた。
 新しい家族、広い邸宅、自分の部屋。そして、ほしかった青い鳥。
 それまで不幸という荷物を当然のように背負っていた私は、分不相応な幸福を手に入れたのだ。
 我が身に訪れたこの幸運は、降って湧いたものだろうか……
 奇妙な違和感に襲われ、ごくりと唾を呑み込む。すると、龍我は自然な所作で私の肩を引き寄せた。
 体が密着して頬がくっつけられるが、龍我の双眸そうぼうは変わらず小鳥に向けられている。
 もう家族なのだから、このくらいのスキンシップは義兄妹として当たり前なのかもしれない。

「俺の言うとおりにしていれば、悠愛はずっと幸せな女の子だ……」

 義兄の唇から紡ぎ出された低い声音に、なぜか胸がざわめく。
 そのとき、階下から母が呼ぶ声が聞こえてきた。私は食事の最中だったことを思い出し、身じろぎをする。
 龍我は抱いていた肩を離すと、明るい笑顔を見せた。

「お腹が空いただろ。鳥の名前は家族で相談して決めようか」

 こくりと頷くと、すいと手を握られた。
 同級生の女の子とは全く感触が違う、熱くて大きな、男の人のてのひらだ。
 優しくて頼もしいお義兄にいちゃんの存在に、私は一抹いちまつの不安を払拭ふっしょくした。


 両親の再婚から一年が経過し、私は龍我と同じ学園の中等部に進学した。
 ところが入学当初から、注目を浴びることになってしまう。
『池上龍我の義妹』という肩書きを持った私は、どこへ行っても好奇の目を向けられるのだ。義兄が大変な有名人であることを、入学して初めて知らされる。
 それは龍我の外見と、その行動によるものだった。
 すらりと背が高く、秀麗な顔立ちをしている龍我は、女子の間で絶大な人気を誇っていた。何度も告白されているにもかかわらず、彼は誰とも付き合おうとしない。そのことが、より女性の心を燃え立たせるらしい。
 私は、そんな義兄と毎日必ず一緒に登校している。龍我が校門をくぐると、待ち構えていた高等部の女子たちが手紙を差し出してきた。

「池上君、おはよう。これ……」
「いらない」

 一瞥いちべつもくれずに龍我は吐き捨てる。
 さらに足を止めようともせず、そのまま女子の前を通り過ぎてしまった。
 私が振り返ると、彼女たちは手紙を握りしめたまま校門にたたずんでいた。

「お義兄にいちゃん……受け取ってあげてもいいんじゃない?」
「どうせ読まないから無駄だよ」

 こういったことは日常茶飯事にちじょうさはんじだった。冷たくあしらわれても、龍我に告白する女性はあとを絶たない。
 誰とも交際する気がないのか、それともほかに好きな人がいるのだろうか。龍我は一切、自身の恋愛観について語ることはなかった。

「授業が終わったら迎えに来るから、勝手に帰るなよ」
「わかってるから」

 中等部の昇降口までわざわざ送り届けてくれるのは日課で、帰宅するときも必ず龍我と一緒に帰らなければならないと決められていた。義妹が危険な目に遭ったら大変だからというのが、龍我の言い分だった。
 教室へ向かうと、同じクラスの莉乃が話しかけてきた。

「おはよう。悠愛のお義兄にいさんって、すごい過保護だよね。まだこっち見てるよ」

 振り返ると、龍我は昇降口にたたずみ、こちらを見据えていた。
 校内で危険なことなどないだろうし、放課後になればまた会えるのに、なぜそんなに監視するのかと首をひねる。

「過保護すぎて困っちゃうよ……。いつも私にくっついてるんだもの」
「あはは。はたから見たら悠愛がお義兄にいさんにくっついてるんだけどね」

 そんなふうに見えてしまうのだろう。莉乃が笑う隣で、かくりと肩を落とす。
 龍我とは義兄妹というせいもあるのだろうが、喧嘩けんかになったことは一度もない。それどころか勉強を見てくれて、休日も一緒に買い物に出かける。ひどく甘やかされて窮屈なほどだ。
 友達とも遊びたいのに、龍我が離れないのでそれも叶わない。
 いっそ彼女ができたら私にべったりしなくなるのかもと思うが、龍我が恋人を作ることはしばらくなさそうだ。何しろ、手紙に触れることすらしないのだから。

「おはよう、悠愛ちゃん」
「おはよう」

 教室の入り口でクラスメイトの女子と挨拶あいさつを交わす。
 同じクラスの彼女はアイドルみたいな美少女で、男子たちのあこがれの的だ。
 その後いつもどおりに授業を受け、放課後になった。
 ホームルームを終えたクラスメイトたちが帰り支度を始めると、教室の一角に女子たちが集まっていた。
 みんな気の毒そうな顔をして、項垂うなだれているひとりの女子をなぐさめている。彼女は朝、私に挨拶あいさつしてくれた子だ。何かあったのだろうか。
 莉乃が私の席へやってきて、声をひそめた。

「彼女さ、悠愛のお義兄にいさんに告白したらしいよ」
「えっ⁉」

 思わず大きな声を出してしまい、私は慌てて口元を押さえる。
 朝はほがらかに挨拶あいさつを交わしたけれど、まさか義兄に告白するつもりだったなんて思いもしなかった。

「お昼休みのときに高等部に行ったみたい。……で、フラれたんだって」
「……そうなんだ。全然知らなかった……」

 やはり龍我はすげなく断ったのだろう。アイドルのように可愛い彼女ですら想いは通じなかったのだ。
 莉乃は机に頬杖をつき、組んだ足をぶらぶらとさせていた。

「悠愛のお義兄にいさんってさ、難攻不落だよね。いったい誰となら付き合うの?」
「さあ……」

 私がそう答えたとき、突然教室の空気が凍りつく。
 何だろうと、私はみんなが視線を向けた戸口に首を向けた。

「悠愛。帰るぞ」

 龍我は尊大な態度で私に呼びかけた。
 いつもは校門で待ち合わせているのに、話し込んでいたから教室を出るのが遅れた。慌てて鞄を抱えた私は席を立つ。
 振ったばかりの女子がいる教室を堂々と訪ねてくる龍我の豪胆さに、クラスのみんなは驚いているようだ。
 私は周囲の視線から逃れるように、小走りで教室を出た。龍我は長いストロークで焦ることなく後ろをついてくる。

「そんなに慌てなくていいだろ。どうしたんだ」

 あの教室の雰囲気を、理解できなかったのだろうか。
 告白を断るのは何でもないことだとでもいうように、龍我は平静な態度だった。
 眉をひそめた私は、隣に並んだ龍我に小声で問いかけた。

「……お義兄にいちゃん。私と同じクラスの女子に告白されて、断ったんだよね?」
「ああ。そういえば、あの女は悠愛と同じクラスだったな。何か言われた?」

 龍我はそう言って、ぎらりと目の奥を光らせる。
 彼は私のことになると、いつも獲物を狩るけもののような執拗しつようさを見え隠れさせた。


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