蟲公主と金色の蝶

沖田弥子

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第五章

皇后の正体

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 附子の判定を行った侍医と共に、薬師が現れた。薬師は医療行為は行わず製薬専門職だが、医者とは密接な関係にある。

「これはそなたが作ったのか?」
「……左様にございます」
「誰の命令じゃ」
「……申し上げられません!」


 震える薬師は土下座した。代わりに侍医が答える。

「王尚書令さまにございます。私どもは主の命令に従ったまで。用途については知らされておりません」
「黒狼校尉が下手人に挙げられた時点で、不審だとは思わなかったのか。そなたらは自分で作った毒薬を、わざわざ皆の前で判定するのか?」
「さあ……。私どもは医術と薬の知識以外のことは、何も存じません」

 悪い意味で医者の鑑といえる侍医たちを呂丞相はそれ以上追求することをせず、審理を見守る一同に向き直った。

「それでは、黒幕の言い分を聞きましょうぞ」

 衛士に伴われた王尚書令は、堂々とした威厳を保っていた。縄を掛けていなければ、下手人とわからないほどだ。
 呂丞相が並べ挙げた数々の罪状を聞いても、平然としている。

「それで? それらが何故、私の仕業だといえるのです。私の失脚を狙う者に仕組まれた罠に相違ない」

 失脚、の部分を強調して呂丞相を睨みつける。遂に宿敵を葬り去る機会が訪れたと喜ぶ様子は、呂丞相には微塵もなかった。

「王尚書令の命令の元に作られた附子が、媚薬と偽られて李昭儀の手に渡ったことは明白。しかも暗殺が失敗すると、同じ毒が黒狼校尉の房室から見つかる。いや、罪を着せるため急遽用意されたのじゃろう」

 附子を発見した尚書省付きの衛士が証人として呼ばれた。侍医や薬師と同じように、王尚書令の命令で行ったと白状する。小瓶はやはり、予め王尚書令より預けられていた。
 黒狼に罪を着せようと提案したのは自分であると副官が告白した。李姉妹を切り捨てては闇塩まで失う可能性がある。仕切り直して改めて皇帝暗殺の機会を窺うつもりだったと赤裸々な暴露が垂れ流される。
 もはやすべてが白日の下に晒された。
 部下たちに見放されても観念することなく、王尚書令は最後の切り札を出した。

「皇族の断罪は皇族によってのみ裁かれる。陛下が赤子の頃より付き添ってきた私を、罰することなどできましょうか」

 情に訴える王尚書令に、詠帝の眼差しが揺らぐ。
 慈悲深い詠帝の性格を見越した、自信に満ちた口上に、結蘭だけでなく皆が歯噛みした。 
 このまま罪は流されてしまうのか。

「そうだな……。朕が叔父上を断罪するのは忍びない。では、皇族である皇后に判断を仰ごうではないか」

 荘厳な扉が開いた。清楚な青の衣を纏い、頭に鳳凰の宝冠を乗せた皇后が女官に付き添われ入室する。端麗な面差しをした皇后は、いつもの冷涼な声音で切り出した。

「叔父上、罪を認めてください。これ以上、王氏の名を辱めないでください。私はこの度の事件に深く関わり調査を重ねてきました。私や結蘭公主、黒狼校尉が叔父上の悪行をしかと見届けた証人です」

 皆は唖然とした。病に臥せっているという皇后の姿を、誰も見たことがなかったに違いない。

「新月さま……?」

 それもそのはずだ。皇后は、光禄勲としてすぐ傍にいたのだから。
 詠帝は咳払いをひとつすると、改めて紹介した。

「彼女こそ朕の正妃、慈聖皇后である。宮廷を正すことを目的として、光禄勲という仮の姿で調査を任せていた」
 驚きが広がるなか、夏太守は皇后である新月に声を掛けた。

「おや、貴女はあのときの方だね」
「御機嫌よう、夏太守」
「敬州まで訪れて闇塩を調べる皇后とは……。はは、恐れ入りましたな」

 夏太守の盛大な笑い声が殿に木霊する。
 闇塩について夏太守に聞き込みをしていた女とは、新月だったのだ。

「何だと……。まさか、皇后だったとは……」

 新月の正体を初めて知った王尚書令は、がくりと項垂れた。尚書省前での自白が決め手になり、詠帝は王尚書令に蟄居を申し渡した。
 李鈴と李昭儀については、王尚書令の傀儡だったことが考慮され、官位剥奪と後宮退去処分とされた。その他の侍医や薬師、尚書省副官や衛士については降格と謹慎処分という最大限の恩赦がなされた。
 黒狼の嫌疑もこれで晴れた。
 心から安堵した結蘭の隣で、当の本人はけろりとしている。

「通りで、光禄勲が女とはおかしいと思った」

 呟く黒狼を、ゆっくりと振り返る。何やら水面下で事は運んでいたようだけれど。

「皇后の召喚状を持ってたってことは……。黒狼は知ってたの?」
「察しはついていた。俺を牢から逃がして夏太守を連れてこいと命じたのは、新月だからな」

 珠鐶の一件で賊かと思っていたが、新月は味方だったのだ。結蘭たちとは別行動で事件を探っていたとは、露知らずにいた。

「じゃあ、あの珠鐶は……?」

 さらりと裙子の裾を翻して、新月は皇后の玉座から降りる。

「あれは、落としたのです。私が敬州を訪れたときに。それを賊に利用されたのでしょう」

 刺繍の施された袖を捲り、手首を露わにする。翡翠の珠鐶には、もう血痕は付着していなかった。黒狼が付けたと予想していた傷跡は、勿論ない。

「だから、さっさと見せろと言ったんだ」
「黒狼! 皇后陛下に何てこと言うのよ」

 慌てて跪こうとすると、苦笑交じりに制された。

「私には堅苦しい拝謁など必要ありません。今まで通りに接してください」

 元々上官で皇后だというのに礼をとるどころか、黒狼の不遜な言動は止まらない。

「病気と偽って芋虫を仕込んでくるとはな。たいした皇后だ」
「芋虫くらいで、泣いて逃げ帰られたのでは困りますからね。あの程度の洗礼は当然です」

 飛び交う応酬に結蘭は額を押さえる。
 けれど、あの芋虫のおかげで、結蘭たちは命を救われたのだ。
 金色蝶の幼虫が皇后の庭にいて女官が摘ままなければ、今回の奇蹟も起こらなかっただろう。不思議な巡り合わせに感謝したい。
 賑やかな一同を傍目に、呂丞相は微笑みながら髯を撫でた。

「いやはや、これにて落着。結蘭公主を指名した陛下の英断が解決しましたな。無能な丞相を演じるのも老体には堪えましたぞ」

 皆に聴こえないよう玉座の傍で呟いた呂丞相に、詠帝は静かに微笑んだ。

「すべて彼らが活躍してくれたおかげだ。朕は、座していただけだよ」

 審理は終了した。詠帝は玉座から立ち上がり、結蘭たちの元へ赴く。

「皆、御苦労であった。特に黒狼校尉……。どうかこれからも軍府に在籍してそなたの力を発揮してほしい。あらゆることに便宜を図ろう。それが儀国からの、そなたに対する償いと思ってほしい」
「勿体ないお言葉にございます」

 黒狼は膝を付き、頭を垂れた。
 彼の過去が少なからず報われて、結蘭は感慨に胸を熱くした。黒狼と共に、詠帝に礼をとる。

「姉上もよく頑張ってくれた。金色の蝶が永寧宮から飛び立つ奇蹟を、朕も見届けた。姉上の力がなくば事件は解決できなかっただろう」
「ありがとう。あの蝶は伝説の金色蝶で、私はずっと話をしたいと思っていたの」

 金色蝶はとても美しく、そして凜々しい存在だった。
 幼い頃からの夢が叶えられた。
 そして、事件も無事に解決できた。
 それは結蘭に特別な力があったからではない。
 黒狼が、傍にいて力を貸してくれたおかげなのだ。

「ありがとう。黒狼のおかげよ」

 感謝を告げると、黒狼は瞬きをひとつして結蘭の瞳を見返した。

「俺は何も。結蘭が、頑張った結果だろう」

 微笑みが殿に広がる。
 優しい春風が、そっと皆の衣を撫でていった。
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