蟲公主と金色の蝶

沖田弥子

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第二章

皇帝からの依頼

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「下手の横好きか」
「黒狼、正直すぎ」

 叩扉の音が響く。慌てて居住まいを正すと、呂丞相と共に詠帝が姿を見せた。

「へ、陛下⁉」

 まさか皇帝も現れるとは思ってもいなかったので驚きの声を上げる。膝を着いて礼をしようとする結蘭を、詠帝は遮った。

「姉上、礼はよい。今はお忍びで丞相府へ参ったので、弟として接してほしい」
「お忍びなんですか?」

 呂丞相に椅子を勧められ、円卓を囲んで腰を掛けた。扉の外に誰もいないことを念入りに確認した呂丞相は話を切り出す。

「今日、お呼びしたのは、結蘭公主のお力をお借りしたいという陛下よりのご相談じゃ。公主を召還した竹簡に書いてありましたな」
「そうでしたよね。どうして謁見のときは言ってくださらなかったのですか?」

 呂丞相は許可を求めるかのように詠帝を窺った。詠帝はひとつ頷き、結蘭に向き直る。

「姉上、私は皇帝だが、この国の者すべてが味方ではないのだ。人にはそれぞれ思惑がある。そして悪者も常に存在する。この金城にも。その悪者が悪行を成そうとすることを秘密裏に処理する必要がある。おわかりだろうか」

 威厳に満ちた物言いは年下だけれど確かに彼が儀国の皇帝であると感じさせた。結蘭は、ごくりと息を呑んで頷く。

「わかります。私にできることならお手伝いするわ」
「感謝する。これから言うことは内密にしてほしい。よいな?」

 詠帝は黒狼にむけて同意を求めた。

「無論」

 ひと呼吸置いて、詠帝は一粒の質問を投げかけた。

「姉上は闇塩というものを御存知か?」
「闇塩……。闇市場で取引される塩のことね。盗品だから、すごく安いんでしょ?」

 古来より塩は貴重なものとされ、その生産と流通販売はすべて国家が占有してきた。財政が傾けば塩の課税が跳ね上がり、そうすると必然的に闇が市場に出回ることになる。塩賊によって奪われた塩が正規価格よりも安い値で取引され、それを取り締まる官吏が賄賂によって懐柔される。それらを一掃するため更に塩の値段は吊り上げられ、同じことが繰り返される。
 塩を巡る攻防と国家財政は切り離せない問題だと詠帝は解説した。

「その闇塩を、宮廷の者が秘かに買占めているという噂があるのだ」
「どうしてそんなことするのかしら。塩は支給されるわよね」

 宮廷に勤める官職の者は皆、俸禄として日常の衣食は支給される。
 黒狼は双眸を眇めた。

「横流しして不正に利益を得るためだ。国家反逆罪だな」
「そうなのだ。調査によればかなりの量だと推測される。宮廷人が闇塩に手を染めているなどと明るみに出れば国家の尊厳に関わる。その者の地位によっては、何万人もの人が処刑されるやもしれない。だから闇塩の隠し場所を見つけて穏便に事を済ませたいのだ。そこで、姉上の出番である」
「えっ。そこで、私?」
「お願いだ。姉上の虫と話せるという能力を使って、闇塩の隠し場所か、もしくは犯人を挙げてくれないだろうか」

 まさか闇塩の秘密を探れだなんて。
 相談の域を超えている。
 国家の尊厳や何万人の命が関わるという大事に、結蘭は腰が引けてしまった。

「そんな。私は虫と話せるだけで、すべてを見通せるわけじゃないのよ」
「人が見ていないものを、虫は見知っているかもしれない。それに蟻を辿れば塩の行方もわかるだろう」
「それは砂糖!」
「そうか……。姉上は、朕の頼みを聞いてくれないのか……」

 しゅんと項垂れて、黄袍に埋もれるように詠帝は小さくなった。呂丞相は苦渋を浮かべて結蘭に平伏する。

「どうか、蟲公主と誉れ高い結蘭殿のお力をお貸し下され。我々では目立ちすぎて動けませぬゆえ。危険なことはありませぬ、多分」 
「え。まあ……そんなに仰るなら」
「おお、引き受けてくださるか。さすが陛下の姉君であらせられる。指示はわたくしから追って連絡いたします」
「は、はい。よろしくお願いします。呂丞相さま」
「ありがとう、姉上。頼んだぞ」
「え、ええ。任せておいて」

 何だか安易に引き受けてしまった気がしないでもない。
 傍らの黒狼は憮然として、重い溜息を吐いた。



「安請け合いだな」

 丞相府を出ると、黒狼は呆れたように吐き捨てた。そのとおりなので結蘭は肩を竦める。
 けれど、公主としてこれまで国に何の貢献もできていなかったので、役に立てるのなら嬉しい。弟にばかり責務を負わせるのも心苦しい。姉として公主として、結蘭が力になれるのならそうしたい。
 ただ、虫と話せることが解決に繋がるだろうか。
 虫は人が思う以上に忙しいものだ。日々の糧を得るのに必死で、時期が訪れれば相方を捜し子孫を残す。その一生はとても短い。勿論、万能でもない。人の行動を眺めている余裕のある虫など、いないだろう。

「宮廷のどこかに隠してある闇塩を見つけるっていってもね、もがっ」

 黒狼の大きなてのひらで口を封じられる。その固い感触とあまりの熱さに、結蘭は手足をばたつかせた。

「大きな声を出すな。聞かれたらまずい」
「あ……そうね。秘密だもんね」

 犯人は宮廷の内部にいるのだ。女官や衛士でも、誰かの部下なのである。だから詠帝と呂丞相は宮廷の外に住んでいた結蘭に懇願したのだ。

「そうだ、秘密だ。俺たちだけのな」

 てのひらがゆっくりと離される。温かい感触の残滓を唇に感じながら、結蘭は強く頷いた。

「わかったわ。ひみつね」

 口の中で魅惑的なその言葉を幾度も転がす。
 ひみつ、ひみつ、黒狼との、ひみつ。
 踊り出しそうに足元の軽い結蘭は、蟻を踏みつけそうになり、またしても踏鞴を踏む。転ばないよう、黒狼は既に帯の付け根を掴んでいる。

「気をつけろ」
「蟻さんがいたのよ。ねえ、蟻さん。この辺りで塩を見かけなかった? え、砂糖しか興味ない? だよねえ」

 調査は時間がかかりそうだ。結蘭は宮廷内の虫たちに話を聞いて回ったが、有力な情報は得られなかった。
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