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灯籠の下の告白
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涼しげな紬には、腰元から裾にかけて清楚な百合が描かれている。私の浴衣にも、同じ柄の百合が彩られていた。
おそろいの浴衣なんて、なんだか恥ずかしい。
でも、とても嬉しくて。
私の胸の前に、すいと手のひらを差し出した那岐は微笑んだ。
「今宵は灯籠を飾る。一緒に見よう」
「うん」
那岐の大きな手のひらに、自らの手を重ね合わせる。節くれ立った長い指が、優しく私の白い手を包み込んだ。冷たい手のひらから伝わる体温が、風呂で火照った私の体を心地良く冷やしていく。
手をつなぎながら廊下を渡り、少しの階を上った先にある露台へ導かれた。まるで舞台のように広い露台は欄干に囲われていて、庭園もその先にある広場をも見渡すことができる。
露台の周囲には、ぐるりと灯籠が巡らされていた。ひとつひとつの灯籠は細木で組まれた上に、白い和紙を貼ったものだ。灯籠の中から漏れている灯が、薄らと和紙に透けていた。
西の空を見遣れば、茜色の雲が織り成された狭間から、最後の陽光が放たれている。もう太陽は沈みかけていた。時と共に、天は藍色に染め上げられていく。
「綺麗だね……」
「ああ、そうだな」
言葉少なに、並んで夕焼けを眺めた。つないだ手は離れず、しっかりと握られたまま。
浴衣に描かれた揃いの百合が寄り添い、つがいのように二輪になる。
やがて辺りが闇色に染まると、灯籠の明かりはより輝きを増す。幾重にも巡らされた灯は幻想的に浮かび上がり、夜に溶け込んでいく。
「今日は、お祭りなのかな?」
「そうだな。客は俺とそなたの、ふたりだけだが」
ふたりきりの、灯籠祭り。
そこにはお囃子も露店もなく、ただ静かに灯り続ける灯籠と、互いの息遣いだけがある。
まるで世界にふたりきりしかいないよう。
私は無数の灯籠が描き出す刹那の輝きを、瞳に映した。
「ニエ」
ふいに名を呼ばれ、隣の那岐を見上げる。
ぎゅっと、つないだ手が強く握られた。
灯籠の明かりがひとかけら、影に隠れる。
那岐は真剣な顔をして、じっと私に目線を注いでいる。彼の精悍な面差しを、橙色の明かりが照らして濃い陰影を形作っていた。
「好いている」
低く、けれど明瞭に発せられた言葉には真摯さが滲んでいる。
私はただ、動揺した。なんと答えて良いかわからず、瞳を瞬かせていた。
「これまでの生贄はみな断っていたが、ニエを竜神の社に招いたのは、そなたを俺の傍に置きたかったからだ。不遇な目に遭っているそなたを見過ごせない。だがそれは同情ではない。好いているから、いつも傍にいてほしいのだ。決して、生贄の役目を果たさせるためにそなたの身を預かったのではない。それはわかってほしい」
那岐の想いが身に染み渡るようだった。
同情ではない。好きだからこそ、那岐は私だけを見てくれて、傍に置きたいと願ってくれた。
彼の気持ちは私の胸の奥の、もっとも深いところまで届いた。そして砂糖菓子のように、ふわりと甘く溶けていく。那岐の告白は、私の体の一部になった。
「……ありがとう、那岐」
好きになってくれて、ありがとう。
平凡で、特別に美しいわけでもなく、特殊な能力があるわけでもない。そんな私を那岐が好きになってくれるなんて、信じられないほどの僥倖だった。
「私の、どこが好きなの?」
「そうだな……。始めは妙なことを言う娘だと思ったんだが、俺を個人として見て、親身になってくれたことだな。大概の者は竜神としての俺しか見ないのだが、そなたはそうしなかった。今日も村人に糾弾された俺を、声を上げて庇い立てしてくれた」
那岐が好きという感情を抱いてくれたのは、私の心から滲む言動のひとつひとつをよく見ていてくれたからなのだ。
彼は饒舌に言葉を紡いだ。
「俺は……これまでひとりだった。竜神と崇められてはいるが、神という名称は、実は人間が名付けたものだ。俺の正体は、ただの竜だ。雨を呼ぶという力を役立てられたために人間から神と奉られた。彼らの信仰心を否定するつもりはないが、いつしか重荷を感じていたのも事実だ。誰にも言えず抱えてきたその苦痛を和らげてくれる存在に出会った。それが、ニエだ。そなたの勇気ある心も、優しい心も、すべてが愛しい」
那岐の苦悩と孤独は途方もない年月の間、誰にも知られずに抱えられてきたのだ。
竜神として崇められ、竜神の社に住んで眷属に囲まれて、何不自由ない身分に見えるが、彼の心の裡は神としての役割に辛さを覚えていた。
それを、私だけに打ち明けてくれた。
癒したい。那岐を、支えてあげたい。
私の胸に愛しさが溢れた。ふわりと微笑んで、那岐を見上げる。
「那岐。神様、やめちゃおう」
突飛な提案に、那岐はこれ以上ないほど瞳を見開く。
「……なに? そなたはまた、何を言い出すのだ……」
「いつかね、神様をやめて、ただの那岐になろう。雨を降らせるのは、自然に任せるの。きっとそれでも上手くいくよ。そうしたら那岐は自由になれるよ」
「そなたは信仰を軽んじているな。神をやめるか……はは、面白い。そうすれば俺は雨を要求されることもなくなって、ただの那岐になれるな」
那岐の笑い声が灯籠の燦爛たる明かりの中に響き渡る。那岐が笑ってくれるたびに、私も笑顔になれた。
「ただの那岐になったら、那岐は何をしてみたい?」
「もし俺が神をやめて、そなたも生贄でなくなれば、そのとき俺は……そなたと夫婦の契りを交わしたい」
今度は私が驚かされる番だった。夫婦の契りを交わすというのは、結婚することだ。
那岐がそれを望むのは、本心なのだと思えた。
結婚して、生涯を共にする。
那岐と結婚できたら、ずっと一緒にいられる。
竜神と生贄としてではなく、ただの那岐と私として、何のしがらみもなく、ふたりでごはんを食べたり色々な話をしたり、笑い合える。
那岐と結婚するということを考えてみると、それは胸の中心にすとんと入っていった。
「私……那岐のお嫁さんになりたい」
「……まことか」
私は頷く。
心からの願いだった。
けれど、この誓いは成就することなく散ってしまう。
ふたりが結ばれない運命だということを、私は胸の奥でどことなく感じていた。
竜神と生贄。その壁はたとえ愛情をもってしても越えられないものであると、薄々気づいている。なぜなら竜神も生贄も、この土地の人々が造り出した存在だからだ。価値観を覆すのは容易ではないと那岐が語っていたように、村人が長年をかけて造り出した竜神そして生贄の役割を変えるのは難しいだろう。夫婦になると言えば、村人の反対に遭うことはわかりきっていた。村人たちが那岐と私に求めている役割は夫婦ではない。
いつか、那岐は神様をやめられるかもしれない。
けれど現実的に考えれば、すぐにということが困難なのはわかっていた。茂蔵が今すぐに雨を降らせろと要求したのと同じことだ。相手にも事情があり、現在の状況を鑑みなければならない。
それに……これは夢なのだ。
その証拠に、那岐は私の本当の名前を呼ばない。
私は、ニエじゃない。
本当の名が、私にもわからない。
私が夢の世界で非常に覚束ない存在であると表しているかのようだった。
私は、この世界にいるべき住人ではない。ここを去るまでに何かできることがあるとしたら、那岐と村人との和解を勧めて、それを見届けることだった。
だから、那岐への想いを口にできなかった。
言ってしまえば、後戻りができなくなってしまうような気がしたから。
でも、今だけは。
いつか夫婦の契りを交わすという約束をして、夢を見ていたい。
「いずれ、ニエを俺の花嫁にする。いいな?」
「うん……嬉しい……那岐」
数多の灯籠が闇夜を揺らす。一夜のみの刹那の輝きの中で、私は瞳を揺らした。
おそろいの浴衣なんて、なんだか恥ずかしい。
でも、とても嬉しくて。
私の胸の前に、すいと手のひらを差し出した那岐は微笑んだ。
「今宵は灯籠を飾る。一緒に見よう」
「うん」
那岐の大きな手のひらに、自らの手を重ね合わせる。節くれ立った長い指が、優しく私の白い手を包み込んだ。冷たい手のひらから伝わる体温が、風呂で火照った私の体を心地良く冷やしていく。
手をつなぎながら廊下を渡り、少しの階を上った先にある露台へ導かれた。まるで舞台のように広い露台は欄干に囲われていて、庭園もその先にある広場をも見渡すことができる。
露台の周囲には、ぐるりと灯籠が巡らされていた。ひとつひとつの灯籠は細木で組まれた上に、白い和紙を貼ったものだ。灯籠の中から漏れている灯が、薄らと和紙に透けていた。
西の空を見遣れば、茜色の雲が織り成された狭間から、最後の陽光が放たれている。もう太陽は沈みかけていた。時と共に、天は藍色に染め上げられていく。
「綺麗だね……」
「ああ、そうだな」
言葉少なに、並んで夕焼けを眺めた。つないだ手は離れず、しっかりと握られたまま。
浴衣に描かれた揃いの百合が寄り添い、つがいのように二輪になる。
やがて辺りが闇色に染まると、灯籠の明かりはより輝きを増す。幾重にも巡らされた灯は幻想的に浮かび上がり、夜に溶け込んでいく。
「今日は、お祭りなのかな?」
「そうだな。客は俺とそなたの、ふたりだけだが」
ふたりきりの、灯籠祭り。
そこにはお囃子も露店もなく、ただ静かに灯り続ける灯籠と、互いの息遣いだけがある。
まるで世界にふたりきりしかいないよう。
私は無数の灯籠が描き出す刹那の輝きを、瞳に映した。
「ニエ」
ふいに名を呼ばれ、隣の那岐を見上げる。
ぎゅっと、つないだ手が強く握られた。
灯籠の明かりがひとかけら、影に隠れる。
那岐は真剣な顔をして、じっと私に目線を注いでいる。彼の精悍な面差しを、橙色の明かりが照らして濃い陰影を形作っていた。
「好いている」
低く、けれど明瞭に発せられた言葉には真摯さが滲んでいる。
私はただ、動揺した。なんと答えて良いかわからず、瞳を瞬かせていた。
「これまでの生贄はみな断っていたが、ニエを竜神の社に招いたのは、そなたを俺の傍に置きたかったからだ。不遇な目に遭っているそなたを見過ごせない。だがそれは同情ではない。好いているから、いつも傍にいてほしいのだ。決して、生贄の役目を果たさせるためにそなたの身を預かったのではない。それはわかってほしい」
那岐の想いが身に染み渡るようだった。
同情ではない。好きだからこそ、那岐は私だけを見てくれて、傍に置きたいと願ってくれた。
彼の気持ちは私の胸の奥の、もっとも深いところまで届いた。そして砂糖菓子のように、ふわりと甘く溶けていく。那岐の告白は、私の体の一部になった。
「……ありがとう、那岐」
好きになってくれて、ありがとう。
平凡で、特別に美しいわけでもなく、特殊な能力があるわけでもない。そんな私を那岐が好きになってくれるなんて、信じられないほどの僥倖だった。
「私の、どこが好きなの?」
「そうだな……。始めは妙なことを言う娘だと思ったんだが、俺を個人として見て、親身になってくれたことだな。大概の者は竜神としての俺しか見ないのだが、そなたはそうしなかった。今日も村人に糾弾された俺を、声を上げて庇い立てしてくれた」
那岐が好きという感情を抱いてくれたのは、私の心から滲む言動のひとつひとつをよく見ていてくれたからなのだ。
彼は饒舌に言葉を紡いだ。
「俺は……これまでひとりだった。竜神と崇められてはいるが、神という名称は、実は人間が名付けたものだ。俺の正体は、ただの竜だ。雨を呼ぶという力を役立てられたために人間から神と奉られた。彼らの信仰心を否定するつもりはないが、いつしか重荷を感じていたのも事実だ。誰にも言えず抱えてきたその苦痛を和らげてくれる存在に出会った。それが、ニエだ。そなたの勇気ある心も、優しい心も、すべてが愛しい」
那岐の苦悩と孤独は途方もない年月の間、誰にも知られずに抱えられてきたのだ。
竜神として崇められ、竜神の社に住んで眷属に囲まれて、何不自由ない身分に見えるが、彼の心の裡は神としての役割に辛さを覚えていた。
それを、私だけに打ち明けてくれた。
癒したい。那岐を、支えてあげたい。
私の胸に愛しさが溢れた。ふわりと微笑んで、那岐を見上げる。
「那岐。神様、やめちゃおう」
突飛な提案に、那岐はこれ以上ないほど瞳を見開く。
「……なに? そなたはまた、何を言い出すのだ……」
「いつかね、神様をやめて、ただの那岐になろう。雨を降らせるのは、自然に任せるの。きっとそれでも上手くいくよ。そうしたら那岐は自由になれるよ」
「そなたは信仰を軽んじているな。神をやめるか……はは、面白い。そうすれば俺は雨を要求されることもなくなって、ただの那岐になれるな」
那岐の笑い声が灯籠の燦爛たる明かりの中に響き渡る。那岐が笑ってくれるたびに、私も笑顔になれた。
「ただの那岐になったら、那岐は何をしてみたい?」
「もし俺が神をやめて、そなたも生贄でなくなれば、そのとき俺は……そなたと夫婦の契りを交わしたい」
今度は私が驚かされる番だった。夫婦の契りを交わすというのは、結婚することだ。
那岐がそれを望むのは、本心なのだと思えた。
結婚して、生涯を共にする。
那岐と結婚できたら、ずっと一緒にいられる。
竜神と生贄としてではなく、ただの那岐と私として、何のしがらみもなく、ふたりでごはんを食べたり色々な話をしたり、笑い合える。
那岐と結婚するということを考えてみると、それは胸の中心にすとんと入っていった。
「私……那岐のお嫁さんになりたい」
「……まことか」
私は頷く。
心からの願いだった。
けれど、この誓いは成就することなく散ってしまう。
ふたりが結ばれない運命だということを、私は胸の奥でどことなく感じていた。
竜神と生贄。その壁はたとえ愛情をもってしても越えられないものであると、薄々気づいている。なぜなら竜神も生贄も、この土地の人々が造り出した存在だからだ。価値観を覆すのは容易ではないと那岐が語っていたように、村人が長年をかけて造り出した竜神そして生贄の役割を変えるのは難しいだろう。夫婦になると言えば、村人の反対に遭うことはわかりきっていた。村人たちが那岐と私に求めている役割は夫婦ではない。
いつか、那岐は神様をやめられるかもしれない。
けれど現実的に考えれば、すぐにということが困難なのはわかっていた。茂蔵が今すぐに雨を降らせろと要求したのと同じことだ。相手にも事情があり、現在の状況を鑑みなければならない。
それに……これは夢なのだ。
その証拠に、那岐は私の本当の名前を呼ばない。
私は、ニエじゃない。
本当の名が、私にもわからない。
私が夢の世界で非常に覚束ない存在であると表しているかのようだった。
私は、この世界にいるべき住人ではない。ここを去るまでに何かできることがあるとしたら、那岐と村人との和解を勧めて、それを見届けることだった。
だから、那岐への想いを口にできなかった。
言ってしまえば、後戻りができなくなってしまうような気がしたから。
でも、今だけは。
いつか夫婦の契りを交わすという約束をして、夢を見ていたい。
「いずれ、ニエを俺の花嫁にする。いいな?」
「うん……嬉しい……那岐」
数多の灯籠が闇夜を揺らす。一夜のみの刹那の輝きの中で、私は瞳を揺らした。
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