また、恋をする

沖田弥子

文字の大きさ
上 下
17 / 39

逆鱗 2

しおりを挟む
 陽の光に煌めく鱗は体の上部から下方へ流れるように生えているが、顎下の一枚のみ、逆向きに生えている。これが逆鱗なのだろう。私が紛失した西河くんの鱗と、よく似ていた。
 那岐の首元を覗き込みながら、私は興奮して捲し立てた。

「そう、これ。すごく似てる。こういう形だったよ、西河くんの鱗も」

 吐息が首筋にかかってしまったのか、那岐はくすぐったそうに肩を竦める。切れ上がった眦で、ちらりと私を流し見た。

「触ってみろ」
「……え?」

 竜の怒りに触れてしまうので、逆鱗に触ってはいけないのではなかったか。心を許した者にしか触らせないと那岐も話していたはずだけれど。
 首を傾げる私に、那岐はなおも促す。

「怒らないから触ってみろ。抜けないか、実際に確かめてみろと言っている」
「そう? それじゃあ……」

 おそるおそる那岐の喉元に手を伸ばす。そっと逆鱗に触れてみた。那岐は微動だにせず、瞬きすらしていない。堪えているのだろうか。

「痛くない?」
「全く。肌に触れられるのと変わらない。引き抜いてみていいぞ」
「そんなことできないよ」

 指先で逆鱗をするりと撫でてみると、那岐の喉が上下したので手を放す。
 やはり鱗は接着したようなものではなく、体から生えているのだとわかった。これを引き抜いたとしたら相当な痛みを覚えるだろう。

「本当に鱗が生えてるんだね。那岐は、竜神なんだね」

 襟元を直しながら咳払いをひとつした那岐の頬に、やや赤みが差している。また、ちらりとこちらを流し見ると、すぐに前方に視線を戻した。

「そなたは妙なことに感心するのだな」

 私への呼び方が、『おまえ』から『そなた』へ変化している。私の存在が那岐の中で変わったのかもしれない。けれど些細な違いだと思い、私は気に留めなかった。

「現実世界……というか私の常識では、竜神は想像の生き物だったからね。人間よりずっと大きくて、体が長くて、空を飛べるんだよ」
「竜神の本来の姿はそうだ。俺のこの姿は、人に変化したんだ。竜の眷属は長い年月を経ると人型になれる」
「そうなの!? じゃあ那岐は、竜になって空を飛べるの?」

 那岐は物憂げに長い睫毛を伏せた。

「昔はな。大空を駆け、雨雲を呼び出して地上に雨を落としていた。竜の姿になれば爆発的な力を発揮できる。だが二千年ほど経過した今では、その力も失われかけている。俺は竜への戻り方を忘れてしまった」

 私には想像もできない話だった。目の前にいる人間の姿をした那岐が元々は竜で、二千年も生きてきたなんて、普段なら嘘だと笑い飛ばすところだ。
 那岐はふと、私に寂しげな瞳をむけて問いかけた。

「信じられないだろう? 人間が竜になれるわけがないと噂する村人もいる。俺のこの鱗は、竜神を装うために貼り付けたものだとな」

 那岐が逆鱗を触らせてくれたのは、私に信じてほしかったからなのかもしれない。
 彼は孤独なのだ。
 私が生まれつきの痣と悪夢を抱えて孤独感を覚えているように、那岐もまた村人から理解されない事情を抱えている。同じ悩みを持つ那岐の苦しさは、私にはよくわかった。

「私は、信じるよ。那岐が本当は竜の姿で、二千才だって、信じる」

 突飛なことかもしれない。目の前で変身でもされなければ、信じられないかもしれない。
 でも、那岐は私を信じてくれた。ここは夢の世界だと言う私の話も、笑うことなく真剣に聞いてくれた。
 私も、信じよう。
 那岐の言葉は彼の真実なのだと胸に刻む。
 言い切った私を、那岐は驚いた瞳で見た。

「そうか……。信じるのか。そなたの目は曇りないな」
「那岐も、私の言ったこと信じてくれたから。世界は広いから、二千才の長寿の竜がいても不思議じゃないよね」

 誰かひとりに肯定してもらえるだけで、胸に勇気が湧く。
 那岐は楽しそうな声で笑い出した。

「ははは……面白いやつだ。俺に長寿だと述べたのは、そなたが初めてだ」
「だって、二千才はすごいでしょ」

 那岐は二千年前に印度で生まれ、遙かな年月を生きてきたことになる。生まれて一七年の私には途方もない話だ。
 彼の冷酷にも見える切れ上がった眦は、笑うと優しげに緩んでいた。そんな那岐の表情を、私は好ましいと思えた。
 ようやく笑いを収めた那岐は、ほうと息をついた。

「久しぶりだ……。笑ったのは、いつぶりなのか、もう思い出せないくらいだ」
「そんなに毎日がつまらないの?」
「そうだな。喜びも哀しみも、感情というものが湧かなかった。こんなにも心が揺さぶられたのは久方ぶりだよ。礼を言う」

 白い歯を輝かせて眩しい笑顔を見せた那岐は、とても美しかった。私の胸は、ほっこりと温まる。えくぼができる那岐の笑顔を、そっと胸の奥の宝箱に仕舞った。

「私のほうこそ、ありがとう。今まで不安で仕方なかったけど、那岐のおかげでどうにかなるって思えたよ。なくした竜の鱗も、捜せばきっと見つかるよね」

 見知らぬ土地、生贄という虐げられた身分、別人となった友人。どれもが私の心を傷つけ、不安の色に染め上げていったけれど、那岐と言葉を交わして、彼の笑顔を見たら瞬く間に浄化されていくようだった。
 那岐は微笑を浮かべながら私を見つめていた。

「俺も協力しよう。もし俺以外にも竜が存在するとすれば、見過ごせないからな。川に流された鱗が見つかれば、何かわかるかもしれない」
「捜すの手伝ってくれるの?」
「ああ、もちろんだ。もっと下流にあるかもしれないな」

 私たちは連れ立って川沿いを下っていった。水面から覗いた大きな石の周辺に巾着袋が引っかかっていないか、注意深く調べる。目的のものは中々見つからなかった。
 私は、重要なことに気がついていなかった。
 盲点と言うべきそれを那岐に伝えていないので、那岐も気づくことはない。
 日が暮れるまで川を捜索したけれど、巾着袋を発見することはなかった。



 その日から、私は那岐と川辺で待ち合わせをして、巾着袋を捜すことが日課となった。
 幾日捜しても竜の鱗が入った巾着袋は見つからなかったけれど、那岐が一緒に捜してくれて、ぽつりぽつりとお互いのことを話せるので、気を紛らわせることができた。ひとりだったらきっと早々に諦めて、落ち込んでしまっていたかもしれない。
 明日も、那岐と会える。
 そして明日こそ、きっと見つかる。
 どんなにひとりで過ごす小屋で孤独を感じても、白粥ばかりの食事でお腹が空いていても、その希望が私の心をつないでいた。
 外出するところを村長に見つかると、叱られて小屋に戻されてしまうので、私は人目を忍んで川へ赴いた。穢れた生贄とみなされている私は、できるだけ人目に触れてはいけないのだそうだ。
 けれど那岐は他の人のように、私を哀れとも汚いとも見なかった。それが私の心を支えてくれた。
 ひとしきり川を探ってから川辺に上がると、濡れた足を乾かすため、私たちは草むらに並んで座る。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】雨上がり、後悔を抱く

私雨
ライト文芸
 夏休みの最終週、海外から日本へ帰国した田仲雄己(たなか ゆうき)。彼は雨之島(あまのじま)という離島に住んでいる。  雄己を真っ先に出迎えてくれたのは彼の幼馴染、山口夏海(やまぐち なつみ)だった。彼女が確実におかしくなっていることに、誰も気づいていない。  雨之島では、とある迷信が昔から吹聴されている。それは、雨に濡れたら狂ってしまうということ。  『信じる』彼と『信じない』彼女――  果たして、誰が正しいのだろうか……?  これは、『しなかったこと』を後悔する人たちの切ない物語。

【6】冬の日の恋人たち【完結】

ホズミロザスケ
ライト文芸
『いずれ、キミに繋がる物語』シリーズの短編集。君彦・真綾・咲・総一郎の四人がそれぞれ主人公になります。全四章・全十七話。 ・第一章『First step』(全4話) 真綾の家に遊びに行くことになった君彦は、手土産に悩む。駿河に相談し、二人で買いに行き……。 ・第二章 『Be with me』(全4話) 母親の監視から離れ、初めて迎える冬。冬休みの予定に心躍らせ、アルバイトに勤しむ総一郎であったが……。 ・第三章 『First christmas』(全5話) ケーキ屋でアルバイトをしている真綾は、目の回る日々を過ごしていた。クリスマス当日、アルバイトを終え、君彦に電話をかけると……? ・第四章 『Be with you』(全4話) 1/3は総一郎の誕生日。咲は君彦・真綾とともに総一郎に内緒で誕生日会を企てるが……。 ※当作品は「カクヨム」「小説家になろう」にも同時掲載しております。(過去に「エブリスタ」にも掲載)

Bo★ccia!!―アィラビュー×コザィラビュー*

gaction9969
ライト文芸
 ゴッドオブスポーツ=ボッチャ!!  ボッチャとはッ!! 白き的球を狙いて自らの手球を投擲し、相手よりも近づけた方が勝利を得るというッ!! 年齢人種性別、そして障害者/健常者の区別なく、この地球の重力を背負いし人間すべてに平等たる、完全なる球技なのであるッ!!  そしてこの物語はッ!! 人智を超えた究極競技「デフィニティボッチャ」に青春を捧げた、五人の青年のッ!! 愛と希望のヒューマンドラマであるッ!!

【9】やりなおしの歌【完結】

ホズミロザスケ
ライト文芸
雑貨店で店長として働く木村は、ある日道案内した男性から、お礼として「黄色いフリージア」というバンドのライブチケットをもらう。 そのステージで、かつて思いを寄せていた同級生・金田(通称・ダダ)の姿を見つける。 終演後の楽屋で再会を果たすも、その後連絡を取り合うこともなく、それで終わりだと思っていた。しかし、突然、金田が勤務先に現れ……。 「いずれ、キミに繋がる物語」シリーズ9作目。(登場する人物が共通しています)。単品でも問題なく読んでいただけます。 ※当作品は「カクヨム」「小説家になろう」にも同時掲載しております。

透明な恋が終わった先で、君と笑えるように

矢田川いつき
ライト文芸
進路に悩む高3の凌は、六月のある日、幼馴染の透馬から肝試しに誘われる。 半ば強引に連れて行かれた心霊スポットの銀杏並木道で、凌は天真爛漫な幽霊の少女と出会う。 名前に記憶、彷徨う理由すらも忘れた迷子の幽霊に乞われ、彼女に「舞」と名付けた凌は、成り行きで未練解消の手伝いをすることに。 幽霊らしからぬ舞の明るさに当てられ、振り回され、呆れつつも、凌の中では叶うはずのない確かな想いが芽生えていって――。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...