また、恋をする

沖田弥子

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誘導

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「……わかりません」
「そっか」

 暗号の内容を教えてくれるのかと思ったけれど、西河くんはそうしなかった。

「そのノート、次の古典の授業まで貸してあげるから、とりあえず暗号捜してみてよ。ペナルティは保留にしておいてあげる」
「ヒントちょうだい」

 私は咄嗟に縋りついた。ペナルティは保留にしてくれるなんて優しい言葉に、寝不足の脳は感動すら覚える。
 けれどヒントをもらえなければ、永遠に解読できなさそうだ。
 西河くんは少々考えるように首の後ろを掻いた。

「そうだな……。ヒントを言うと、答えがすぐわかっちゃうからなぁ」
「なにそれ。全然わからないよ」
「ヒントを考えておくよ。あとで図書室に付き合ってくれる? そのときまで用意しておく」

 暗号を解読するためのヒントを聞くために、のちほど図書室に付き合わなければならないらしい。
 西河くんは次々に連鎖させる。
 どうしてそこまで、と疑問を吐こうとすると、彼のひと言によって封じられてしまった。

「竜神伝説について、資料を捜さないといけないからね」

 今度のテーマは西河くんが主導して記事の内容をまとめあげることになる。
 私自身、竜神伝説については興味を引かれるものだった。それに彼ひとりに丸投げするわけにもいかない。部員として手伝うのは当然のことだ。

「……わかった」

 廊下を並び歩いて、私たちは同時に教室に入る。
 私のすぐ後ろの席である沙耶がそれを目にして、瞬きをふたつした。

「おはよう、沙耶」
「……おはよう。西河くんに何か聞いた?」

 西河くんの席は私たちの位置からは対極の窓際だ。彼はすでにそちらに向かっていた。
 私は自分の机に鞄を置きながら、訝しげな表情を浮かべている沙耶に目をむける。

「なにかって?」
「だからさ、昨日の、竜神のやつ」
「ああ。あとで図書室で資料捜しする予定」
「そうじゃなくて。ヘンな発言したことの説明とかね。ないの?」

 沙耶は西河くんの「俺の正体は竜」発言が気になっているようだ。
 その話は特にしていないので、冗談なのか本気なのかは定かではない。

「そのことは話してないね」
「あとで聞いてみようかなぁ。それで決めよう」
「何を決めるの?」

 ちらりと私を見た沙耶は、声をひそめた。

「西河くん推しを続けるかどうかだよ」
「え……答えによっては、好きじゃなくなるってこと?」
「それはそうだよ。これ以上、ヘンなこと聞かされて幻滅したくないもん」

 まるでテストの点数をつけるかのような減点方式に思えて、私は奇妙さを覚える。
 提示されたものに対して、これは駄目、これなら良しという独善的なジャッジで決められる恋心。
 好きになった人のすべてを受け入れるという気持ちは、沙耶にはないようだ。
 私だったら、好きになった人が突拍子もないことを言い出しても、理解しよう、受け入れようと努力すると思う。
 それが、好きということじゃないかと思う。
 けれど、いずれ火事に遭って死ぬ運命の私は恋をすることもないので、そんなことを主張する資格もないのかもしれない。
 私が悪夢のことを話したら、沙耶は今みたいな反応をするのかな。
 ヘンなことを言い出すから、友人から減点。
 西河くんはどうだろう。
 私の突拍子もない予知夢を聞いたら、驚くのだろうか。否定するだろうか。
 彼のことをまだよく知らないので、予想がつかない。
 私はすでに西河くんに悪夢を打ち明けるかのような考えをしていることに気がつき、ゆるく首を振った。



 やがて五時限の終了を告げるチャイムが鳴り、時刻は放課後を迎えた。
 西河くんと図書室に行く約束をしている。沙耶も一緒に行くだろう。
 竜神伝説のこと。借りているノートの暗号のこと。西河くんの俺は竜発言など、近頃の私の頭の中は様々な情報が溢れている。以前は灰色でしかなかったのに。
 灰色だった未来を掻き乱されるというのは心地悪いものであり、同時に胸の一片を弾ませてくれるものだった。本当に、ほんの少しだけれど。
 沙耶は他の子と会話していたが、ふと振り向いて手短に告げた。

「あたし、ユリと体育館に行ってくるね」
「えっ。図書室のほうはどうするの?」
「パス。バスケ部の公開練習があるんだって。他校の男子も来るっていうから」

 沙耶は嬉しそうに頬を緩ませた。
 西河くんの発言について詳しく聞きたいと朝は言っていたけれど、保留にするらしい。
 まるで好きになる人の候補を見繕いに行くかのようだ。私の邪推かもしれないけれど。
 沙耶はユリというクラスメイトと足早に教室から出て行った。
 その後ろ姿を見送っていると、鞄を携えた西河くんが私の席へやってくる。

「じゃあ、行こうか」
「……うん」

 なんだか、見計らっていたようなタイミングだと感じたのは気のせいだろうか。
 沙耶が他の用事で出て行くのをわざと見逃した西河くんは、私とふたりで図書室に行こうとしていたなんて。
 考えすぎだ。
 私はふるりと頭を振った。

「どうしたの?」
「え。なにが?」
「相原さんの癖なのかな。よく頭を振ってるよね」

 指摘されるまで自分でも気づかなかった。周りからはよく見えているらしい。
 思い返してみれば、悪夢を見た寝起きのときに頭を振っている。
 悪夢を、振り払いたいから。
 それはきっと、他人から見れば人生を諦めたような仕草に見えるんだろうな。

「あー……悪夢を見たあとに振っちゃう癖があるんだよね」

 まさか、西河くんが私とふたりきりになりたいと考えていたかも、なんて言えるわけもなく、つい悪夢のことを口走ってしまった。
 西河くんは当然のごとく、至って自然な流れとして、聞き返した。

「どんな悪夢?」

 私は答えに窮する。
 どうして悪夢を見るなんて言ってしまったんだろう。途端に自分の発言を後悔した。

「う……ん、その……よく覚えてない。夢だから」
「もしかして、いつも同じ内容の夢だったりする?」

 息を呑む。
 目を見開いて、西河くんの顔を見上げた。
 その一連の動作が、正解を表してしまった。
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