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3話◆アスモダイの尖鋭

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 とあるカントリーハウスの入口は騒然としていた。数台の馬車と十頭前後の馬が玄関ホール手前に停められ、グランベルク騎士団の団員達がひっきりなしに馬車と邸宅内を行き来している。屋敷の廊下に所在無く佇む使用人達は、おろおろと突然の来訪者を見守っていた。由緒ある騎士団の団員には貴族階級の者も多いが、彼らをもてなす雰囲気は皆無で、どうかすると泣き出すメイドも何人か見受けられる。
「ランカスター様、見付かりました」
 屋敷の奥から玄関ホールへと戻ってきた部下が、声を潜め上司に報告する。四十路を少し過ぎた男は、渋い顔を隠しもせずに、うむ、と低く返すだけして歩き出す。ランカスターに続き、彼に報告した部下、そしてホールで待機していた人員のうち半分が後をついて歩く。部下の案内で廊下を進み、扉を開けて晩餐会が開ける程度の広さの部屋へと到達する。部屋の奥には暖炉が有るのだが、暖炉の横の壁が歪に傾いていた。壁紙が剝がれているといった類ではなく、壁と柱の境目を扉に見立てるかのように、一つの面の壁そのものが内側に向かって奥まっているのである。実際、見立てているどころかそれは壁にカモフラージュした扉だった。部下が更に押し開けて、そこをランカスターを始めとした団員達が進んでいく。
「うっ……」
 扉の向こうは白く霞み、異様なにおいが充満していた。部屋のあちこちに金属製の香炉が置かれているのが見えるが、煙はどれも出ていない。にも関わらず空気が濁って感じられるくらいに鼻が刺激されるのは、少し前までこの香炉から煙が出ていたということだろう。煙たさに混じる甘ったるく官能的な香り。それに饐えた臭いが混ざり、窓はおろか換気口さえ無い室内で澱のように淀んでいる。今すぐ壁に風穴を開けたい衝動に駆られながら、手やハンカチで口を塞ぎ、団員達は部屋の天井から幾重にも垂れ下がる厚い生地のカーテンを剝ぎ取っていく。空気は依然として悪いが、薄靄のような煙も暗赤色のドレープカーテンも全て失せてしまえば、部屋の全貌が露となる。
「……これは……」
 上着の袖で口元を覆っていたランカスターは、目の前の光景に言葉を失くす。部屋には数人が寝転がれる規模のベッドが有り、その上で全裸の数人が絡み合う形で絶命していた。組み伏せられているのはどれも一見して精霊族と分かる獣や虫の特徴を持つ者達で、手足があらぬ方向に曲げ折られた形で、革や鎖で拘束されている。彼らに覆い被さって目を見開いたまま息絶えている三人の男は、二十代になるかならないかといった若者。性器が挿入されているかどうかはまちまちだったが、見る限りでは全員がここで情事の最中に死亡したと思われる。それを裏付けるように、ベッドの上の全員の口元に緑青の泡がこびり付いていた。
「いやああああっ!!」
 突然、隠し部屋の入口の方で女の金切り声が上がり、ランカスターをはじめ団員達は皆振り返る。手近な団員の制止を振り切って、着飾った婦人が一人部屋に駆け込んできた。若い男の遺体に縋り付く一歩前で、ランカスターに部屋を案内した部下が彼女を取り押さえる。
「シリル!リューカ!いやぁっ!!」
 絶叫に近い勢いで泣き叫ぶこの女性は、死んでいる三人の若者のうち二人の母親である男爵夫人だった。夫人は屈強な騎士に拘束されても尚、身を捩りながら嘆いていたが、部屋の隅に縮こまる何かの存在に気付くと、そちらに燃えるような憎悪の視線を向ける。
「そいつらよ……、そいつらが息子達を誑かしたのよ!」
 部屋の隅で震えているのは、まだ生きている数人の精霊族だった。彼らもまた全員が一糸纏わぬ姿にされており、一見して十代半ばほどの少年少女にしか見えない。喚き散らす夫人の剣幕にすっかり怯えて震える姿は、逆にわざとらしく見えて彼女を煽るのだろう。依然として夫人がヒステリックに泣き叫ぶ勢いは衰えない。
「殺して……!早くそいつらを殺して頂戴!!」
「ご婦人を外へ」
 ランカスターの短い指示で、腕を戒められた夫人が隠し部屋の外へと連れ出される。彼女はずっと何事かを泣き喚いていたが、部屋からかなり遠い所まで連れていかれたのか、次第にその声は聞こえなくなった。短く息をつくランカスターの背後で、誰かが思わずといった風に口を開く。
「こんな拘束の仕方しておいて、誑かされたも何も無いけどな……」
「私語は慎みたまえ」
「……申し訳ございません」
 立場上窘めの言葉を告げておきながら、ランカスターもまた、その部下と気持ちは同じだった。王太子のような分かりやすい精霊族擁護派というわけではなく、精霊族に対して多少の偏見すら有る方だと自覚しているが、流石にこの状況が精霊族に起因するものだとは思えない。確かに精霊族の幾つかの一族には魅了の能力が有ると聞くが、王太子によればそれはあくまでも自らの身を守り逃走時間を稼ぐためのもので、人間を誑かし貶めるためのものではないという。そもそも精霊族にとってそんなに有利な能力なら、使ったところで自分自身がこんな残忍な目には遭っていないだろう。男爵夫人の主張は只の言いがかりに過ぎない。
「総員、状況証拠の確保と遺体の撤収作業にあたれ。……遺体の口元に近寄ったりにおいを嗅いだりすることの無いよう細心の注意を払ってくれ。例の薬であればそれだけで昏倒してしまうからな」
「はっ」
 その場に集まった団員全てが動き出し、各自の仕事をてきぱきと進めていく。ランカスターは引き続き細かな指示を出しながら浮かぬ顔をしていた。視線の先では団員の数人が、部屋の隅で小さくなっていた数人の精霊族に毛布を被せてやりつつ、保護するべく外へ連れ出そうとしている。彼らの外見は十代半ばといったところで、長命の種族故に実際の年齢は分からないが、どうしても彼らを見ていると同年代の息子や娘を思い出してしまう。自分の子供たちがこのような目に遭わされたら、と想像してしまうのだ。グランベルク王国では人間の売買は殆ど根絶している。その代わりに、合法ではない筈の精霊族の売買がまかり通っている。冷たい話ではあるが、別の種族がどのような扱いを受けていても、今まではあまり深く考えることは無かった。だが不本意ながら精霊族が絡む案件をぽつぽつと担当するようになってから、知識を付けるべく請うた王太子の話がずっと頭に残っている。

 ――――彼らは親を殺された憐れな子供たちなのだ

 もしも息子や娘が、自分と妻が殺された挙句こんな風に玩具にされたら、と思うと腸が煮えくり返る。精霊族の親がどのような存在なのかは知らないが、同じ親として、無念だろう、という気持ちでいっぱいになってしまう。彼らは決して人間とは違う。糧にするものも、寿命も、文化も、恐らく考え方も。しかし、親が居て子が居るという構図には何も違いが無い。
「彼らは証拠品であると同時に保護対象だ。丁重に頼む」
 部屋から生き残りの精霊族を連れて行こうとしている部下達に、ランカスターはそっと告げた。
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