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2話◆ノヂシャに愛を捧ぐ
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ジェラール・ウィレス・オルワーズには一人の兄が居た。伯爵家の嫡男なのだから、きっと本来なら兄を厳しく育て、歳の離れた弟の自分は可愛がられて甘やかされて然るべきなのだろうが、両親は兄に甘く、ジェラールには厳しかった。兄が成績優秀だの友人に対して思いやりが有るだの運動が出来るだのとちやほやと褒められるのに対して、ジェラールには犬を叩いて虐めるなだのメイドを突き飛ばして遊ぶなだの家具を蹴り壊して黙ったままでいるなだのと常日頃から理不尽に叱られた。貴族の次男は気楽だなどというが、嫡子として産まれたというだけで無条件に愛される兄が妬ましくてならなかった。彼さえいなければ、両親の愛情は全て自分だけのものだった筈なのに。
「ジェラール、友達を殴ったって本当なのか」
ある日、兄はジェラールと部屋に二人になると静かに切り出した。両親に怒られたばかりだというのに、何故兄にまでそんなことで詰られるのか意味が分からなかった。
「あいつが靴を寄越そうとしなかったから」
「その靴は彼が自分のお祖父様に誕生日の贈り物としていただいた宝物なんだろう?そんな大切なものを欲しがったりしてはいけない」
「あいつの家は男爵家だ!階級が上の俺の言うことはきかなきゃいけない筈だろ!」
「ジェラール」
激昂したところを見たことの無い兄が僅かに語調を強め、ジェラールはびくっと肩を強張らせる。
「ノブレス・オブリージュという言葉が有るのを知っているだろう。……私たち貴族が特権階級であるのは権力を振り翳すためじゃない。その地位に相応の責任を持たねばならないという意味だ」
「…………」
この兄はいつもそうだった。好きで小難しい本を読んでは、意味の分からない知識を高慢にひけらかすのだ。睨み付けると、拗ねたのだと誤解したのか兄は苦笑してジェラールの頭を撫でてきた。そうやって馬鹿にされるのが一番癪に障るのだということも気付かずに。
学院を首席で卒業し、父のたっての願いで早々に爵位を継いだ兄だったが、二年も経たないうちに風邪を拗らせて呆気なく命を落とした。両親は嘆き悲しみ、盛大な葬儀を行った。金に物を言わせた規模の葬儀に大勢の人が集まるのは当然だったが、溢れんばかりの列を作った学院の旧友や先輩後輩のほぼ全てが、真っ赤に泣き腫らした顔をしているのは、流石にやり過ぎだろうと感じた。葬儀の最中、嬉しさに笑えてならなかったが、兄が居なくなったことはともかく、簡単に爵位がこちらに回ってこなかったのは腹立たしかった。まだジェラールが学生だったというのもあるが、卒業しても父は当分ジェラールに継がせる気は無いようで、再び自身が爵位に就いたのである。結局は兄に甘くてすぐに爵位を譲ったのに、弟である自分には何故か厳しくてこんな風に子供扱いや嫌がらせをしてくるのだ。だが、そんな両親も兄の後を追うようにそれからすぐ二人とも亡くなってしまった。すると両親に遠ざけられていたのだという親類が、ジェラールが爵位に就くことをお祝いしに何人も来てくれた。見覚えの無い親類だったが彼らは優しかったし、暇潰しの遊びを色々と教えてくれた。精霊族という生き物の存在も彼らから教わった一つである。
「人に近い見た目の生き物だが、人ではないんだ」
にこやかに告げられた説明に、成程、とジェラールは期待した。家族が死んで誰もジェラールに意見する者が居なくなってから、偶に獣の手足を折るなどの遊びは楽しんでいたが、更に面白そうに思えた。権力も有る。金も有る。いろんなことを教えてくれる優しい友達も親類も大勢いる。子爵家の後輩から婚約者を戯れに寝取り、妻に迎えた。あちこちに構えた別荘で何人もの精霊族を飼った。全てが楽しくて、順風満帆だった。
ある時、気紛れに手を付けた使用人の女が、暫く姿を見ないと思っていたところに子供を伴って現れた。いつもなら言いがかりだと追い出すところだが、子供の顔を見てジェラールは凍り付いた。柔らかな蜂蜜色の輝く髪、若葉色の美しい双眸、女受けのする整った甘い顔立ち。憎たらしい兄と瓜二つの子供がそこに居たのだ。頭の固さと兄が死んだ時期を考えれば、その子供は決して兄の子供ではない。寧ろ自分に心当たりしか無いわけだから、ジェラール自身の子供で間違い無いだろう。思えば祖父も父も似たような顔付きと色合いをしていた。だからこそ彼らと似ても似つかない自分の容姿に疎外感すら感じていたが、妙なところで血は確実に継がれていたらしい。ジェラールは母子を屋敷に住まわせることにした。それは何も親切心や親近感からではない。子供が片言で何かを喋るようになった頃、母親である使用人の女には散歩をしてくると告げて子供を連れ出し、人気の無い庭園で子供にステッキを振り下ろした。医師にかかる金の無い子供は、生涯片足を引き摺るようになった。いい気味だとジェラールはほくそ笑んだ。そんなことが有ってから、度々子供は連れ出され、怪我を負って帰ってくるようになった。母親は無力感と後悔から心を病み、子供の未来を憂えて自ら命を絶ってしまう。
母親というなけなしの衝立すら無くなってしまえば、子供にはもう守ってくれるものなど何も無い。ジェラールは子供を完全にただの下働きとしてこき使った。自身が認知している子供たちの部屋の掃除をさせ、食事の用意の手伝いをさせ、一日中不自由な足で這いずり回らせた。教育など受けさせる筈がない。だが、学校にも行かせていないのに、いつの間にか子供は読み書きが出来るようになり、算術を得意とした。優秀な家庭教師を高額で雇っているにも関わらず、認知している子供たちは平均点も取れないのに、だ。難癖付けては兄によく似た足の不自由な子供を折檻して憂さ晴らしする日々だったが、とある業者から買い付けた精霊族の少女が思ったよりも具合が良く、気に入ったジェラールは彼女を閉じ込めた塔によく通うようになった。小鳥の翼を持つ彼女に愛を囁き、羽を毟ると脅しては自分にも愛を囁かせた。
そんなお気に入りの小鳥に、自分以外の何者かが接触している気配が有った。小鳥は上手く取り繕うが、自分を欺けるわけが無い。塔の入り口に鍵をかけ、暫くそのままにしておいて、少し経った頃に鍵を開ける。思った通り何者かが鍵が開いていることに気付いて深夜に塔を上っていく。鍵が掛けられていた間に諦めなかったということは、その塔に有る何かに執着しているということだ。念のため、偶々赴いただけだと言い訳されないために一度泳がせる。後日再び同じ人物が塔を上っていくことで、明確な理由を伴い塔を上っている相手を確定させる。塔に通っていることを言い逃れ出来ない状況を作ったところで、ジェラールは塔から下りてきた相手の腕を捕えた。
「やはりお前か、エンディミオン!」
「父上……!」
憎たらしい兄と、見た目も性格も能力も瓜二つの子供。育つにつれてそれは更に顕著となり、段々自分からいろんなものを奪っていくのだ。兄と同じように。ジェラールはエンディミオンを引き摺って、塔の地下の礼拝堂へと足早に向かった。祭壇手前の床に突き飛ばすと、重心の不安定な相手は面白いくらいに簡単に転がった。立ち上がれずにその場に座り込む少年に、ジェラールはステッキの先を突き付ける。
「生意気に色気付きおって、俺の小鳥を誑かしたか!」
「……セレナのことですか」
唾を飛ばさんばかりのジェラールに対して、生意気にもエンディミオンは落ち着き払っている。待ち伏せて腕を捕まえた瞬間こそ狼狽していたが、以降はずっとこの調子だった。自棄になったというよりは、何かを覚悟しているように感じられた。
「僕も、父上に諫言したい。セレナに乱暴を働くのはもう止めてください」
「乱暴だと?俺はあいつを可愛がっているし、あいつも悦んでいる。何も乱暴なものか。あいつは俺を愛しているのだ」
何度も交わした睦言。確かに小鳥は自分を愛していると言った。口端を上げるジェラールだが、エンディミオンは冷めた表情で口を開く。
「監禁し、強要した言動に何の感情も宿りはしません。……精霊族を金で取引し、所有している貴方の行為は違法です。然るべき場所で審議すれば、監禁されるのは貴方の方だ」
「っは!精霊族を囲っていることのどこが違法だ!人間と違って精霊族の売買は法に触れぬのだ。俺を言い負かすつもりだろうが、無知なガキが思い上がるな!」
「……ご存知ないのですか」
「ああ?」
目を眇めたエンディミオンを睨め付けるが、ジェラールを見上げる少年の瞳には動揺も畏怖も無い。
「四ヵ月前に、精霊族の搾取に関する法令が定められ、彼らの売買や所有は罪に問われるようになったのです。……議会に席を持つ貴方が、それを知らないのですか」
ジェラールは絶句した。四ヵ月前といえば、お気に入りの小鳥を得て気分良くなっていたところに、仲の良い親類たちの勧めで、彼らや子供たちを連れて客船を貸し切り、一ヵ月の豪遊を楽しんでいた時期である。議会に席が有り、政治を動かせる立場に在ることは自身の誇りではあったが、実際にその席に座ったのは片手で数える程度だった。審議で話を振られても、兄が口にしていたような意味の分からない言葉ばかりが飛び交っていて答えることが出来ないからだ。
「……ノブレス・オブリージュという言葉をご存知ですか、父上」
ヒュッと喉で息が詰まる。兄から理不尽に詰られた古い記憶が鮮明に蘇る。
「貴族が特権階級であるのは、権力を振り翳すためではありません。その地位に相応の責任を持たねばならないのです。……責任を果たすどころか法に触れる行いに手を染める父上を、僕は告発します」
告発だと?ジェラールは我が耳を疑った。曇りなき若葉色の双眸が凛と己を見据えている。それはいつかの兄の眼差しを、否が応でも思い出させた。
「どんなに努力しても、父上が僕をお嫌いなのはもうどうしようもないのだと諦めました。……けれど、セレナは、彼女はどうか解放してあげてください。そうして下されば、どうにか弁護の余地が無いかお調べします」
告発などされる訳にはいかなかった。逮捕などされようものなら自分の名は地に落ち、議席も財産も権力も没収され、自分が居ないと何も出来ない憐れな可愛い子供たちは路頭に迷うだろう。そうなったら誰が空席となった爵位を継ぐのだろうか。ああ、そうか、とジェラールは合点がいった。この兄によく似た狡猾な子供は、お気に入りの小鳥を奪うばかりでなく、自分が兄から簒奪した全てを取り戻すつもりなのだ。
「父上、どうか――――…………」
真っ直ぐに向けられる汚れなき若葉色。それは、焦がれて、憎らしくて、喉から手が出るほどに求めてやまない、遥か高みに灯る、決して己が成り代わることの出来ない眩い光。
衝動的にジェラールは手にしていたステッキを振り下ろしていた。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。金属芯の仕込まれた丈夫なステッキが無慈悲に相手を打つ。内臓を傷付けられて吐血に噎せ、切れ切れの息の下で彼は何かを言っていたような気がした。それは謝罪だったのか、恨み言だったのか、命乞いだったのか。それすらも分からないほどに、一心不乱にジェラールはステッキを打ち下ろし続けた。壁に、木製の長椅子に、石畳の床に、自身の服に、顔に、ステッキを振る度に血飛沫が飛ぶ。どのくらい繰り返したのだろうか、悠に数十分経過した頃に、振り下ろし続けて感覚の薄れた手からステッキが滑り落ち、床に落ちる乾いた音が響いてジェラールは我に返った。肩で息をしながら、疾うに息の無い痩せた身体を見下ろす。ふは、と荒い息のままジェラールは笑う。恐れることはない。この子供は兄ではない。こんなに醜く潰れた枯れ木のような屍が、兄である筈が無いのだ。そう思うと途端に煮えくり返るような怒りが胸の内を占める。ジェラールは踵を返し、大股で歩き始めると、塔の隠し部屋の扉を勢いよく開け放って怯える少女の髪を掴み、有無を言わさず強引に引き摺った。礼拝堂から漂う濃厚な血の匂いにセレナは身を強張らせたが、血溜まりに沈むぼろぼろの物言わぬ瘦身が何者であるかを悟ると、悲鳴と共に駆け寄った。服や手足が血に染まることも厭わず躯を抱き締める少女を、ジェラールは指差して怒鳴り散らす。
「やはり密通していたのか、この淫女が!餌さえ貰えれば誰でも股を開くのか!」
二度と返事をしない少年に縋って何度も何度も名を呼ぶセレナを、ジェラールは嘲笑った。
「残念だったな!お前と関わったばかりにそいつは死んだのだ」
踏み出せば、足元まで流れてきた赤黒い血液が跳ねて小さな水音が起こる。自分に物申す相手が消えた空間で、ジェラールはか弱い生き物を見下ろし怒りのままに罵倒する。
「誰のおかげで生きてると思ってる、この恩知らずが!お前は俺だけを愛していればいいのだ!」
「……愛?」
襤褸のような少年の体を抱き締め悲嘆に暮れていたセレナが、ぽつりと呟いた。静まり返った礼拝堂の空気が冷たいのは、雪降る外気の所為だけではない。
「滑稽ね。あなたに愛が理解できるの」
血に塗れた少年の躯を大切そうに胸に搔き抱いた少女は、ジェラールへと視線を向ける。爛と燃える憎悪の視線は、脆弱で怯えきった常の姿からは想像もつかない。
「あなたには分からないわ。愛したことも無ければ愛されたことも無いあなたには。あなたはずっと一人ぼっち。口先だけの愛や友情に見限られた後は、永劫の孤独に咽ぶのよ」
言いなりでしかなかったお気に入りの小鳥が紡ぐ呪いの言葉。ジェラールの唇が戦慄く。
「私を淫女と言ったわね。エンディは何もしなかったわ。あなたがいつもしてくるようなことは何一つしなかった。彼は紳士だわ。そして貴族よ。私のような者を蔑みも罵倒もせず、努力して得た知識を惜しまず分け、心に寄り添おうとしてくれる。逆境に在っても、権力も富も無くても、相手を慈しみ、自分に出来ることを果たそうとする本物の貴族よ」
「……黙れっ……」
「あなたみたいな紛い物なんかと違うのよ!」
「黙れぇっ!!」
ジェラールは少女に飛び掛かった。どんなに視線が憎しみを湛え、怨嗟の言葉を吐こうとも、その身体が最弱の精霊族であることには変わりがない。セレナの髪を引き千切り、服を剥ぎ取り、肌に爪を立てて、ジェラールはなけなしの力で抵抗する彼女を少年の躯から引き剝がす。小さな翼から羽を毟り、何度も殴り付け、何度も蹴り付けては、少年の屍に延ばされる震える腕を押さえ付けてジェラールはセレナを凌辱した。誰も自分を止めないし、組み伏せた少女の抵抗も虚しい。だがジェラールの心が満たされることは無かった。セレナは一度も、謝罪や泣き言のような胸のすく言葉を口にしなかったのだ。
「ジェラール、友達を殴ったって本当なのか」
ある日、兄はジェラールと部屋に二人になると静かに切り出した。両親に怒られたばかりだというのに、何故兄にまでそんなことで詰られるのか意味が分からなかった。
「あいつが靴を寄越そうとしなかったから」
「その靴は彼が自分のお祖父様に誕生日の贈り物としていただいた宝物なんだろう?そんな大切なものを欲しがったりしてはいけない」
「あいつの家は男爵家だ!階級が上の俺の言うことはきかなきゃいけない筈だろ!」
「ジェラール」
激昂したところを見たことの無い兄が僅かに語調を強め、ジェラールはびくっと肩を強張らせる。
「ノブレス・オブリージュという言葉が有るのを知っているだろう。……私たち貴族が特権階級であるのは権力を振り翳すためじゃない。その地位に相応の責任を持たねばならないという意味だ」
「…………」
この兄はいつもそうだった。好きで小難しい本を読んでは、意味の分からない知識を高慢にひけらかすのだ。睨み付けると、拗ねたのだと誤解したのか兄は苦笑してジェラールの頭を撫でてきた。そうやって馬鹿にされるのが一番癪に障るのだということも気付かずに。
学院を首席で卒業し、父のたっての願いで早々に爵位を継いだ兄だったが、二年も経たないうちに風邪を拗らせて呆気なく命を落とした。両親は嘆き悲しみ、盛大な葬儀を行った。金に物を言わせた規模の葬儀に大勢の人が集まるのは当然だったが、溢れんばかりの列を作った学院の旧友や先輩後輩のほぼ全てが、真っ赤に泣き腫らした顔をしているのは、流石にやり過ぎだろうと感じた。葬儀の最中、嬉しさに笑えてならなかったが、兄が居なくなったことはともかく、簡単に爵位がこちらに回ってこなかったのは腹立たしかった。まだジェラールが学生だったというのもあるが、卒業しても父は当分ジェラールに継がせる気は無いようで、再び自身が爵位に就いたのである。結局は兄に甘くてすぐに爵位を譲ったのに、弟である自分には何故か厳しくてこんな風に子供扱いや嫌がらせをしてくるのだ。だが、そんな両親も兄の後を追うようにそれからすぐ二人とも亡くなってしまった。すると両親に遠ざけられていたのだという親類が、ジェラールが爵位に就くことをお祝いしに何人も来てくれた。見覚えの無い親類だったが彼らは優しかったし、暇潰しの遊びを色々と教えてくれた。精霊族という生き物の存在も彼らから教わった一つである。
「人に近い見た目の生き物だが、人ではないんだ」
にこやかに告げられた説明に、成程、とジェラールは期待した。家族が死んで誰もジェラールに意見する者が居なくなってから、偶に獣の手足を折るなどの遊びは楽しんでいたが、更に面白そうに思えた。権力も有る。金も有る。いろんなことを教えてくれる優しい友達も親類も大勢いる。子爵家の後輩から婚約者を戯れに寝取り、妻に迎えた。あちこちに構えた別荘で何人もの精霊族を飼った。全てが楽しくて、順風満帆だった。
ある時、気紛れに手を付けた使用人の女が、暫く姿を見ないと思っていたところに子供を伴って現れた。いつもなら言いがかりだと追い出すところだが、子供の顔を見てジェラールは凍り付いた。柔らかな蜂蜜色の輝く髪、若葉色の美しい双眸、女受けのする整った甘い顔立ち。憎たらしい兄と瓜二つの子供がそこに居たのだ。頭の固さと兄が死んだ時期を考えれば、その子供は決して兄の子供ではない。寧ろ自分に心当たりしか無いわけだから、ジェラール自身の子供で間違い無いだろう。思えば祖父も父も似たような顔付きと色合いをしていた。だからこそ彼らと似ても似つかない自分の容姿に疎外感すら感じていたが、妙なところで血は確実に継がれていたらしい。ジェラールは母子を屋敷に住まわせることにした。それは何も親切心や親近感からではない。子供が片言で何かを喋るようになった頃、母親である使用人の女には散歩をしてくると告げて子供を連れ出し、人気の無い庭園で子供にステッキを振り下ろした。医師にかかる金の無い子供は、生涯片足を引き摺るようになった。いい気味だとジェラールはほくそ笑んだ。そんなことが有ってから、度々子供は連れ出され、怪我を負って帰ってくるようになった。母親は無力感と後悔から心を病み、子供の未来を憂えて自ら命を絶ってしまう。
母親というなけなしの衝立すら無くなってしまえば、子供にはもう守ってくれるものなど何も無い。ジェラールは子供を完全にただの下働きとしてこき使った。自身が認知している子供たちの部屋の掃除をさせ、食事の用意の手伝いをさせ、一日中不自由な足で這いずり回らせた。教育など受けさせる筈がない。だが、学校にも行かせていないのに、いつの間にか子供は読み書きが出来るようになり、算術を得意とした。優秀な家庭教師を高額で雇っているにも関わらず、認知している子供たちは平均点も取れないのに、だ。難癖付けては兄によく似た足の不自由な子供を折檻して憂さ晴らしする日々だったが、とある業者から買い付けた精霊族の少女が思ったよりも具合が良く、気に入ったジェラールは彼女を閉じ込めた塔によく通うようになった。小鳥の翼を持つ彼女に愛を囁き、羽を毟ると脅しては自分にも愛を囁かせた。
そんなお気に入りの小鳥に、自分以外の何者かが接触している気配が有った。小鳥は上手く取り繕うが、自分を欺けるわけが無い。塔の入り口に鍵をかけ、暫くそのままにしておいて、少し経った頃に鍵を開ける。思った通り何者かが鍵が開いていることに気付いて深夜に塔を上っていく。鍵が掛けられていた間に諦めなかったということは、その塔に有る何かに執着しているということだ。念のため、偶々赴いただけだと言い訳されないために一度泳がせる。後日再び同じ人物が塔を上っていくことで、明確な理由を伴い塔を上っている相手を確定させる。塔に通っていることを言い逃れ出来ない状況を作ったところで、ジェラールは塔から下りてきた相手の腕を捕えた。
「やはりお前か、エンディミオン!」
「父上……!」
憎たらしい兄と、見た目も性格も能力も瓜二つの子供。育つにつれてそれは更に顕著となり、段々自分からいろんなものを奪っていくのだ。兄と同じように。ジェラールはエンディミオンを引き摺って、塔の地下の礼拝堂へと足早に向かった。祭壇手前の床に突き飛ばすと、重心の不安定な相手は面白いくらいに簡単に転がった。立ち上がれずにその場に座り込む少年に、ジェラールはステッキの先を突き付ける。
「生意気に色気付きおって、俺の小鳥を誑かしたか!」
「……セレナのことですか」
唾を飛ばさんばかりのジェラールに対して、生意気にもエンディミオンは落ち着き払っている。待ち伏せて腕を捕まえた瞬間こそ狼狽していたが、以降はずっとこの調子だった。自棄になったというよりは、何かを覚悟しているように感じられた。
「僕も、父上に諫言したい。セレナに乱暴を働くのはもう止めてください」
「乱暴だと?俺はあいつを可愛がっているし、あいつも悦んでいる。何も乱暴なものか。あいつは俺を愛しているのだ」
何度も交わした睦言。確かに小鳥は自分を愛していると言った。口端を上げるジェラールだが、エンディミオンは冷めた表情で口を開く。
「監禁し、強要した言動に何の感情も宿りはしません。……精霊族を金で取引し、所有している貴方の行為は違法です。然るべき場所で審議すれば、監禁されるのは貴方の方だ」
「っは!精霊族を囲っていることのどこが違法だ!人間と違って精霊族の売買は法に触れぬのだ。俺を言い負かすつもりだろうが、無知なガキが思い上がるな!」
「……ご存知ないのですか」
「ああ?」
目を眇めたエンディミオンを睨め付けるが、ジェラールを見上げる少年の瞳には動揺も畏怖も無い。
「四ヵ月前に、精霊族の搾取に関する法令が定められ、彼らの売買や所有は罪に問われるようになったのです。……議会に席を持つ貴方が、それを知らないのですか」
ジェラールは絶句した。四ヵ月前といえば、お気に入りの小鳥を得て気分良くなっていたところに、仲の良い親類たちの勧めで、彼らや子供たちを連れて客船を貸し切り、一ヵ月の豪遊を楽しんでいた時期である。議会に席が有り、政治を動かせる立場に在ることは自身の誇りではあったが、実際にその席に座ったのは片手で数える程度だった。審議で話を振られても、兄が口にしていたような意味の分からない言葉ばかりが飛び交っていて答えることが出来ないからだ。
「……ノブレス・オブリージュという言葉をご存知ですか、父上」
ヒュッと喉で息が詰まる。兄から理不尽に詰られた古い記憶が鮮明に蘇る。
「貴族が特権階級であるのは、権力を振り翳すためではありません。その地位に相応の責任を持たねばならないのです。……責任を果たすどころか法に触れる行いに手を染める父上を、僕は告発します」
告発だと?ジェラールは我が耳を疑った。曇りなき若葉色の双眸が凛と己を見据えている。それはいつかの兄の眼差しを、否が応でも思い出させた。
「どんなに努力しても、父上が僕をお嫌いなのはもうどうしようもないのだと諦めました。……けれど、セレナは、彼女はどうか解放してあげてください。そうして下されば、どうにか弁護の余地が無いかお調べします」
告発などされる訳にはいかなかった。逮捕などされようものなら自分の名は地に落ち、議席も財産も権力も没収され、自分が居ないと何も出来ない憐れな可愛い子供たちは路頭に迷うだろう。そうなったら誰が空席となった爵位を継ぐのだろうか。ああ、そうか、とジェラールは合点がいった。この兄によく似た狡猾な子供は、お気に入りの小鳥を奪うばかりでなく、自分が兄から簒奪した全てを取り戻すつもりなのだ。
「父上、どうか――――…………」
真っ直ぐに向けられる汚れなき若葉色。それは、焦がれて、憎らしくて、喉から手が出るほどに求めてやまない、遥か高みに灯る、決して己が成り代わることの出来ない眩い光。
衝動的にジェラールは手にしていたステッキを振り下ろしていた。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。金属芯の仕込まれた丈夫なステッキが無慈悲に相手を打つ。内臓を傷付けられて吐血に噎せ、切れ切れの息の下で彼は何かを言っていたような気がした。それは謝罪だったのか、恨み言だったのか、命乞いだったのか。それすらも分からないほどに、一心不乱にジェラールはステッキを打ち下ろし続けた。壁に、木製の長椅子に、石畳の床に、自身の服に、顔に、ステッキを振る度に血飛沫が飛ぶ。どのくらい繰り返したのだろうか、悠に数十分経過した頃に、振り下ろし続けて感覚の薄れた手からステッキが滑り落ち、床に落ちる乾いた音が響いてジェラールは我に返った。肩で息をしながら、疾うに息の無い痩せた身体を見下ろす。ふは、と荒い息のままジェラールは笑う。恐れることはない。この子供は兄ではない。こんなに醜く潰れた枯れ木のような屍が、兄である筈が無いのだ。そう思うと途端に煮えくり返るような怒りが胸の内を占める。ジェラールは踵を返し、大股で歩き始めると、塔の隠し部屋の扉を勢いよく開け放って怯える少女の髪を掴み、有無を言わさず強引に引き摺った。礼拝堂から漂う濃厚な血の匂いにセレナは身を強張らせたが、血溜まりに沈むぼろぼろの物言わぬ瘦身が何者であるかを悟ると、悲鳴と共に駆け寄った。服や手足が血に染まることも厭わず躯を抱き締める少女を、ジェラールは指差して怒鳴り散らす。
「やはり密通していたのか、この淫女が!餌さえ貰えれば誰でも股を開くのか!」
二度と返事をしない少年に縋って何度も何度も名を呼ぶセレナを、ジェラールは嘲笑った。
「残念だったな!お前と関わったばかりにそいつは死んだのだ」
踏み出せば、足元まで流れてきた赤黒い血液が跳ねて小さな水音が起こる。自分に物申す相手が消えた空間で、ジェラールはか弱い生き物を見下ろし怒りのままに罵倒する。
「誰のおかげで生きてると思ってる、この恩知らずが!お前は俺だけを愛していればいいのだ!」
「……愛?」
襤褸のような少年の体を抱き締め悲嘆に暮れていたセレナが、ぽつりと呟いた。静まり返った礼拝堂の空気が冷たいのは、雪降る外気の所為だけではない。
「滑稽ね。あなたに愛が理解できるの」
血に塗れた少年の躯を大切そうに胸に搔き抱いた少女は、ジェラールへと視線を向ける。爛と燃える憎悪の視線は、脆弱で怯えきった常の姿からは想像もつかない。
「あなたには分からないわ。愛したことも無ければ愛されたことも無いあなたには。あなたはずっと一人ぼっち。口先だけの愛や友情に見限られた後は、永劫の孤独に咽ぶのよ」
言いなりでしかなかったお気に入りの小鳥が紡ぐ呪いの言葉。ジェラールの唇が戦慄く。
「私を淫女と言ったわね。エンディは何もしなかったわ。あなたがいつもしてくるようなことは何一つしなかった。彼は紳士だわ。そして貴族よ。私のような者を蔑みも罵倒もせず、努力して得た知識を惜しまず分け、心に寄り添おうとしてくれる。逆境に在っても、権力も富も無くても、相手を慈しみ、自分に出来ることを果たそうとする本物の貴族よ」
「……黙れっ……」
「あなたみたいな紛い物なんかと違うのよ!」
「黙れぇっ!!」
ジェラールは少女に飛び掛かった。どんなに視線が憎しみを湛え、怨嗟の言葉を吐こうとも、その身体が最弱の精霊族であることには変わりがない。セレナの髪を引き千切り、服を剥ぎ取り、肌に爪を立てて、ジェラールはなけなしの力で抵抗する彼女を少年の躯から引き剝がす。小さな翼から羽を毟り、何度も殴り付け、何度も蹴り付けては、少年の屍に延ばされる震える腕を押さえ付けてジェラールはセレナを凌辱した。誰も自分を止めないし、組み伏せた少女の抵抗も虚しい。だがジェラールの心が満たされることは無かった。セレナは一度も、謝罪や泣き言のような胸のすく言葉を口にしなかったのだ。
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