氷剣の皇子は紫水晶と謳われる最強の精霊族を愛でる

梶原たかや

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2話◆ノヂシャに愛を捧ぐ

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 ひりつくような空気を纏いながら相手を見据えていたイルだが、カイの言葉に暫し黙した後、ふっと呼気程度の溜息をついて視線を落とした。
「お前には俺がそんなに崇高に見えるのか。……残念だが買い被り過ぎだ」
 冷たい手指の先が引かれ、するりとカイの手の内から逃げていく。
「お前にとって俺は、助けられたことへの憧れや思い出なんかで輝かしく見えるんだろう。でもお前が言うような矜持が俺に有ったなら、疾うに自害しているよ」
「…………」
 逃げた冷たい手先が、今度はカイの両手にそっと乗せられ、覆われる。
「人の手に落ちるくらいなら何故誇り高く死ななかったんだと言われれば、死にたくなかったからだとしか言い様がないな。……俺だって死ぬのは怖い」
「そんな言い方……」
「違わないさ。結局俺は命が惜しくて抵抗をやめ、人間に体を許した。……それが事実で、それだけのことだ」
 感情の窺い知れない暗い双眸が、ゆっくりと持ち上がってカイと対峙する。
「俺に『死ねない理由』なんて大層なものは無い」
「…………」
 能面のような表情を向けられ、完全な拒絶を叩き付けられたと察する以上に、カイは或る種の手応えを感じた。気性が激しいと聞く古の一族の中で、彼は王太子の言う通り温厚な個体なのだ。ただ、それは一見しただけの印象ではない。半ば挑発めいたカイの言葉に、彼は自虐を交えながらも終始冷静に受け答えした。本当に自身のプライドを暗に傷付けられたと思うなら、もっと感情的に取り乱すものではないだろうか。何なら皮肉で煽られたと居直って逆上するかもしれない。そうではなく、己の言動すら俯瞰しているかのような言い方をするのは、彼が自分にそう言い聞かせているのか、はたまたそうせざるを得ないのだと諦めているからか。いずれにせよ、イルが自分で言うような、生にしがみつき誇りを捨てて人間の手に落ちたという人物像とは、逆に離れていくように感じられた。
(……何が、君をそうさせているんだ)
 イルが否定すればするほど、カイは彼が理由有って人間の傍にいるのだという確信を得る。
(俺は、君のことが知りたい)
 ひたとこちらに定められていた薄紫の視線がふと落ちる。冷たい手がカイの手の甲をなぞるようにゆっくりと触れ、そのままカイの片手を掬い上げて、形の良い唇へと近付ける。
「そんなことより、……くれないのか」
 引き寄せられたカイの指先が、相手の唇に柔く挟まれる。ひんやりとした手指に比べて唇も漏れる吐息も人肌そのままで、否が応にも肉欲を呼び起こす。人間に媚びるのが得意ではなさそうだといっても、彼自身が言う通り場数を踏んでいるのは事実なのだろう。どんな貌でどんな振る舞いをすれば相手の情欲を煽ることが出来るのか、経験則として知っているのだ。ただ、カイには相手に誤魔化されたように感じられて、素直にその温もりを求めることが出来ない。それでも元々相手の空腹を満たすために館に戻ってきたのもあり、その手を取らないというわけにもいかない。渋面を張り付けるカイに、イルは薄く笑う。
「そんなに難しく考えること無いだろ。……何なら俺が全部してやるから、お前は何もしないで転がっていればいい」
「…………」
 あからさまな挑発だと流石に解る。互いに少しは打ち解けたように感じられていたのに、と苛立つ気持ちが無いではない。とはいえ、ここで相手に幻滅し激昂することこそ相手の思惑通りだというのも理解していた。カイは暫し剣呑な色を乗せて相手を見つめていたが、不意に腕を伸ばしてイルの体を抱え上げ、ベッドへと歩み寄ると、下ろしがてら肩を押し倒してベッドに押さえ付ける。あまり丁寧とは言えない所作に、押し倒された衝撃でイルの口元から呼気が漏れた。諦念を孕んで見える紫水晶の双眸は、依然として精神的な拒絶を示すように冷え切っている。恐らくここまでは相手の想定内。だがカイには彼の手の内で転がされてやる気などさらさら無かった。見下ろす先の顔をじっと見つめながら、片手の指の背でそろりと相手の頬を撫でる。それまでの半ば乱雑な扱いから一変した触れ方にイルの眉が寄せられたのを目にしてから、カイは触れるように唇を重ね、その流れでぐっと舌先を歯列の間に滑り込ませる。
「んぅ……、」
 漏れる吐息の甘さは、まだ演技の範疇なのだろうか。四肢が冷たくとも内側は人並みの温かさを保っていることは、一度体を重ねてもう知っている。熱を追い求めてカイは舌先で相手の上顎を緩々と舐め上げ、熱い粘膜を絡めて音を立てつつ吸い上げる。ひく、と組み敷いた肩が微かに強張るのを感じた。前回彼を相手にした時は、数年振りに誰かと肌を合わせたのと、初めて同性と行為に及んだのとで、殆ど相手に主導権が有り、カイ自身も彼に教わりながらリードされていた自覚が有った。だからこそ、今回もその拙さを脱しなかったら、この先ずっと相手はその認識のままだと解っていた。
「……っふ、……」
 互いに舌を触れ合わせながら吸い合う控えめな水音が、森閑とした部屋で淫靡に響く。舌先で触れ、吸い上げてなぞる度に、微かに肩が震え息を詰める箇所が多少有ることにカイは気付く。拙い児戯を装って態とその部分を掠めれば、答え合わせのように甘い声が短く漏れる。深く口付けて重点的にそこを擽ってやれば、声無き声と共に肩が戦慄いた。
「……っ……」
 差し入れた舌を引いて唇を離せば、互いを繋ぐ銀糸の先でイルが息を整えるべく短く呼吸する。微かに上気して見える貌を見つめれば、睨むような眼光を湛えた紫水晶が僅かに潤んで見えた。
(……そういう顔、するのか)
 焚き付けたのはそっちなのに、と思えば余裕のない息の上がった姿に溜飲も下がる。結局いくら場数を踏んでいるといっても、苦痛はともかく快楽を完全にコントロール出来るわけではないようだ。カイは相手の呼吸が落ち着くのを待つことなく、再び唇を重ねると、そのまま深く口付けて、先程肩を震わせた箇所を舌先で撫でていく。熱く柔らかな刺激にイルが息を飲んだ。カイは相手が拒絶を示さないのを良いことに、角度を変えて口付けながら夜着の合わせに指をかけ、ボタンを一つずつゆっくりと外しては、隙間に指を滑らせてひんやりとしつつもしっとりと木目細かな白磁の膚に指を這わせていく。口付ける先の相手の肩が戦慄いた。
「っく、……ぅ」
 微かに高い相手の声が鼻から抜けていくのを聞きながら、カイは唇を離して相手の耳元、首筋、夜着が肌蹴て露わとなった鎖骨に唇で触れていく。大した刺激ではない筈だが、触れる度にひく、と相手の身体が僅かに強張るのを感じた。あやすように肩口を撫でながら喉に口付けると、イルの手がこちらの袖に触れるのを感じた。特に拒絶を示すものではないようで、カイは尚も真っ白い肌に痕を付けない程度の口付けを落としていく。腕を軽く回し、袖に触れる手を摑まえると指を絡めてシーツの上にとんと固定した。イルからの抵抗は無い。耳朶にぬるりと舌を這わせて音を立てつつ吸うと、すぐ耳元で息を詰めるのを感じた。尖った耳先に小さく口付けを落としてから、カイは再び相手の胸元に唇で触れる。一方で、荒れる息遣いを隠すように片手の甲で口元を抑えつつ、イルはさっきからずっと感情を搔き乱されていた。
(……おかしい)
 幼い頃に人間によって性行為を教え込まれ、それに伴う快楽を無理やり引き出された時期が有ってから、逆に行為自体を受け付けなくなり、イルの身体は性的接触全てに対して、快感を得るどころか嫌悪感と吐き気しか感じられなくなっている。先日エディアルドに指摘されたように重度の不感症を抱えてずっと生きてきた。長らく人間と関わることで閨での演技も覚えたが、単純に身体をまさぐって満足してくれる相手ならともかく、こちらの吐精をも娯楽にするような相手の場合は、期待外れだと手放されることも多かった。今までずっとそうだったため、誰が相手でも変わらないと思っていた。カイに対しての自身の体の反応に、前回の時点で違和感が有ったのは確かだが、今回は気のせいでは済まないと言わざるを得ない。
「あ、……っあ、」
 不意に音を立てて胸の尖りの片方を吸われ、ぞくぞくと何かが体全体を駆けていき、思わず引き攣ったようなあられもない声が上がる。絡めてシーツに押し付けられた手指に自然と力が籠り、図らずも彼の手に縋る形になってしまう。芯を持ってつんと立ち上がった胸の朱みに熱いぬめりが被さり、尚も柔らかく蠢く度に、ぞわりと背を這い上がる感覚に襲われた。
「んん、……う……」
 こんな感覚は知らない。常ならばただ只管に気持ち悪いだけなのに、相手の指先が触れ、舌が這う度に、肌が粟立ち言い知れぬ昂ぶりが沸き起こり困惑する。自分から振っておきながら今更待てともやめろとも言えず、イルは唯々声を抑えて耐える。割り切った演技ならいくらでも啼けるのに、それよりも遥かにか細くくぐもった拙い喘ぎに羞恥を覚えた。
「……っ……!」
 はっと気付けば腰を浮かされ、穿いているものを全て脱がされる。相手は自分と異なり、場にあまり慣れていない筈なのに、性急な印象が無いのは言動が乱雑ではないからか。前回は相手の様子を窺いながら事を進めていく程の余裕が自分には有ったのに、今回はそれどころではない。イルはカイの具合を確かめる以前に、自分のものをまじまじと見つめて言葉も無かった。
(…………勃って……)
 男の性器など見飽きるほどに見ているが、思えば自分のものが起立しているのを見た覚えが無い。無いことは無いのかもしれないが、とにかく記憶に無いくらいに昔のことで、この先の展開も自分がどう動けば良いのかも全部頭から飛んでしまう。乱れた息が落ち着くよりも先に、硬く勃つ自分のものに触れる刺激が有ってイルは息を詰める。
「前はあんまり反応無かったけど、今回は気持ち良いみたいだ」
「…………」
 指摘されても適当にあしらえず、どう返事をして良いものか判らない。言葉に窮していると、カイの指の背がすりすりと竿部分を緩やかに撫でてくる。握りながら擦られることに比べれば遥かに弱い刺激の筈なのに、背をぞわぞわと上がってくる快感と含羞に頬が染まる。
 ――――そう、これは快感なのだ。
「っふぁ、……ぁ」
 自然と声が漏れるのを堪えようとイルは唇を噛む。ぎり、と血が出そうなほどに噛み締める相手に、カイは彼の恥部に触れる手を止めないまま、顔を寄せて口元を覆う手指をそろりと食む。イルは逡巡するが、触れる程度の口付けめいたものを指に落とす相手の所作に、ゆっくりと口元から手を離す。予想通り唇が重なり、ぬるりと熱い舌先が入ってくる。竿を撫でていた相手の手指は腹部を這ってイルの腰に回され、そのまま抱き締められて肌が密着した。早い鼓動を悟られるかと一瞬案じるが今更だった。
「っん、……ん……」
 酸欠とまではいかないが、緩やかな心地良さに茫としてくる。力無く投げ出していた片腕を、無意識のうちに相手の首に回していた。自らも気持ち良さを求めて角度を変えつつ舌先を触れ合わせる。淫靡な水音が小さく響いた。自らの皮膚の表面が冷たければ冷たいほど、相手の体温を高く感じられ、回した腕に感じるカイの首筋の熱さに気持ちが煽られる。やがて名残惜しげに唇が離れ、耳元に触れるだけの口付けを落としてからカイの上体が起こされる。滑り落ちるイルの片腕がシーツの上にぱたりと落ちた。前戯どころか殆どキスだけでこの状態なのに、これ以上されるとどうなるのかと不安になるイルをよそに、カイは枕元から何やら小瓶を一つ手にする。何となく目で追って、イルは眉を寄せる。
「……それ……」
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