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2話◆ノヂシャに愛を捧ぐ
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「さて、と。まずはどこから捜そうか。……手紙には裏庭に在る建物に囲われていると書いてあったな」
「裏庭の建物というと……あれか」
家の裏側に回り込むと、庭と言うには放置し過ぎるきらいの有るちょっとした広場が有る。アシュフォード邸の裏庭には遠く及ばない、生命力の強いハーブ類に主役の座を奪われた荒れ放題の草むらを歩きながら、イルは前方を示した。敷地の端、塀の手前には物置めいた小屋が三つと、高さの異なる塔が二つ。小屋の一つは開いた入り口から庭の手入れ道具などが見え隠れしているが、あまり使われている様子は無い。他の二つも似たようなものだろう。塔の片方は三階建ての建物と同じくらいの高さで、最上階には錆びた大きな鐘が下がっている。もう片方は倍ほどの高さが有り、下から見る限りでは最上階に何が有るのかは分からない。
「一番近い所から行ってみるか」
カイはイルを伴って、手近な小屋へと近付いた。開いた入り口からは横倒しになったシャベルの持ち手や、水が溜まって藻が蔓延る桶が覗いている。
「躓かないように気を付けて」
後ろから続くイルに声を掛けながらカイは暗い小屋の中を覗き込む。一見したところ人の気配は無いが、イルの言う通り該当の精霊族が息を潜めていて気付きにくいということも有り得る。カイは慎重に歩を進めながら物が散乱する小屋の中をゆっくりと進む。
「……まさかこういうのの下に地下への扉が有ったりなんかしないよな……」
置かれている什器や棚の下の方へと視線を投げるカイに、イルは少しの間を置いて口を開く。
「無くはないが、仮にこの小屋の下に空間が有ったとしても、精霊族は居ないと思う。……息遣いが感じられない」
「分かるものなのか」
「この真下に居るくらいの距離ならな。……もし下に有るのが地下室ではなく地下道で、遥か先まで進んだ先に隠れているとかなら分からないが。……流石にこの屋敷にそんな大貴族の避難用通路みたいなものは無いだろう」
なるほど……と納得したところで、ふと思い至ってカイは後ろのイルを見遣る。
「うちにもそんなものは無いぞ?」
「アシュフォード家には秘密の地下通路を使って逃げなきゃいけないような後ろ暗いことは無いだろ」
事も無げに言い切るイルにカイは言葉も無いが、彼が当然のような言い方をするということは、少なからずそのような通路を持つ家を見聞きしているということかもしれない。後ろ暗いことを行っている大貴族の家に精霊族有り。そんな状況が彼にとっては自然であることに何も言えない。
「ここには精霊族は居ない。……鼠や虫の気配はたくさん有るけどな」
「それは知りたくなかった」
イルの余計な一言にぞわっと背筋を凍らせながら、カイは彼を伴って小屋を後にする。他の二つの小屋も中は同じような状態で、イルの検分でも精霊族が居ないことが確定した。
「じゃあ次は塔だな」
三つ目の小屋から出てきたカイは埃っぽくなったコートの裾を手で軽く叩きながら息をつく。錆びた鐘が下がる低い方の塔の入り口は、蝶番の金属が腐食して開き難かったが、何とかこじ開けて二人は中へ入った。無骨な石造りの螺旋階段が最上階まで続いており、時々壁に小さな明り取りの窓が開いていて、紅い西日が差し込んでくる。最上階は大きな鐘の周りに何とか人間が立てるほどの狭い空間で、イルが確かめるまでもなく精霊族の姿は認められない。二人は錆びた鐘を一頻り眺めた後、その場を後にして塔を降りた。
「最後はここか……。ここを見ても誰も居なければ、仕切り直して明日から敷地内をくまなく捜してみようか」
夕日に染まるひょろりと細長い塔を見上げてカイは隣の連れにそう提案する。頷いたイルを伴いカイは塔の扉に手を掛けた。
「……鍵が掛かっているみたいだな」
蝶番が錆びて開き難かった隣の塔とは異なり、こちらは扉自体に鍵が掛けられているようで、びくともしない。
「下がっていろ」
屋敷にここの鍵が有る可能性は有るのか、有るとして主不在の今借りてこられるのか、と思案するカイの前へと出たイルが、扉の鍵穴の辺りに片手を翳す。すると扉の内側からくぐもった金属音が一つ響いた。開錠したというよりは何か金属が叩き折られたような不穏な音で、思わずカイは怪訝に眉を寄せるが、イルは気にしない様子で扉に手を掛ける。扉は難無く開いたが、厚い木製の扉に仕込まれた金属の施錠部分が、音の真相を物語るかのようにぼろりと落ちて石造りの入り口で無残な音を立てた。
「……………………イル?」
恐る恐る絞り出されたカイの引き気味の声には一切答えず、それどころかそっと視線を逸らしたイルをじっと見つめて、カイはため息をつく。
「ここはよその敷地内だってこと、忘れないでくれ……」
「気を付ける」
悪びれずに塔の中へと入っていくイルを追う形で、鍵は元々壊れていたことに出来ないだろうかと悩ましく考えながらカイも後に続く。地上から六、七階建てくらいの高さを長い石造りの螺旋階段で上がっていくと、鐘の有る低い塔とは異なり、開けた屋上となっている。空中庭園と呼ぶには聊かみすぼらしく、枯れかけた蔦が纏わりつく石壁に囲われた中には木製のベンチが一つ。こちらに背を向けて置かれたそこへと近付くイルが、足を止めてカイを振り返る。
「……居たぞ」
はっとしてカイはベンチへと駆け寄る。吹き曝しのベンチに横たわる形で、背に小さな鳥の翼を持つ精霊族の少女が薄い格好で横たわっていた。端切れのような生地の、袖の無いワンピース一枚の彼女にカイは自らのコートを脱いで掛けてやりつつ、少女をベンチから抱き上げる。
「……冷たい」
自身のシャツ越しに触れる彼女の身体は、気温の低さの影響以上に氷のように冷たく、いつかのイルを思い出させる。
「生きてはいるが酷く衰弱している」
カイに抱き抱えられた少女に視線を落としつつイルが告げる。彼女を捜索する前に話していた彼の見解が、嬉しくない正解を出していた。
「ひとまず屋敷の中に運ぼう」
こんな状態の彼女を屋上のベンチに放置すれば、間違いなく風雨に晒されてしまう。青白い顔をして呼吸も儘ならない少女を抱えたカイは、イルを連れて石造りの螺旋階段を降りると伯爵邸へと戻った。宛がわれたゲストルームのベッドに一旦精霊族の少女を寝かせてから、一階へと赴いて自分とイルが戻ったことをメイド達に伝えて再びゲストルームに戻ってくる。
「……イル」
部屋に入ると、イルがベッドの端に腰掛けて、寝かせた少女の上体を抱えている姿が視界に入った。カイはドレッサーの前に置かれていた椅子を引き寄せてベッドの傍に近寄る。
「これは何をしてるんだ?」
見れば少女もイル自身も微かに発光しているように見受けられる。同胞である上に衰弱していると分かっている少女にイルが危害を加えるとも思い難く、その行為に何となく見当も付きながらカイは確認も兼ねて訊ねる。
「生気を分けている。応急処置程度だが、枯渇に近い状態に比べればましになる筈だ」
やはり、と思った通りの返答にカイは納得する。と同時に一つの疑問が出てくるのを素直に口にした。
「その分、イルはお腹が空くことになる……のか」
「……まぁ、そうだな」
肯定するものの、僅かに歯切れが悪い。カイが自身に分かりやすく精霊族の枯渇のことを空腹と喩えるのは、イルにしてみれば多少違和感が有るのだろう。
「でも、俺に関して言えばお前が補ってくれるからな。……お前、こいつに糧をくれてやれと言っても無理だろ」
「それ、は、…………うん」
確かに、あれだけ体が冷たかったイルが一度の交わりで全回復したことを思えば、カイが少女に糧を与える方が話が早いのかもしれない。だがカイにとって十歳を少し過ぎた程度の少女にしか見えない相手に手を出すのは抵抗が有るし、この任務も精霊族の保護が目的なので、カイに彼女を従属させるつもりは無い。緊急を要する応急処置というのは勿論だろうが、恐らくそこまで見越して生気を彼女に分けてくれている彼に、カイは視線を向ける。
「有難う、イル」
「……気にしなくていい」
「君も無理はしないでくれ」
「大丈夫だ。あくまで応急処置だから」
線引きは心得ているとばかりに何でもない声音で返してくる。こうしたことは何度も有って慣れているのかもしれない。同胞同士で生気を分け合って何とか生きる精霊族の境遇を思って、カイは無意識に顔を曇らせる。やがてイルは少女を抱え直すと背の翼を傷めないような向きでベッドに横たわらせ、布団をかけてやった。眠る少女の顔色はほんのりと赤みが差しており、先ほどに比べて格段に良い。呼吸も安らかである。
「これくらいで大丈夫だろう。聴取して騎士団に引き渡すくらいの期間はもつ筈だ」
「……いつ目を覚ましてくれるかな」
「恐らく明日には」
数日意識が無いことも有り得るのだろうかとカイは案じたが、意外とあっさりとしたイルの返答にほっとする。精霊族の少女への懸念が解消されると、今度は自然と隣の彼への心配が募る。カイは手を伸べて、ベッドの端に掛けている相手の片手を取った。
「……少し冷たいな」
拒みはしないものの、直に触れて確かめてくるとは思っていなかったようで、イルは少々ばつの悪い顔で視線を逸らす。気まずそうな彼の様子をカイは逃さなかった。
「ちょっと無理したんじゃないのか」
「……倒れるほどじゃない」
ひんやりとしたイルの手は、カイがどれだけ握り込んでも体温を分けられることはない。彼を屋敷に連れ帰った時も同じだったので、これが単純に外気で体が冷えた類のものではないことは今のカイには判っている。確かにあの時ほどの枯れ具合ではなさそうだが、倒れない程度という意味ではあの時も倒れてはいなかったわけで、体調に関しては彼の言葉をあまり鵜呑みにしない方が良さそうだと感じた。カイは取ったままのイルの手を引いて、こちらに傾いでつんのめる相手の腰を引き寄せ、自分の膝の上に対面で座らせる。
「おい……、」
「応急処置だよ」
戸惑うイルの後頭部に片手を宛がい、カイは唇を重ねる。抵抗は無い。微かに開いた歯列の隙間から舌先を差し入れると、イルの手がカイの肩口に触れるのを感じた。熱さを確かめるように柔い肉塊を擦り合わせる。ぬるりと絡めた粘膜が口内で小さな水音を立てる。唇を合わせている相手の喉がこくりと小さく鳴るのを感じて、カイはゆっくりと離れた。ふ、と僅かに漏れる相手の呼気が温かい。
「……意外と強引だな」
「君が結構自由な上に自己完結してしまう人だから。躊躇ったりするといろんなことを見逃しそうだしな」
だからもう遠慮しない、と言い切ってにこりと笑むと、カイは自身の肩に触れる相手の手を取ってにぎにぎと手指を弄ぶ。
「うん、ちょっと温かくなってきた」
「……」
よしよし、と満足そうに眼を細めるカイに、イルは何とも微妙な面を見せる。
「こないだは口付けも儘ならない初心な子犬だったのに……」
「誰が子犬だ」
自分だって体調悪いの隠す野生動物のくせに、と悪態をつきながらも、カイは両手で相手の顔をそっと挟み込む。軽い口付け程度では、全快にはほど遠いと判っている。
「流石にここで君の空腹を満たすのは気が引けるな……」
他人の屋敷のゲストルームだというのは勿論、眠っているとはいえ保護した精霊族の少女も居る。カイは苦笑して短く息をついた。
「折角用意してくれているし、夕食だけご馳走になって一旦家に戻ろうか。この子の目が覚めるのも明日なら、改めて出向いてきても問題無さそうだ」
「……そうだな」
自身の顔を挟んでいる相手の腕に触れつつ、イルも同意する。カイは精霊族二人を部屋に残して一階に下り、メイドや他の使用人達と夕食を共にした。領主を訪ねてきたのだから、カイのことは若くとも一応主人と同じような扱いをするべき貴族だと認識したようで、最初にメイドが玄関先で見せた態度よりも格段に丁寧に対応された。カイは訪問の目的であった対象を裏庭の建物で見付け、保護したこと、今はゲストルームのベッドに寝かせているのでその辺りには近付かずそっとしておいてほしいこと、夕食後は一旦アシュフォード邸に戻るが明日の朝には戻ってくることを彼らに告げた。カイは食事を終えてゲストルームに戻ると、眠っている精霊族の少女を窺う。
「……よく眠っているな」
赤みの差した頬は健康的で、寝息も規則正しく穏やかである。改めて、生気を分けてくれたイルに感謝した。カイだけでは対応に限度が有るし、そもそも人間と精霊族とでは勝手も違うだろう。憧れた相手が相棒としてついてくれるのは、頼もしくもありどこか面映ゆい。
「行こうか、イル。下のみんなにはいろいろ説明しておいた」
少女に被せて運んできたきりベッドの端に置いたままだったコートを取って、カイは手早く羽織る。ベッドの脇に置いたドレッサーの椅子に座っていたイルも立ち上がると、二人は連れ立って元来た道をアシュフォード邸へと馬を駆る。時刻は日が沈んで暫し。夜闇が色濃くなりつつあった。
「裏庭の建物というと……あれか」
家の裏側に回り込むと、庭と言うには放置し過ぎるきらいの有るちょっとした広場が有る。アシュフォード邸の裏庭には遠く及ばない、生命力の強いハーブ類に主役の座を奪われた荒れ放題の草むらを歩きながら、イルは前方を示した。敷地の端、塀の手前には物置めいた小屋が三つと、高さの異なる塔が二つ。小屋の一つは開いた入り口から庭の手入れ道具などが見え隠れしているが、あまり使われている様子は無い。他の二つも似たようなものだろう。塔の片方は三階建ての建物と同じくらいの高さで、最上階には錆びた大きな鐘が下がっている。もう片方は倍ほどの高さが有り、下から見る限りでは最上階に何が有るのかは分からない。
「一番近い所から行ってみるか」
カイはイルを伴って、手近な小屋へと近付いた。開いた入り口からは横倒しになったシャベルの持ち手や、水が溜まって藻が蔓延る桶が覗いている。
「躓かないように気を付けて」
後ろから続くイルに声を掛けながらカイは暗い小屋の中を覗き込む。一見したところ人の気配は無いが、イルの言う通り該当の精霊族が息を潜めていて気付きにくいということも有り得る。カイは慎重に歩を進めながら物が散乱する小屋の中をゆっくりと進む。
「……まさかこういうのの下に地下への扉が有ったりなんかしないよな……」
置かれている什器や棚の下の方へと視線を投げるカイに、イルは少しの間を置いて口を開く。
「無くはないが、仮にこの小屋の下に空間が有ったとしても、精霊族は居ないと思う。……息遣いが感じられない」
「分かるものなのか」
「この真下に居るくらいの距離ならな。……もし下に有るのが地下室ではなく地下道で、遥か先まで進んだ先に隠れているとかなら分からないが。……流石にこの屋敷にそんな大貴族の避難用通路みたいなものは無いだろう」
なるほど……と納得したところで、ふと思い至ってカイは後ろのイルを見遣る。
「うちにもそんなものは無いぞ?」
「アシュフォード家には秘密の地下通路を使って逃げなきゃいけないような後ろ暗いことは無いだろ」
事も無げに言い切るイルにカイは言葉も無いが、彼が当然のような言い方をするということは、少なからずそのような通路を持つ家を見聞きしているということかもしれない。後ろ暗いことを行っている大貴族の家に精霊族有り。そんな状況が彼にとっては自然であることに何も言えない。
「ここには精霊族は居ない。……鼠や虫の気配はたくさん有るけどな」
「それは知りたくなかった」
イルの余計な一言にぞわっと背筋を凍らせながら、カイは彼を伴って小屋を後にする。他の二つの小屋も中は同じような状態で、イルの検分でも精霊族が居ないことが確定した。
「じゃあ次は塔だな」
三つ目の小屋から出てきたカイは埃っぽくなったコートの裾を手で軽く叩きながら息をつく。錆びた鐘が下がる低い方の塔の入り口は、蝶番の金属が腐食して開き難かったが、何とかこじ開けて二人は中へ入った。無骨な石造りの螺旋階段が最上階まで続いており、時々壁に小さな明り取りの窓が開いていて、紅い西日が差し込んでくる。最上階は大きな鐘の周りに何とか人間が立てるほどの狭い空間で、イルが確かめるまでもなく精霊族の姿は認められない。二人は錆びた鐘を一頻り眺めた後、その場を後にして塔を降りた。
「最後はここか……。ここを見ても誰も居なければ、仕切り直して明日から敷地内をくまなく捜してみようか」
夕日に染まるひょろりと細長い塔を見上げてカイは隣の連れにそう提案する。頷いたイルを伴いカイは塔の扉に手を掛けた。
「……鍵が掛かっているみたいだな」
蝶番が錆びて開き難かった隣の塔とは異なり、こちらは扉自体に鍵が掛けられているようで、びくともしない。
「下がっていろ」
屋敷にここの鍵が有る可能性は有るのか、有るとして主不在の今借りてこられるのか、と思案するカイの前へと出たイルが、扉の鍵穴の辺りに片手を翳す。すると扉の内側からくぐもった金属音が一つ響いた。開錠したというよりは何か金属が叩き折られたような不穏な音で、思わずカイは怪訝に眉を寄せるが、イルは気にしない様子で扉に手を掛ける。扉は難無く開いたが、厚い木製の扉に仕込まれた金属の施錠部分が、音の真相を物語るかのようにぼろりと落ちて石造りの入り口で無残な音を立てた。
「……………………イル?」
恐る恐る絞り出されたカイの引き気味の声には一切答えず、それどころかそっと視線を逸らしたイルをじっと見つめて、カイはため息をつく。
「ここはよその敷地内だってこと、忘れないでくれ……」
「気を付ける」
悪びれずに塔の中へと入っていくイルを追う形で、鍵は元々壊れていたことに出来ないだろうかと悩ましく考えながらカイも後に続く。地上から六、七階建てくらいの高さを長い石造りの螺旋階段で上がっていくと、鐘の有る低い塔とは異なり、開けた屋上となっている。空中庭園と呼ぶには聊かみすぼらしく、枯れかけた蔦が纏わりつく石壁に囲われた中には木製のベンチが一つ。こちらに背を向けて置かれたそこへと近付くイルが、足を止めてカイを振り返る。
「……居たぞ」
はっとしてカイはベンチへと駆け寄る。吹き曝しのベンチに横たわる形で、背に小さな鳥の翼を持つ精霊族の少女が薄い格好で横たわっていた。端切れのような生地の、袖の無いワンピース一枚の彼女にカイは自らのコートを脱いで掛けてやりつつ、少女をベンチから抱き上げる。
「……冷たい」
自身のシャツ越しに触れる彼女の身体は、気温の低さの影響以上に氷のように冷たく、いつかのイルを思い出させる。
「生きてはいるが酷く衰弱している」
カイに抱き抱えられた少女に視線を落としつつイルが告げる。彼女を捜索する前に話していた彼の見解が、嬉しくない正解を出していた。
「ひとまず屋敷の中に運ぼう」
こんな状態の彼女を屋上のベンチに放置すれば、間違いなく風雨に晒されてしまう。青白い顔をして呼吸も儘ならない少女を抱えたカイは、イルを連れて石造りの螺旋階段を降りると伯爵邸へと戻った。宛がわれたゲストルームのベッドに一旦精霊族の少女を寝かせてから、一階へと赴いて自分とイルが戻ったことをメイド達に伝えて再びゲストルームに戻ってくる。
「……イル」
部屋に入ると、イルがベッドの端に腰掛けて、寝かせた少女の上体を抱えている姿が視界に入った。カイはドレッサーの前に置かれていた椅子を引き寄せてベッドの傍に近寄る。
「これは何をしてるんだ?」
見れば少女もイル自身も微かに発光しているように見受けられる。同胞である上に衰弱していると分かっている少女にイルが危害を加えるとも思い難く、その行為に何となく見当も付きながらカイは確認も兼ねて訊ねる。
「生気を分けている。応急処置程度だが、枯渇に近い状態に比べればましになる筈だ」
やはり、と思った通りの返答にカイは納得する。と同時に一つの疑問が出てくるのを素直に口にした。
「その分、イルはお腹が空くことになる……のか」
「……まぁ、そうだな」
肯定するものの、僅かに歯切れが悪い。カイが自身に分かりやすく精霊族の枯渇のことを空腹と喩えるのは、イルにしてみれば多少違和感が有るのだろう。
「でも、俺に関して言えばお前が補ってくれるからな。……お前、こいつに糧をくれてやれと言っても無理だろ」
「それ、は、…………うん」
確かに、あれだけ体が冷たかったイルが一度の交わりで全回復したことを思えば、カイが少女に糧を与える方が話が早いのかもしれない。だがカイにとって十歳を少し過ぎた程度の少女にしか見えない相手に手を出すのは抵抗が有るし、この任務も精霊族の保護が目的なので、カイに彼女を従属させるつもりは無い。緊急を要する応急処置というのは勿論だろうが、恐らくそこまで見越して生気を彼女に分けてくれている彼に、カイは視線を向ける。
「有難う、イル」
「……気にしなくていい」
「君も無理はしないでくれ」
「大丈夫だ。あくまで応急処置だから」
線引きは心得ているとばかりに何でもない声音で返してくる。こうしたことは何度も有って慣れているのかもしれない。同胞同士で生気を分け合って何とか生きる精霊族の境遇を思って、カイは無意識に顔を曇らせる。やがてイルは少女を抱え直すと背の翼を傷めないような向きでベッドに横たわらせ、布団をかけてやった。眠る少女の顔色はほんのりと赤みが差しており、先ほどに比べて格段に良い。呼吸も安らかである。
「これくらいで大丈夫だろう。聴取して騎士団に引き渡すくらいの期間はもつ筈だ」
「……いつ目を覚ましてくれるかな」
「恐らく明日には」
数日意識が無いことも有り得るのだろうかとカイは案じたが、意外とあっさりとしたイルの返答にほっとする。精霊族の少女への懸念が解消されると、今度は自然と隣の彼への心配が募る。カイは手を伸べて、ベッドの端に掛けている相手の片手を取った。
「……少し冷たいな」
拒みはしないものの、直に触れて確かめてくるとは思っていなかったようで、イルは少々ばつの悪い顔で視線を逸らす。気まずそうな彼の様子をカイは逃さなかった。
「ちょっと無理したんじゃないのか」
「……倒れるほどじゃない」
ひんやりとしたイルの手は、カイがどれだけ握り込んでも体温を分けられることはない。彼を屋敷に連れ帰った時も同じだったので、これが単純に外気で体が冷えた類のものではないことは今のカイには判っている。確かにあの時ほどの枯れ具合ではなさそうだが、倒れない程度という意味ではあの時も倒れてはいなかったわけで、体調に関しては彼の言葉をあまり鵜呑みにしない方が良さそうだと感じた。カイは取ったままのイルの手を引いて、こちらに傾いでつんのめる相手の腰を引き寄せ、自分の膝の上に対面で座らせる。
「おい……、」
「応急処置だよ」
戸惑うイルの後頭部に片手を宛がい、カイは唇を重ねる。抵抗は無い。微かに開いた歯列の隙間から舌先を差し入れると、イルの手がカイの肩口に触れるのを感じた。熱さを確かめるように柔い肉塊を擦り合わせる。ぬるりと絡めた粘膜が口内で小さな水音を立てる。唇を合わせている相手の喉がこくりと小さく鳴るのを感じて、カイはゆっくりと離れた。ふ、と僅かに漏れる相手の呼気が温かい。
「……意外と強引だな」
「君が結構自由な上に自己完結してしまう人だから。躊躇ったりするといろんなことを見逃しそうだしな」
だからもう遠慮しない、と言い切ってにこりと笑むと、カイは自身の肩に触れる相手の手を取ってにぎにぎと手指を弄ぶ。
「うん、ちょっと温かくなってきた」
「……」
よしよし、と満足そうに眼を細めるカイに、イルは何とも微妙な面を見せる。
「こないだは口付けも儘ならない初心な子犬だったのに……」
「誰が子犬だ」
自分だって体調悪いの隠す野生動物のくせに、と悪態をつきながらも、カイは両手で相手の顔をそっと挟み込む。軽い口付け程度では、全快にはほど遠いと判っている。
「流石にここで君の空腹を満たすのは気が引けるな……」
他人の屋敷のゲストルームだというのは勿論、眠っているとはいえ保護した精霊族の少女も居る。カイは苦笑して短く息をついた。
「折角用意してくれているし、夕食だけご馳走になって一旦家に戻ろうか。この子の目が覚めるのも明日なら、改めて出向いてきても問題無さそうだ」
「……そうだな」
自身の顔を挟んでいる相手の腕に触れつつ、イルも同意する。カイは精霊族二人を部屋に残して一階に下り、メイドや他の使用人達と夕食を共にした。領主を訪ねてきたのだから、カイのことは若くとも一応主人と同じような扱いをするべき貴族だと認識したようで、最初にメイドが玄関先で見せた態度よりも格段に丁寧に対応された。カイは訪問の目的であった対象を裏庭の建物で見付け、保護したこと、今はゲストルームのベッドに寝かせているのでその辺りには近付かずそっとしておいてほしいこと、夕食後は一旦アシュフォード邸に戻るが明日の朝には戻ってくることを彼らに告げた。カイは食事を終えてゲストルームに戻ると、眠っている精霊族の少女を窺う。
「……よく眠っているな」
赤みの差した頬は健康的で、寝息も規則正しく穏やかである。改めて、生気を分けてくれたイルに感謝した。カイだけでは対応に限度が有るし、そもそも人間と精霊族とでは勝手も違うだろう。憧れた相手が相棒としてついてくれるのは、頼もしくもありどこか面映ゆい。
「行こうか、イル。下のみんなにはいろいろ説明しておいた」
少女に被せて運んできたきりベッドの端に置いたままだったコートを取って、カイは手早く羽織る。ベッドの脇に置いたドレッサーの椅子に座っていたイルも立ち上がると、二人は連れ立って元来た道をアシュフォード邸へと馬を駆る。時刻は日が沈んで暫し。夜闇が色濃くなりつつあった。
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