7 / 8
1
7
しおりを挟む
「薫」
「……有馬くん」
「そこは、下の名前で呼んでほしかった。そもそも、知ってる? 俺の名前。
まさか、知らないんじゃ……」
「んだわげねーべ」
「だったら、呼んでみて」
「拓人」
「うん。タグドに、なってるけどな」
「ほんだから?」
「いや。いいけど」
薫が、ふーっと長い息を吐いた。じっと俺を見る。
「……なに?」
「おばあちゃんに育てられたから、『おれ』って、言うけど。ここまできつい方言で、バスガイドができると思う?」
腰が抜けそうになった。きれいな標準語が、すらすらと口から出てきた。
「おまっ、お前っ……!」
「四年も東京にいて、マスターしてないわけがないよね。わたしが、どうして方言を使い続けてたか、わかる? 有馬くん」
「わ、わからない」
「一年の時に、ゼミの自己紹介で、この訛りで大恥かいた時。有馬くんだけが、笑わないでいてくれた。『方言は、かわいい!』って、言ってくれた。だから……」
「俺の――せいだったのか」
「せいっていうか……。かわいいなら、いいかって。思ってただけ」
「そうか。なあ、薫」
「んー?」
「アンロックなんかに、負けてらんねーよな……。いつか、お前がバスの運転手兼ガイドに戻れる日が来たら、乗りに行かせて」
「いいけど。有馬くんがわたしに言いたいことって、本当に、そんなことなの?」
「ああ、うん。ちがうな……。
俺、薫に、ずっと言えなかったことが……あって」
「うん?」
「言っていい?」
「どーぞ?」
「終息するまで……ちがう、終息しても、俺と一緒にいてくれる?」
「いーよ」
「軽いなー……。まあ、いいよ」
大きく息を吸った。こんな状況になるまで、どうして、言えなかったのか……。
「好きだよ」
表情の読めない目で、薫が俺を見ている。
しばらく、二人で黙っていた。
「拓人。あんがと!」
そう言って、にこーっと笑う。かわいいなあと思った。
手を伸ばして、肩にふれた。あまりにもやわな手応えに、驚いてしまう。
顔を寄せようとして、とまどった。家主である俺のことを気にしてか、食事する時と寝る時以外は、誰もマスクを取らなかった。当然、薫もマスクをつけたままだ。
「とらねーと、キスもでぎねーな」
「……そうだな。したこと、ある?」
「ね」
ないのか。俺を待ってくれていた……なんて、ことは。いかにも、ありそうな話に思えた。
「やっぱさ。方言って、かわいいな」
「ふふっ」
細いゴムを指にかけて、片方だけ落とした。淡いピンク色のマスクがたれ下がる。薫の唇に、そっと、ふれるだけのキスをした。
アンロックも、震災も、ただ生きているだけで遭遇してしまう、あらゆる危険も……。一瞬だけ、すべてを忘れた。薫は生きている。そして、俺も。
閉じていた目がひらく。薫の目に、何にもかえがたい、愛情のようなものがきらめくのを見た。
幸せだった。
「……有馬くん」
「そこは、下の名前で呼んでほしかった。そもそも、知ってる? 俺の名前。
まさか、知らないんじゃ……」
「んだわげねーべ」
「だったら、呼んでみて」
「拓人」
「うん。タグドに、なってるけどな」
「ほんだから?」
「いや。いいけど」
薫が、ふーっと長い息を吐いた。じっと俺を見る。
「……なに?」
「おばあちゃんに育てられたから、『おれ』って、言うけど。ここまできつい方言で、バスガイドができると思う?」
腰が抜けそうになった。きれいな標準語が、すらすらと口から出てきた。
「おまっ、お前っ……!」
「四年も東京にいて、マスターしてないわけがないよね。わたしが、どうして方言を使い続けてたか、わかる? 有馬くん」
「わ、わからない」
「一年の時に、ゼミの自己紹介で、この訛りで大恥かいた時。有馬くんだけが、笑わないでいてくれた。『方言は、かわいい!』って、言ってくれた。だから……」
「俺の――せいだったのか」
「せいっていうか……。かわいいなら、いいかって。思ってただけ」
「そうか。なあ、薫」
「んー?」
「アンロックなんかに、負けてらんねーよな……。いつか、お前がバスの運転手兼ガイドに戻れる日が来たら、乗りに行かせて」
「いいけど。有馬くんがわたしに言いたいことって、本当に、そんなことなの?」
「ああ、うん。ちがうな……。
俺、薫に、ずっと言えなかったことが……あって」
「うん?」
「言っていい?」
「どーぞ?」
「終息するまで……ちがう、終息しても、俺と一緒にいてくれる?」
「いーよ」
「軽いなー……。まあ、いいよ」
大きく息を吸った。こんな状況になるまで、どうして、言えなかったのか……。
「好きだよ」
表情の読めない目で、薫が俺を見ている。
しばらく、二人で黙っていた。
「拓人。あんがと!」
そう言って、にこーっと笑う。かわいいなあと思った。
手を伸ばして、肩にふれた。あまりにもやわな手応えに、驚いてしまう。
顔を寄せようとして、とまどった。家主である俺のことを気にしてか、食事する時と寝る時以外は、誰もマスクを取らなかった。当然、薫もマスクをつけたままだ。
「とらねーと、キスもでぎねーな」
「……そうだな。したこと、ある?」
「ね」
ないのか。俺を待ってくれていた……なんて、ことは。いかにも、ありそうな話に思えた。
「やっぱさ。方言って、かわいいな」
「ふふっ」
細いゴムを指にかけて、片方だけ落とした。淡いピンク色のマスクがたれ下がる。薫の唇に、そっと、ふれるだけのキスをした。
アンロックも、震災も、ただ生きているだけで遭遇してしまう、あらゆる危険も……。一瞬だけ、すべてを忘れた。薫は生きている。そして、俺も。
閉じていた目がひらく。薫の目に、何にもかえがたい、愛情のようなものがきらめくのを見た。
幸せだった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。


夢の中でもう一人のオレに丸投げされたがそこは宇宙生物の撃退に刀が重宝されている平行世界だった
竹井ゴールド
キャラ文芸
オレこと柊(ひいらぎ)誠(まこと)は夢の中でもう一人のオレに泣き付かれて、余りの泣き言にうんざりして同意するとーー
平行世界のオレと入れ替わってしまった。
平行世界は宇宙より外敵宇宙生物、通称、コスモアネモニー(宇宙イソギンチャク)が跋扈する世界で、その対策として日本刀が重宝されており、剣道の実力、今(いま)総司のオレにとってはかなり楽しい世界だった。
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
もしも、記憶力日本一の男が美少女中学生の弟子を持ったら
青キング
キャラ文芸
記憶力日本一の称号を持つ蟹江陽太は、記憶力の大会にて自身の持つ日本記録を塗り替えた。偶然その瞬間を見届けていた一人の少女が、後日に彼の元へ現れ弟子入りを志願する。 少女の登場によりメモリースポーツ界とそれぞれの人間関係が動き出す。
記憶力日本一の青年+彼に憧れた天才少女、のマイナースポーツ小説
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる