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一章 秋一屋の叉雷
【4】水の惑星
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夢を見ている。
冷えた外気が後ろへと流れながら、叉雷の頬に触れている。それなのに、夢の中で叉雷は肩の辺りまで水に浸かっている。水は生温かい。少し離れた所で捺夏が魚のように泳いでいる。鱗雲が青空に散っている。
夢だと分かっているのに、なぜか目が覚めない。叉雷には秋一屋の血は流れていない筈だが、彼は時々こんな風に夢を視る。過去の記憶を再現する夢や、未来に起こるかも知れない出来事を予感させる夢を。
「サライ」
川辺に立つ少年が叉雷を呼ぶ。山羊の毛皮で覆われた靴が叉雷の目の高さにある。川の両側の地面には、ごつごつとした大きめの岩が転がり、彼方まで延々と続いている。
「この星には海がある。知ってるか」
少年は名をエンという。叉雷たちを泊めてくれていた酪農家の長男である。綺麗に刈られた坊主頭が特徴的だった。
「知ってるよ」
叉雷が応える。エンは大きな目をきゅっと細めて叉雷に笑いかけてくる。
「おれ、海を見たことがない」
ぎこちない喋り方でエンが語る。彩泰と宗香の公用語は倭語である。共通の言語を扱う二国は、かつて一つの国であったといわれている。宗香には倭語を元にした独自の言語が存在するが、エンはあえてそれを使わずに話そうとする。素朴な少年は、華やかな隣国の文化に憧れの念を抱いている様子である。
「そうか。見てみたい?」
叉雷が問いかける。
「先生がいっていた。おれたちの体のほとんどは水で、この星のほとんども水だって」
「今日勉強したの?」
「そうだ。おれ、驚いた」
「そうか」
包帯を巻かれた両腕が水面の近くに浮かび上がる。叉雷の掌が川の水を掬う。
「エン、川に入っちゃだめよ」
若い娘が対岸から声を上げた。緩めた指の隙間から水が零れ落ちてゆく。
「わかってる」
エンが応えを返す。
「マリさん。水汲み?」
「はい」
はにかんだ様子で叉雷の問いに応える。
「ねえちゃん、おれ手伝うよ」
エンの姉は名をマリという。彼女は真っ直ぐに伸びた黒髪を項の後ろで一つに束ねていた。
この川は雪白川《ゆきしらかわ》と呼ばれている。源流は、宗香と彩泰の東側を塞ぐように広がる東稜という国の中にある。白蓮山よりもさらに高い不二山。その名は「世に二つと無い」という意味である。年間を通して中腹まで白く雪の残る山は、世界有数の高さを誇っている。
そこには透明な水を湛えた泉がある。雪を被った木々に隠され、青い浮き草たちに護られている。ごく小さな湧き水の水たまりだ。澄み切った水は不二山を下るうちに細い川となり、やがて白蓮山の手前で二手に分かれる。一方はこの雪白川となり、もう一方が白蓮山の麓と村の間を流れる彩流河となる。
雪白川は彩流河よりも小さいが、白蓮山の裏側を通り、地形の傾きに沿って西へと流れるにつれ、二倍、三倍と大きさを増してゆく。この川が存在するために、宗香と彩泰の二国は白蓮山の周辺の一部を除いて引き離されている。地続きではないのである。同様に、宗香と接するアンガルス共和国もまた、彩泰とは離れている。アンガルスと宗香の国境を越える頃には、川の水に塩気が混じり始める。
彩泰側に作られた川下り船の発着場を横目にさらに下ると、ついには川幅三十キロメートルを越える大河となって西都《さいと》海へと注ぎ込む。その手前にはアンガルスと彩泰を結ぶ橋があり、多くの物や人が行き交う。
青い海に面したアンガルスと彩泰の海岸は港である。夜ともなれば、無数の灯りが海に漂う。貿易船、漁師たちの舟。カンテラと電球の白々とした光の群。アンガルス港に立つ細長い優美な形をした灯台。旋回する光。
――全く、何て光景だろう。あの白い灯台を薄闇の中で見上げた時の気持ちが胸に迫ってくる。叉雷は瞼にかかった髪を後ろへ撫で上げ、エンを見上げた。
エンは叉雷に小さな背を向けていた。
「エン? どうした」
違和感が電流のように叉雷の心を走る。
これは過去の記憶ではない……。こんな姿のエンは見なかった。
「泣いてるのか」
啜り泣きとも笑いともつかなかったが、弟の代わりにマリが応えた。
「戦争が終わったの。疎開先を紹介して下さって、本当にありがとう」
顔だけ振り向いたエンも笑っていた。つぶらな瞳に涙が浮かんでいた。誰か親しい人が亡くなったのかも知れないと思い、何か応えようとしたが――。
「うぁ」
応える前に目が醒めた。冷たい風が叉雷の頬を切る。切って、すぐに後方へと流れ去る。
風になびく灰色の髪が見えた。寒そうに丸まった猫のような背中も。絽々の速度は緩やかだ。白の翼竜は鴎のように悠々と空を泳ぐ。
「随分ゆっくりだな」
叉雷の腕は、穏やかな顔で眠る希莉江の体をしっかりと抱えていた。
「向かい風で絽々がしんどそうだから」
もごもごと応える。何か食べているのかも知れない。
「もっと眠ってりゃ良かったのに」
「いや。充分寝たよ」
強い風が正面から吹きつけてくる。
「うー、さむいっ」
堪りかねたように捺夏が口にする。
「同感だな」
「キリエを起こせよ。叉雷」
「もう着いたのか?」
首を伸ばして地上の景色に目を凝らすが、目に映るものはまばらな光と街道らしい道だけだった。花の都と謳われる首都「彩楼」の姿とは到底思えない。
「まだだよ」
「――どこへ寄り道する気だ」
「夜だぜ。真夜中だ。あんな危なっかしい所に直行しようっての?」
捺夏が振り返った。口の周りにパン屑らしきものを沢山つけている。
「冗談じゃない。身ぐるみ剥がされて地下道に放り捨てられるよ。今の都の治安は最悪だ」
「何だ。ちゃんと考えてるんじゃないか」
叉雷が笑う。
「頼りになるガイドがいて嬉しいよ」
捺夏はフンと鼻を鳴らしたが、満更でもない顔で絽々が着地可能な場所を探し始めた。
叉雷は上空を見上げた。太った月が叉雷を見返している。煌々とした光を放つ球体は、限りなく真円に近い。その姿は幾分ぼやけて見えた。
ゆるゆると蛇行していた絽々が、すうっと高度を下げた。下には巨大な黒いキャンバスがある。所々に、黄色の油絵の具で塗られたようなほのかな灯りが光っていた。
「降りるよ」
色白の手が絽々の頭をぽんぽんと叩く。人語を解する飛竜はキュウキュウと喉を鳴らして捺夏に応えた。青いペンキで塗られた屋根が急激に近づいてくる。白く塗られた外壁は鉄板らしく、赤茶けた錆の色が表面に浮き出していた。絽々は屋根を避けて芝生らしい柔らかな地面に後ろ足から降り立ち、高く広げていた翼をだらりと降ろした。
「着いたよ」
「キリエ」
希莉江の両肩を掴んで揺り動かすと、金色の睫毛が不快そうに震えた。
「しょうがないな」
叉雷は眠ったままの希莉江を右肩に抱え上げる。自分と希莉江の荷物を左肩にかけて、絽々から飛び降りてふわりと着地した。幅広い道の両側には、夜目にもそれと分かるほどに造りの荒い民家が立ち並んでいる。どこかで犬が鳴いていた。
「どこだ? ここは」
希莉江の体は骨を抜かれたようにぐにゃりと軟化している。
「嵯峨市。おいで、絽々」
絽々が捺夏の後ろにぴったりとくっついて歩き出す。後ろ足だけを使う歩みは多少危なっかしい。叉雷は愛おしそうな眼差しで絽々を見守っている。
「初めて来たな」
「地味だろ? ここだけ急に寂れてるんだよ。都には近いんだけど。ここ昔刑場だったんだって」
「ふぁー?」
溜め息のような欠伸が耳元で聞こえた。ややあって、両手で叉雷の背中を押してくる。ようやく目覚めたらしい。
「ここ、どこぉ?」
叉雷はその場に屈んで希莉江を降ろした。
「もう都に着いたの?」
眠たげな声が問う。
「いや。嵯峨市だってさ」
「どこなの? それ」
「都から少し離れた街だよ」
足をもたつかせながらも、希莉江はかろうじて前へと進んでいた。
「一体、いつ都に着くの?」
「明日の朝か昼。あんたが決めていいよ」
二人の前から捺夏が口を挟んだ。
両手で目を擦りつつ、希莉江はよたよたと歩いている。
なーん、なーん……。どこからともなく猫の鳴き声が聞こえた。
「猫」
希莉江が呟き、立ち止まって辺りを窺う。
「だめだよ」
顔だけ振り返った捺夏が希莉江を制する。
「あたし、猫が好き」
「よかったね。ほら歩いて。こっちだよ」
「ねーこ!」
希莉江は無闇ににゃーにゃー鳴いた。
「寝ぼけすぎだよ。あんた」
捺夏は眉根を寄せて顔を顰める。
「ねむだるーい」
「眠くて、しかも怠いのか。大変だな」
そう云う叉雷も欠伸を噛み殺している。
「お前ら、おれをバカにしてるんだろっ」
捺夏が唸った。肩を怒らせながらどんどん歩く速度を上げてゆく。
「怒るなよ」
「怒ってないよっ!」
捺夏は明らかに怒っていた。
「見ろ。君の猫への執着が捺夏を怒らせた」
「あたしのせいじゃない。何よ、せっかく猫がいたのに」
「飼い猫だよ。あれは」
耳に馴染む柔らかな声で叉雷が云う。
「なぜ分かるの?」
「声が甘かった。人に馴れてるんだ。餌づけされてる野良かも知れないけどね」
前を見ると、絽々が捺夏の腰に鼻先をつけてクゥクゥと鳴いている。逆立った主の気分を癒そうとしているらしい。
「ここ曲がるよ」
幾分和らいだ声で告げ、捺夏の体が白い石塀の陰に隠れる。叉雷と希莉江は無言で捺夏の後を追い、同じ場所で左に曲がった。
曲がった途端にアスファルトで塗装された道が始まり、眩しい光に両側から照らされる。
道の両側に石塀がある。光源は塀の上に置かれていた。丸い電球が等間隔に並び、のろのろと点滅している。よく見ると、塀と道が接する部分にも小さな電球が置かれていた。
クークーという鳴き声が頭上から聞こえる。強い光を嫌う絽々は、自らの意志で空に逃れたようだ。
「じゃーん。今夜はここに泊まるよ」
捺夏が身振りで道の先を示す。そこには、周囲の家屋とは明らかに造りの違う建造物が建っていた。コンクリートを使っているのか、白く塗られた壁には凹凸がない。建物の形は横に長く、屋根は平らだ。
「豆腐みたいな建物だな」
叉雷はぼけた感想を洩らした。強烈な光のせいか、いつもより人相が悪くなっている。
「都で流行ってるのよ。こういうの」
希莉江は醒めた眼差しで宿――都風にホテルと呼ぶべきだろうか?――を見やった。
「『ホテル・サーガ』だよ」
捺夏が壁の高い場所を指差して云う。アンガルス語で書かれた看板がかかっていた。
「ずば抜けたセンスだな」
痛烈な皮肉を洩らし、叉雷は二人分の荷物を地面に降ろした。
「全然読めないわ。――ありがとう」
希莉江の手が赤いナップサックを持ち上げて右肩に担ぐ。
「行くよ」
捺夏が云い、そこだけ黒い扉を押した。
「……」
これは一体何だ。そう云いたげな顔の叉雷が隣の希莉江を見る。希莉江は一瞬カウンターに座る娘たちに背を向け、扉を逆にくぐろうとする素振りを見せたが、数秒後恐る恐るといった体で後ろを振り返る。そこには、悪趣味という文字を現実において具現化したとしか云いようのない「ホテル・サーガ」の内装があった。
「ありえない」
叉雷の背中に隠れた希莉江が呟く。
ロビーは二階まで吹き抜けになっており、白い螺旋階段が二階部分の廊下へと続いていた。天井からはガラス製のシャンデリアが薄ら寂しい光を投げかけながら何基か吊られている。床には一面赤い絨毯が敷かれていた。
階段の脇には、何の脈絡もなく熊の剥製が置かれている。右手を高く振り上げ、左足を斜め前にちょこんと出している。見ようによっては、楽しげに踊っているようにも見える姿である。
「何だ。あれは」
叉雷は激しい嫌悪感を隠そうともしない。ガラス玉の虚ろな眼差しが恨めしそうに叉雷を見つめている。艶々とした毛並みが見て取れる。この熊はなぜこれほどに惨い仕打ちを受けているのだろうか?
「来なよ。二人とも」
絽々を従えた捺夏が云う。先に動いたのは叉雷だった。僅かな逡巡の後、希莉江は心底嫌そうに叉雷の後をついてゆく。
白いテーブルカウンターの向こうで、野暮ったい化粧をした二人の少女が頭を下げた。
「ホテル・サーガへようこそ」
長い前髪を耳の前に垂らした少女が云う。
「ご予約のお名前をお伺いします」
もう一人が云い、微笑とともに会釈をした。
「淵沼の捺夏です」
捺夏が名乗る。彼には屋号が無いため、村の名を屋号代わりに使っているのである。
「お待ちしておりました。三人部屋で宜しいですね?」
「ええ。料金は今払います」
「では……」
捺夏が懐から茶革の札入れを取り出す。札入れを開くと、中には大量の札束が無造作に詰め込まれていた。
希莉江が息を呑んで叉雷を見上げる。だが、叉雷の顔に驚きの色はなかった。
これだけの金を持ちながらも、捺夏の身なりは貧相としか云いようがない。擦り切れた布靴、洗い晒しの木綿のTシャツ。首に提げた猫の財布はぺしゃんこである。……だが、これこそが淵沼の村で生きのびるために捺夏が学んだ処世術なのかも知れない。
「こちらがお部屋の鍵になります」
「ご案内致しましょうか?」
「いえ。だいたい分かるんでいいです」
捺夏が鍵を受け取る。金色の鎖が細長い板と鍵とを繋いでいる。白い板の端には、赤い字で「5」と書かれていた。
「行くよ。二人とも」
返事を待たずに歩き出す。
「絽々。上だよ」
捺夏が片手で行き先を示すと、絽々はさっと翼を広げて飛び立った。
捺夏を先頭にして螺旋階段を昇る。二階の廊下にも赤い絨毯が敷かれていた。
中ほどにあった「5」の部屋に入る。
「ダッカ、どうしてそんな大金を持ってるの?」
扉が閉まるのと同時に、希莉江が待ちかねたように口を開いた。
「云ってたじゃない。食べる物が無くて困ってたって」
「あー、子供の頃はね」
「今は違うの?」
「そりゃあ違うよ。いい大人なんだからね」
捺夏の態度は心なしか誇らしげである。
「どこが?」
赤い床に荷物を降ろした叉雷が口を挟む。
「じゃあ、何をしてお金を稼いだの?」
鋭く問う。希莉江の表情は真剣である。
「拳闘士のトーナメントがあるんだよ」
捺夏は眠たげな顔をしていた。
「トーナメントって?」
「勝ち上がり制ってこと。年齢別の試合だよ。都で毎月やってて、誰でも参加できる」
「それで?」
「叉雷がそれに出るんだ。おれは会場の中で周りの人に賭けを持ちかける……もちろん、叉雷に賭けるのはおれくらいだから、叉雷が勝つ度に結構な額の金が手に入る」
「負けたらどうなるの?」
「……」
捺夏は少しの間黙り込んでいたが、叉雷が何も云わないのを見て希莉江に応える。
「叉雷は負けない。八才の時から今まで、一度も負けたことがない」
「凄いじゃない!」
希莉江の瞳が輝く。叉雷はそれには応えず、ただ控えめな微笑みを返した。
「それより、絽々に食事をさせなきゃ」
「もう遅い」
捺夏の言葉に叉雷が応える。
絽々は壁際にいた。既に首を曲げて睡眠の体勢に入っている。
「あぁあ~!」
捺夏は両手で灰色の髪を掻きむしった。
「少し寝たら起きるだろ。平気だよ」
「おれが嫌なんだよォー。起きたら空きっ腹だなんて、絽々がかわいそうだろ!」
「泣くなよ」
「泣いてないっ」
「ねぇ。あたし、お風呂に入りたい」
希莉江の手が捺夏の袖を引く。
「わかったよ。下に行って、受付でタオルと石鹸を買いなよ」
投げやりな声が希莉江に応えた。
「馬鹿にしないでよ。それぐらい持ってるわ。お風呂はどこにあるの?」
「一旦外に出るんだ。裏に屋根のついた温泉があるから」
「ダッカたちは?」
「ここに残って、あんたの荷物が盗られないように見張る人が必要だろ? おれはあんたが戻ったら行くよ。叉雷はおれが戻ってきたら行く」
「そう。じゃあ、あたし行くわ。お先に」
手早く持ち物を選び、希莉江は一人で部屋を出て行った。
「おれ、一番手前のベッドがいいな」
捺夏が宣言する。部屋には、人が一人通れるだけの隙間を空けて、三つのベッドが並んでいた。ゴシック調のベッドカバーは赤と緑である。気が触れたような配色だとでも思っているのか、叉雷は冷ややかな瞳でそれらを見下ろしている。
「キリエは奧の。叉雷は真ん中のにしなよ」
「別にいいよ。どれでも」
「おれは嫌だ。絽々の近くがいいんだから」
「やれやれ。お前の好きにしたらいいよ」
「ことーんと眠っちゃうんだもんなあ」
「なぜ、この宿を選んだのか教えてくれ」
絽々の隣で壁に寄り掛かる叉雷は、胸の前でゆるく腕を組んだ。
「……」
捺夏はばつが悪そうな顔をしている。
「妙に手回しがいいな。予約してたのか」
「先週来たんだ。あのー、下見を兼ねて」
「おれに黙って? 一体誰と」
「うるさい」
捺夏の顔は耳まで赤くなっている。
「郁を連れ出したな」
元若長は威厳に満ちた声で決めつけた。郁とは、叉雷を除いた村人たちの中で、捺夏が最も心を許している少女の名である。
「出してないよー!」
捺夏は慌てふためいて視線をやたらと左右に飛ばした。
「与一に云ったりするなよ……。郁が都に行ったことないって云うからさ、一目だけでも――ってあぁあ今鼻で笑ったろっ、お前っ」
「いや。……笑ってないよ」
片手で口元を抑えて応える。叉雷の両肩は小刻みに上下動している。
「じゃあその手を離せよっ! ほらぁ笑ってるじゃんかー」
それからしばらくの間、二人は大して広くもない部屋を鼠と猫のように駆け回った。
「正直、ちょっと笑った。ちょっとだけ」
「くっそー。云っとくけど、おれ郁とつき合ってる訳じゃないぞ! ただ土曜の夜村から抜け出してここで一泊して、翌朝は都をぶらぶらして、日曜の日没までに村に着いて郁を家まで送っていっただけだぞっ」
「素晴らしい計画だな。キリエと会ったのはその時か?」
「そうだよ。まあ、直接会った訳じゃないけど。日曜の昼だった。郁が一人で入りたいって云って服屋にいた時に、時計台のある広場で――ほら、あそこの壁に情報交換票がべたべた貼ってあるだろ? 都庁の国民情報課に電話すれば、都に住む人じゃなくてもあそこに情報を貼り出せるんだ。『簡単なお使いのできる十五才以上の女性を募集中!』とか、『中古の計算機求む。定価の六割希望』とか」
「なるほど」
話の先を読んで叉雷が肯く。
「ある紙に『彩泰から宗香に入れるルートを知っている人を探しています。ぜひ力を貸して下さい。謝礼はずみます』って書いてあったんだ。行き先が宗香だってのは少し不安だったけど、『現在地は北街道の途中。白蓮山に向かって馬車で移動しています』って書いてあるのを見て、その場で情報課に電話して、『連絡を取りたい』って頼んだ。こっちの連絡先はイフラの家にした。うちには電話がないし。それで続けてイフラに電話して、キリエから電話がかかってきたら、絶対その仕事を取れって云った。『飛竜がいるって云うんだ。山を越えるだけだから、ひとっ飛びだよ。絽々を貸すよ。だけど、この人と一緒に白蓮山を歩いて登り降りしたりはできない。宗香に入ったことが人に知られたら、不可侵条約を破ることになる。最悪逮捕されるからね。当然山の裾を歩いて国境を越えるのも無理。あの辺りを徒歩で渡ろうとするなんて、有り得ないことだって云っといて』って。本当は絽々に乗らなくても、白蓮山の横穴を通れば裏側の宗香に行けるんだけど、そのことは隠しておけって云って、もちろんイフラはそうした」
「じゃあ、実際にキリエと接触したのはお前じゃなくてイフラジャンだったのか。それでどんどん話が行き違ったんだな」
「そうだよ。おれと郁が村に向かってる間にキリエはイフラに電話をかけた。イフラはね、キリエがかなり切羽詰まってるのを感じたから物凄くふっかけたんだ。『声が幼すぎて、悪戯かと思った』って云い訳してたけど、あれはわざとだと思うよ……。とにかくキリエはイフラを信じて街道脇の街から郵便で現金を送って、それから沼に着いた」
「そして、自分が騙されたことに気づいた」
「騙してない。キリエは自分が行きたい場所に行くし、おれたちはまんまと逃げおおせた」
「その――情報交換票を見た時に、もう考えてたのか? 村から出る口実になるって」
「まあ、それに近いことをね。おれには絽々がいるから平気だけど、叉雷は一人で外に出かけること自体禁じられてるだろ。でも、この仕事が村にとって重要なものだと分かれば、誰もお前を止められない。観光客には頭が上がらないんだから。キリエを送る時に不幸な出来事があって、お前が死んじゃったことにしようって思ってた」
「勝手に殺すなよ」
「そう云うなよ。おれがついていった場合は、おれも死ぬんだから」
捺夏は真面目くさった顔で応えた。
「おれを村の外に出そうと思ってくれてたなら、どうしてあんなに反対したんだ?」
「お前ら、絽々を置いて行こうとしてただろ……。ってことはおれも置いてかれるってことじゃないか。しかも、あんな足手まといになりそうな子を連れて国境を越えるなんて、『叉雷は死にました』っていう嘘が本当になるだけだと思ったんだ」
「ああ、そうか。キリエが絽々を嫌がった時点でお前の計算は崩れてたのか」
「そうだよ。おれ一人村に居残るなんて冗談じゃない」
「郁はどうするつもりだ?」
「まだ分からないよ。だけど、おれたち最後にはあそこで暮らすことになるんじゃないかと薄々感じてることも事実だよね」
「それも悪くない。龍に逢えたら、おれはあの村で一生を終えてもいいと思ってるよ」
「もったいない。叉雷には都が似合うのに」
夢見るような口ぶりで云う。
「そうかぁ?」
叉雷の返事は懐疑的だった。
「おれは人里離れた所で暮らしたいよ」
碧の瞳が両腕の包帯を見つめている。捺夏は壁際に置いた草色のリュックを引きずってきて、自分のベッドの上に腰を下ろした。
「都にいればいくらでも稼げるのに……」
ぶつぶつと半分口の中で呟く。
「まあ、その話は置いとこう。おれが死んだなんて嘘が長老たちに通ると本気で思ってたのか?」
「だって戦争をしてる国だろ。そんなことがあってもおかしくないと思ったんだ。キリエとあんな風に揉めたのは予想外だったけど」
「残念ながら、その理由はもう使えない」
叉雷が首を横に振る。捺夏は不思議そうに首を傾げてきょとんとしている。
「戦争は終わった」
「嘘だ。そんなニュースは入ってないぜ」
「今終わってなくても、もうすぐ終わる」
「エンが喜ぶだろうな。それが真実なら」
捺夏は子供のような顔で笑った。
「ここに着くまでの間に夢を見た。おそらく正夢になるんじゃないかと思う」
淡々と語る。叉雷は薄く笑っている。
「おれは時々、お前が本気で怖いよ……」
「そいつは心外だな」
素っ気なく応える。しかし、それでもなお叉雷の笑顔にはどこかしら人をほっとさせる暖かみがあって、捺夏は思わずつられたように幼い微笑みを叉雷に返した。
「戦争といえば、おれたちの村でも、昔沢山の人が死んだらしいじゃないか」
「十一年前だね。あれはただの内紛だった。だけど、まあ……。この戦争の大義の無さに比べれば、まだましな方だったかも知れないな」
「今回は、東稜が突然宗香に攻めていったんだろ。大した理由もないのにさ」
「東稜は土地が欲しかったんだろうな」
捺夏の手がリュックの中をまさぐる。ひょいひょいと摘み上げてゆくものは、いずれも彼の好む駄菓子ばかりである。
「そんなもの夜中に喰うなって。歯が悪くなるぞ」
「いいんだよ。好きなんだから」
捺夏が云う。断固たる口ぶりであった。
「それにしても、世の中はあっという間に変わって行くもんだね。大砲も銃も出番のない戦争なんて、気味が悪いよ」
云いながら細長い棒状の菓子の袋を開けて、上からがじがじと噛んでゆく。
「各国の統治者たちは、人の意識エネルギーを兵器にすることを覚えたんだ。それに、爆撃で荒れ果てた土地には何の魅力もないんだろうよ。人は銃器を捨てて、その代わりに、もっと怖ろしいものを造り上げた。人が兵士ですらなく、兵器になって消費される時代が来たのさ」
「……」
ついと叉雷から顔を背ける。捺夏の顔からは、いつの間にか笑みが消えていた。救いを求めるように数秒だけ絽々の姿を振り返る。
「十一年前はこうじゃなかった。もちろん、国中の降魔師がわらわらと現れて鎮圧に乗り出したけど、最後には弾の雨が降って、何もかもを呑み込んだ」
まるでその様を覗き見てでもいるかのような苛烈な眼差しが捺夏を見据える。叉雷の口元は、余りある苦々しさを表すように歪んでいた。
「おれ、風呂に行くから」
あわあわと支度をし、捺夏は叉雷の返事も待たずに扉の向こうへと消える。
「……」
叉雷は暫し黙考していたが、やがて自分の荷物から一冊の本を取り出した。
古びた本だ。幾人もの手を経て叉雷の元へと辿り着いたものである。赤茶の革表紙には焼きごてで刻まれた題字が見える。
「龍にまつわる咄」。叉雷はこの本を、彼の父親であり、村の長でもあった高凱の書斎の床下から発掘した。
あれは冬の夜だった。叉雷がまだ十五才の利発な少年であった頃、彼は村でただ一人都の学校に通っていた。正月を村で過ごそうとして、都を離れて村に戻っていたのである。
叉雷の生家は村の中心に座していた。高凱は二階建ての母屋と二棟の納屋、さらに使用人の住む長屋を所持していた。これは余談であるが、高凱の死後、叉雷は母屋以外の建物を全て村の共有財産としてしまった。叉雷の行いを評して、捺夏はこう云ったものだ――「一人で管理するのがめんどかったんだね」。
叉雷の部屋は二階の東側にある十畳ほどの畳敷きの和室であったが、彼は地下の書斎に入り浸っていた。ポットに入れた玉露と大福を供に何時間でも本を読み漁り、本に溺れた。前後に振れる揺り椅子の上で浴びるように本を読み続ける叉雷の姿は、さながら人魚の歌に誘われて命を落とした船乗りたちのように見えたことだろう。いくつもの文字が波となって叉雷を揺らし、彼は湿った地下室の中でいくつもの心躍る旅を経験した。
あの夜――高凱は彼の妻とともに村の若者たちが催す集会に出かけていた。いそいそと一階の階段から地下へと降りた叉雷は、床の一部に目を引きつけられた。
そこには、以前鍵の掛かった金庫が置かれていた筈だ。だが今は無い。誰が持ち出したのだろうかと辺りを見回した叉雷は、金庫が壁際へと移動していることに気づいた。
「あそこに移したのか」
理由は分からなかったが、叉雷は深く思い悩むことはしなかった。高凱は叉雷には量りがたい行動を取ることが多かったからだ。
「知らなかったな。こんな所に扉があったなんて」
金庫が置かれていた場所の床には、錠前のついた扉が取りつけられていた。錆びた錠は既に壊れており、鍵としては機能していない。 叉雷は何の躊躇もせずに真四角の扉を引き上げると、扉に顔を突っ込んで下を覗き込んだ。まず、泥地にも似た水気のある土が見えた。扉と土の間には、掌から肘くらいまでの隙間が空いていることも分かった。
次いで、半ば地中に埋もれた赤茶の革表紙が見えた。あれは本だ。四つある角のうち、一つの角しか見えていなかったが、叉雷にはそれと分かった。今にも泥土へと沈み込んでしまいそうな、赤茶色の三角形。そこにあるものを見出した瞬間、絶対にそれを読まなければならないという強烈な願望に襲われたのである。なぜなら、その本には叉雷が求めてやまないものの名が刻まれていたからだ。
「龍」。たった一文字の言葉が彼を狂おしいまでの渇望へと導いた。欲しい。あの本が欲しい。
懸命に手を伸ばしたが、本の端に指先が掠めるだけという結果に終わった。あれを手に入れなくては……。叉雷は扉を閉め、物差しを探すために階段を駆け上った。
やがて叉雷は、この本を文字通り発掘――父親の目を盗みながら、四日ほどかけて見事に掘り出した――のである。
* * *
『龍の嫁取り』
今より千と三百年ほどの昔。東の方にいと美しき姫君あり。黒き髪の姫君、名を朱鷺の宮と申す。さて。この姫は生まれ落ちたる日より盲ておったそうな……。
ある時。霧雨が降る春の宵。風が、悪龍を貪る伽楼羅の如く鳴いておった。
姫は琴を弾いておられたが、女房らの勧めるままに床につかれた。その時。
姫の枕の傍らに小さき蛇ぞ現る。色赤うして、鋭き牙持つ毒蛇であった。しかし姫の瞳は生まれてこの方開かれることなきが故に、醜き蛇に手を伸べて、猫の子を愛でるように戯れたり。
蛇は姫に心奪われ、麗しき若者へと変じ、姫を愛でたそうな。蛇と契りし姫は、その咎により追放の憂き目に遭われた。都を出でて流れた姫は、大山を背後に、大河を前にした淵へと辿り着く。そこには、先の蛇が棲んでおった。聡き姫は、蛇と知りながらも若者を愛したという。
姫は蛇と結ばれ、やがて子を為した。だが姫は見る間に痩せ細り、ついに蛇はおのが血を姫に分け与えたそうな。
小さき蛇の正体は、天を覆い地中に伏せる巨龍であった。それも龍の中の龍、龍大王と称される七大龍王を従える龍王であった。
されど姫と龍王の血は合わず、姫は赤子を産んだ後に身罷られた。龍王の嘆きは凄まじく、その心の乱れは烈しい渇きとなって龍王を苦しめたのだそうな。
今においても渇いたまま、天を飛び、地に潜りしながら、命あるものを喰らうという。
* * *
『赤の龍どんと青の龍どん』
昔むかし。ある所に、ばちばち燃える炎のように赤い龍どんがおったそうな。
龍どんはある日、どーんという音とともに村の上に落っこって、そこには今でも大けな穴ば空いておる。村の者はそれを「龍どんの穴」と名づけて拝んでおるんだとか。
天から降ってこられた赤い龍どんは、村に落ちつかれた。ながーい体を地べたに置いて、村の子らと童うたを歌うたりした。子らは龍どんの頭から尾っぽまでを何べんも走って遊んだよう。龍どん、龍どん、空を飛んでぇな。だけんど龍どんは地の龍どんだったもんで、空よりも地べたが好きなようじゃった。
ある年のことだ。夏の暑さに参った龍どんは村の隣にある山に穴を開けおった。そこへ頭を入れて眠るうちに、穴がどんどん深くなってしもうた。終いには、山の向こう側に顔が出てもうて、向こう側の者たちは大層肝を冷やしたそうな。
村には若い長がおった。賢く、心優しき者だったもんで、龍どんはその者ととくに親しくなすっておった。
ある夏、あまりにも雨ば少ないもんで、とうとう川まで枯れてしもうた。村の田んぼ畑はみなからからになった。
長は龍どんにいった。
「龍どん。雨ば降らしてもらえませんか」
龍どんはいった。
「よし。だがおれが雨を呼ぶ姿を見ちゃならんぞ」
長は「もちろん」とこたえて、両目をふさいでしゃがみこんだ。龍どんは長の頭の上をびやーっと飛びこして、山のてっぺんへ降りた。
だんだん雲が暗くなった……。お日さんを隠してしもうて、村は突然真っ暗になった。長はどきどきしながらじっと下を向いて待っておった。
龍どんは大けな口を開いて、東の空に向かって吠えらっしゃった。
「おぉーい。青の。水ば降らしてたもれ」
それを開いた青の龍どんは、「あいあい」とお答えなさって、赤の龍どんばいらっしゃる所へ向けて、ざばーっ、ざばーっと大水ば降らした。
村の者はもうたいそう喜んで、ぎゃあぎゃあわめいて踊った。もちろん、赤の龍どんに沢山の供えものを渡したとも。
赤の龍どんはほっとして、ますます野山をよく守った。緑はすくすくと育ち、獣どもは赤の龍どんのいいつけをよく守ったそうな。
それから、はぁ何十年経ったやら……。
また村は大けな干ばつに苦しんでおった。
村の長は先祖さまの遺された覚書を読んで、今度も赤の龍どんに大雨ば降らしてもらおうと考えた。
「龍どん、龍どん」
赤の龍どんは彩の川の底に溜まって残ったちょっとの水で、乾いた鱗を濡らそうとしておった。
「雨だな」
昔むかしの、そのもっと昔から生きておった龍どんは、若い長がおのれに何を頼みにきたのか、ようく分かってらっした。
「よし。おれが雨ば降らしてやるわいな」
「ありがたや」
長は村のことを何よりも大事に思っておったもんで、龍どんが「おれが山から雨を呼ぶから、お前ら決して山に登っちゃいかんぞ」と言われた時も、「あい。みなによう言って聞かせます」と約束して、急いで村さ帰った。
ところが、なんとしたことか。
けちで有名な伽羅屋の息子が、干上がった川のタニシやら魚やらを捕りにきておって、岩陰から龍どんと長の話を盗み聞いておったんじゃ。
「やれあの龍は、おのれでは雨が降らせやせんのだな。よし。おれがついて行って、雨の降らし方を学んでやれ。おれは雨ば降らせる呪い屋として、金持ちになれるやもしれん」
欲深い若者はいったん村に戻り、長が村の者たちに山へ登ることを禁じる様子を見て、一人にやにやとしておった。
「おぉーい。青の。水ば降らしてたもれ」
赤の龍どんが吠えらっした。
「あいあい」
青の龍どんは、すぐに大水を降らしてくだすった。
それを見ていた伽羅屋の息子は、「なんだ、あのようなことでよいのか」ときたならしい顔を上下に振って肯いておった。
数日あとのこと。卑しい若者は村の者を集めていった。
「おれが今から雨を降らせるけん。もしも降ったら、おれに金やら宝やらをくれるか」
村の者は面白がって「おう。お前が雨ば降らせるならやってみろ」といった。誰も伽羅屋の息子を信じておらんかったんじゃ。
息子は山に登った……。川はまだ涸れてはおらんかった。
伽羅屋の息子は大声で叫んだ。
「おぉーい。青の。水ば降らしてたもれ」
青の龍どんは「おかしいのう。またか」と思いながらも、「あいあい」と水ば降らせた。
ざばーっ。ざばーっ。
ぬくい川辺でぐうぐう昼寝をしとった赤の龍どんは、びっくり仰天したんだそうな。
「おぉ。なんということだ」
赤の龍どんは、誰かが勝手に青の龍どんを呼んで雨を降らせたことに気づいた。龍どんは始めは悲しみ、やがて怒り狂って背中の鰭からしゅうしゅうと熱気を噴き上げた。
「許さん」
目を真っ赤に燃やして村へ降りると、そこには青ざめた長が待っていて、龍どんの前に身を投げて謝ったそうな。
聡き長は、伽羅屋の息子が何をしたのか、村の者から話を聞いただけで悟っておったんじゃな。
「お許しを。欲に目のくらんだ愚か者が雨を呼んでしもうたのです」
だけんど、龍どんは許さんかった。
「お前たちのために、おれは天帝に首を刈られるのだ」
長は、龍どんがもう二度と村のために雨を降らせてはくれないのだと知った。
「おれはこれから天まで裁きを受けにゆく」
「龍どん。おれも一緒に行く」
長はそういうと、焼ける鱗の上に跨って、ともに天へと向かった。
びゅうん、びゅうんと長いこと飛んだ。天はそれはそれは寒い所じゃった。長は龍どんの口の中でぶるぶる震えておった。
天帝は風邪を引いて寝込んでらしたもんで、代わりに青の龍どんが扉を開けた。
「お前らか。何をしに来たんじゃ」
青の龍どんは、まだ伽羅屋の息子の悪戯に気がついておらなんだ。
赤の龍どんがわけを話すと、青の龍どんは髭から煙を吐き出して怒った。
だけんど長があまりにも頭を低くして謝るもんで、とうとう許してやることにした。
「おれに一日にいっぺん人を一匹食わしてくれるか。もしもそれが叶うなら、一日にいっぺん大水を降らせてやるが」
青の龍どんはこうおっしゃった。
長は喜んだが、いくら雨が降ろうと、村人が一日に一人ずついなくなってしまったら、村はすぐに滅びてしまうのじゃなかろうかと思ったそうな。
「天での一日は下界の七年だ」
龍どんがおっしゃり、長はそれで手を打たなければならなくなった。
「しかし、死ぬと分かっていて、誰があなた様に喰われるでしょうか?」
「ごく小さき者よ。案ずるな」
青の龍どんは賢かったもんで、こんな方法を考えたんだとか。
まず、毎年決まった儀式を行う。田植えの祭でもよし、新年の祝いの席でもよし。
何らかの理由をつけ、あらかじめ村人全員にくじを引かせておく。あるいは、村人全員の投票によって、龍の餌となる人間を決めておく。六年の間は何事もなく宴が終わる。
だが、七年目には龍が現れ、餌を喰らって去ってゆく。やがて村には大雨が降る。
「お待ち下さい。そんなことをしたら、村での暮らしがなりたたなくなります。誰が死ぬかをみなで選ぶなんて……」
長が泣き出してしまったもんで、青の龍どんはさらにこうおっしゃった。
「よし。おれが命あるものを喰らう時には、真っ白な光が出る。これを見た者どもの頭から、おれが喰らった者についての覚えを消し去ってくれよう。これなら、喰われた者だけが消え、ほかの者どもは誰かが喰われたことさえ気づかずにいられるだろう」
「ああ、何ということ」
長は肝の底から嘆かれたんだそうな。だが、そのやり方なら村はいつまでも滅びずにすむかもしれん、とも思ったんだとか。
なにより、七年ごとに大雨が降るというのは、何とも魅力的なものに思えたもんで。
「わかりもうした」
こうして、青の龍どんは長の村に水をもたらすようになったんだそうな。
それから七年目のこと。田植えの祭の間に青の龍どんに喰われたのは、伽羅屋の息子じゃった。龍どんは光を吐いた。村の者は全員伽羅屋の息子を忘れた。
村の暮らしは変わりなく続いた。
いつのことか。雨のしとしと降る夜のこと。
赤の龍どんが長の夢枕に立って、これより地に潜り、もうめったなことでは人の世に顔を出さないとかたく決めておるのだとおっしゃったんだそうな。
* * *
叉雷はこれまで何度も読み返してきた本を膝の上に載せたまま、顔だけを赤い扉の方向に向けた。
間を置かず、扉を開ける音が鳴る。部屋に入ってきたのは希莉江である。
「お帰り」
「――ただいま」
濡れた髪が頬に張りついている。希莉江は抱えていた洗面用具を床に下ろし、両肩に垂らした白いタオルを両手で掴んで持ち上げた。長い髪を拭きながら、叉雷の手元に目を落とす。
「何を読んでるの?」
「龍にまつわる伝説や昔話を集めた本だよ」
「面白いの?」
「どうかな。何度も読み過ぎたから、もう話の筋を楽しむような感じじゃないな」
「随分古そうな本じゃない」
「古いよ。おれの父親からもらったんだ」
「……義理のお父さんに?」
「もちろん」
希莉江は遠くを見るような瞳で叉雷を見ている。傍観している、とでも形容すべきだろうか?
「なぜ都に戻ろうと思ったの?」
訊ねる叉雷は、希莉江の視線を真っ向から受け止めていた。
「あたし――あたし、家に戻るつもりじゃないわよ」
堪えかねたように身を屈め、希莉江は叉雷の目線のさらに下へと頭を潜らせる。
「都に行って、それからどうする?」
「都に着いたら云うわ」
「……」
叉雷は手を伸ばした。希莉江の頭に軽く手を置く。希莉江は俯き加減のまま、身じろぎもせずにじっとしている。
「そんな風に全てを先延ばしにしていると、いつか大事なものを選び損ねるよ」
いつの間に扉を開けたのか。預言者じみた言葉を発したのは、風呂上がりの捺夏である。
「あたしは、――考えてるだけよ」
「何を? 下手な考え休むに何とかってね」
「似たり」
叉雷が「何とか」の部分を補足する。
「それだっ」
「あたしは考えたいの。これからどこに行って何をするのか。あたしは何になれるのか」
「あんた、自分自身に高望みしすぎなんじゃないの」
捺夏は、希莉江のおぼろげな願いを一言の下に斬って捨てた。
「廊下に出て、奧へ行くと化粧台があるよ。あそこの鏡に左右反対に映ってるのが、今のあんた。どこにも捜しに行く必要なんてない。あんたはあんたのまま。どこへ行っても、何をしても、あんたはあんただよ。別の誰かになれる訳じゃない」
「それでも……あたしは考えるわ。だって、あたしの行く末を真剣に考えてくれるのは、あたし以外にいないじゃないの」
「だったら尚更だよ。自分を安売りするのはやめなよ」
「安売りしてるつもりはないわ」
「そうかな? どこへ行くかもろくに決められないのは、あんたの心が定まってないからじゃないの?」
捺夏は話しながら片眉を上げる。
「いつか時が来て、あんたも気づくよ。自分が本当にしたいことが何なのか。本当はどこに行きたいと思ってるのか。それが分かれば、くよくよ考える前にとっとと動くことができるようになるんだよ」
「考える前に動く?」
「そう。目標さえ決まれば、行き先も決まる。行き先が分かってるなら、後は簡単な話だよ。どうやってそれを実現するかだけに集中すればいい」
「……あたしには分からない」
希莉江が云う。その口元は苦痛を堪えるかのように引きつっていた。
「どうしてさ?」
「あたしには何の力もない。どこにでもいる、取るに足らない、ちっぽけな子供だわ」
「何だ。ちゃんと分かってるんじゃないか」
くふふ、と捺夏は生意気な野良猫のように笑った。
「あんたは、あんたのやり方で進めばいいんだよ。背伸びなんてするだけ無駄だよ。自分を大きく見せようとして爪先立ちしたって、足下を掬われるだけなんだから」
「あたしが行きたい場所は、もう決まってる」
挑むような顔つきの希莉江が応える。
「それはどこ?」
問いかけたのは捺夏である。
「あたしは貧民窟に行きたい」
「……」
「……」
捺夏と叉雷は無言のまま互いに顔を見合わせた。
「な、何よっ。何か云いなさいよ」
「あんた、変人だよ……」
捺夏が呆れ果てた様子で呟く。
「大胆だなあ」
その隣に座る叉雷は、のほほんとした顔で自身の感想を述べた。
「いいよ。行こう」
「やめろよォー。あんなとこで何すんのさ」
捺夏は幼い子供がいやいやをするように首を振った。
「どこで何をしようとあたしの勝手でしょ」
「捺夏。下に行って、酒を買ってきてくれ」
叉雷がにこやかに指示を下す。
「はぁ?」
「乾杯するのさ。キリエの決心に」
「自分が飲みたいだけだろーっ」
「よく分かったな」
「はーやだやだ。お前ら、勝手すぎるって罪で地獄に堕ちても知らないぞっ」
「あたしジュースがいいわ」
「ふざけるなーっ」
「分かった、分かった。自分で行くよ」
勢い良く立ち上がると、腰を浮かしかけていた捺夏が叉雷を見上げた。
「おれ、麦茶」
「はいはい」
「あっ。果物のゼリーがあったら買って」
「あと今日の新聞」
「……仰せのままに」
叉雷は肯き、右手を胸に置いて礼をする。
「あんた、結構図々しいね」
「どっちが!」
冷えた外気が後ろへと流れながら、叉雷の頬に触れている。それなのに、夢の中で叉雷は肩の辺りまで水に浸かっている。水は生温かい。少し離れた所で捺夏が魚のように泳いでいる。鱗雲が青空に散っている。
夢だと分かっているのに、なぜか目が覚めない。叉雷には秋一屋の血は流れていない筈だが、彼は時々こんな風に夢を視る。過去の記憶を再現する夢や、未来に起こるかも知れない出来事を予感させる夢を。
「サライ」
川辺に立つ少年が叉雷を呼ぶ。山羊の毛皮で覆われた靴が叉雷の目の高さにある。川の両側の地面には、ごつごつとした大きめの岩が転がり、彼方まで延々と続いている。
「この星には海がある。知ってるか」
少年は名をエンという。叉雷たちを泊めてくれていた酪農家の長男である。綺麗に刈られた坊主頭が特徴的だった。
「知ってるよ」
叉雷が応える。エンは大きな目をきゅっと細めて叉雷に笑いかけてくる。
「おれ、海を見たことがない」
ぎこちない喋り方でエンが語る。彩泰と宗香の公用語は倭語である。共通の言語を扱う二国は、かつて一つの国であったといわれている。宗香には倭語を元にした独自の言語が存在するが、エンはあえてそれを使わずに話そうとする。素朴な少年は、華やかな隣国の文化に憧れの念を抱いている様子である。
「そうか。見てみたい?」
叉雷が問いかける。
「先生がいっていた。おれたちの体のほとんどは水で、この星のほとんども水だって」
「今日勉強したの?」
「そうだ。おれ、驚いた」
「そうか」
包帯を巻かれた両腕が水面の近くに浮かび上がる。叉雷の掌が川の水を掬う。
「エン、川に入っちゃだめよ」
若い娘が対岸から声を上げた。緩めた指の隙間から水が零れ落ちてゆく。
「わかってる」
エンが応えを返す。
「マリさん。水汲み?」
「はい」
はにかんだ様子で叉雷の問いに応える。
「ねえちゃん、おれ手伝うよ」
エンの姉は名をマリという。彼女は真っ直ぐに伸びた黒髪を項の後ろで一つに束ねていた。
この川は雪白川《ゆきしらかわ》と呼ばれている。源流は、宗香と彩泰の東側を塞ぐように広がる東稜という国の中にある。白蓮山よりもさらに高い不二山。その名は「世に二つと無い」という意味である。年間を通して中腹まで白く雪の残る山は、世界有数の高さを誇っている。
そこには透明な水を湛えた泉がある。雪を被った木々に隠され、青い浮き草たちに護られている。ごく小さな湧き水の水たまりだ。澄み切った水は不二山を下るうちに細い川となり、やがて白蓮山の手前で二手に分かれる。一方はこの雪白川となり、もう一方が白蓮山の麓と村の間を流れる彩流河となる。
雪白川は彩流河よりも小さいが、白蓮山の裏側を通り、地形の傾きに沿って西へと流れるにつれ、二倍、三倍と大きさを増してゆく。この川が存在するために、宗香と彩泰の二国は白蓮山の周辺の一部を除いて引き離されている。地続きではないのである。同様に、宗香と接するアンガルス共和国もまた、彩泰とは離れている。アンガルスと宗香の国境を越える頃には、川の水に塩気が混じり始める。
彩泰側に作られた川下り船の発着場を横目にさらに下ると、ついには川幅三十キロメートルを越える大河となって西都《さいと》海へと注ぎ込む。その手前にはアンガルスと彩泰を結ぶ橋があり、多くの物や人が行き交う。
青い海に面したアンガルスと彩泰の海岸は港である。夜ともなれば、無数の灯りが海に漂う。貿易船、漁師たちの舟。カンテラと電球の白々とした光の群。アンガルス港に立つ細長い優美な形をした灯台。旋回する光。
――全く、何て光景だろう。あの白い灯台を薄闇の中で見上げた時の気持ちが胸に迫ってくる。叉雷は瞼にかかった髪を後ろへ撫で上げ、エンを見上げた。
エンは叉雷に小さな背を向けていた。
「エン? どうした」
違和感が電流のように叉雷の心を走る。
これは過去の記憶ではない……。こんな姿のエンは見なかった。
「泣いてるのか」
啜り泣きとも笑いともつかなかったが、弟の代わりにマリが応えた。
「戦争が終わったの。疎開先を紹介して下さって、本当にありがとう」
顔だけ振り向いたエンも笑っていた。つぶらな瞳に涙が浮かんでいた。誰か親しい人が亡くなったのかも知れないと思い、何か応えようとしたが――。
「うぁ」
応える前に目が醒めた。冷たい風が叉雷の頬を切る。切って、すぐに後方へと流れ去る。
風になびく灰色の髪が見えた。寒そうに丸まった猫のような背中も。絽々の速度は緩やかだ。白の翼竜は鴎のように悠々と空を泳ぐ。
「随分ゆっくりだな」
叉雷の腕は、穏やかな顔で眠る希莉江の体をしっかりと抱えていた。
「向かい風で絽々がしんどそうだから」
もごもごと応える。何か食べているのかも知れない。
「もっと眠ってりゃ良かったのに」
「いや。充分寝たよ」
強い風が正面から吹きつけてくる。
「うー、さむいっ」
堪りかねたように捺夏が口にする。
「同感だな」
「キリエを起こせよ。叉雷」
「もう着いたのか?」
首を伸ばして地上の景色に目を凝らすが、目に映るものはまばらな光と街道らしい道だけだった。花の都と謳われる首都「彩楼」の姿とは到底思えない。
「まだだよ」
「――どこへ寄り道する気だ」
「夜だぜ。真夜中だ。あんな危なっかしい所に直行しようっての?」
捺夏が振り返った。口の周りにパン屑らしきものを沢山つけている。
「冗談じゃない。身ぐるみ剥がされて地下道に放り捨てられるよ。今の都の治安は最悪だ」
「何だ。ちゃんと考えてるんじゃないか」
叉雷が笑う。
「頼りになるガイドがいて嬉しいよ」
捺夏はフンと鼻を鳴らしたが、満更でもない顔で絽々が着地可能な場所を探し始めた。
叉雷は上空を見上げた。太った月が叉雷を見返している。煌々とした光を放つ球体は、限りなく真円に近い。その姿は幾分ぼやけて見えた。
ゆるゆると蛇行していた絽々が、すうっと高度を下げた。下には巨大な黒いキャンバスがある。所々に、黄色の油絵の具で塗られたようなほのかな灯りが光っていた。
「降りるよ」
色白の手が絽々の頭をぽんぽんと叩く。人語を解する飛竜はキュウキュウと喉を鳴らして捺夏に応えた。青いペンキで塗られた屋根が急激に近づいてくる。白く塗られた外壁は鉄板らしく、赤茶けた錆の色が表面に浮き出していた。絽々は屋根を避けて芝生らしい柔らかな地面に後ろ足から降り立ち、高く広げていた翼をだらりと降ろした。
「着いたよ」
「キリエ」
希莉江の両肩を掴んで揺り動かすと、金色の睫毛が不快そうに震えた。
「しょうがないな」
叉雷は眠ったままの希莉江を右肩に抱え上げる。自分と希莉江の荷物を左肩にかけて、絽々から飛び降りてふわりと着地した。幅広い道の両側には、夜目にもそれと分かるほどに造りの荒い民家が立ち並んでいる。どこかで犬が鳴いていた。
「どこだ? ここは」
希莉江の体は骨を抜かれたようにぐにゃりと軟化している。
「嵯峨市。おいで、絽々」
絽々が捺夏の後ろにぴったりとくっついて歩き出す。後ろ足だけを使う歩みは多少危なっかしい。叉雷は愛おしそうな眼差しで絽々を見守っている。
「初めて来たな」
「地味だろ? ここだけ急に寂れてるんだよ。都には近いんだけど。ここ昔刑場だったんだって」
「ふぁー?」
溜め息のような欠伸が耳元で聞こえた。ややあって、両手で叉雷の背中を押してくる。ようやく目覚めたらしい。
「ここ、どこぉ?」
叉雷はその場に屈んで希莉江を降ろした。
「もう都に着いたの?」
眠たげな声が問う。
「いや。嵯峨市だってさ」
「どこなの? それ」
「都から少し離れた街だよ」
足をもたつかせながらも、希莉江はかろうじて前へと進んでいた。
「一体、いつ都に着くの?」
「明日の朝か昼。あんたが決めていいよ」
二人の前から捺夏が口を挟んだ。
両手で目を擦りつつ、希莉江はよたよたと歩いている。
なーん、なーん……。どこからともなく猫の鳴き声が聞こえた。
「猫」
希莉江が呟き、立ち止まって辺りを窺う。
「だめだよ」
顔だけ振り返った捺夏が希莉江を制する。
「あたし、猫が好き」
「よかったね。ほら歩いて。こっちだよ」
「ねーこ!」
希莉江は無闇ににゃーにゃー鳴いた。
「寝ぼけすぎだよ。あんた」
捺夏は眉根を寄せて顔を顰める。
「ねむだるーい」
「眠くて、しかも怠いのか。大変だな」
そう云う叉雷も欠伸を噛み殺している。
「お前ら、おれをバカにしてるんだろっ」
捺夏が唸った。肩を怒らせながらどんどん歩く速度を上げてゆく。
「怒るなよ」
「怒ってないよっ!」
捺夏は明らかに怒っていた。
「見ろ。君の猫への執着が捺夏を怒らせた」
「あたしのせいじゃない。何よ、せっかく猫がいたのに」
「飼い猫だよ。あれは」
耳に馴染む柔らかな声で叉雷が云う。
「なぜ分かるの?」
「声が甘かった。人に馴れてるんだ。餌づけされてる野良かも知れないけどね」
前を見ると、絽々が捺夏の腰に鼻先をつけてクゥクゥと鳴いている。逆立った主の気分を癒そうとしているらしい。
「ここ曲がるよ」
幾分和らいだ声で告げ、捺夏の体が白い石塀の陰に隠れる。叉雷と希莉江は無言で捺夏の後を追い、同じ場所で左に曲がった。
曲がった途端にアスファルトで塗装された道が始まり、眩しい光に両側から照らされる。
道の両側に石塀がある。光源は塀の上に置かれていた。丸い電球が等間隔に並び、のろのろと点滅している。よく見ると、塀と道が接する部分にも小さな電球が置かれていた。
クークーという鳴き声が頭上から聞こえる。強い光を嫌う絽々は、自らの意志で空に逃れたようだ。
「じゃーん。今夜はここに泊まるよ」
捺夏が身振りで道の先を示す。そこには、周囲の家屋とは明らかに造りの違う建造物が建っていた。コンクリートを使っているのか、白く塗られた壁には凹凸がない。建物の形は横に長く、屋根は平らだ。
「豆腐みたいな建物だな」
叉雷はぼけた感想を洩らした。強烈な光のせいか、いつもより人相が悪くなっている。
「都で流行ってるのよ。こういうの」
希莉江は醒めた眼差しで宿――都風にホテルと呼ぶべきだろうか?――を見やった。
「『ホテル・サーガ』だよ」
捺夏が壁の高い場所を指差して云う。アンガルス語で書かれた看板がかかっていた。
「ずば抜けたセンスだな」
痛烈な皮肉を洩らし、叉雷は二人分の荷物を地面に降ろした。
「全然読めないわ。――ありがとう」
希莉江の手が赤いナップサックを持ち上げて右肩に担ぐ。
「行くよ」
捺夏が云い、そこだけ黒い扉を押した。
「……」
これは一体何だ。そう云いたげな顔の叉雷が隣の希莉江を見る。希莉江は一瞬カウンターに座る娘たちに背を向け、扉を逆にくぐろうとする素振りを見せたが、数秒後恐る恐るといった体で後ろを振り返る。そこには、悪趣味という文字を現実において具現化したとしか云いようのない「ホテル・サーガ」の内装があった。
「ありえない」
叉雷の背中に隠れた希莉江が呟く。
ロビーは二階まで吹き抜けになっており、白い螺旋階段が二階部分の廊下へと続いていた。天井からはガラス製のシャンデリアが薄ら寂しい光を投げかけながら何基か吊られている。床には一面赤い絨毯が敷かれていた。
階段の脇には、何の脈絡もなく熊の剥製が置かれている。右手を高く振り上げ、左足を斜め前にちょこんと出している。見ようによっては、楽しげに踊っているようにも見える姿である。
「何だ。あれは」
叉雷は激しい嫌悪感を隠そうともしない。ガラス玉の虚ろな眼差しが恨めしそうに叉雷を見つめている。艶々とした毛並みが見て取れる。この熊はなぜこれほどに惨い仕打ちを受けているのだろうか?
「来なよ。二人とも」
絽々を従えた捺夏が云う。先に動いたのは叉雷だった。僅かな逡巡の後、希莉江は心底嫌そうに叉雷の後をついてゆく。
白いテーブルカウンターの向こうで、野暮ったい化粧をした二人の少女が頭を下げた。
「ホテル・サーガへようこそ」
長い前髪を耳の前に垂らした少女が云う。
「ご予約のお名前をお伺いします」
もう一人が云い、微笑とともに会釈をした。
「淵沼の捺夏です」
捺夏が名乗る。彼には屋号が無いため、村の名を屋号代わりに使っているのである。
「お待ちしておりました。三人部屋で宜しいですね?」
「ええ。料金は今払います」
「では……」
捺夏が懐から茶革の札入れを取り出す。札入れを開くと、中には大量の札束が無造作に詰め込まれていた。
希莉江が息を呑んで叉雷を見上げる。だが、叉雷の顔に驚きの色はなかった。
これだけの金を持ちながらも、捺夏の身なりは貧相としか云いようがない。擦り切れた布靴、洗い晒しの木綿のTシャツ。首に提げた猫の財布はぺしゃんこである。……だが、これこそが淵沼の村で生きのびるために捺夏が学んだ処世術なのかも知れない。
「こちらがお部屋の鍵になります」
「ご案内致しましょうか?」
「いえ。だいたい分かるんでいいです」
捺夏が鍵を受け取る。金色の鎖が細長い板と鍵とを繋いでいる。白い板の端には、赤い字で「5」と書かれていた。
「行くよ。二人とも」
返事を待たずに歩き出す。
「絽々。上だよ」
捺夏が片手で行き先を示すと、絽々はさっと翼を広げて飛び立った。
捺夏を先頭にして螺旋階段を昇る。二階の廊下にも赤い絨毯が敷かれていた。
中ほどにあった「5」の部屋に入る。
「ダッカ、どうしてそんな大金を持ってるの?」
扉が閉まるのと同時に、希莉江が待ちかねたように口を開いた。
「云ってたじゃない。食べる物が無くて困ってたって」
「あー、子供の頃はね」
「今は違うの?」
「そりゃあ違うよ。いい大人なんだからね」
捺夏の態度は心なしか誇らしげである。
「どこが?」
赤い床に荷物を降ろした叉雷が口を挟む。
「じゃあ、何をしてお金を稼いだの?」
鋭く問う。希莉江の表情は真剣である。
「拳闘士のトーナメントがあるんだよ」
捺夏は眠たげな顔をしていた。
「トーナメントって?」
「勝ち上がり制ってこと。年齢別の試合だよ。都で毎月やってて、誰でも参加できる」
「それで?」
「叉雷がそれに出るんだ。おれは会場の中で周りの人に賭けを持ちかける……もちろん、叉雷に賭けるのはおれくらいだから、叉雷が勝つ度に結構な額の金が手に入る」
「負けたらどうなるの?」
「……」
捺夏は少しの間黙り込んでいたが、叉雷が何も云わないのを見て希莉江に応える。
「叉雷は負けない。八才の時から今まで、一度も負けたことがない」
「凄いじゃない!」
希莉江の瞳が輝く。叉雷はそれには応えず、ただ控えめな微笑みを返した。
「それより、絽々に食事をさせなきゃ」
「もう遅い」
捺夏の言葉に叉雷が応える。
絽々は壁際にいた。既に首を曲げて睡眠の体勢に入っている。
「あぁあ~!」
捺夏は両手で灰色の髪を掻きむしった。
「少し寝たら起きるだろ。平気だよ」
「おれが嫌なんだよォー。起きたら空きっ腹だなんて、絽々がかわいそうだろ!」
「泣くなよ」
「泣いてないっ」
「ねぇ。あたし、お風呂に入りたい」
希莉江の手が捺夏の袖を引く。
「わかったよ。下に行って、受付でタオルと石鹸を買いなよ」
投げやりな声が希莉江に応えた。
「馬鹿にしないでよ。それぐらい持ってるわ。お風呂はどこにあるの?」
「一旦外に出るんだ。裏に屋根のついた温泉があるから」
「ダッカたちは?」
「ここに残って、あんたの荷物が盗られないように見張る人が必要だろ? おれはあんたが戻ったら行くよ。叉雷はおれが戻ってきたら行く」
「そう。じゃあ、あたし行くわ。お先に」
手早く持ち物を選び、希莉江は一人で部屋を出て行った。
「おれ、一番手前のベッドがいいな」
捺夏が宣言する。部屋には、人が一人通れるだけの隙間を空けて、三つのベッドが並んでいた。ゴシック調のベッドカバーは赤と緑である。気が触れたような配色だとでも思っているのか、叉雷は冷ややかな瞳でそれらを見下ろしている。
「キリエは奧の。叉雷は真ん中のにしなよ」
「別にいいよ。どれでも」
「おれは嫌だ。絽々の近くがいいんだから」
「やれやれ。お前の好きにしたらいいよ」
「ことーんと眠っちゃうんだもんなあ」
「なぜ、この宿を選んだのか教えてくれ」
絽々の隣で壁に寄り掛かる叉雷は、胸の前でゆるく腕を組んだ。
「……」
捺夏はばつが悪そうな顔をしている。
「妙に手回しがいいな。予約してたのか」
「先週来たんだ。あのー、下見を兼ねて」
「おれに黙って? 一体誰と」
「うるさい」
捺夏の顔は耳まで赤くなっている。
「郁を連れ出したな」
元若長は威厳に満ちた声で決めつけた。郁とは、叉雷を除いた村人たちの中で、捺夏が最も心を許している少女の名である。
「出してないよー!」
捺夏は慌てふためいて視線をやたらと左右に飛ばした。
「与一に云ったりするなよ……。郁が都に行ったことないって云うからさ、一目だけでも――ってあぁあ今鼻で笑ったろっ、お前っ」
「いや。……笑ってないよ」
片手で口元を抑えて応える。叉雷の両肩は小刻みに上下動している。
「じゃあその手を離せよっ! ほらぁ笑ってるじゃんかー」
それからしばらくの間、二人は大して広くもない部屋を鼠と猫のように駆け回った。
「正直、ちょっと笑った。ちょっとだけ」
「くっそー。云っとくけど、おれ郁とつき合ってる訳じゃないぞ! ただ土曜の夜村から抜け出してここで一泊して、翌朝は都をぶらぶらして、日曜の日没までに村に着いて郁を家まで送っていっただけだぞっ」
「素晴らしい計画だな。キリエと会ったのはその時か?」
「そうだよ。まあ、直接会った訳じゃないけど。日曜の昼だった。郁が一人で入りたいって云って服屋にいた時に、時計台のある広場で――ほら、あそこの壁に情報交換票がべたべた貼ってあるだろ? 都庁の国民情報課に電話すれば、都に住む人じゃなくてもあそこに情報を貼り出せるんだ。『簡単なお使いのできる十五才以上の女性を募集中!』とか、『中古の計算機求む。定価の六割希望』とか」
「なるほど」
話の先を読んで叉雷が肯く。
「ある紙に『彩泰から宗香に入れるルートを知っている人を探しています。ぜひ力を貸して下さい。謝礼はずみます』って書いてあったんだ。行き先が宗香だってのは少し不安だったけど、『現在地は北街道の途中。白蓮山に向かって馬車で移動しています』って書いてあるのを見て、その場で情報課に電話して、『連絡を取りたい』って頼んだ。こっちの連絡先はイフラの家にした。うちには電話がないし。それで続けてイフラに電話して、キリエから電話がかかってきたら、絶対その仕事を取れって云った。『飛竜がいるって云うんだ。山を越えるだけだから、ひとっ飛びだよ。絽々を貸すよ。だけど、この人と一緒に白蓮山を歩いて登り降りしたりはできない。宗香に入ったことが人に知られたら、不可侵条約を破ることになる。最悪逮捕されるからね。当然山の裾を歩いて国境を越えるのも無理。あの辺りを徒歩で渡ろうとするなんて、有り得ないことだって云っといて』って。本当は絽々に乗らなくても、白蓮山の横穴を通れば裏側の宗香に行けるんだけど、そのことは隠しておけって云って、もちろんイフラはそうした」
「じゃあ、実際にキリエと接触したのはお前じゃなくてイフラジャンだったのか。それでどんどん話が行き違ったんだな」
「そうだよ。おれと郁が村に向かってる間にキリエはイフラに電話をかけた。イフラはね、キリエがかなり切羽詰まってるのを感じたから物凄くふっかけたんだ。『声が幼すぎて、悪戯かと思った』って云い訳してたけど、あれはわざとだと思うよ……。とにかくキリエはイフラを信じて街道脇の街から郵便で現金を送って、それから沼に着いた」
「そして、自分が騙されたことに気づいた」
「騙してない。キリエは自分が行きたい場所に行くし、おれたちはまんまと逃げおおせた」
「その――情報交換票を見た時に、もう考えてたのか? 村から出る口実になるって」
「まあ、それに近いことをね。おれには絽々がいるから平気だけど、叉雷は一人で外に出かけること自体禁じられてるだろ。でも、この仕事が村にとって重要なものだと分かれば、誰もお前を止められない。観光客には頭が上がらないんだから。キリエを送る時に不幸な出来事があって、お前が死んじゃったことにしようって思ってた」
「勝手に殺すなよ」
「そう云うなよ。おれがついていった場合は、おれも死ぬんだから」
捺夏は真面目くさった顔で応えた。
「おれを村の外に出そうと思ってくれてたなら、どうしてあんなに反対したんだ?」
「お前ら、絽々を置いて行こうとしてただろ……。ってことはおれも置いてかれるってことじゃないか。しかも、あんな足手まといになりそうな子を連れて国境を越えるなんて、『叉雷は死にました』っていう嘘が本当になるだけだと思ったんだ」
「ああ、そうか。キリエが絽々を嫌がった時点でお前の計算は崩れてたのか」
「そうだよ。おれ一人村に居残るなんて冗談じゃない」
「郁はどうするつもりだ?」
「まだ分からないよ。だけど、おれたち最後にはあそこで暮らすことになるんじゃないかと薄々感じてることも事実だよね」
「それも悪くない。龍に逢えたら、おれはあの村で一生を終えてもいいと思ってるよ」
「もったいない。叉雷には都が似合うのに」
夢見るような口ぶりで云う。
「そうかぁ?」
叉雷の返事は懐疑的だった。
「おれは人里離れた所で暮らしたいよ」
碧の瞳が両腕の包帯を見つめている。捺夏は壁際に置いた草色のリュックを引きずってきて、自分のベッドの上に腰を下ろした。
「都にいればいくらでも稼げるのに……」
ぶつぶつと半分口の中で呟く。
「まあ、その話は置いとこう。おれが死んだなんて嘘が長老たちに通ると本気で思ってたのか?」
「だって戦争をしてる国だろ。そんなことがあってもおかしくないと思ったんだ。キリエとあんな風に揉めたのは予想外だったけど」
「残念ながら、その理由はもう使えない」
叉雷が首を横に振る。捺夏は不思議そうに首を傾げてきょとんとしている。
「戦争は終わった」
「嘘だ。そんなニュースは入ってないぜ」
「今終わってなくても、もうすぐ終わる」
「エンが喜ぶだろうな。それが真実なら」
捺夏は子供のような顔で笑った。
「ここに着くまでの間に夢を見た。おそらく正夢になるんじゃないかと思う」
淡々と語る。叉雷は薄く笑っている。
「おれは時々、お前が本気で怖いよ……」
「そいつは心外だな」
素っ気なく応える。しかし、それでもなお叉雷の笑顔にはどこかしら人をほっとさせる暖かみがあって、捺夏は思わずつられたように幼い微笑みを叉雷に返した。
「戦争といえば、おれたちの村でも、昔沢山の人が死んだらしいじゃないか」
「十一年前だね。あれはただの内紛だった。だけど、まあ……。この戦争の大義の無さに比べれば、まだましな方だったかも知れないな」
「今回は、東稜が突然宗香に攻めていったんだろ。大した理由もないのにさ」
「東稜は土地が欲しかったんだろうな」
捺夏の手がリュックの中をまさぐる。ひょいひょいと摘み上げてゆくものは、いずれも彼の好む駄菓子ばかりである。
「そんなもの夜中に喰うなって。歯が悪くなるぞ」
「いいんだよ。好きなんだから」
捺夏が云う。断固たる口ぶりであった。
「それにしても、世の中はあっという間に変わって行くもんだね。大砲も銃も出番のない戦争なんて、気味が悪いよ」
云いながら細長い棒状の菓子の袋を開けて、上からがじがじと噛んでゆく。
「各国の統治者たちは、人の意識エネルギーを兵器にすることを覚えたんだ。それに、爆撃で荒れ果てた土地には何の魅力もないんだろうよ。人は銃器を捨てて、その代わりに、もっと怖ろしいものを造り上げた。人が兵士ですらなく、兵器になって消費される時代が来たのさ」
「……」
ついと叉雷から顔を背ける。捺夏の顔からは、いつの間にか笑みが消えていた。救いを求めるように数秒だけ絽々の姿を振り返る。
「十一年前はこうじゃなかった。もちろん、国中の降魔師がわらわらと現れて鎮圧に乗り出したけど、最後には弾の雨が降って、何もかもを呑み込んだ」
まるでその様を覗き見てでもいるかのような苛烈な眼差しが捺夏を見据える。叉雷の口元は、余りある苦々しさを表すように歪んでいた。
「おれ、風呂に行くから」
あわあわと支度をし、捺夏は叉雷の返事も待たずに扉の向こうへと消える。
「……」
叉雷は暫し黙考していたが、やがて自分の荷物から一冊の本を取り出した。
古びた本だ。幾人もの手を経て叉雷の元へと辿り着いたものである。赤茶の革表紙には焼きごてで刻まれた題字が見える。
「龍にまつわる咄」。叉雷はこの本を、彼の父親であり、村の長でもあった高凱の書斎の床下から発掘した。
あれは冬の夜だった。叉雷がまだ十五才の利発な少年であった頃、彼は村でただ一人都の学校に通っていた。正月を村で過ごそうとして、都を離れて村に戻っていたのである。
叉雷の生家は村の中心に座していた。高凱は二階建ての母屋と二棟の納屋、さらに使用人の住む長屋を所持していた。これは余談であるが、高凱の死後、叉雷は母屋以外の建物を全て村の共有財産としてしまった。叉雷の行いを評して、捺夏はこう云ったものだ――「一人で管理するのがめんどかったんだね」。
叉雷の部屋は二階の東側にある十畳ほどの畳敷きの和室であったが、彼は地下の書斎に入り浸っていた。ポットに入れた玉露と大福を供に何時間でも本を読み漁り、本に溺れた。前後に振れる揺り椅子の上で浴びるように本を読み続ける叉雷の姿は、さながら人魚の歌に誘われて命を落とした船乗りたちのように見えたことだろう。いくつもの文字が波となって叉雷を揺らし、彼は湿った地下室の中でいくつもの心躍る旅を経験した。
あの夜――高凱は彼の妻とともに村の若者たちが催す集会に出かけていた。いそいそと一階の階段から地下へと降りた叉雷は、床の一部に目を引きつけられた。
そこには、以前鍵の掛かった金庫が置かれていた筈だ。だが今は無い。誰が持ち出したのだろうかと辺りを見回した叉雷は、金庫が壁際へと移動していることに気づいた。
「あそこに移したのか」
理由は分からなかったが、叉雷は深く思い悩むことはしなかった。高凱は叉雷には量りがたい行動を取ることが多かったからだ。
「知らなかったな。こんな所に扉があったなんて」
金庫が置かれていた場所の床には、錠前のついた扉が取りつけられていた。錆びた錠は既に壊れており、鍵としては機能していない。 叉雷は何の躊躇もせずに真四角の扉を引き上げると、扉に顔を突っ込んで下を覗き込んだ。まず、泥地にも似た水気のある土が見えた。扉と土の間には、掌から肘くらいまでの隙間が空いていることも分かった。
次いで、半ば地中に埋もれた赤茶の革表紙が見えた。あれは本だ。四つある角のうち、一つの角しか見えていなかったが、叉雷にはそれと分かった。今にも泥土へと沈み込んでしまいそうな、赤茶色の三角形。そこにあるものを見出した瞬間、絶対にそれを読まなければならないという強烈な願望に襲われたのである。なぜなら、その本には叉雷が求めてやまないものの名が刻まれていたからだ。
「龍」。たった一文字の言葉が彼を狂おしいまでの渇望へと導いた。欲しい。あの本が欲しい。
懸命に手を伸ばしたが、本の端に指先が掠めるだけという結果に終わった。あれを手に入れなくては……。叉雷は扉を閉め、物差しを探すために階段を駆け上った。
やがて叉雷は、この本を文字通り発掘――父親の目を盗みながら、四日ほどかけて見事に掘り出した――のである。
* * *
『龍の嫁取り』
今より千と三百年ほどの昔。東の方にいと美しき姫君あり。黒き髪の姫君、名を朱鷺の宮と申す。さて。この姫は生まれ落ちたる日より盲ておったそうな……。
ある時。霧雨が降る春の宵。風が、悪龍を貪る伽楼羅の如く鳴いておった。
姫は琴を弾いておられたが、女房らの勧めるままに床につかれた。その時。
姫の枕の傍らに小さき蛇ぞ現る。色赤うして、鋭き牙持つ毒蛇であった。しかし姫の瞳は生まれてこの方開かれることなきが故に、醜き蛇に手を伸べて、猫の子を愛でるように戯れたり。
蛇は姫に心奪われ、麗しき若者へと変じ、姫を愛でたそうな。蛇と契りし姫は、その咎により追放の憂き目に遭われた。都を出でて流れた姫は、大山を背後に、大河を前にした淵へと辿り着く。そこには、先の蛇が棲んでおった。聡き姫は、蛇と知りながらも若者を愛したという。
姫は蛇と結ばれ、やがて子を為した。だが姫は見る間に痩せ細り、ついに蛇はおのが血を姫に分け与えたそうな。
小さき蛇の正体は、天を覆い地中に伏せる巨龍であった。それも龍の中の龍、龍大王と称される七大龍王を従える龍王であった。
されど姫と龍王の血は合わず、姫は赤子を産んだ後に身罷られた。龍王の嘆きは凄まじく、その心の乱れは烈しい渇きとなって龍王を苦しめたのだそうな。
今においても渇いたまま、天を飛び、地に潜りしながら、命あるものを喰らうという。
* * *
『赤の龍どんと青の龍どん』
昔むかし。ある所に、ばちばち燃える炎のように赤い龍どんがおったそうな。
龍どんはある日、どーんという音とともに村の上に落っこって、そこには今でも大けな穴ば空いておる。村の者はそれを「龍どんの穴」と名づけて拝んでおるんだとか。
天から降ってこられた赤い龍どんは、村に落ちつかれた。ながーい体を地べたに置いて、村の子らと童うたを歌うたりした。子らは龍どんの頭から尾っぽまでを何べんも走って遊んだよう。龍どん、龍どん、空を飛んでぇな。だけんど龍どんは地の龍どんだったもんで、空よりも地べたが好きなようじゃった。
ある年のことだ。夏の暑さに参った龍どんは村の隣にある山に穴を開けおった。そこへ頭を入れて眠るうちに、穴がどんどん深くなってしもうた。終いには、山の向こう側に顔が出てもうて、向こう側の者たちは大層肝を冷やしたそうな。
村には若い長がおった。賢く、心優しき者だったもんで、龍どんはその者ととくに親しくなすっておった。
ある夏、あまりにも雨ば少ないもんで、とうとう川まで枯れてしもうた。村の田んぼ畑はみなからからになった。
長は龍どんにいった。
「龍どん。雨ば降らしてもらえませんか」
龍どんはいった。
「よし。だがおれが雨を呼ぶ姿を見ちゃならんぞ」
長は「もちろん」とこたえて、両目をふさいでしゃがみこんだ。龍どんは長の頭の上をびやーっと飛びこして、山のてっぺんへ降りた。
だんだん雲が暗くなった……。お日さんを隠してしもうて、村は突然真っ暗になった。長はどきどきしながらじっと下を向いて待っておった。
龍どんは大けな口を開いて、東の空に向かって吠えらっしゃった。
「おぉーい。青の。水ば降らしてたもれ」
それを開いた青の龍どんは、「あいあい」とお答えなさって、赤の龍どんばいらっしゃる所へ向けて、ざばーっ、ざばーっと大水ば降らした。
村の者はもうたいそう喜んで、ぎゃあぎゃあわめいて踊った。もちろん、赤の龍どんに沢山の供えものを渡したとも。
赤の龍どんはほっとして、ますます野山をよく守った。緑はすくすくと育ち、獣どもは赤の龍どんのいいつけをよく守ったそうな。
それから、はぁ何十年経ったやら……。
また村は大けな干ばつに苦しんでおった。
村の長は先祖さまの遺された覚書を読んで、今度も赤の龍どんに大雨ば降らしてもらおうと考えた。
「龍どん、龍どん」
赤の龍どんは彩の川の底に溜まって残ったちょっとの水で、乾いた鱗を濡らそうとしておった。
「雨だな」
昔むかしの、そのもっと昔から生きておった龍どんは、若い長がおのれに何を頼みにきたのか、ようく分かってらっした。
「よし。おれが雨ば降らしてやるわいな」
「ありがたや」
長は村のことを何よりも大事に思っておったもんで、龍どんが「おれが山から雨を呼ぶから、お前ら決して山に登っちゃいかんぞ」と言われた時も、「あい。みなによう言って聞かせます」と約束して、急いで村さ帰った。
ところが、なんとしたことか。
けちで有名な伽羅屋の息子が、干上がった川のタニシやら魚やらを捕りにきておって、岩陰から龍どんと長の話を盗み聞いておったんじゃ。
「やれあの龍は、おのれでは雨が降らせやせんのだな。よし。おれがついて行って、雨の降らし方を学んでやれ。おれは雨ば降らせる呪い屋として、金持ちになれるやもしれん」
欲深い若者はいったん村に戻り、長が村の者たちに山へ登ることを禁じる様子を見て、一人にやにやとしておった。
「おぉーい。青の。水ば降らしてたもれ」
赤の龍どんが吠えらっした。
「あいあい」
青の龍どんは、すぐに大水を降らしてくだすった。
それを見ていた伽羅屋の息子は、「なんだ、あのようなことでよいのか」ときたならしい顔を上下に振って肯いておった。
数日あとのこと。卑しい若者は村の者を集めていった。
「おれが今から雨を降らせるけん。もしも降ったら、おれに金やら宝やらをくれるか」
村の者は面白がって「おう。お前が雨ば降らせるならやってみろ」といった。誰も伽羅屋の息子を信じておらんかったんじゃ。
息子は山に登った……。川はまだ涸れてはおらんかった。
伽羅屋の息子は大声で叫んだ。
「おぉーい。青の。水ば降らしてたもれ」
青の龍どんは「おかしいのう。またか」と思いながらも、「あいあい」と水ば降らせた。
ざばーっ。ざばーっ。
ぬくい川辺でぐうぐう昼寝をしとった赤の龍どんは、びっくり仰天したんだそうな。
「おぉ。なんということだ」
赤の龍どんは、誰かが勝手に青の龍どんを呼んで雨を降らせたことに気づいた。龍どんは始めは悲しみ、やがて怒り狂って背中の鰭からしゅうしゅうと熱気を噴き上げた。
「許さん」
目を真っ赤に燃やして村へ降りると、そこには青ざめた長が待っていて、龍どんの前に身を投げて謝ったそうな。
聡き長は、伽羅屋の息子が何をしたのか、村の者から話を聞いただけで悟っておったんじゃな。
「お許しを。欲に目のくらんだ愚か者が雨を呼んでしもうたのです」
だけんど、龍どんは許さんかった。
「お前たちのために、おれは天帝に首を刈られるのだ」
長は、龍どんがもう二度と村のために雨を降らせてはくれないのだと知った。
「おれはこれから天まで裁きを受けにゆく」
「龍どん。おれも一緒に行く」
長はそういうと、焼ける鱗の上に跨って、ともに天へと向かった。
びゅうん、びゅうんと長いこと飛んだ。天はそれはそれは寒い所じゃった。長は龍どんの口の中でぶるぶる震えておった。
天帝は風邪を引いて寝込んでらしたもんで、代わりに青の龍どんが扉を開けた。
「お前らか。何をしに来たんじゃ」
青の龍どんは、まだ伽羅屋の息子の悪戯に気がついておらなんだ。
赤の龍どんがわけを話すと、青の龍どんは髭から煙を吐き出して怒った。
だけんど長があまりにも頭を低くして謝るもんで、とうとう許してやることにした。
「おれに一日にいっぺん人を一匹食わしてくれるか。もしもそれが叶うなら、一日にいっぺん大水を降らせてやるが」
青の龍どんはこうおっしゃった。
長は喜んだが、いくら雨が降ろうと、村人が一日に一人ずついなくなってしまったら、村はすぐに滅びてしまうのじゃなかろうかと思ったそうな。
「天での一日は下界の七年だ」
龍どんがおっしゃり、長はそれで手を打たなければならなくなった。
「しかし、死ぬと分かっていて、誰があなた様に喰われるでしょうか?」
「ごく小さき者よ。案ずるな」
青の龍どんは賢かったもんで、こんな方法を考えたんだとか。
まず、毎年決まった儀式を行う。田植えの祭でもよし、新年の祝いの席でもよし。
何らかの理由をつけ、あらかじめ村人全員にくじを引かせておく。あるいは、村人全員の投票によって、龍の餌となる人間を決めておく。六年の間は何事もなく宴が終わる。
だが、七年目には龍が現れ、餌を喰らって去ってゆく。やがて村には大雨が降る。
「お待ち下さい。そんなことをしたら、村での暮らしがなりたたなくなります。誰が死ぬかをみなで選ぶなんて……」
長が泣き出してしまったもんで、青の龍どんはさらにこうおっしゃった。
「よし。おれが命あるものを喰らう時には、真っ白な光が出る。これを見た者どもの頭から、おれが喰らった者についての覚えを消し去ってくれよう。これなら、喰われた者だけが消え、ほかの者どもは誰かが喰われたことさえ気づかずにいられるだろう」
「ああ、何ということ」
長は肝の底から嘆かれたんだそうな。だが、そのやり方なら村はいつまでも滅びずにすむかもしれん、とも思ったんだとか。
なにより、七年ごとに大雨が降るというのは、何とも魅力的なものに思えたもんで。
「わかりもうした」
こうして、青の龍どんは長の村に水をもたらすようになったんだそうな。
それから七年目のこと。田植えの祭の間に青の龍どんに喰われたのは、伽羅屋の息子じゃった。龍どんは光を吐いた。村の者は全員伽羅屋の息子を忘れた。
村の暮らしは変わりなく続いた。
いつのことか。雨のしとしと降る夜のこと。
赤の龍どんが長の夢枕に立って、これより地に潜り、もうめったなことでは人の世に顔を出さないとかたく決めておるのだとおっしゃったんだそうな。
* * *
叉雷はこれまで何度も読み返してきた本を膝の上に載せたまま、顔だけを赤い扉の方向に向けた。
間を置かず、扉を開ける音が鳴る。部屋に入ってきたのは希莉江である。
「お帰り」
「――ただいま」
濡れた髪が頬に張りついている。希莉江は抱えていた洗面用具を床に下ろし、両肩に垂らした白いタオルを両手で掴んで持ち上げた。長い髪を拭きながら、叉雷の手元に目を落とす。
「何を読んでるの?」
「龍にまつわる伝説や昔話を集めた本だよ」
「面白いの?」
「どうかな。何度も読み過ぎたから、もう話の筋を楽しむような感じじゃないな」
「随分古そうな本じゃない」
「古いよ。おれの父親からもらったんだ」
「……義理のお父さんに?」
「もちろん」
希莉江は遠くを見るような瞳で叉雷を見ている。傍観している、とでも形容すべきだろうか?
「なぜ都に戻ろうと思ったの?」
訊ねる叉雷は、希莉江の視線を真っ向から受け止めていた。
「あたし――あたし、家に戻るつもりじゃないわよ」
堪えかねたように身を屈め、希莉江は叉雷の目線のさらに下へと頭を潜らせる。
「都に行って、それからどうする?」
「都に着いたら云うわ」
「……」
叉雷は手を伸ばした。希莉江の頭に軽く手を置く。希莉江は俯き加減のまま、身じろぎもせずにじっとしている。
「そんな風に全てを先延ばしにしていると、いつか大事なものを選び損ねるよ」
いつの間に扉を開けたのか。預言者じみた言葉を発したのは、風呂上がりの捺夏である。
「あたしは、――考えてるだけよ」
「何を? 下手な考え休むに何とかってね」
「似たり」
叉雷が「何とか」の部分を補足する。
「それだっ」
「あたしは考えたいの。これからどこに行って何をするのか。あたしは何になれるのか」
「あんた、自分自身に高望みしすぎなんじゃないの」
捺夏は、希莉江のおぼろげな願いを一言の下に斬って捨てた。
「廊下に出て、奧へ行くと化粧台があるよ。あそこの鏡に左右反対に映ってるのが、今のあんた。どこにも捜しに行く必要なんてない。あんたはあんたのまま。どこへ行っても、何をしても、あんたはあんただよ。別の誰かになれる訳じゃない」
「それでも……あたしは考えるわ。だって、あたしの行く末を真剣に考えてくれるのは、あたし以外にいないじゃないの」
「だったら尚更だよ。自分を安売りするのはやめなよ」
「安売りしてるつもりはないわ」
「そうかな? どこへ行くかもろくに決められないのは、あんたの心が定まってないからじゃないの?」
捺夏は話しながら片眉を上げる。
「いつか時が来て、あんたも気づくよ。自分が本当にしたいことが何なのか。本当はどこに行きたいと思ってるのか。それが分かれば、くよくよ考える前にとっとと動くことができるようになるんだよ」
「考える前に動く?」
「そう。目標さえ決まれば、行き先も決まる。行き先が分かってるなら、後は簡単な話だよ。どうやってそれを実現するかだけに集中すればいい」
「……あたしには分からない」
希莉江が云う。その口元は苦痛を堪えるかのように引きつっていた。
「どうしてさ?」
「あたしには何の力もない。どこにでもいる、取るに足らない、ちっぽけな子供だわ」
「何だ。ちゃんと分かってるんじゃないか」
くふふ、と捺夏は生意気な野良猫のように笑った。
「あんたは、あんたのやり方で進めばいいんだよ。背伸びなんてするだけ無駄だよ。自分を大きく見せようとして爪先立ちしたって、足下を掬われるだけなんだから」
「あたしが行きたい場所は、もう決まってる」
挑むような顔つきの希莉江が応える。
「それはどこ?」
問いかけたのは捺夏である。
「あたしは貧民窟に行きたい」
「……」
「……」
捺夏と叉雷は無言のまま互いに顔を見合わせた。
「な、何よっ。何か云いなさいよ」
「あんた、変人だよ……」
捺夏が呆れ果てた様子で呟く。
「大胆だなあ」
その隣に座る叉雷は、のほほんとした顔で自身の感想を述べた。
「いいよ。行こう」
「やめろよォー。あんなとこで何すんのさ」
捺夏は幼い子供がいやいやをするように首を振った。
「どこで何をしようとあたしの勝手でしょ」
「捺夏。下に行って、酒を買ってきてくれ」
叉雷がにこやかに指示を下す。
「はぁ?」
「乾杯するのさ。キリエの決心に」
「自分が飲みたいだけだろーっ」
「よく分かったな」
「はーやだやだ。お前ら、勝手すぎるって罪で地獄に堕ちても知らないぞっ」
「あたしジュースがいいわ」
「ふざけるなーっ」
「分かった、分かった。自分で行くよ」
勢い良く立ち上がると、腰を浮かしかけていた捺夏が叉雷を見上げた。
「おれ、麦茶」
「はいはい」
「あっ。果物のゼリーがあったら買って」
「あと今日の新聞」
「……仰せのままに」
叉雷は肯き、右手を胸に置いて礼をする。
「あんた、結構図々しいね」
「どっちが!」
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目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
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記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
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