上 下
10 / 41
1.貧乏性の御曹司、家出する

≪隼人≫3

しおりを挟む
 月曜は、朝食だけ用意して、仕事に行った。
 護の分の食費として、一万円だけ封筒に入れて、渡した。「冷蔵庫にあるもので足りなかったら、この中から出して」と伝えた。不思議そうな顔をしていた。

 仕事は、楽しい。
 テレビでCMが流れたりもする、有名な旅行会社に就職できた。
 入社した時から、広報課にいる。
 就職するまでには、両親と何度も話し合いをした。
 就職する必要はない、と言われた。俺が稼ぐ給料は、西園寺家の財産と比べてしまえば、ほんのわずかなものだとも。そんなもののために、身を粉にして働く必要はない……。
 がっかりした。
 俺が通っていた大学には、奨学金を借りて勉強している人がいっぱいいた。みんな、卒業したら、当然のように就職すると考えている人たちだった。
 自分を育てた環境が、浴びせられるようにして与えられる贅沢なものたちが、ひどくやましいもののように思えた。


 昼休みになった。
 社員食堂で昼食をとってから、いきつけのスーパーでもらってきたチラシのチェックを始めた。
 ナスが、いつもよりも少し安い。五本で140円だった。
 牛乳は、一本158円……。興奮した。
「西園寺くん。となり、いい?」
「いいよ。どうぞ」
 同期の宮田さんが、テーブルに、カレーライスが載ったトレイを置いた。
 俺の右にある椅子を引いて座る。額に汗をかいていた。
「外回り?」
「うん。どうして、わかったの?」
「汗かいてる」
「やだ……。お昼の時間、終わっちゃうと思って。急いでたの」
「まだ大丈夫だよ。十五分ある」
「うん。いただきます」
 カレーライスを食べはじめた。食べながら、俺の手にあるチラシを気にするそぶりをした。
「なにしてるの? それ、スーパーのチラシ?」
「うん。特売のをチェックしてる」
「えー。そんなこと、するの? イメージ、なかった」
「するよ。俺、一人暮らししてるんだよ」
「知らなかった。いつから?」
「今月」
「うちは、お給料はいい方だと思うけど……。一人だと、いろいろ大変じゃない?」
「まあ、それは。でも、したかったから」
「そうなんだ……」
 宮田さんは、感心したような顔をしていた。
「宮田さんは、実家だっけ」
「うん。大学の時も……。やばいかな」
「やばくはないと思う。俺も、そうだったし」
「家事とか、するの?」
「もちろん」
「すごーい。あたし、やばいかも……」

 食堂を出ようとしたところで、工藤さんに呼びとめられた。
 同じ課の先輩だ。入社したばかりの頃から、妙にきつく当たってくるなという印象がある人だった。
「一人暮らしを始めたんだって?」
「はい。今月から」
 聞かれてたのか、と思った。面倒くさいな、とも。
「実家から、通えるんだよな?」
「そうなんですけど。家を出て、自由に暮らしてみたかったんです」
「今さら、モラトリアムかよ」
 鼻で笑われた。なにを言ってるんだろうと思った。
 今さらどころか、ようやくだ。念願の一人暮らしだ。
 礼儀正しい後輩の仮面を、よいしょっと気合いを入れて、被り直した。不機嫌そうに見られるのは、まずい。
「本当は、大学の時に一人暮らしがしたかったんですよ。家の都合で、それは叶わなかったんで」
「ふーん? 家から出たかったのに、出られなかったのか。
 貧乏だったとか?」
「そうです。貧乏でした。うちは」
「西園寺の名字は、立派だよな。てっきり、お金持ちの家の子かと思ってた」
「名前だけですよ」
 工藤に向かって、笑ってみせた。
 不意に、頭をはたかれた。強い力だった。驚いた。
「……なんですか」
「蚊がいたんだよ」
 笑う顔を、卑しいと思ってしまった。
 軽蔑の色が、俺の表情に滲んでしまったかもしれない。
 目が合った。相手の方が、先にそらした。
 遠くの方で、ざわめくような気配を感じた。やばいと思って、会釈して、その場を離れた。

 昼のことは忘れるようにして、午後の仕事を始めた。
 連絡しないといけない顧客が、何人かいるはずだった。
 仕事用の手帳を広げたところで、肩を叩かれた。
「間宮?」
 同期の間宮だった。
「西園寺。社長が、来いって」
「え……」
 思いがけないことを言われた。……いや、違う。予想はしていた。
 ざわついているのは、分かっていた。
 入社二年目になったばかりの社員が、三年上の先輩にかわいがられたぐらいで、ああいう反応は起きない……はずだ。
「お前、なにやったんだよ。大丈夫か?」
「分からない。行ってくる」

 社長室に入った。
 社長以下、重役っぽい人たちが、ずらっと並んでいた。
 全身から力が抜けるような感じがした。
「広報課の西園寺です。ご用件は、なんでしょうか?」
「工藤くんには、きつく、言って聞かせたから」
「えっ。なにを、言ったんですか」
「君の、ご実家のことだよ」
「どうして……」
「今後も、あんな調子でいられたら困る。そう思って、つい」
「工藤さんのことは、ちっとも気にしてないです。それよりも、こういったことで、呼び出したりしないで頂けませんか。
 コネで入ったわけでもないのに、邪推されたら困ります。それとも、コネだったんですか」
「まさか、まさか! とんでもない!」
「だったら、ただの、平社員として扱ってください。俺と親は、関係ないですから」
「分かりました。申し訳なかった」
 謝られてしまった。社長から……。

 帰りの電車の中でも、落ちこんでいた。やっぱり、コネだったのかもしれない。
 実力で採用されたわけじゃ、なかったのか。
 ショックだった。面接の時にも、無事に採用されて、働き始めてからも、特別扱いはされていないと思いこんでいたから。


 スーツ姿のままで、駅と家の中間にある商店街に入った。
 スーパーまで行くには、自転車に乗らないと遠い。その前に、いつもの八百屋で値段を見ておこうと思った。
 ナスが、安かった。スーパーの特売より、50円以上安い!
 感動していると、八百屋のおじさんが、威勢よく声をかけてきた。
「おっ! 気がついちゃった? 今日は、いいのが入ってるから!
 ナスが五本で、85円! これは、買いだよ!」
「安いです。買います」
「いいね! ありがと!」
 客商売なんだから、当然のかけ声なのかもしれない。でも、俺は嬉しかった。
 ありがとうと言われるのは、嬉しい。あの家にいる時には、ほとんど言ってもらえなかった。俺が、人から感謝されるようなことをするのは、許されない空気があった。
 俺が自分で自分の身の回りのことをしてしまうと、誰かの仕事を奪ってしまう。そのことも、痛いほど分かっていた。
「他に、おすすめとか」
「うーん。今は、キャベツだな。甘いよ!
 あとはー、アスパラガス! カリフラワー! ニラ!」
「ありがとうございます。見てみます」
 おじさんは、にこにこしていた。
 自然と、こっちも笑顔になる。
「お兄ちゃん。いつも思うけど、男前だな!」
「……そうですかね」
「髪、切ればいいのに。長すぎて、大学生みたいだぞ」
「これは。ちょっと、わけがあって」
 髪は、ずっと、耳より下には伸ばせなかった。長めの髪には、憧れがあった。
「もしかして……。役者さんか?!」
「いやいや、違います」
「なーんだ」

 いろいろ買いこんでしまった。両手にエコバッグをさげて、家まで歩いた。
 家の前に着いた。
 家の灯りがついていた。一階はともかく、二階がついてるのは、まずい。
 護の部屋は、一階にある。二階に用事なんて、ないはずなのに。
 悪い子じゃないのは、分かってるけど……。
 そこらじゅうの灯りをつけっぱなしにすることと、水の使いすぎについては、正直いらっとしていた。

「おかえりなさい」
「ただいま。二階の灯り、消しといて」
「えっ。ついてますか?」
「ついてる」
「すみません……。行ってきます」
 どたばたと、廊下を走っていく。
 悪い子じゃない。そう自分に言い聞かせて、怒らずにいる努力をした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

処理中です...