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18.アズ・ポーン5
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「ちょっと、整理させてね。
礼慈の様子がおかしいなと思い始めたのは、いつから?」
「今月……。十日からです。
土曜日に、礼慈さんが、ひとりでお姉さんのところに行ったんです」
「そうなんだ。行ったこと自体が、あやしかったってこと?」
「ううん。ああでも、わからないです。
いつもだったら、わたしにも、聞いてくれるような気がしたの。『行きたい?』って。聞かれても、勇気が出なくて、断ったかもしれないけど……。
その日に、いきなり言われたのと、もう、ひとりで行くって決めてるみたいだったのが、なんだか、ショックで……。
ショックを受ける方が、へんなのかな……。奥さんでも、ないのに」
「へんじゃないと思うよ。それで?」
「あとは……。昨日も、お話ししたと思うんですけど。
へんなの。上の空だったり……。
お姉さんのところに行ったっていうのが、そもそも、う、うそかもって」
「あー。そこから、疑ってたんだ」
「でも、わからないです。お姉さんは、二月に、赤ちゃんが生まれたんだって。
その話をしてる時の礼慈さんは、うれしそうでした。うそだったなんて、思いたくないの」
「うん。そうだよね」
「こそこそしてるんです。……だめ。いい表現じゃないですね。
とにかく、様子がへんなんです。今までの礼慈さんとは、なにかがちがうの」
「うーん……。どう思う?」
歌穂ちゃんに聞いてみた。
「あたしは、祐奈の味方なんで。
西東さんの気持ちが、さっぱりわからないです。
同居してるのに、こんなに不安にさせるなんて、だめだと思いますよ」
「そうなんだけどね……。
ねえ。祐奈ちゃん」
「……はい」
「来週の平日の夜に、僕が礼慈を誘いだすから。
動揺しないで、見送ってあげてくれる?」
「いいですけど……」
「水曜がいいかな。水曜にしよう。
変更することになったら、LINEするね」
「わ、わかりました」
「礼慈に聞いてみるよ。それで、僕から言えることがあれば、LINEで報告する。
言えないことだったら、なにもしない。ごめんね。
そもそも、礼慈本人が、祐奈ちゃんと向き合わないとだめだと思うし。
祐奈ちゃんも、もう限界だなと思ったら、自分から、僕に言ってくれたようなことを、礼慈に言ってやってもいいんじゃないかな」
「それって、あの……あれのことも、ですか?」
「言うべきだね。十ヶ月も我慢してたなんて、信じられない。
昨日も、言ってたよね。ずっと言えてないって」
「なんの話なの? それ」
「歌穂には、言えないような話。わかる?」
「……あー。あたしには、わかんない話か。わかった」
祐奈ちゃんは、少しずつ落ちついてきた様子だった。
「沢野さん。ありがとう……。
わたしも、このままじゃいけないって、思ってます。
もし、沢野さんからのご連絡がなかったら、来週末までに、わたしから、話をしませんかって、礼慈さんに言います」
「祐奈。それで、いいの?」
「うん。いつかは、ちゃんとしないと。
わたしは、もうじゅうぶん、守ってもらったから。
もし、誰か他の……わたしよりも礼慈さんを必要としてる人や、礼慈さんが守りたいと思ってる人がいるなら、その人に、譲らないと」
「誰か」が誰なのか、わかってるような口ぶりだった。
僕が考えていたよりも、祐奈ちゃんは、礼慈から信頼されているらしい。
あの人のことを、祐奈ちゃんに話したんだ。そのせいで、たぶん、ますますこんがらがってるみたいだな……。
「なにか、見たいものとか、ある?
行きたいところでもいいよ」
「ある……。遠くても、いいの?」
「いいよ。大丈夫」
「木更津にある、アウトレットに行きたい……」
「わかった。このまま、出していい?」
「うん」
「海、見れるかな」
弾んだ声で、歌穂ちゃんが言った。わくわくしていそうだった。
「見れると思うよ」
「行こ! 祐奈にだって、ひとりで出かける権利があるんだから!」
「うん……」
楽しい時間だった。
礼慈のことは、誰も口にしなかった。
少しかわいそうではあったけれど、祐奈ちゃんの昨日の姿を見ていたので、しょうがないなーという気持ちだった。
歌穂ちゃんは、はしゃいでいた。
祐奈ちゃんも、はしゃいでいた。
僕は空気だった。こういうのも悪くないなと思いながら、かわいい二人の、かわいいやりとりを鑑賞していた。
わりと遅い時間に、祐奈ちゃんを礼慈の部屋まで送った。
僕は、マンションのエントランスで、歌穂ちゃんが戻ってくるのを待っていた。
礼慈が住んでいるマンションは、四階までだ。
それでも、ほとんどの人がエレベーターを使っている。
外からエントランスに入ってきて、ロックを解除してから、開いた自動ドアの先にある階段室に向かっていく男の子に、ふと目を引かれたのは、そういうことが頭にあったからだと思う。
ほっそりとした体つきの男の子だ。大学生くらいだろうか。
横顔しか見えなかったけれど、祐奈ちゃんに似ていた。びっくりするくらいに。
分厚い金属製のドアを開けて、階段室に消えていった。
「祐奈は、帰りました」
「あ、うん」
歌穂ちゃんが、僕の横に立っていた。
「どうしたの?」
「ううん……。礼慈の様子は、どうだった?」
「わからないです。あいさつは、しましたけど」
「そっか。今日は、どうする?
僕の部屋に、泊まってもいいよ」
「うん……。ううん。
あたしの部屋まで、送ってもらっていい?」
「いいよ」
二人で、エントランスから出た。
車を停めているホームセンターに向かって、歩きだした。
「僕は? 泊まった方がいい?」
「そうしたかったら、いいけど……。
今日も、着がえを取りにいったりして、大変だったじゃないですか。
一日じゅう、あたしたちの面倒を見てくれて……。ごはんとか。あと、たくさん、買ってもらっちゃったり……。
ゆっくり、休んでください」
「ありがとう。じゃあ、明日は、お互いフリーにする?」
「はい。それでいいです。
でも、もしさびしくなったら、言ってください」
「そうだね。歌穂ちゃんも、言ってね」
「うん」
「僕たちには、言われたくないだろうけど……。
あの二人には、へんなふうに、こじれてほしくないな」
「それは、あたしだって、そう思ってます。
西東さんのこと、いろいろ、言いましたけど。
いい人だと思ってます。そこは、変わってません」
「……うん」
「祐奈を泣かせてるから、怒ってるだけです」
「だよね」
「祐奈も、あたしのために、怒ってくれてた?」
「もちろん。静かな怒りだったけどね」
「ですよね。……あたしは、幸せ者です」
「そうだね」
暗い空に、新月とまちがえそうな、薄い月が出ていた。
矢を放つために引き絞られた弓のように細い、下弦の月。
立ち止まって、じっと見ていたら、歌穂ちゃんが僕の袖を引いた。
「ごめん。なに?」
「月?」
「うん。弓みたいだなと思って」
「ほんとだ」
指が、からんだ。僕からつなぎ直した。
歌穂ちゃんも、女の子らしい弱い力で、僕の手をつかんでくれる。
かわいいなと思った。
「僕も、幸せだよ」
礼慈の様子がおかしいなと思い始めたのは、いつから?」
「今月……。十日からです。
土曜日に、礼慈さんが、ひとりでお姉さんのところに行ったんです」
「そうなんだ。行ったこと自体が、あやしかったってこと?」
「ううん。ああでも、わからないです。
いつもだったら、わたしにも、聞いてくれるような気がしたの。『行きたい?』って。聞かれても、勇気が出なくて、断ったかもしれないけど……。
その日に、いきなり言われたのと、もう、ひとりで行くって決めてるみたいだったのが、なんだか、ショックで……。
ショックを受ける方が、へんなのかな……。奥さんでも、ないのに」
「へんじゃないと思うよ。それで?」
「あとは……。昨日も、お話ししたと思うんですけど。
へんなの。上の空だったり……。
お姉さんのところに行ったっていうのが、そもそも、う、うそかもって」
「あー。そこから、疑ってたんだ」
「でも、わからないです。お姉さんは、二月に、赤ちゃんが生まれたんだって。
その話をしてる時の礼慈さんは、うれしそうでした。うそだったなんて、思いたくないの」
「うん。そうだよね」
「こそこそしてるんです。……だめ。いい表現じゃないですね。
とにかく、様子がへんなんです。今までの礼慈さんとは、なにかがちがうの」
「うーん……。どう思う?」
歌穂ちゃんに聞いてみた。
「あたしは、祐奈の味方なんで。
西東さんの気持ちが、さっぱりわからないです。
同居してるのに、こんなに不安にさせるなんて、だめだと思いますよ」
「そうなんだけどね……。
ねえ。祐奈ちゃん」
「……はい」
「来週の平日の夜に、僕が礼慈を誘いだすから。
動揺しないで、見送ってあげてくれる?」
「いいですけど……」
「水曜がいいかな。水曜にしよう。
変更することになったら、LINEするね」
「わ、わかりました」
「礼慈に聞いてみるよ。それで、僕から言えることがあれば、LINEで報告する。
言えないことだったら、なにもしない。ごめんね。
そもそも、礼慈本人が、祐奈ちゃんと向き合わないとだめだと思うし。
祐奈ちゃんも、もう限界だなと思ったら、自分から、僕に言ってくれたようなことを、礼慈に言ってやってもいいんじゃないかな」
「それって、あの……あれのことも、ですか?」
「言うべきだね。十ヶ月も我慢してたなんて、信じられない。
昨日も、言ってたよね。ずっと言えてないって」
「なんの話なの? それ」
「歌穂には、言えないような話。わかる?」
「……あー。あたしには、わかんない話か。わかった」
祐奈ちゃんは、少しずつ落ちついてきた様子だった。
「沢野さん。ありがとう……。
わたしも、このままじゃいけないって、思ってます。
もし、沢野さんからのご連絡がなかったら、来週末までに、わたしから、話をしませんかって、礼慈さんに言います」
「祐奈。それで、いいの?」
「うん。いつかは、ちゃんとしないと。
わたしは、もうじゅうぶん、守ってもらったから。
もし、誰か他の……わたしよりも礼慈さんを必要としてる人や、礼慈さんが守りたいと思ってる人がいるなら、その人に、譲らないと」
「誰か」が誰なのか、わかってるような口ぶりだった。
僕が考えていたよりも、祐奈ちゃんは、礼慈から信頼されているらしい。
あの人のことを、祐奈ちゃんに話したんだ。そのせいで、たぶん、ますますこんがらがってるみたいだな……。
「なにか、見たいものとか、ある?
行きたいところでもいいよ」
「ある……。遠くても、いいの?」
「いいよ。大丈夫」
「木更津にある、アウトレットに行きたい……」
「わかった。このまま、出していい?」
「うん」
「海、見れるかな」
弾んだ声で、歌穂ちゃんが言った。わくわくしていそうだった。
「見れると思うよ」
「行こ! 祐奈にだって、ひとりで出かける権利があるんだから!」
「うん……」
楽しい時間だった。
礼慈のことは、誰も口にしなかった。
少しかわいそうではあったけれど、祐奈ちゃんの昨日の姿を見ていたので、しょうがないなーという気持ちだった。
歌穂ちゃんは、はしゃいでいた。
祐奈ちゃんも、はしゃいでいた。
僕は空気だった。こういうのも悪くないなと思いながら、かわいい二人の、かわいいやりとりを鑑賞していた。
わりと遅い時間に、祐奈ちゃんを礼慈の部屋まで送った。
僕は、マンションのエントランスで、歌穂ちゃんが戻ってくるのを待っていた。
礼慈が住んでいるマンションは、四階までだ。
それでも、ほとんどの人がエレベーターを使っている。
外からエントランスに入ってきて、ロックを解除してから、開いた自動ドアの先にある階段室に向かっていく男の子に、ふと目を引かれたのは、そういうことが頭にあったからだと思う。
ほっそりとした体つきの男の子だ。大学生くらいだろうか。
横顔しか見えなかったけれど、祐奈ちゃんに似ていた。びっくりするくらいに。
分厚い金属製のドアを開けて、階段室に消えていった。
「祐奈は、帰りました」
「あ、うん」
歌穂ちゃんが、僕の横に立っていた。
「どうしたの?」
「ううん……。礼慈の様子は、どうだった?」
「わからないです。あいさつは、しましたけど」
「そっか。今日は、どうする?
僕の部屋に、泊まってもいいよ」
「うん……。ううん。
あたしの部屋まで、送ってもらっていい?」
「いいよ」
二人で、エントランスから出た。
車を停めているホームセンターに向かって、歩きだした。
「僕は? 泊まった方がいい?」
「そうしたかったら、いいけど……。
今日も、着がえを取りにいったりして、大変だったじゃないですか。
一日じゅう、あたしたちの面倒を見てくれて……。ごはんとか。あと、たくさん、買ってもらっちゃったり……。
ゆっくり、休んでください」
「ありがとう。じゃあ、明日は、お互いフリーにする?」
「はい。それでいいです。
でも、もしさびしくなったら、言ってください」
「そうだね。歌穂ちゃんも、言ってね」
「うん」
「僕たちには、言われたくないだろうけど……。
あの二人には、へんなふうに、こじれてほしくないな」
「それは、あたしだって、そう思ってます。
西東さんのこと、いろいろ、言いましたけど。
いい人だと思ってます。そこは、変わってません」
「……うん」
「祐奈を泣かせてるから、怒ってるだけです」
「だよね」
「祐奈も、あたしのために、怒ってくれてた?」
「もちろん。静かな怒りだったけどね」
「ですよね。……あたしは、幸せ者です」
「そうだね」
暗い空に、新月とまちがえそうな、薄い月が出ていた。
矢を放つために引き絞られた弓のように細い、下弦の月。
立ち止まって、じっと見ていたら、歌穂ちゃんが僕の袖を引いた。
「ごめん。なに?」
「月?」
「うん。弓みたいだなと思って」
「ほんとだ」
指が、からんだ。僕からつなぎ直した。
歌穂ちゃんも、女の子らしい弱い力で、僕の手をつかんでくれる。
かわいいなと思った。
「僕も、幸せだよ」
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