上 下
203 / 206
18.アズ・ポーン5

1-4

しおりを挟む
「ねえ。歌穂ちゃん」
「……なに?」
「『あなた』って呼ばれるのも、うれしいけど。
 そろそろ、下の名前で……」
「だめ」
「なんで?」
「はずかしいから。だめ……」
「そうくるかー」
 あと三ヶ月で、出会ってから一年が経つ。
 歌穂ちゃんは、今でも、どこか他人行儀だ。
 僕からなにかしないと、このまま、ずるずると時が過ぎていくような気がしていた。
「三択です。
 『紘一』、『紘一くん』、『紘一さん』。どれ?」
「考えさせてください」
「答えてもくれないんだね……」
「そんなに、がっかりしないでください」
 どうしようかなと思った。
 歌穂ちゃんからは、祐奈ちゃんの話題が出てこなかった。
 祐奈ちゃんが悩んでいることを、歌穂ちゃんは知らないのかもしれない。
「うーん……」
「どうしたの?」
「あのね。祐奈ちゃんのことで、気になってることとか、ない?」
「ないです。
 今月は、迷惑かけちゃったな……とは、思ってるけど」
 知らないんだ。驚いたけれど、納得もした。
 やっぱり、一人で抱えこんでしまう人だった。そして、それを歌穂ちゃんに悟らせることもない。
 僕も、踏みこんでみるまでは、わからなかった。
 強くて、脆い。そういう人なんだ。
「なに? 気になるんだけど」
「祐奈ちゃんが、礼慈に避けられてるって。
 そんな話、聞いたことある?」
「はあ?!」
「……なさそうだね」
「あるわけないじゃないですか!
 西東さんの宇宙は、祐奈を中心に回ってると思ってますよ!」
「宇宙規模の話なんだ」
「同居してて、どうやって避けるんですか?」
「わからない……。でも、泣いてた」
「それ、いつの話?」
「今日。歌穂ちゃんに電話する前だよ」
「えっ……」
「祐奈ちゃんが、うちに来てくれたんだ。僕を……」
「なんですか。はっきり、言ってください」
「叱りに来てくれた」
「……そうだったの?」
「うん」
「あたし、祐奈のところに行きます。車を出して」
「車は、いいけど。行かない方がいいと思う……」
「ですかね……」
「僕が見てきた礼慈は、浮気ができる男じゃないよ。
 なにか、理由があるはずだ。
 祐奈ちゃんに誤解させたのは、礼慈の落ち度だろうけど……」
「あぁー。いらっとする。
 あたしが西東さんに電話したら、まずい?」
「やめた方がいいと思う」
「わかった。やめる」
 すごい顔をしていた。険しかったし、怒っていた。
 歌穂ちゃんは、礼慈にも似てるかもしれないなと、ふと思った。
 僕のために怒ってる時の礼慈と、気配がよく似ていた。
 礼慈に似てる歌穂ちゃんが、礼慈に対して怒ってる。なんだかなーという感じだった。
「怒ってるんだね」
「あたりまえですよ!
 あたしには、一言もなくって、なんで、あなたに……」
 歌穂ちゃんの声が裏返った。泣く寸前みたいな声だった。
「泣かないで……」
「泣かないです。すごく、かなしいけど」
「ごめんね。もとはといえば、僕が、歌穂ちゃんの」
「そうですよ! LINEを既読スルーって、なんなんですか!
 スルーするなら、既読にしなきゃいいじゃんっていう話ですよ。
 電話を受ける気がないなら、着信拒否にしたらいいじゃないですか」
「返す言葉もないね」
「あんなみじめな思いは、二度とさせないで。
 二度目は、ないから」
「うん。はい。わかりました」
「どうしてなの? あたし……。あたしに、問題があった?」
「ない! そういうことじゃない。
 頭を冷やしたかったんだ。
 歌穂ちゃんを責めたりしたくなかったし、別れたくもなかった。
 冷静になるために、時間が必要だと思ったんだよ。
 だけど……。何度も、無視しちゃったから。
 今度は、連絡すること自体が、こわくなっちゃって」
「それで、祐奈に叱られたんですか。そっちの方が、ずっと、こわかったんじゃないですか?」
「うん……。こわかった。
 迫力があった。すごかった」
「祐奈は、怒るとこわいんですよ。
 理不尽なことで怒ったりは、しないですけど。
 あたしたちが、施設の中でもめたりすると、祐奈がじっくり話を聞いてくれるんです。
 それで、静かな声で、たんたんと、叱ってくれたりした。
 怒鳴ったりしてるわけじゃないのに、叱られた子が、泣いて謝ったりするんですよ」
「……すごいね」
「すごい人なんです。そういうふうには、見えなくても」
「いやー……。うん。
 叱られて、よかったよ。目が覚めた。
 どんなにみっともなくても、歌穂ちゃんの前で泣きわめくことになっても、正直に言わなきゃいけなかったんだなって」
「べつに、そんなことで、きらいになったりしないし。
 そもそも、祐奈のことです。祐奈しか、ありえない」
「それは、わかったけど。僕が伝えた時の、歌穂ちゃんの様子が……」
 歌穂ちゃんの顔がこわばった。あの時と同じ表情をしていた。
 あっと思った。
 どうして、歌穂ちゃんがあんなに動揺していたのか、僕にはわからなかった。
 今は、なんとなく分かっていた。
 あの呼び方で呼んでしまったこと自体が、歌穂ちゃんにとっては地雷だったんだ。
 誰にも知られたくないことだったんだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

性欲の強すぎるヤクザに捕まった話

古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。 どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。 「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」 「たまには惣菜パンも悪くねぇ」 ……嘘でしょ。 2019/11/4 33話+2話で本編完結 2021/1/15 書籍出版されました 2021/1/22 続き頑張ります 半分くらいR18な話なので予告はしません。 強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。 誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。 当然の事ながら、この話はフィクションです。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

お屋敷メイドと7人の兄弟

とよ
恋愛
【露骨な性的表現を含みます】 【貞操観念はありません】 メイドさん達が昼でも夜でも7人兄弟のお世話をするお話です。

ねえ、私の本性を暴いてよ♡ オナニークラブで働く女子大生

花野りら
恋愛
オナニークラブとは、個室で男性客のオナニーを見てあげたり手コキする風俗店のひとつ。 女子大生がエッチなアルバイトをしているという背徳感! イケナイことをしている羞恥プレイからの過激なセックスシーンは必読♡

私を犯してください♡ 爽やかイケメンに狂う人妻

花野りら
恋愛
人妻がじわじわと乱れていくのは必読です♡

ぽっちゃりOLが幼馴染みにマッサージと称してエロいことをされる話

よしゆき
恋愛
純粋にマッサージをしてくれていると思っているぽっちゃりOLが、下心しかない幼馴染みにマッサージをしてもらう話。

処理中です...