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8.トリッキー・ナイト3

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 台所の隅に置いていた、バレンタインのチョコが入った紙袋を持ってきた。
 紙袋ごと、沢野さんに渡した。
「これ、バレンタインの……。十四日には、会えなかったから」
「ありがとう。祐奈ちゃんと買いに行ったの?」
「……なんで、わかったんですか。
 西東さんから、なにか、聞いたりしました?」
「ううん。なんとなく」
「こっわ……」
「そんなに、引かないでほしいなー」
「引きますよ。
 祐奈が、銀座の百貨店でやってる、バレンタインのチョコのイベントに行きたいって、言ってきて。あたしも興味があったから、二人で行ってきました。
 自分の分も買って、それは、もう食べました」
「そうなんだ」
「よかったら、開けて、食べてください」
「いただきます。歌穂ちゃんも、一緒に食べてくれる?」
「はい」

 さっそく、あげたチョコを食べてくれた。
「甘すぎないですか?」
「ううん。おいしい」
「よかった」
 あたしも、ひとつだけもらった。おいしかった。

「夕ごはん、まだですよね」
「うん。食べに行く?」
「どうしようかな……。甘えても、いいですか」
「どうぞ、どうぞ」
「あの。ちょっと、ジャンクなものが、食べたくって」
「いいよ。なに?」
「近くに、ハンバーガー屋さんがあるの。チェーン店じゃなくて。
 わりと行きます」
「いいね。行こうか」
「はい」

 歩いて、お店まで向かった。
 いつも通ってる道が、いつもとは違って見えた。沢野さんと一緒にいるからなんだろう。あたしは、かなり浮かれてるみたいだった。
 沢野さんのひじのあたりに、手をかけてみた。腕を組むか、つなぐか、したいなと思って。
「つなぐ?」
「う、ん」
 大きな手で、あたしの手を握ってくれた。あったかい。すごく安心した。
「道、どっち?」
「このまま、まっすぐ。たばこ屋さんで、右です。
 あたしの部屋のことなんですけど。行きたい方の大学に近いところに、引っ越そうかと……」
「それは、いいことだと思うけど。礼慈のマンションは?」
「まだ、調べてもらってないです。お断りしようと思ってます。
 ここから通うよりも、遠くなるのと……。あたしが、向こうに、入りびたったりしちゃいそうで」
「それは、祐奈ちゃんがいるから?」
「そうです。それは、迷惑だと思うし」
「どうかな……。祐奈ちゃんは、喜ぶような気がするけど」
「いいんです。通帳のこととかは、ぜんぶ、沢野さんにしてもらったし……。
 今日は、引っ越し先のことを、相談したいなと思って」
 少し、考えるみたいな間があった。
「僕の部屋……は、まずいよね」
「妹さんたちが許してくださるなら、客間で暮らすことは、できそうですけど」
「それは、大丈夫だけど。こわいんでしょ? 高くて」
「それなんですけど。こわいっていうよりも、トラウマになってるだけ……かも」
「ああ……。ベランダに、閉じこめられたから?」
「そうです」
「引っ越そうか?」
「それは、悪いですよ。あと、ちゃんと一人で暮らしたいっていう気持ちは、あります」
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