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2.スイート・キング1
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「れーいじっ」
沢野さんが、コートを着たまま、礼慈さんに抱きつくところを見てしまった。
「くっつくな。やめろ。鍋が危ない」
「ごめん、ごめん」
「イケメン二人が、いちゃいちゃしてる……」
歌穂が、ぼそっと言った。
「カニ鍋だね」
「食べようか。そろそろ、いいと思う」
「テーブル?」
「座卓を持ってくる」
テーブルの椅子は、二脚しかない。ラグマットの上に、趣味の部屋から、わたしの部屋に移動した座卓を置くんだと思った。
このラグマットの上で、昨日……そう、昨日、いろいろ、あった。
礼慈さんが汚れたところを洗って、浴室乾燥で、朝まで乾かしておいてくれた。
「祐奈。どうかした?」
「……ううん。なんでも、ないの」
言わなきゃ、誰にもばれない。でも、わたしは知ってるし、礼慈さんだって、もちろんわかってる。はずかしくて、どうにかなりそうだった。
みんなで、カニ鍋を食べることにした。
歌穂がお皿を並べてくれて、礼慈さんが鍋を座卓に移してくれた。
わたしはお茶を入れようと思っていたら、沢野さんがほとんどしてくれていて、何の貢献もできなかった。へこんだ。
「おいしい……。おいしいれす」
「語尾が、酔っぱらいみたいになってるよ。祐奈」
「ごめんね。正気を失いかけたの」
「わかるけどさ。すごい、いけちゃう。ぜんぶ、食べちゃいそう」
「いいよ。食べて」
礼慈さんは、にこにこしていた。いい笑顔だった。天使のほほえみって、こういう顔かもしれない……と思った。
こんな顔をして、わたしにうどんを食べさせてくれた時みたいに、いろんな女の子や、女の人にやさしくしていたとしたら、問題が起きるのは、あたりまえだっていう気がした。
急に、礼慈さんに、くっつきたくなった。でも、我慢した。
歌穂がいるし、沢野さんもいる。
なんだか、胸が苦しくなってしまった。歌穂にだけ、「トイレ」と、そっと声をかけて、リビングを出た。
廊下から、リビングの引き戸の目の前にある、脱衣所の引き戸を開けた。トイレは、この中に入ってから、右にある。正面は大きな鏡のついてる流し台で、左は浴室。
鏡を見た。目が赤くなってる。たいしてかわいくもない顔が、もっと、ひどい顔になっていた。
泣くつもりじゃなかった。顔を洗ってから、戻ろうか……。
お化粧が落ちちゃうな、とぼんやり思った。
「祐奈」
呼ばれた。
しめきってなかった引き戸の向こうに、礼慈さんがいた。
「開けていい? トイレ?」
「ううん……。いいです。あけて」
礼慈さんが、中に入ってきた。わたしを見て、えーっという顔をしていた。無理もなかった。
「どうしたの」
「あの、……なんでもない。ちょっと、胸が、いっぱいになっちゃったの」
「どうして?」
「結婚してたんですか」
すごく、脈絡がない感じの質問になってしまった。
「えっ? それ、紘一の話?」
「ちがいます。あなたの……」
「あ、ああ。俺はしてない。ちなみに、紘一もしてない」
「そう、ですか」
「してたと思ったの?」
「うん。はい。……歌穂が、歌穂のせいじゃないんですけど、わたしの部屋が広すぎるから、けっ、結婚してたんじゃないかって。それで、そうかもって」
「それで、泣いてたの? ごめん。ちょっと、よく分からない」
「でしょうね……」
「ショックだった?」
「……はい。ありそうな、気がしたの」
「ない。ないから」
「ごめんなさい。落ちついたら、戻りますから。れいじさんは、むこうに」
「大丈夫だよ。ここにいる」
わたしに、手をのばしてくれて、だっこしてくれた。すごく安心した。
ぎゅうっと、強く、抱きよせてくれた。上の方から、礼慈さんのあったかい息が、うなじのあたりにかかって、ぞくっとした。
「わたし、わたし、あなたを……」
好きになりすぎてしまった。言えなかった言葉が、涙になって、頬をぬらした。
もう、戻れない。あなたを知らなかった頃の、わたしには……。
そのことを、はじめて、こわいと思った。
「ごめんなさい……。こわく、なっちゃったの」
「うん」
礼慈さんの手が、指が、わたしの体をとらえて、もっと強く抱きしめられた。少し、痛いくらいだった。
「二人が帰ってから、ゆっくり話をしよう。それでいい?」
「いい、です。……ごめん、なさい」
「かわいい」
四文字の言葉に、礼慈さんの熱がこもってるような気がした。涙で、くずれてしまったお化粧が、すごいことになってるはずなのに……。
「顔、洗います……。素顔でも、いいですか」
「そんなこと、気にしないよ。俺も、紘一も」
「じゃあ、……そうします。先に戻ってて、ください」
「分かった」
沢野さんが、コートを着たまま、礼慈さんに抱きつくところを見てしまった。
「くっつくな。やめろ。鍋が危ない」
「ごめん、ごめん」
「イケメン二人が、いちゃいちゃしてる……」
歌穂が、ぼそっと言った。
「カニ鍋だね」
「食べようか。そろそろ、いいと思う」
「テーブル?」
「座卓を持ってくる」
テーブルの椅子は、二脚しかない。ラグマットの上に、趣味の部屋から、わたしの部屋に移動した座卓を置くんだと思った。
このラグマットの上で、昨日……そう、昨日、いろいろ、あった。
礼慈さんが汚れたところを洗って、浴室乾燥で、朝まで乾かしておいてくれた。
「祐奈。どうかした?」
「……ううん。なんでも、ないの」
言わなきゃ、誰にもばれない。でも、わたしは知ってるし、礼慈さんだって、もちろんわかってる。はずかしくて、どうにかなりそうだった。
みんなで、カニ鍋を食べることにした。
歌穂がお皿を並べてくれて、礼慈さんが鍋を座卓に移してくれた。
わたしはお茶を入れようと思っていたら、沢野さんがほとんどしてくれていて、何の貢献もできなかった。へこんだ。
「おいしい……。おいしいれす」
「語尾が、酔っぱらいみたいになってるよ。祐奈」
「ごめんね。正気を失いかけたの」
「わかるけどさ。すごい、いけちゃう。ぜんぶ、食べちゃいそう」
「いいよ。食べて」
礼慈さんは、にこにこしていた。いい笑顔だった。天使のほほえみって、こういう顔かもしれない……と思った。
こんな顔をして、わたしにうどんを食べさせてくれた時みたいに、いろんな女の子や、女の人にやさしくしていたとしたら、問題が起きるのは、あたりまえだっていう気がした。
急に、礼慈さんに、くっつきたくなった。でも、我慢した。
歌穂がいるし、沢野さんもいる。
なんだか、胸が苦しくなってしまった。歌穂にだけ、「トイレ」と、そっと声をかけて、リビングを出た。
廊下から、リビングの引き戸の目の前にある、脱衣所の引き戸を開けた。トイレは、この中に入ってから、右にある。正面は大きな鏡のついてる流し台で、左は浴室。
鏡を見た。目が赤くなってる。たいしてかわいくもない顔が、もっと、ひどい顔になっていた。
泣くつもりじゃなかった。顔を洗ってから、戻ろうか……。
お化粧が落ちちゃうな、とぼんやり思った。
「祐奈」
呼ばれた。
しめきってなかった引き戸の向こうに、礼慈さんがいた。
「開けていい? トイレ?」
「ううん……。いいです。あけて」
礼慈さんが、中に入ってきた。わたしを見て、えーっという顔をしていた。無理もなかった。
「どうしたの」
「あの、……なんでもない。ちょっと、胸が、いっぱいになっちゃったの」
「どうして?」
「結婚してたんですか」
すごく、脈絡がない感じの質問になってしまった。
「えっ? それ、紘一の話?」
「ちがいます。あなたの……」
「あ、ああ。俺はしてない。ちなみに、紘一もしてない」
「そう、ですか」
「してたと思ったの?」
「うん。はい。……歌穂が、歌穂のせいじゃないんですけど、わたしの部屋が広すぎるから、けっ、結婚してたんじゃないかって。それで、そうかもって」
「それで、泣いてたの? ごめん。ちょっと、よく分からない」
「でしょうね……」
「ショックだった?」
「……はい。ありそうな、気がしたの」
「ない。ないから」
「ごめんなさい。落ちついたら、戻りますから。れいじさんは、むこうに」
「大丈夫だよ。ここにいる」
わたしに、手をのばしてくれて、だっこしてくれた。すごく安心した。
ぎゅうっと、強く、抱きよせてくれた。上の方から、礼慈さんのあったかい息が、うなじのあたりにかかって、ぞくっとした。
「わたし、わたし、あなたを……」
好きになりすぎてしまった。言えなかった言葉が、涙になって、頬をぬらした。
もう、戻れない。あなたを知らなかった頃の、わたしには……。
そのことを、はじめて、こわいと思った。
「ごめんなさい……。こわく、なっちゃったの」
「うん」
礼慈さんの手が、指が、わたしの体をとらえて、もっと強く抱きしめられた。少し、痛いくらいだった。
「二人が帰ってから、ゆっくり話をしよう。それでいい?」
「いい、です。……ごめん、なさい」
「かわいい」
四文字の言葉に、礼慈さんの熱がこもってるような気がした。涙で、くずれてしまったお化粧が、すごいことになってるはずなのに……。
「顔、洗います……。素顔でも、いいですか」
「そんなこと、気にしないよ。俺も、紘一も」
「じゃあ、……そうします。先に戻ってて、ください」
「分かった」
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